始まりは静かに
「なあハインツお前さんにはよくあるかい」
「別に夜中に出歩くなんてよくあることでしょう。俺にもありますよ」
毎夜のように街をまわっているとは言えなかった。
「それでなあハインツ息子がよお、昨日家に帰ってこなかったんだ」
「息子さんって、確か俺と同い年なんでしょう? じゃあ一日どこかに行って帰ってこないなんて珍しいことじゃないでしょう」
今のハインツは仕事中、彼は会計で何やら探し物をしている店長の愚痴に適当に答えながら商品の補充をしている。
どうも店長の息子が最近無断外泊などがおおく不安になっているようで、そのことをハインツに愚痴るのだ。
「普通ならそう思うんだろうが、うちの息子はボッチで友達いないタイプだぞ。そんなのがいきなり帰ってこなくなったんだぞ」
流石に親にここまで言われるなんてどうなんだと思いながらハインツは手を止めない。
「じゃあ、外に友達でもできたんでしょう。いいことじゃないですか」
「でも、あいつ学院のこと全然はなさ――っいらっしゃいませ!」
「いらっしゃいませ!」
しゃべっていたら横開き式自動扉を抜け客が入ってきた。さておしゃべりは終わり終わり、仕事だ。
「それで、店長の息子が帰ってこないんだってよ」
「そう」
いつもの日常。ハインツはジャスティーヌの部屋で食事をしながら談笑中だった。
ジャスティーヌもベットの上に座り彼の話を聞いている。食事は終わったようで片手にからのコップを持っているだけだ。
「お前と同じ学院の生徒らしいけど、知らない?」
「……」
「まあ、知るわけないか……」
「いや、覚えてる」
「えっ……!」
「根暗そうな子だった。あまり馴染めていなさそうな、失礼だけど引きこもりにでもなるかと思った」
「本当に失礼だし、お前がいうか」
(ただ、そうか話を聞く限りそれはとても……)
「とても大変なんだろうとか思ったでしょ。そしてそれは彼の境遇に対してではなく、彼の在り方に」
「心を読むのをやめろよ」
「君の考えはわかりやすいよ。何年もいたら自然にわかる」
そうだ。ハインツはその子に対して大変なんだろうと思った。それはその子の境遇、学院に馴染めなかったということにではなく。その子の在り方、それでも学院に行き続けることに対してそう思ったのだ。
「まあ、いいさ君の考えは理解できる。もしかしたら事件性があるかもしれないと思っているんだろう」
「ああ、そうだ」
本当に彼女に隠し事はできないと思いながら彼女の言葉に同意する。
「んっ」
ジャステーヌがハインツにコップを投げる。水を入れてこいということだろう。
この程度のことは俺でもわかると思いながら椅子から立つ。
「それで黒い影の頭脳の天才少女の考えは?」
「何かに巻き込まれた可能性はあるだろう。ただ一日無断外泊しただけだろう? お前の言うようにどこかで友達でも作って遊んでいる可能性のほうがよっぽど高い」
「そうだよな」
ハインツはほっと安心する。そしてジャスティーヌに水をそそいだコップを渡す。
彼が特別頭が悪いとかそういうことではないが、幼馴染の天才少女の前では月とすっぽん下手に自分で悩むより彼女の言葉のほうがずっと信頼できるのだ。
「ならいい、そろそろ帰るわ」
「そうか、勝手にしろ私はまた寝る。襲ったりしても長い付き合いだし流してやるぞ」
「す る わ け な い だ ろ う !」
「冗談だ」
「つまらない」
そういうと彼は椅子から立つ。
「蒸気圧は戻っているか?」
「ああ、大事な大事な正義の味方様の装備ですから、点検も抜かりなく」
「そうか、じゃあまた明日」
「また明日……」
「?」
ジャスティーヌの歯切れが悪いような気がしてハインツは頭に疑問符を浮かべてしまう。こんな彼女は珍しいからだ。
「どうかしたか?」
「いや、別に何でもないのだが、気を付けろよ。私の黒い影」
「何に?」
「……何もかも」
「何もかも?」
「君を取り囲む都市、君の持つ信条、君を待つ敵。何もかも」
「……分かった」
本当は彼は彼女の言っていることをすべて理解しているわけではなかったがそれでも彼女の忠告は胸に刻むことにした。
「じゃあ今度こそ、また明日」
「ああ、また明日」
そう彼女に言葉を返し彼女のアパルトメントを後にした。
次の日の早朝いやまだ日が出るまでは時計の長針が一回り半必要な時間。
ハインツは気持ちの悪い寝汗とともに目覚めた。
「夢か、昔のこと……」
彼の不快な寝覚めの原因、それは夢、彼の過去の。
(昔のこと、もう終わったことだ。ジャスティーヌの忠告で過敏になってるのか? 最近は夢に見なかったのに)
彼はジャステーヌとは幼馴染であった。現代の令嬢とも言われる彼女の幼馴染、その彼が普通の凡庸な家の生まれであろうか? いやない。
彼の両親は一代で多くの財を成した商人でありつまるところ大富豪であった。だがその家族は――
(あの日のことはもう関係ない今の俺には、あの日家族が殺された日は――)
燃え盛る家、惨殺される家族・使用人、そしてもう一人の自分自身――
当時の記憶あまりにショックだったのか映像ではなく画像としてしか思い出せない記憶群。
それらはもう終わったことだ。俺が今思い出しても意味がないとハインツは頭から記憶を追い出す。
その時のこともその後周りにいた仲間が去って行ったことも。関係あるとすれば、いまだ自分の近くにいる少女だけ。
(重要なのは今のこと。そして俺が何をするかだけだ)
もやもやとした気分のままハインツは着替え仕事に向かうことにした。
だが、そこには――
「ハインツ今日は休業だ」
一人、店のシャッターを閉める店長の姿があった。
「休みですか? 何かあったんですか?」
「実は……警察に呼ばれてな」
「警察?」
「ああ、少し事故が起きたようでな。事件性があるものらしく、それで息子が重要参考人として名前が挙がっているらしい……。だが見つからなくてな。俺は、俺は息子の無実を証明に行くんだ、呼ばれたから行くのではない」
その言葉は、弱弱しかった言葉は途中で何かを決意したように固いものになっていた。
「そうですか、頑張ってください」
「わるいな。今日の分の給料はちゃんと払うから」
そういうと店主は早足で去ってしまった。
もしかしたらと不安がハインツの心の中で広がる。
店長を追う?
いや、先ほどの言葉の通りなら店長の息子は逃げている可能性が多い。ならこのまま追っても無駄足になる可能性が高い。
ならば――
ハインツの行くところは一つしかなかった。