第三話 僕とばら組の魔王
幼稚園、とあるばらの2組の一室で座り込む男子がいた。彼は緑のクレヨンを持ち、薄っぺらい紙に何か書いている。何故か、どんよりとしたオーラを垂れ流していた。
言わずもがな、僕だ。
あれ以来、荒地に入ることはできなくなった。
青いフェンスから、木の柱のようなものが見える。
どうやら、家が建つらしい。誰かが引っ越してくるみたいだ。
今はカァン、カァンと金属の鳴り響く音がする。
僕は、ぐりぐりと意味もなく魔法陣を書いている。
魔法陣といっても、魔力を込めてないし、魔導方程式もハチャメチャなので魔法は発動しない。
因みに、通りすがりの先生には、
「あーくん、それ、恐竜?」
なんていわれた。
魔導士だったら、魔法の開発中とでも考えるのだろうが。
あいにくこの世界に魔導士はいない。
分かる奴なんて、いない。
ため息をまた一つ吐く。続きを描こうとし。
そこで、いきなり紙が目の前から消えた。
「あーっ。なんだこれ、まほーじん!?」
見上げれば、つんつん頭が特徴の男の子が取り上げた紙をまじまじと見ていた。
彼の名前は、安田通くん。ばらの1組。
将来の夢は、魔法使い。ほうきで空を飛びたいらしい。
ほうきは掃除道具じゃないのか?
因みに彼、前にひよこの3組の凛々子ちゃんが描いたうさぎを見て。
「あーっ。なんだこれ、まほーじん!?」
なんていってた。
先程と全く同じセリフ。
要するにそういうお年頃なのである。
僕も昔この年位のときは、上級魔導士に憧れて右手を前に突き出しては、
「かきゅーはつどーっ」
なんて唱えてた。
そのあとのごぉぉぉぉおという効果音もちゃんと口に出してた。
……夢だけじゃ、憧れだけじゃ、上級魔導士になんて。
強くなれないなんて、もう今じゃ分かりきっているけど。
取り敢えず、未来の目標を持つというのは大事だ。
覚悟があるのなら、将来秘密裏に魔法を教えたっていい。
だが、彼の素行はいささか問題だ。
凛々子ちゃんのときも。うさぎだって小さく言った凛々子ちゃんに対し。
そして、今。何も言わない僕に対し。
「ちぇ、違うのならいいよ!」
彼は、びりびりと手に持った紙を破り捨てた。
そのまま、大きな足音を立てて去っていこうとする。
こやつ、あの時さんざん怒られたのに反省してないのか。
通君。別名ばら組の魔王。
ばら、ゆり、ひよこ組の全幼児を震撼させた、言わずと知れた問題ボーイである。
描きかけの絵を先程のように破り、おもちゃの杖は他の子が使っていたら殴ってでも奪い取り、ブランコの順番は絶対に守らない。
大人に叱られても気にしない。むしろそこで、大人を泣かすのがステータスみたいな。
僕の前の世界にもいたよ、こういう子。
子供の力でも、殴られたら痛い。というか、僕の体も子供だし。
いつもの僕なら特に何もせず見送っているのだが。
本日の僕は、違う。
「とーるくん」
「あぁ? なんだよ」
いきなり腕をつかんできた僕に、通君はひよこ組泣かせの眼光と啖呵を放ってきた。
「君は他人の心を理解できないのか?」
いままで、言い返されたことはないのだろう。
通君はぽかんとした顔でこちらを見る。
「ねぇ、通君。一体君は僕に何をした?」
「はぁ?もんくがあるん」
「僕の絵を、破ったよね? その絵は君の夢を叶えないと思ったから」
「もうおわったことだし!」
さすがにここでは引かないか。ばら組の魔王は。
「終わったこと? ねぇ、知ってる? 凛々子ちゃんがウサギの絵を描いていたわけ」
「……しらねぇよ」
「うさぎを飼いたかったんだよ。でも、家じゃ飼えないから、ああやって絵にかいて欲を満たしてた」
「しらねぇよ!」
だが僕も引かない。
「あの絵は凛々子ちゃんの夢そのものさ。それを、君は破った」
「……」
「他人の心が分からないのなら、自分の心でもって知るがいい」
通君。大事なものを理不尽に奪われる悲しみを知っているかい?
通君。実は最近、僕も理不尽に奪われたんだ。
「魔法使いになる? はぁ? 魔導要素も認識してないのに魔法が使えるわけがない。叫んだだけで魔法が使えるのなら町中パニックだよ」
僕のってわけじゃないんだけど、大事だったんだよ。
僕の憩いの場所だったんだよ。
「君がよく遊んでるあの杖。あれ、ただのおもちゃだからね。振ってもなにも出ないからね。同じのが店に大量に売ってたし。あれが本物だったら同じく町中パニックだよ」
僕のその時の気持ちを知るがいい。
「君の思う魔法使いってなに? 他人のもの壊すの? 他人を殴るの? 違うでしょ。今の君は絶対に」
君の大事な夢、壊させてもらう。
「魔法使いになんてなれっこない」
「……ぅ、ふぅっ、うぁ、ああ」
僕が気が付いた時には、通君は泣いていた。
それでもわんわんと泣き声をあげないのは、彼の矜持か。
殆ど八つ当たりだった。やりすぎた。
僕は青のクレヨンを手に取ると、新しい紙に、また新しく魔法陣を描いた。
今度はちゃんとしてる、それっぽいやつだ。魔法は発動しないけど。
「分かったなら、ほら。元気出しな。これあげるから」
僕が、その紙を彼に手渡す。
彼はそれを目をまんまるに開いて、大事そうに受け取った。
彼のくしゃくしゃの顔が、さらにへにゃりと崩れる。
「……ありがと」
おぉ。素直で可愛い。リカルドとは大違いだ。
こうして、僕と問題ボーイ通君の戦いは終わった。
あれから彼は反省し、乱暴なところもあるけれど、ちゃんとルールを守るようになった。
ただ、あの戦いは先生や幼児を震撼させた。
僕は、問題ボーイに認定をされた。
今や、ばら組の魔王といえばこの僕である。
ある夏の日。僕の家の玄関のチャイムが鳴った。
……どうやら、お隣さんが引っ越して来たようである。