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妖怪ハウスクリーニングとお化け屋敷

作者: 夏川優希

 俺達の結婚生活は短いものだった。


 どちらが悪いわけではない。強いて言うなら価値観の違い、すれ違いの生活が夫婦の絆にヒビを入れたのだ。

 別居していた期間が長かったためいまさら離婚したところで生活に大きな変化はないわけだが、もう夫婦でもなんでもなくなったという事実はやはり心にくるものがある。


 そしてもう一つ大きな問題が。

 「ゴミ屋敷化問題」と俺は呼んでいるのだが、とにかく家が汚いのだ。結婚前は実家暮らし、結婚後は妻が全ての家事を担っていた。しかし妻が出ていった今、家事は俺がするしかないわけだが掃除などほとんどしたことがないため伸ばし伸ばしにしていった結果、家はひどい有様になってしまった。

 この家は中古で売り出されていたもので、リフォームされているとはいえやはり新築とは違う。その上、ここまで掃除がされていないとゴミ屋敷を通り越してお化け屋敷だ。

 夫婦二人でお金を出し合って購入したものだが、妻はこの家を俺にくれてやると言っている。ずっとこの家に住んでいくためには、やはりこまめな掃除とメンテナンスが欠かせない。


 と言うことで、俺はとうとう重い腰を上げて掃除に取り組んだわけだが、一つどうしても自分では掃除したくない場所があった。風呂場である。

 長年掃除をサボっていたためあちこち水垢だらけ。よく換気を忘れるせいでカビが天井にまで侵食している。排水口は詰り、なかなか水が流れない。

 こんな魔窟を掃除できるほど俺のお掃除レベルは高くない。

 俺はあっさり風呂掃除を諦め、業者に頼むことにした。



「ハウスクリーニングのレッドリックでーす」


 電話をしてから一時間後。

 作業服に身を包み、帽子を深くかぶった小男が玄関の戸を叩いた。その小柄な体に似合わぬ大荷物を背負っている。きっとスチームとか特殊な機械を使って素人では取りきれない汚れを取ってくれるのだろう。

 俺は彼を風呂場へ案内し、掃除をお願いした。

 すると、彼は思いがけないことを口にする。


「掃除している間はお風呂場に近づかないでくださいね」

「え、どうしてですか?」

「特殊な薬品を使いますので、むやみに近付くと喉が焼けてしまうんですよ」

「そうなんですか……分かりました」


 まぁ、カビを取らなければいけないのだからそういう強い薬品も使うのだろう。

 さっそく風呂場から退散しようとした時、再び業者の男に呼び止められた。


「あのー、ちょっとお聞きしたいんですが、ここのお風呂は女性も使っていますか?」

「えっ……まぁ、そうですね。使ってましたよ」


 少し前まで嫁が使っていたし。


「そうですか、分かりました。では始めますので……」


 男はなんでもないふうにそう言ってみせたが、微かに口角があがるのを俺は見逃さなかった。







「怪しい……」


 俺はリビングで一人、あの男に疑いの目を向けていた。

 あの男、わざわざ風呂に女が入るか確認し、さらに掃除中風呂に来るなと言っていた。

 まさか風呂場に隠しカメラでも仕込む気では?

 カメラや盗聴器を業者が仕込んでいく例は多いと聞く。

 まぁ現実に監視カメラが仕込まれたとしても映るのは俺の裸のみだが、気持ち悪いことに変わりはない。


 悩んだ結果、俺は風呂場へ突撃することに決めた。

 念のためマスクを何重にも重ね、喉が焼けないよう対策するのも忘れない。

 足音で気付かれないようスリッパを脱ぎ、そろりそろりと慎重に脱衣所に入る。

 風呂からはぴちゃぴちゃという水の音が聞こえるが、スチームなど業務用機械の出すような豪快な音は聞こえてこない。異臭や喉への刺激は感じないので薬品も使っていないらしい。


 では今、彼は何をやっているのか?


 浴室の中に気配は感じるものの、大きな動きをしている様子はない。ますます怪しい。

 俺は浴室に繋がる扉をゆっくりと開け、わずかな隙間から風呂場を覗き込む。

 まず目に飛び込んできたのは、緑色だった。

 ゴムのような、ビニールのような、濡れたような光沢のあるツヤツヤ緑。いったいこれがなんなのか全く分からず、扉をもう少し大きく開けてそれをじっと見つめる。

 すると、その緑が振り向いた。そして緑の物体と目が合う。


「……えっ……うわああああああああ!!」


 俺はたまらず尻もちをつく。

 その緑の正体が分かってしまったのだ。

 つぶらな瞳、緑の皮膚、黄色いくちばし、そして頭のお皿……


「かかかかか、河童!? 河童、河童!!」

「あー、お客さん。覗くなって言ったじゃないすか」


 浴槽から這い出て扉を開けたのは、あの業者の小男である。

 しかしこの男、先ほどとは少し様子が違う。舌が地面に付くほど長いのだ。


「なななな、なんで河童が!? ていうか君の舌は一体どうしたんだ!!」

「え? ああ、いきなりだったからしまい忘れちゃったや。ええとこれはですね、こうやって使うんです」


 そういって男は浴槽についた水垢をその長い舌でベロリと舐め取る。男は情けない悲鳴を上げて後退りをした。


「実は僕、妖怪なんですよ。垢舐めっていう」

「かかか、河童に垢舐めぇ!? ふざけんなよ、どういうことだ!」

「どういうことだって言われても。ご飯食べれてお金も貰えるとなれば当然この仕事やるでしょう。この方法なら薬品を使うより自然に優しくて風呂釜も傷つかないですよ」

「いや、そうだろうけど!」

「まぁ河童を勝手に連れこんだことは謝ります。僕は人間のフリができますけど、この子を人間だと言い張るのはちょっと厳しいので鞄の中に隠して連れ込みました。でも別に悪いことはしませんから安心してください」

「あ、安心!? 安心なんてできるか! バケモンじゃないか!」

「まぁまぁ、河童だって生きてるんですよ。そんな邪険にしないでください」

「なんで自分は違うみたいな雰囲気出してるんだよ、お前もだからな……!」

「おやおや。まぁとにかく聞いてくださいよ。僕らもね、昔は人間に媚びたりしないでも生きていけたんですよ。でも最近じゃ森は減って川は汚れ、僕達は住むところを追われてしまったんです。そうなると人間の世界で生きざるを得なくなる。人間の世界で必要なのはお金です。悪いことをしてお金を稼いでいる妖怪もいるなか、僕らはこうやって真面目にお金を稼いでいる。なにを責られることがありましょう」

「むう……そう言われると……」

「僕はまだ良いですよ。人のフリができるからこうして自分の会社を作れました。でもね、この子は人間のフリができない。まだ小さいのに住むとこもなく、僕のもとで独り立ちするために頑張っているんですよ」

「独り立ちするためって? なにをしているんだ」


 そう言って河童に目を向けると、彼(彼女?)は怯えたように縮こまりながら排水口を指差した。


「か、髪を集めとる。カツラを作るんじゃ」

「カツラ? そんなの作ってどうすんだよ」

「皿をカツラで隠せば人間として仕事ができるでしょう?」

「皿隠したってダメだろ! 皮膚が緑だもの!」

「ま、そこはなんとかなりますよ。それよりこのお家のお風呂は素晴らしいですね。女性の長い髪がたくさんとれたようですよ」

「あっ、だから女がいるかどうか聞いたのか……ん? でもうちの奥さんがこの風呂に入ったのは随分昔だし、アイツは髪も染めてるしショートカットだからカツラには向かないんじゃないか?」

「え? おかしいですね。河童くん、あれ見せてあげなよ」

「うん」


 かっぱが小さな袋から取り出したのは、引きずるほど長く、光を吸い尽くすほど黒い髪の毛であった。

 ホラー番組でしか見たことのないそれに、俺は背筋を凍らせた。


「こ、これ……本当にうちの排水口から出たのか?」

「うん」


 河童は小さくうなずいて大事そうに髪の毛を袋にしまう。その髪の毛を見ながら垢舐めは満面の笑みを浮かべた。


「これは素晴らしい髪ですよ。新鮮で傷みも少ない。良かったな河童くん」

「し、新鮮!?」


 俺はこの時気付いてしまった。

 妻がこの家を手放した理由。妻はこの家の怪異に気付いていたのだ。その上で俺に家を押し付けて一人逃げてしまった。

 俺も逃げたいのは山々だが、家にはまだローンが残っている。しかしこのままこの家に一人で住むことなど、恐ろしくてできやしない。

 俺は意を決してある提案をした。


「あ、あのさぁ河童くん。良かったらうちに住むかい?」

「え?」

「この家に住めば髪が取り放題だよ! 風呂掃除さえしてくれればご飯もあげるから!」


 こんなとこを掃除するのも、これ以上一人でこの家に住むのもゴメンだ。一緒に住んでくれて風呂掃除をしてくれるんなら河童でも天狗でも良い!


「これからよろしくな、河童くん」

「う、うん……よろしく」


 河童は恥ずかしそうにうつむきながらも俺の手を握った。ぬるりとした感触があった。


 妖怪と幽霊の住む家。

 家は綺麗になったのに、紛れもないお化け屋敷になってしまった。

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