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閑話 2054年6月10日 休憩

株式会社白石機構特殊先端技術研究部相原――主任技師

現在国連航空宇宙軍へ出向中。

 三機の無人戦闘機が輸送されるまでの十一日分。その十一日という時間は飛ばすには惜しい物があった。だがいざ書く段階になると何を書けば良いのか分からなかった。かつての自分が残した該当期間中のファイルを漁るが、やはり思い浮かぶ物はない。

 見通しが甘かったと舌打ちする。日記があるからと見切り発車した自分を恨む。だがいざ書き直すには惜しい分量だった。

 

 一時休憩とばかりに傍らに置いたコーヒーへ手を伸ばす。共に宇宙へ上がれなかった部下を思いだし僅かに口角が上がるのを感じる。彼は随分とコーヒーにうるさかった。私がやっている様に大量のミルクと砂糖を投入した甘ったるい液体を見れば、おそらくは冒涜だと憤慨するだろう。


 淹れた時には冷えていたそれは、すっかりと生ぬるくなっていた。コップの中身を覗き込めば、溶けた氷がすっかりと混じりあい薄めているのが分かる。時計を確認する。書き始めた時には八を指していた針が、二に移っていた。道理で空腹だと納得がいく。随分と熱中していたようだった。


 壁際のテレビではキャスターがいつもと変わらぬ真面目な表情でニュースを伝える。丁度航宙軍の話題の様だった。主要国である米露二か国の将官が喋っているのが、フリップで小さく映っていた。

 

 不味くなった液体を飲み干し、ほんの僅かに重く感じる体をデスクから引きはがす。椅子がわずかに軋みを上げた。ガス圧で高さを調節する箇所が駄目になりつつあるのだ。買い替え時かと思ったが、もう暫くすれば帰国する。無用な出費は抑えた方が良いだろう。


 キッチンの冷蔵庫に向かう動作が酷く苦痛に感じられる。宇宙では全ての物に重さが無かった。正確に言えば多少はあったが、日常生活を送る上での雑貨類の重さなど全て誤差。重量ゼロと言い切ってよい程だった。何をするにも物はこちらの意図した通りに素直に動作してくれた。リハビリの効果は確かに表れている。宇宙へ上がる前の身体能力に戻りつつある。だが――。

 

 何時ものように始まった無意味な思考を切り上げる。万物の重量を嘆いても現状は変わらず、またその重力がもたらす現象こそが現在地上に居る実感を与えてくれる。有り体に言えば安心できるのだ。

 窓の外を見れば雨が降っていた。朝から続く雨だ。傘をさして歩く手間と、雨にうたれながら歩く不快感。この二つを考えれば外に出歩くという選択肢は消える。このままでは気晴らしの散歩すらできない。

 

 キッチンの冷蔵庫を開く。中にある食料から適当な物を見繕う。空腹ではあるが、あまり重い物は食べたくなかった。結局売店からまとめ買いした大して美味くもないが不味くもない、実に大味極まりないサンドイッチを選ぶ。軽く水洗いしたカップに牛乳を注ぎ一口飲む。微かにコーヒーの風味が有った。悪くは無い。

 

 ソファーに座り噛りつく。しなびたレタスとチーズ。そしてハムの味がした。食べなれた代わり映えしない味だ。(すべ)ては(まった)くに平穏であり、万事うまく日々を過ごせていた。


 ニュースは終わり、代わりに午後の天気が報じられていた。今日一日雨だそうだった。朝と同じことを言っている。ぼんやりとそれを眺めながら、外の雨音に耳を傾ける。テレビの音量は最低に設定する。

 

 二百日という期間は人間の一生で見れば極々短いものだ。だが、その期間が私に与えた影響は絶大だったと言わざるを得ない。宇宙からの帰還後最初に雨を見た時、やけに新鮮な気持ちでそれを眺めた。

 宇宙ではありえない光景だったからだ。三十年以上生きてきた男が見慣れた雨。その認識、固定概念をたったの二百日で崩す程の威力。それが私が過ごしてきた二百日だった。

 

 気分転換に外へ出ようと思った。外部ではない。部屋の外だ。談話室にでも行けば見慣れた顔の一つにでも出会えるだろう。ロビーに行き、自販機で買った飲料を片手にベンチでぼんやりとするのも悪くはない。兎に角現状のように煮詰まった場合は外に行くのが最適だった。

 

 廊下は実に静かだった。当たり前だ。現在は平日。休暇の人間は限られている。騒がしい方が異常だ。

 足音がやけに大きく聞こえた。安物のスニーカーですらこれほどの足音を発せられるのかと驚く。階段に差し掛かればその音は更に大きくなっていった。


 談話室の前には喫煙室がある。大型の空気清浄機が設置されたガラス張りの部屋だ。隣室の男が中に居た。目が合ったがそのまま素通りする。生憎と私は喫煙家ではない。

 談話室には顔見知りは居なかった。ゴシップ雑誌を読みふける者や、トランプで何やらやっている連中が居たくらいだった。

 

 一階のロビーは入り口だけではなく男性棟と女性棟を繋ぐ空間でもある。自販機とベンチ。そしてテーブル等が設置され、中庭方面がガラス張りであるため庭園が見える様になっている。

 そのロビーのベンチに座る一人の女性を自動扉のガラス越しに視界に収めたとき、さてどう話題を切り出そうかと思案した。さしあたり手土産の一つでも必要だろうと、彼女が好む紅茶のペットボトルを購入する。

 

 ロビーへの自動扉が開くころには、彼女は私の接近に気が付いている様子だった。彼女は私を見つめていた。私の手に持った二つのペットボトルを。軽く掲げてみれば目がそれを追う。下げれば下へ。上げれば上へ。まるで子供の玩具だった。これには笑みが漏れる。

 粘つく口内をマシにしてやろうと唾をかき集め飲み下す。近寄る私に彼女は会釈をした。私は適当な挨拶を返す。声はかすれていた。

 

 なんだこれは、と内心憤慨する。これが大人のする事かと。まるで恋い焦がれる思春期ではないか。三十路を越えた大人ならばもう少し余裕を持つべきだ、と。私の肉体であるならば司令塔である私の精神。脳髄の指揮に従うべきではないか。


 そもそも人間とは理性の生き物である。自らをホモサピエンス(賢い人間)と自称し、地球の生態系の頂点に君臨するならば神経の一つ自由にできなければおかしい。ホルモン一つ、神経の反射一つに支配されていてはいけないのだ。ただの化学変化ごときに高尚な精神活動による支配が妨げられるのは、これは反逆である。

 

 だが。だが少し落ち着いて考えて欲しいと私の精神の一部が言うのを感じる。精神活動も脳のニューロンのネットワークによって生じた産物ではないか。精神を高尚と尊び、それを化学変化によって支配された世界の外に置く。それこそが科学ヘの冒涜ではないだろうか。


 となれば。となれば私の一連の思考は技術者として培ってきた一生の信条から反するものに他ならない。科学によって証明されるモノだけを信じて暮らしてきた日々に、自分で泥を塗ったのだ。

 思い返せばコミュニケーションによって生じる精神活動の一種。つまり家族愛や友情といったモノを私は昔から特別視してきた傾向がある。友情と言う感情は群れを維持する為のモノだ。家族愛は自己の子孫である個体を保護すべく本能に刻み込まれた活動だ。

 であるならば――。

 

 思考を振り切る。これ以上はいけないと思ったからだ。逆に考えてしまえば良いのだ。愛好する古典SF作品にも描かれていたではないか。

 二重思考だ。相反する考えを両立する。精神活動は脳のニューロンの反応によって生じた活動に過ぎないという思考と、精神だけは肉体とは別の次元の物であり、脳の活動によって抑制されたりはしない高尚な物であるという思考。

 その二つを同時に正しいと思い込むのだ。数千年前から言われているではないか。人間とは矛盾性を抱えた生命体であると。

 

 生存の為に理性を獲得した結果生じた矛盾。その矛盾を矛盾と捉え思考を巡らせてしまう事。これは我々の性である。

 

 だからしょうがないのだ。声がかすれていても。体が勝手に反応してしまった事なのだから。

 ああ畜生。自然な仕草であいさつの一つも出来んのか私は。ただの――

 

 

 

「あの主任、私になにか」

「ああいや。ああそうだ。これ飲むかい? 間違って二本買ったんだ」

 

 これは無いと自覚する。この言い訳は流石にありえないと。間違って二本買うという状況が私には分からない。どこをどうすれば二本同じものを買ってしまえるというのだ。結露の状態から買った直後というのが分かる。

 案の定彼女は訝し気に私の差し出したボトルを受け取る。さっとキャップの様子を確認するのが見えた。何か盛っているのではないかと疑われたのだ。異常は認められなかったのだろう。

 

「ちょうど喉が渇いていました。ありがたくいただかせて貰います」

「今、時間あるかい?」

 

 勢いよく飲む彼女の白い首筋が目に眩しかった。雨の中、室内の灯りだけでこれなのだ。陽光のもとに晒したらどれほど輝くだろうか。

 三分の一ほど飲んだ彼女はそれをテーブルの上に置き、首を縦に振った。それでは、と彼女の対面に座り、本題を切り出す。これをしない事には私の人間関係は大分悲惨な物になってしまう。

 さあ勇気を出そう。臆せずに言うのだ。肝心の一言の前座を。

 

「本を書こうと思ったんだ。最初の部分は書いた」

「本、ですか」

 

 合点がいっていない様子だった。どうして自分にそん事を打ち明けるのだろうと、そんな仕草だ。言葉足らずだったと反省する。そして汗で濡れる手をズボンで拭きながら補足する。

 

「我々が二番基地で過ごした期間中の出来事だ。まずは桐谷君。君に了承を、と思ってね」

「ですが機密が」

「そこははぐらかす。クルーは私以外全員偽名で登場させる」

 

 それに、と続ける。

 

「一連の内容が開示しても良い事になった。ちょうど二か月後……八月十日だ。その日に一連の報告書が公開される」

 

 彼女に携帯端末を渡す。これが私が書いた文章だと言って。彼女は開示という情報に驚いた様子だった。そして額に皺を寄せて書きかけの文章を読む。ほどなくしてふっと笑ったのが見えた。無理もないと思った。それはそうだろう。なぜならば。

 

「何故一人称が僕なのですか主任。大分キャラクターを作ってますね。あと、かなり暴露なさってますね。私の第一印象とか」

「僕と言った方が親しみやすいだろう? 最初に一人の人間として語ると書いたんだ。暴露の一つもするさ」

 

 彼女から下された判決は、おおむねよろしい。随分と詩的表現を学ばれましたねと、皮肉にもからかいにも聞こえる事を言われた。やけに耳が熱い。さあ、本題を切り出さねば。

 

「今夜一緒に夕食どうだい?」

「雨ですが……」

 

 断りとも聞こえる台詞とは裏腹に表情は心なしか明るかった。脈があると判断する。彼女の懸念を払拭すべく私は言葉を重ねる。

 

「そこは心配しなくても良い。食堂だよ。雨は関係ない」

「分かりました。時間はどうしますか」

 

 先ほどの反対だ。言葉とは裏腹に暗くなった。ああ衝動的に誘わなければよかったと後悔する。食堂は無い。なんでレストランの一つも予約しなかったのだ私は。

 どうやって失態を取り戻そうか。それだけを必死に考えた。

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