旧寮の幽霊 その2
坂道を上り切り校門まで来ると、そこを照らす外灯の下に三つの人影があった。
人影が予想より一人多い。その事を怪訝に思い、再び隣に並んだ月子の顔を盗み見るが、彼女もまた訝しげに眉根を顰めていた。どうやら彼女にも心当たりがないらしい。
彼等の元へ近づくと、向こうもこっちに気付いたらしい。三つの人影の一つがこちらに手を上げた。
「よぉっ。御陵。………それに新城」
「大上?」
手を上げた人影の正体に、僕は驚きと怪訝の入り混じった声で彼の名前を口にした。
大上美樹。高校に入学した時、緊張感に包まれた教室の中で最初に僕に声を掛けてきたのがこの男だ。それ以来、何となく縁が出来て今日まで友人として付き合っている。
やや淡い栗色の髪をし、どちらかと言えば女性的で整った面立ちをした少年だ。背は僕の方が高いのだが、ほぼ同じ程の身長で、僕の黒を基調にあまり飾り気のない服装とは対照的に、ブランド物とか言っていたコートを羽織った中々洒落た服装をしている。常に軽薄そうな笑みを浮かべてさえいなければ、中々の美形と言っていい筈だ。
「お。やっと来たね、月子に新城くん」
大上を含めた三人と合流すると、そう声が上がった。
そう言ったのは人懐っこい笑顔を浮かべた、ショートカットの少女だ。こちらも大上同様に見知った顔である。
ここに来るまでの会話の中にも出て来た、兵藤真希がこの少女である。
服装は上にはガウンジャケットを羽織り、下はホットパンツに二ーソックス。この季節にその格好は少し寒そうに見えるが、当人は気にした様子もなく、相変わらず犬を思わせる人懐っこい笑みを浮かべている。
「ごめんなさい。もしかして待たせてしまいました?」
「うぅん、時間通り。あたし等が早く来ちゃっただけ」
月子の言葉に、彼女は屈託なく微笑んでそう言う。それにつられる様に、月子も柔和に微笑む。その様子に彼女は一つ頷くと、僕へと目を向けた。
「やっぱり一緒に来たんだね。新城くん。君も物好きだよねぇ」
「不服か?」
「いぃやぁ。全然」
何となく含む様な声音の言葉に、睨みを効かせたつもりだが、兵藤はどこ吹く風と言った感じで受け流した。どうやらこちらを色々と邪推しているのだろうが、いつもの事なので、僕はその場で唯一、顔を合わせた事のない人物へと視線を向けた。
おそろく彼女が、綾瀬木葉、だろう。
小柄な少女だと思った。もっとも身長だけでいえばこの中で月子が一番低い訳だが、その少女の場合、妙に畏まっているというか、おどおどしているというか、不必要なまでに控えめな印象の所為もあって、妙に小さく映るのだ。服装もベージュを基調にして地味目の色合いでまとめられており、肩口ほどで切り揃えられた髪をポニーテールに結い上げており、顔立ちこそ良く整っているのだが、どうにも華やかさに欠ける。以前に大上が言っていた「超可愛い」という先入観があった所為か、その印象が少し意外だった。
彼女は今、こちらに寄ってきた大上と兵藤から少し離れ外灯の下におり、月子と何事か言葉を交わしていた。
「それで、大上は何でいるんだ?」
まだ話が続きそうだったので、僕の数少ない友人へ話を振った。それに彼は大きく肩を竦め、
「偶然、二人が寮を出て行くのが見えてさ。二人とも知った顔だから、声掛けてみたんだよ」
「そお。こいつが突然話しかけてきて、何処に行くのかしつこく聴くからさぁ。つい月子と待ち合わせて旧寮に行く事話しちゃって。そしたら、自分も一緒に行く! って言い出して勝手に付いて来たんだよ」
「当然だろ。こんな時間に女の子三人で廃屋になってる旧寮に行くって言うんだぜ? 心配になって付いて来るのは男として常識だろ?」
「そんな事言って………本当は下心全開でしょ? 綾瀬さんとお近づきになれる! とか言って」
「下心のない男などいない! そんな物、男としての常識だ!」
「開き直ってんじゃないわよ!」
そのまま喧々諤々と二人は口論を始めた。
この二人は元々、僕と月子を介して知り合った仲だ。切欠は大上が僕と一緒にいる時に、兵藤と一緒にいた月子が声を掛けた事だ。それ以来、何かと軽薄な言動の多い大上と、そう言う言動を嫌う兵藤は口喧嘩を繰り広げている。
ただ仲が悪い訳ではなく、どうやらお互いに喧嘩友達の様にでも思っているのだろう。本気でお互いを罵り合うよ様な所は見た事がなかった。
「秋人」
二人が勝手に喧嘩を始めてしまい、何となくその場に居辛くなると、不意に月子に呼ばれた。
そちらを振り返ると、どうやら二人の話は終わったらしい。そちらへと歩み寄ると綾瀬さんと思われる少女が、慌てた様に頭を下げた。
「綾瀬木葉さん………で、良いのかな?」
「は、はいっ。あ、綾瀬ですっ。あ、あの………よろしくお願いしますっ」
印象通りの人物だった。近付いて見ると、心なしか目元にクマの様な物が見え、恐怖もあってか若干顔色が悪い。ノイローゼ気味だというのは本当なのだろう。
「初めまして。新城秋人です。よろしく」
恐縮しているようなので、失礼でない程度にそう言って会釈した。それに合わせる様に彼女も慌てて会釈を返す。
「この人が昨日話した、今回の事を手伝ってくれる私の協力者。悪い人ではないから、安心して」
月子が僕の事を簡単に説明する。彼女の言を聴く限り、どうやら彼女は始めから僕を連れ出す気だったようだ。ちなみに僕自身が今回の事を彼女から聞いたのは今日の放課後の事。できればもう少し早く言って欲しかった物である。
は、はい。と答え、綾瀬さんが僕と彼女の顔を交互に見る。どうやら僕と彼女の関係を量りかねている様だ。
当然だろう。そもそも僕と月子は学内では殆ど言葉を交わさない。僕等の関係を学内で知っているのは中学の頃からの付き合いである兵藤や学内でも親しく付き合っている大上くらいの物だ。おそらく殆どの生徒が僕と彼女が幼馴染である事さえ知らない筈である。
「あの………。お二人はどう言う関係なんです………か?」
おずおずと綾瀬さんが聴いて来る。
「ただの幼馴染よ。………ただ昔、貴女みたいな人の相談を受けた時、協力してくれる約束をしただけの、ただの………幼馴染」
「…………」
はぁ、と微妙な返事を帰す綾瀬さんを尻目に、僕は何となく月子の横顔を盗み見る。
普段からあまり顔に感情を出さない性質の彼女だ。その表情は読み辛い。だが最後に「幼馴染」という言葉を口にした時に感じた強い意志の様な物が目の内に残っている様な気がした。
――確信する。月子は今でも忘れていないのだと。
その普段の彼女から読み取れない微かに覗かせた決意の色が、僕にとっては十分過ぎるほどの証明だった。
「さて………自己紹介も終わったし、そろそろいい時間ね。………行きましょう」
「あ………は、はい」
月子の言葉と、綾瀬さんの恐怖する様な、でもそれを押さえ込もうとする様な響きの返事で、僕は胸に浮かんだ感慨から復帰した。
「そこの二人! 行くならもう行くわよ」
「あ、待って待ってっ! 行く! 行くから!」
月子の上げた声に兵藤が答え、歩き出した僕達三人の後を小走りに追ってくる。それの兵藤の後ろにはやれやれと肩を竦めた大上が着いて来た。
校門の脇にある小さな柵の様な扉を潜り、学内へ。
学内は、しぃん、と静まり返っていた。校門では気付かなかったが、学内には外灯が殆ど存在しない。校門から寮へと続く道には外灯が点在しているが、今僕等がいるのは校舎の方だ。この時間にそうそう人が出入りする場所ではない。外灯がそもそも不要な場所なのだ。
だから違和感を覚えた。この学校はそもそも山の麓にある林の中に建っている。市街からの光が少しとは言え届くとしても、真夜中にしては明るく感じるのだ。何処かに光源があるのかと思い、空を仰いだ。
「………月が」
思わず呟く。仰いだ先には大きな白亜の天体が俄かに輝いてた。
少し右側が欠けた月だ。満月は数日前だったのだろう。三つ並んだ縦に長い校舎の間を照らす様に、頭上にあるそれが闇の中にある校舎を浮かび上がらせていた。
「? おーい、新城。何してんだ?」
「あ………悪い」
どうやら歩みが遅れていたらしい。既に前へと行っていた大上に声を掛けられ、僕一人が遅れている事に気付いた。
少し小走りに他の四人に追いつく。その僕の姿を月子が見ていたが、視線が合うと直ぐに正面を向いてしまった。綾瀬さんは胸元を握り締め、兵藤の上着の裾を握っている。
程なくして、僕等は校舎を抜けた。三つ並んだ校舎の間を通ってきた訳だが、背の高い建物の間を抜けて見ると、月の明かりが広がり、尚、明るく見える。
視線を少し上げると、もう既に旧寮が目に入った。
旧寮は校舎裏からまた少し先に進んだ場所にある。林の中を抜ける階段があり、その奥にひっそりと建っているのだ。
月明かりに浮かぶその姿に、何となくぞっとしない物を感じる。来しなに聴いた例の飛び降り自殺の話の影響もあるだろう。近付き難い雰囲気のある建物だ。
「なんか………。嫌な感じ、だよな」
大上の呟き。誰も何も言わないが、どうやらそう思っているのだろう。綾瀬さんの方を見ると、先程よりも強く兵藤の上着を握り、彼女もそんな綾瀬さんを守る様に傍に寄り添っている。月子はまるで何かに挑む様にじっと建物を見詰めている。
何となく言葉を交わす事無く、僕等は階段を上り始めた。
林の木々が邪魔をし、足元が暗い。僅かに木々の間から射す月明かりと、闇に慣れた瞳を頼りに階段を上る。しっかりと舗装された階段だから良い物の、林の中は真っ暗でとても歩けた物ではないだろう。この一本道が旧寮に繋がる唯一の道となっていた。
階段はそんなに長くはなかった。暗闇の中で上って5分前後。上に昇ることより、林の奥に難なく進む為の階段なのだろう。勾配もきつくはなく、階段の足場も広い。特に何事もなく、旧寮前へと辿り着く。
旧寮の前はちょっとした広場になっていた。もっとも手入れは最低限もされていないのか、芝は延び放題となっている。寮内への道には石畳が施され、建物自体は意外と大きい。4階建てで左右に棟が伸びている。上から見ると、丁度、正面入り口を底辺としてU字型をしてた建物だ。
やはりぞっとしない建物だと思う。少なくとも面白半分で近寄って良い雰囲気の建物ではないと感じた。もう放置されて長い事もあって、廃屋と呼んで良いまで荒れた状態なのもあるのだろう。随分と薄気味の悪い建物である。七不思議の舞台となるにはこれ以上相応しい場所もないだろうが、実際にその場所にいるとその雰囲気に呑み込まれそうになる。
「やっぱり………嫌な感じだよなぁ………――え?」
大上の呟き。その言葉に続いた驚いた様な声に、僕は大上の顔を見る。
「どうした?」
「おい、あれ………」
大上が自分の視線の先を指差す。彼が向いているのは寮の屋上の方。全員がその場所を見上げる。
「ひっ」
同時に綾瀬さんの口から引き攣った声が上がった。
そこには――人影があった。
4階建ての屋上だ。その人影は酷く小さいが、何となく女性の姿の様に見える。その人影が立っているの丁度、正面入り口の真上であり、まるで望まぬ訪問者を威嚇している様に僕の目には見えた。
「秋人!」
呆然とその姿を見詰めていると、月子の鋭い声が響いた。その声の彼女の方を振り向く。
「早く! 急いで!」
何を言っているのか最初理解できなかった。だが、直後に彼女の言葉の意味を理解すると同時に、僕は旧寮へと駆け出していた。
そうだ冷静に考えれば直ぐに分かる事だ。
幽霊なんて存在しない。屋上に人影があるならばそれは人がいると言う事だ。僕は――いや僕と月子はその事を嫌という程知っている。
旧寮にはいってすぐのそこはエントランスだった。階段を探し周囲を見渡すが、それらしい物が見当たらない。
「新城、こっちだ!」
声が聴こえた。大上の物だ。同時に走る彼の姿が脇を通り過ぎる。彼の声に従い、その背中を追って駆け出した。
階段はエントランスから左右に分かれた廊下の奥にあった。僕らが向かったのは左側。一階の個室へと向うであろう廊下の手前にあり、それを駆け上がる。
そのまま一気に4階へ。そこまで上がると、大上は再び廊下を駆け出す。どうやら屋上へ続く階段は別の場所にあるらしい。
エントランスの真上に当たる部分。大上が屋上に上がるらしい扉を開けようとするが、鍵が掛かっているのか扉が歪んでいるのか中々開かない。その間僕は屋上を見上げようと窓辺に近付く。
その時――何かが目の前を通り過ぎた。
呆気に取られたのは一瞬の事。僕は目の前の窓を乱暴に開いたのとほぼ同時、遠くから、ゴシャッ、と言う音が聴こえた。
窓から大きく身を乗り出す。見下ろした先には月子達三人の姿と――白い雌しべのついたどす黒い花の様な物があった。
その花の様な物が人である事に気付いたのは一瞬後の事。
「ぃやあああああああああああああああっ!!」
誰の物だろうか。月明かりの元に響き渡ったその悲鳴を、僕は呆然と聴きながらその場に膝を落としていた。