本当に頼りになるんです
「なるほど、結局彼が何らかの事件に巻き込まれた可能性が高いと?」
「ああ」
ジャスティーヌの部屋、今朝あったことを彼女に話す。
店長の息子が重要参考人となっている、何らかの事件に巻き込まれたあるいは……
「そのために今から寝ようと思っている私の部屋にきたと」
「悪いとは思うが、頼む、俺に頼れるのはおまえぐらいしかいないんだ」
「……はあ、まあいいけどさ」
「助かる」
ジャスティーヌはそこで椅子に座り考え出した。
いつもはハインツがそこに座り彼女がベッドに座る、だが今は先に座られてしまった。
しょうがなく彼がベッドに座る。
「乙女の寝床に躊躇なく入り込むなんて君はなかなかに度胸があるね」
「今はそういうのはいいから考えを聞かせてくれ」
彼女がこういった反応をするときは怒ってはいない、本当に怒っていたら彼女は直接言うだろうと彼は思う。
「とは言ってもね今朝の報道紙で怪しい物があったんだ」
「怪しいもの?」
彼女は机の上の報道紙をハインツに投げ渡してくる。
蒸気活版によって毎朝刷られる、部屋から出ない彼女も俗世のことを気にするものであった。
「一面を見ろ」
「セントラルブリッジ完成間近、式典には多くの」
「そっちじゃない、その下の記事」
「蒸気自動車の暴走!」
「それだ」
「先日、ロンディニウムのバーナンド通りに停車してあったファベッジ議員の蒸気自動車が急に暴走し無人の状態で走り出した。死者はいないものの三人が軽傷をおった。目撃者の証言では急にとてつもない速度で走り出した模様。警察は整備不良からくる暴走または何者かによる意図的な暴走だとみている」
「不思議には思わないか?」
「そりゃあ、急に蒸気自動車の暴走なんて見聞きしない。定期点検は法で義務付けられているし」
「そこではない」
彼女がハインツを見る。ハインツの方も彼女が何を理解させたいのかわからずしゃべることができない。
「はぁ、いいか蒸気自動車というのはな加速するものだわかるか」
「バカにするな俺だって蒸気自動車ぐらいは知っている」
「嫌、わかっていない。知っていても実感が追いついていない。いいか加速だ。だがその記事を見ろ、目撃者の証言では急にとてつもない速度で走り出したとある。蒸気自動車だって一度走り出したら馬より速く駆けるだろう。だが発進しだした最初は歩く程度の速度しか出ないものだ。なのに急にとてつもない速度で走り出した? おかしいとは思わないのか?」
「それは……」
ジャスティーヌは一気にしゃべり疲れたのか、それともハインツに考える時間を与えているのか黙っている。
「だ、だが、目撃者が見た時には既に加速しだしていたという可能性もある」
「たしかに、事象と事象に不可解な差異が生まれた時、他の原因を探す。君の考えも十分にあり得るだろう。だがもっと可能性のあるものがあるはずだ」
彼女の言わんとするものがハインツにもようやくわかった。
「つまり」
「ああ、《機能》だ」
彼女の答え。一瞬の静寂が、カーテンから微かに指す光だけが支配するこの薄暗い部屋に訪れる。
「まあ高速の《機能》だろう。よくある《機能》だ」
「これを店長の息子が?」
「可能性はある」
(あまり、信じたくはない。でも……)
「直接会って確かめるしかない」
「そうか、じゃあ。そこらで他の報道紙と地図を買って来い」
「……なぜ?」
「おまえ相手の居場所がわかるのか」
「わからん」
「どうやって見つける気だ?」
「探し回る」
大きくため息をついてジャスティーヌが顔を伏せる。
「実はな、その事件以外にもいくつか怪しいものがある。飛ぶ物体を見たとか、壁をへこませられたとかそんな記事だ」
「それも関係あると?」
「ああ、といっても推測でしかないが。だから情報が欲しいあと地図」
「つまり」
「ああ、しょうがないから手伝ってやるよ。私の黒い影」
「わかった買ってくる」
そういうとハインツはすぐに部屋を飛び出していった。
三十分後、そこにはひたすらに地図と報道紙に目を走らせるジャスティーヌと所在なさげに座っているハインツがいた。
「君、コペンツ通りになにか君のところの店長に関係ある建物、もしくはその息子が知ってそうなものはあるかい?」
「コペンツ通りだと。ちょうど店同士の共同倉庫があるところだ」
「たぶんそこだろう。起こった事件の現場からほどほどに近く。路地も多く人を撒きやすい」
「わかった」
そういうとハインツは立ち上がる。
「行くのか?」
「ああ、行かなくてはいけない」
「そうか、不確定な部分が多い。気をつけろよ、黒い影」
「ありがとう」
「また明日」
「また明日」
そうしてバタンと扉は閉じ、ジャスティーヌは当初の予定通り寝ることにしたのだった。
ハインツは薄暗い路地を走っていた。時間はまだ昼間、下手に表に出れは見つかってしまうからだ。今の格好は普通ではあるが大きなカバンを背負っていて目立ってしまうから極力表通りは避ける。
走る、走る、走る。
二十分も走るとコペンツ通りの裏路地に着く。
ここからは目的の倉庫までは表通りを歩くことなく行ける。
ハインツは背負っていたカバンを地面に降ろし、中にあるものを取り出す。
一つは仮面、彼の着ける奇妙な道化師のような白と黒の仮面。
そして黒いマント、彼が黒い影と呼ばれる原因。
最後に脚部に付ける機械、蒸気の噴出で力を生み出すもの彼女が作ってくれたもの。
――では行こう。正義を為そう。この黒い影が。
倉庫内に侵入する。入ること自体は裏口を無理やり開けただけ。それなら周辺の喧騒に紛れてそこまで目立ちはしなかったはず。
倉庫の中は外からの光がわずかに射すだけで薄暗かった。
「う、うごくなぁ!」
声が響く。
ハインツのものではない。
倉庫の奥、40メートルほど先にいる人影、ハインツと同い年ぐらいの少年、彼がおそらく店長の息子だろう。
「警察か?」
「違うな」
ハインツは姿を現す。
黒い装束に身を纏った、仮面をかぶった姿を。
「ま、まさか……黒い影!」
「そう呼ぶ人間もいるだろう」
そういってハインツは黒い影は動き出す。
「動くなって言ってるだろう! ! !」
そういって彼は隣にあった大きな木箱に触れる。
その瞬間、速度を持つ木箱。
一瞬にしてハインツまでの距離をゼロにする。
だが、ハインツは自らの脚力と蒸気の噴射を使い箱の上に飛び乗り足場にしてさらに近づく。
(触れたものに《機能》が発動するタイプか……)
確かに高速で飛来する物体、しかも大きさを問わず、は危険ではある、がそれは一般人の話であってハインツならたやすく避けることは可能だろうと判断する。
(な、なんなんだアイツ……!)
一方、少年は大きく狼狽していた。
少年の背丈くらいの大きな木箱がとてつもない速度で放たれるというのに、相手は黒い影は難なくそれを避けて距離を詰めてきたのだ。
(ありえないありえないありえない! ! !)
少年は背を黒い影に向けながら走り出す。
ハインツはそれを追うだが――
(またか!)
少年は逃げながらあたりの物を手あたり次第に射出しだした。
妨害装置を駆動させるか悩んだもののあれにも限界があり半径15メートルにしか効果は無い代物であるし、一度発動した《機能》を無効にはできない。
どうせ近づくなら一気に詰め寄る方がいいだから使うのはやめておく。
何度目かの射出。
一度目と同じ大きな木箱だった。
違うのは少し上方にめがけて放たれていること。
ハインツはそれを右側に躱し避ける、だが――
奔る白銀!
(よし! 決まった)
少年は歓喜した。
このままでは追いつかれると思い一つからめ手をこころみたのだ。
なんてことはない木箱の後にナイフを《機能》で放つだけ、だがそれは木箱により視界を遮られた状態では避けることは不可能。これで勝利のはずだ。
「僕の《機能》は誰にも渡さない! 僕はこれですべてを見返してやるんだ!」
勝利のはずだった、普通ならば。
ナイフは鋭い軌道を描き黒い影の右腕に刺さるはずだった。
だがナイフは右腕にぶつかった瞬間甲高い金属音とともに弾き飛ばされた。
そしてその時、少年は見た。
(金属――鋼鉄の腕!)
そうして黒い影は少年との距離をゼロにする。
(触ってみろ! すぐに僕の《機能》で吹き飛ばしてやる!)
思いとともに少年が右腕を伸ばした直後。
黒い影が消える、少年の視界から、少年の前方から。
「残念だったな」
声が聞こえる。
少年の右後ろから。
少年が振り向こうとした瞬間、体勢を崩され地面に下向きに押し付けられる。右腕が体に挟まり地面に押し付けられ動かすことはできない。
「おまえ逃げるときに、右側の物しか飛ばさなかったからね。右腕が《機能》の発動点だとよくわかったよ。そこに飛び込むわけないだろ」
その男の声を聴くと少年の意識は黒い影の手刀によって刈り取られた。
(とりあえず、一件落着かな)
そう思いハインツは立ち上がる。この後の詳しいことは警察が調べるだろう。
とりあえず縛って連れていくかとハインツが思った直後。
すぐそこで蒸気機関によるピストン音が聞こえた。
(なんだ?)
音は先ほどハインツがこの倉庫に入ってきた場所からする。
音の発生原因の場所まで行くと、
「……ひっ!」
男が、白衣と紫のタイの特徴的な男が蒸気二輪に乗っているところだった。
(見ていた? 一般人? 関係者?)
ハインツが止まったその瞬間、蒸気二輪が発進した。
「ま、待て!」
だが、ハインツの声もむなしく蒸気機関の駆動音にかき消される。
そのまま蒸気二輪は行ってしまった。
追いかけようかとも思ったが男は大通りの方に行ってしまった。
黒い影が追いかけるには目立ち過ぎてしまう。
ハインツは諦め、少年を大通りに寝かせ警察に倒れた少年がいるとだけ伝えて家に帰ることにした。