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揺り籠列車  作者: 葡萄鼠
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終着駅はどこ?

本編はこちらで完結です。次話は、番外編です。

ガタン……ゴトン……


 列車が揺れる音だけが響いている。

 夜の闇にまぎれて乗り込んだこの列車は、どこを目的地としているのかわからない。知ろうとも思わない。ただ終着駅まで揺られ続けるだけだ。

 あの場所から飛び出し、やってきたホームで最終のこの列車に乗り込んだ。

切符はもちろん買ってコートのポケットにいれてある。

 乗客はまばら。私のいる車両には、私以外には5人。

 他の車両にも何人かいるのは確認できている。

 乗ったり降りたり。

 人の流れは止まっているようで、止まっていない。

 一人旅、二人旅、一人と一匹旅、

 老い若いも、男も女も人も他の動物もバラバラに利用している。


 流れゆく景色 過ぎ去る時間

 車窓から見える景色は痛いほど澄んで綺麗に見える。

 きっと、もう二度と同じこの景色は見られないのだと感じる。


 ぼやーっとしていると、車掌が切符の確認にやってきた。

「失礼、お嬢さん。切符の確認を」

「あ、はい。どうぞ」

 切符の提示を促され、ポケットからそれを取り出して車掌に渡す。渡されたチケットを確認したあと、改札鋏でパチンと切って私に渡す。

「ありがとうございます。良い旅路を」

 そう穏やかな笑みで軽く一礼したあと、車掌は他の乗客の元へと移動する。

 再び訪れた静寂に、私は何もない、闇を見つめ続けた。

 そんな静寂を破ったのは、落ち着いた声だった。


「ここ、よろしいかな?」

 声を掛けられ振り向いた先には、白髪交じりの穏やかな空気を纏った見た目70前後の紳士がいた。

「あ、はい。どうぞ」

「すまないね。ありがとう」

 よっこいしょ、と小さく呟きながら紳士は私の正面に座った。

「少し話し相手がほしくなってしまってね。無粋かとも思ったんだが、お嬢さんに声をかけさせてもらったんだ。すまないね、お嬢さん」

「いえ。私も特に何かすることがあったわけではないので、かまいませんよ」

「そうかい。ありがとうね」

 それから他愛のない世間話をいくつかした後、紳士がこう突然切りだしてきた。

「私は色々やり残したこともあるがね、概ねやりたいことはやりきって。思い出の場所へ向かう途中なんだよ」

 後悔の色一つ見えない微笑みに、ああ、本当に、悔いのない生き方をしてきたのだと。そう根拠もなく確信できた。

「お嬢さんはどうして旅に?」

「私は……」

 そう尋ねられて、答えに困った。

 私は、何のために旅をしている?

 ただ、衝動的にあの場所から逃げ出して辿りついたのがココだった。

 旅なんて、目的地なんて、考えてもいない、当てのない旅。

 それは、私の行く道にも言えること。

 いつからなのか、私は“夢”をみなくなった。いや、思い描けなくなっていた。

 同じ日々を過ごし、ただ理の赴くままに過ぎ去る時間。

 何も特別なことなどなかった、平凡というには違う、あまりにも変化のない「同じ」日々。

 抜け落ちている記憶は、同じ日を覚えることを拒否した結果だと思っている。

 忘れる、というには記憶に残る何かもない。だからこそ覚えていない。ただ、覚えていないだけ。

 たとえそれが、五年という人にとってそう短くない時間だったとしても。

「わかりません」

「そうかい」

 そんな私の曖昧な、いい加減にも受け取れる答えに紳士は怒りを見せることなく穏やかなまま。浮かべられる笑みに心が絆されるかのように、ぽろっと付け加えていた。

「――あえて答えを探すとしたら、見たくないものを見るため、かもしれません」

「それは何とも奇妙で素敵な理由ですね」

 馬鹿にするでもなく、世間話をしている時のような気楽な、自然な答え方だった。

 私ばかり答えるのもちょっとばかり気になったので、逆に質問をしてみた。

「この電車はどこに向かっているのですか?」

「どこへでも」

 けれども、私の問いに対する紳士の答えはあまりにもシンプルで、予想外のものだった。

「どこへでも……?」

「そう。どこへでも。私たち乗客の望むままに、望む場所に、望む時に、どこでも、どこへでも連れていってくれますよ」

 便利でしょう? と、ニッコリ。思わず見惚れてしまいそうなほど穏やかで優しい笑みを浮かべる。

「ただし、迷っている間はどこにも行きつかない。どこへも行けず、どこまでも揺られ続けたまま。けれど、決めてしまえばそれがたとえどんなに奥深くの意識だったとしても、その想う場所へと辿りつく」

「――それは。あまりにも残酷ですね」

 暴かれたくもない自分だけの想いも、簡単に暴かれて、晒されて、突き付けられる。

 何もない人はどこにも辿りつけず、迷ったまま。迷い続けて、何もわからなくなる。

 それは、あまりにも残酷で――。

「お嬢さんみたいな人には、あまりにも親切で残酷な列車かもしれないね」

 まるで心の読まれたのかというようなタイミングで、思っていたことを言われ、ハッと顔を上げ驚きに目を見張った。

「何を見たくなくて、何から逃げ出し、何を欲していたのか……」

「……」

「蓋をして、決して外にはだすまいと、閉めこんだ危険なもの(なにか)。これで安心だと、そう信じていた」

「信じるもなにも、それがし」

「――でも。それは、真実かい?」

「!」

 最後まで言い切ることなく断たれた言葉は、違う形で紡がれた。そしてさっきまで優しげに細められた瞳が、一瞬、鋭い光を帯びた気がした。

「本当の気持ちを押し殺し、見て見ぬフリをしているだけじゃないのかね?」

「ち、ちが……っ」

「見て見ぬフリをして、逃げ出したのは事実だろう。でも、その何かは、」

「ちがう!」

 紳士の言葉を最後まで聞きたくなくて、湧き上がる衝動のままに吐き出した。

「見たくないんです。何も、見たくない。見たくないものを見たくなくて、私は目を背けて逃げ出して、現在(いま)、ここにいるんです……!」

 全てではなくとも、誰にも曝け出したことのない心の内を八つ当たりの様に吐き出した。

「それでも、一番見たくないものを見るためにこの旅にでたんだろう?」

 そんな私の酷い言葉を投げかけられても、発せられる紳士の声音はどこまでも優しい。そんな優しさを受け止める余裕もない私は必死にせりあがる想いを押しとどめるのに必死で、溢れだす涙に、こぼれる嗚咽は両手で口を塞いで必死に押さえつける。紳士が語った言葉は、自分が以前に放った言葉だということも気づいていなかった。

 そんな私に構うことなく、紳士は語りかけを続ける。

「私は戻るつもりはない。戻っても戻らなくても何も変わらないから、このまま先をゆく」

 ゆっくりと、目の前の気配が動くのを感じたと思ったら。温かくて大きな、優しい手で頭を撫でられた。

「でも――お嬢さんは違うだろう?」

 ゆっくり目線を挙げれば、そこには水面の様に穏やかで、とても悲しそうな双眸があった。

「戻る場所が、帰る場所が、居場所があるんだろう?」

 あくまで声音に私を責める響きはなく。ただ穏やかに柔らかく、けれども揺るぎない強い意思を込めた言葉に、私は。

「あっ……」

 涙が一滴、零れ落ちて頬を伝い落ちてゆく。

 今までずっと、底で渦巻いていた感情が一気に膨れ上がり溢れだす。

「そうだ。こんなにもお嬢さんの心は、“帰りたい”と、願っているんだよ。無理に見て見ぬふりをしないで、自分を犠牲になんてしないで、自分の感情おもいのままに行動したっていいんだよ」

「っ……」

せりあがる嗚咽は、もう、か細い悲鳴となって喉を裂くように突いて出る。

『見たくない』

『不安が襲ってくる』

『知りたくない』

『寂しさに耐えられない』

 そんな感情が積り重なり溜まり、もう押さえつけることができなくなって、私は飛び出した。飛びだした先に何があるかなんて、どうなるかなんて、どうでもよかった。ただただ、逃げ出したくて、何もみたくなくて、怖くて、恐くて、真っ白になりたかった。


 私の一番の恐怖は、失いたくないものを喪うこと……。


「ひとりに、しないで、って、いいたかっ、た……」

 そう。私を独りにしないで、そう言いたかった。

 でも、それを言ってしまうことは許されないことだった。

 前から約束していた通り、私にできる精一杯の笑顔で見送った。

 私の我儘よりも、何よりも大事で、優先したいことだったから。

 後悔はしていないけれど、想像を絶する負の感情に押しつぶされそうで。

「あの人が、私を残して先にいくことはわかっていた。でも、それでも……押しつぶされる悲しみと、一人で残る不安は耐え難くて」

 言葉を紡ぐたびに、築き上げた堰が崩れ落ちてゆく。その隙間から耐えてきた想いが零れ落ち、それは涙に形を変えて溢れ出す。

 いつの間にか温もりに包まれていた体は、優しい熱にどんどん解かされてゆく。恥じなんてどこにもなく、ただ感情にしたがい全てを吐き出す。


 いったいどれほどの時間そうしていたのだろう。気づいた時には視界はぼやけているものの、涙は治まっていた。背中を撫でる優しい手つき。それはどこか覚えのある感覚で――。 

「窓の外を見てごらん」

「……?」

 そう言われてよくわからないまま、車窓の方を向くと。

「ぁ……」

 涙でぼやける視界でもはっきりと捉えることのできる、金と白藍の混じる眩しいほど美しい朝焼けが広がっていた。その景色は、あの人と見た想いでの空そのものだった。

「一度、帰るべきだ。何も変えることは出来なくても、大切な“何か”を思い出すことはできる。望むのなら、私はここでまっているよ」

 その言葉は、まるで救いの光のように真っ直ぐに私の中に響き届いた。

「ほ、んとう……?」

「ああ、本当だ。望むなら、私はここで待っている。――を目印にして、待っている」

 懐かしい光景、そこから溢れ出す記憶と思い出。それらが合わさり、向けられた紳士の微笑み――。

 この人がどうしてこんなにも親身になってくれたのか、

 この人が誰なのか、

 全てが繋がった。

「ごめ、なさい……。ごめんなさい……っ」

「大丈夫。誰も悪くなんてないんだよ。お嬢さんが謝る必要なんてどこにもなければ、責められることだってない」

 真実に気がつき、その後出てくるのはただただ、謝罪の気持ちと言葉だけ。でも、この人は困ったように微笑みながら、私の背を優しく撫でてくれる。

「ごめんなさい――」

 それでもこの想いを伝えるのにふさわしい言葉がみつからなくて謝罪の言葉ばかりを繰り返してしまう。自己満足だと罵られるかもしれない。それでも、この言葉以外見つからない。

 いつの間にか私はこの人に添われる形で席から立ち上がり、列車の出入り口である扉の前まできていた。

 ――もう、下りなければ。

 駅のホームに近づいてゆく光景が窓から見えていた。


 振り仰ぎ傍らにたつ彼を見ると、色んな想いを秘めたこの人の双眸を自然と正面から見つめる姿勢になった。その瞳をちゃんと見据えた時、たった一つ。違う想いと言葉が思い浮かんできた。

 既に体は列車から降りており、慌てて振り返り真っ直ぐ彼を見つめて震えそうになる声を堪えて今一番伝えたい言葉を紡ぐ。

「あ――――」

 しかし無情にも、全て言い終わる前に扉が閉まってしまった。

 列車がホームからその姿を伺うことができなくなるまで、見送る。あの人は、ずっと微笑んでいた。


 

 ――帰ろう。

 


 今の私の居場所はここじゃない。

 まだ寂しさや悲しみはあるけれど、涙を流し堪えてきた想いを吐露した分。落ち着きを取り戻し、心も軽くなっていた。

 今はまだ、この寂しさに付き合いつつ一人で頑張ろう。そしていつか、あの人の傍でともにいられる日がくるから。その時を励みに、再会の時、胸を張って逢えるように。私は今の私の居場所で、頑張ろう。


 

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