追憶 彼にとっての始まり
余談だが、現在の季節は春であり、垂たちは高校3年生に上がったばかりであった。
つまり、「受験で忙しい」と言っても、心はまだ余裕がある時期だったのだ。
だからまあ、噂の一つや二つは、去年の様に平気で広まるため….
「―――なんで俺が担任の先生と結婚したことになってんだよ….」
一時限目が終わり、つかの間の休み時間に入った頃、垂は自分の席で呟き天を仰いだ。
垂はこのクラスに友人がほとんどいないので、答えてくれる人物など存在しないのだが、
口に出さずにはいられないほど、この噂は変な風に広まってしまっていた。
もう一人の被害者である担任の先生は、ホームルームが終わった後この噂を知り、
止めるどころか悪ノリをしているようだった。
どうやら説明した人物が垂の名前を伏せて言ったらしく、30近くなって結婚できていない先生は、生徒からの慰めと勘違いしてしまったようだ。普通おかしいと気付くと思うのだが、先生自体が受験生をからかったりとおかしかったりするので、しょうがないと言えばそうであった。そもそも、この噂は先生がわざと引き起こした可能性もある。
考えればキリがないので、気持ちを落ち着かせるために廊下に出た。まだ4分ほど時間はあるし、トイレの窓から外の空気でも吸おうか、と思っていたたその時、
ポンポン。とおもむろに肩を誰かに軽くたたかれた、振り返ってみると、そこには
「おはよー垂、なーんかいろいろ災難だねー。」
垂の幼馴染である白羽良灯花が、いつも通りの明るい笑顔を浮かべていた。
彼女と垂は小学校からの付き合いで、中学の時いちど離れ離れになり、いろいろあって今は垂と同じ高校の隣のクラスにいる。腰まで伸びた髪が特徴な人物だ。
「おはよう灯花。噂っていうのはとどまることを知らないね。」
「受験勉強の時期だからね、みんな退屈で、刺激的なものが欲しかったんじゃない?」
ちなみに、垂と灯花はこれが今日はじめての「おはよう」である。
灯花はバレーボール部に所属しており、部活に所属していない垂とは登校時間が
1時間ほどずれているからであった。
「というか、灯花は噂を信じなかったみたいだね。」
「当たり前だよ。今の垂に求婚するなんて、よっぽど頭がおかしい人じゃないとありえないもん。垂がクラスでどれだけ影が薄い人か、一番私がよく知ってるから。」
「うぐっ…….」
自分の影が薄いことはよく知っていたが、面と言われるとちょっとショックである。
あと、「お前に求婚するやつなんていない」と悪気もなくさらっと言われて泣きそうだ。
「まぁ、今日は金曜日だから、休日には勝手に収まってくれてると思うけどね。」
「…..」
「じゃあ、次の授業が始まるから、それじゃあね。」
灯花は悪びれもなくそういうと、教室に戻って行った。
気分転換をするどころか、逆に落ち込んでしまった垂は、トボトボと自分の教室に戻ることにした。
退屈だ。
中身の薄い歴史の授業に、垂はあくびを漏らす。
別に垂は成績がずば抜けて高いわけでもない。中の上くらいだ。
だが、別にトップじゃなくても垂は受験生である。
予習は人並みに行っている訳で、その予習以上の内容なんぞやらない歴史の授業は、
なんの新鮮味もなく、退屈して当たり前なのだ。
「じゃあおさらいをしよう。『精霊』を崇める宗教、カイスト教が広まったのはいつでしょう。そうだな…垂、さっきあくびしてたからお前で。教科書見ないで立って答えよ。」
ノートをとっていると、黒板に授業の内容をあらかた書いた先生がそう言った。
どうやらあくびをしたのが見られていたらしい、指名されてしまった。
因果応報というには小さすぎる報いが垂を襲う。
別に覚えていないわけでもないので、素直に立って答える。
「1857年から1860年あたりと言われています。今から100年ほど前の出来事です。」
「そうだ、じゃあ次のもんだ…い…に…!?」
突然、垂に驚愕の視線が向けられる。
「先生?」
「うわああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
先生が突然叫びだした。
その叫びは教室中に広がり、まるでウイルスに感染したかの用に、垂の姿を見た生徒は皆同じように叫びだした。クラス中が大パニックになるまで30秒もかからなかった。
「おい、みんな。一体どうしたんだ…?」
突然の出来事に垂は困惑する。
「どうしたじゃねえよ!お前こそ一体どうしたんだよ!?」
誰かとも覚えていない声が聞こえた。
思わず、自分の体を確認する。
そして気付いた。気付いてしまった。
自分の足が、どこにもないことに。
『これでやっと、貴方に…』
どこからか、声が聞こえた。
驚愕する暇はなかった。
垂は突如力を失い、意識を失った。
――――ザ
――――ザザザ
ザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザ