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第九譚

 俺の手を握りしめていた手を離すと、『あぶらあげ』は屈んでいた体を起こした。

 小さな体の後ろには、ひょっこりと九尾が覗いている。

 おまけのようにちょこんと『あぶらあげ』の金髪の間からも、狐耳が生えている。

 周囲を見渡し、立ち並ぶ鳥居と景色から紅葉山のどのあたりであるか推測した。気怠く昇り降りしていた俺でも毎日毎日登っていた山の景色くらいはちゃんと覚えている。

 場所は二ノ宮の真ん中。二十八基めの鳥居のあたりだ。

 崖下に樹海のように広がる紅葉の林、通称紅葉野の向こう日の昇る方角には大江山がある。

 立ち上がると、少しフラフラした。

 体中の血が一点に集まっていて、ようやっと全身に回って動き出せる。

 そんな感じだ。

「お兄様!」

 俺が声をかけようとすると遮るように高い声がした。

 振り返ると同時に、俺の肩を思い切り押しのけて銀朱が飛び込んできた。

 朝日に照らされた長い白銀の髪についでに頬を叩かれ、せっかく立ち上がったのによろける。

 『あぶらあげ』は銀朱の突撃を受けながらも、俺の腕を掴み、倒れるのを阻止してくれた。銀朱は当然俺など目に入っていないようで、自分より一回り小さい兄貴にを抱きしめて頬ずりした。

 銀朱が力一杯抱きしめるので、『あぶらあげ』は苦しそうだったが押し返す様子はない。甘んじて受け止めるようだった。

 それは俺が再会を願ったからでもなく、『あぶらあげ』自身も望み、もっというなら銀朱自身が強く願っていたから他にない。いっそギリギリという効果音をつけてやりたいくらい銀朱は『あぶらあげ』を抱きしめて離さない。

「本当にすまなかった。決してそなたを邪険にしたかった訳ではないのだ」

 ポンポンと『あぶらあげ』は銀朱の背を撫でてぎゅっと抱きしめた。

「こんな私でも大事に思ってくれるものがいることを忘れてはいけなかったな。心配をさせてすまなかった。ありがとう銀朱」

 さすが兄貴というべきなのか、そう言われては何も言えなくなる。

 それともその言葉だけで銀朱は充分だったのだろうか。

 銀朱はもう文句を言わずに『あぶらあげ』の胸にうずくまる。

「それで柚香は──」

 俺の問いかけに、『あぶらあげ』と銀朱は同時に顔を上げた。

「まさか、俺の……柚香の願いは──叶えられなかったのか?」

 『あぶらあげ』が単身で存在しているということは、柚香から切り離されたということになる。兄貴と再会したいという銀朱の願いは叶ったが、柚香はどうなってしまったか分からない。

 まさか柚香が言っていたように、最悪の最悪──消えてしまったということでは……

「柚香が考えていた最悪はない」

 『あぶらあげ』は一呼吸置いて続けた。

「だが、一つ認識を改めて貰わねばならぬことがある」

 『あぶらあげ』とは初対面だから、声というものを感じるのもこれが初めてだったはずなのに不思議と長年つきあった友達のようにさらさらと心に染みてくる。

 もうどんな不思議も受け入れられるつもりだったが、やっぱり都度驚かされる。

「私は奇跡の類で病を完治させたわけではない。私は柚香の生命に恵みをもたらし、寄り添っていただけだ。私が離れた今、その病が再び目を覚ますことになる」

 つまり柚香は麻酔が抜けた状態だということだろうか。

 足の病気が再発して、痛みで動けなくなっているのだとしたら、今度こそ俺が助けにいってやらないといけない。

「柚香はどこに」

 もう『あぶらあげ』に願いを叶えてもらうわけにはいかない。

 大人になって手術することができれば、柚香の足は治る可能性があるのだと言っていた。

 今なら神様の力を借りず、柚香の力だけで克服することができるはずだ。

 周りを見ても銀朱はいるが柚香の姿はない。

「銀朱!『あぶらあげ』会いたさに、柚香を大江山に置いていったんじゃないだろうな」

「阿呆が! お兄様の依り代に万が一があって、お戻りになれないとなったら何とするか。あの小娘なら──しかるべき場所にやってある」

 大江山の麓にある知恩病院。

 そこは──母さんが事故にあって運ばれ、そして死んだ病院だった。

 『あぶらあげ』にとっても、あまりいい思い出のある場所ではないのは察するが手を引いた。

「『あぶらあげ』行こう。手術をするなら側にいてやらないと、柚香はお前と一緒にいたいんだ。力になってやって」

 『あぶらあげ』は俺の手をそっと解いた。

「いや、それはならん」

「な……なんでだよ。俺はお前と柚香がこれからも一緒にいられるようにって願ったのに、叶えてはくれないっっていうのか」

「一緒というのなら、私はいつでもずっと一緒だ。しかし今はならん」

 『あぶらあげ』が何を躊躇しているのか分からない。

 こんな時だからこそ、神様にすがりたいという気持ちが『あぶらあげ』には分からないのだろうか。

 食い下がる俺と『あぶらあげ』の静かな横顔を見て何を思ったのか、銀朱が一歩前に出て俺の手を取った。

「そんなに我らに側にいて欲しいなら、私がいてやる。行くぞ」

「ちょ──待て、『あぶらあげ』も一緒に」

「また、二十八基の鳥居の下で待っておるよ。その時に──柚香と一緒においで」

 『あぶらあげ』の返事はそれだけだった。

 俺は銀朱に衿をつかまれて空を舞い上がった。

 だれかが見たら人が空中を飛んで居るように見えるのかもしれないが、こんな朝早くに空を見上げる人影はなかった。

「どうして『あぶらあげ』は来てくれないんだよ。柚香がもし失望して──手術に向かう気力を失いでもしたらどうするつもりなんだ。柚香は……柚香は、『あぶらあげ』が好きなんだよ!!」

「お前は本当に愚図だな。お前のことを思って行かなかったのだ」

「俺……を思って?」

「あの小娘は、お兄様を心から信頼しておられる。目が覚めてお兄様とお前が並んでいたら間違いなく最初に手を取るのはお兄様だろう。それで傷つくお前を視たくないのだ」

 俺の下らない嫉妬を、すでに神様は把握していたようだった。

 唇をぎゅっと閉じたことで、銀朱は話を変えた。

「第一、お兄様がおられなくても手術は失敗などしない」

「どっからその自信が……」

「愚図。お前は──私が何者であるか忘れたというわけではないだろうな」

 え、ドS……稲荷神……さんです、よね。

「私はお前にちゃんと名乗ったぞ。私は『大江山』稲荷神、銀朱。退魔を司り、鬼・疫病の類を寄せ付けはしないと」

「それは──……聞いたけど、銀朱が柚香の願いを叶えるっていうのか? 『あぶらあげ』がいなくなっちゃえば、お前にとって柚香なんか……」

「阿呆」

 銀朱は一喝して、空から舞い降り俺をポイと放り捨てた。

 大江山の麓、知恩病院の裏山からごろんごろんと転がり落ちて、松の木にぶつかって止まる。

「そなたの考えはいつも一直線で周りを思いはからぬな」

 体中についた泥を叩いて立ち上がる俺に、銀朱はわざわざ言いたくもないが、と断りを入れて続けた。

「どうして貴様が私を視たか思い出せ」

「どうしてって……柚香が大江山のキティ御守りを落としてそれを拾ったから、お前と繋がりができて……」

「無信心なお前と私を繋いだあの守り札、あれに込められていた思いにこの私が答えずにいると思ってか」

 あれは、柚香の両親が病気の回復を願って買い求めたもの。

 込められた願いはたった一つだけだ。

「こうなってはあの小娘に借りがある。お兄様もお望みだ。必ず『紅葉山』に返さなければならない」

 銀朱の呼び声に答えて、茂野が姿を現した。

 どこにいたんだと叫びたかったが、考えてみれば柚香を病院まで届けてくれたに違いない。二、三やり取りを躱すと、銀朱は侍従を従え病院へと歩き出した。

 が、突然足を止めると俺へと振り返った。

「何を泥まみれで呆けている。私があの小娘を助けても、お前があれの心を支えなければ何の意味もない。その役目をお兄様はお前に与えたのだぞ」

 泥まみれにしたのはお前だろ。

「一緒にお兄様のところへ行く。それがお前達『柚子』の仕事だ」

 銀朱はもう振り返らない。

 聞き返すことはできなかったけど、銀朱はたしかに『達』と言った。

 柚香を助けてくれる気なのだ。間違いない。

 泥を払い俺も急いで病院に駆け込んだ。

 柚香の両親を見つけて状況を聞こうとしたら、泥まみれの俺の存在の方に驚いてみせた。俺は二年行方不明になっていたのだから当然といえば、当然の反応だった。

 家に連絡を入れると言ってくれたがその前に柚香の状況を問いただす。

 柚香は数ヶ月行方不明になっていた処、病院前で倒れているところを保護されたと言う。命に別状はないが、足に痛みを訴えていてすぐにそれが、病気の再発だと二人は気づいたそうだ。

 柚香はすぐに手術へ向かうことになり、急なことに今はその準備にあぐねているところだった。

「柚香は何か言ってませんでしたか」

「祐喜君をずっと心配してたのよ。こうしてこの時に祐喜君が戻ってきてくれたのは神様のおかげなのかしら。そうよね。そう、柚香は大丈夫よね」

 震えるおばさんの手を掴んで、自信満々頷いてやる。

「大丈夫。神様がついてるよ」

 俺らしくない言葉だった。

 だけど今はその言葉にどれだけの意味があるか自分でもよく分かっていた。

 おじさんが手術室前の待合室に俺を通す。

 待つしかないが、俺は祈る姿勢を取った。

 山を動かない『あぶらあげ』を呼ぼうとしているのか、助けると言った銀朱を信じるためか、なにより柚香自身の力を信じようとしているのか、指が手の甲をきつく締め上げる。

 暫くして連絡をしてくれたのか父さんやばあちゃんがやってくる。

 事情の説明に困ったが俺が『あぶらあげ』の名前を出すと、ばあちゃんは余計な騒ぎを起こさずにただ頷いてくれた。

「『あぶらあげ』がいるから、柚香ちゃんは大丈夫だって思ってたんだけどね。そうか帰っていったのかい、あちら側に」

「ばあちゃん、柚香が『あぶらあげ』だったって知ってたんだな」

「全く気づいてないお前を見て、やっぱり『あぶらあげ』が視えてないんだって思い知らされてたよ。本人に供物を運ばせる阿呆がどこにおるね」

 だから、俺が柚香に供物を運ばせるのを代わりにやって欲しいって言った時、あんなに怒ったんだ。

「ごめん──もうあんなこと言わない」

「神隠しにあって人が変わって帰ってくるって話はよく聞くが、よりにもよって銀朱のおかげで『あぶらあげ』を視れるようになるなんて、思ってもみなかったよ」

 そういえばばあちゃんは、銀朱が好きじゃなかったんだっけな。

 ドS同士で仲が悪かったに違いない。

「あの女狐、よくも私の孫をニ年も奪っていきおった。今度会うことがあったらただじゃあおかないよ」

 ぶつぶつと文句をいうばあちゃんを横目で見た。俺の感覚で昨日別れたばあちゃんは、ひどく年老いて見えた。

 曲がった背中、やせ細って脈の浮いた手。垂れた瞼で目が半分隠れてしまっている。

 俺が帰ってくるまで生きててくれてよかったと本気で思った。

 ばあちゃんを置いて都会になんて行けない。

「でも、これでよかったんだよ」

 ばあちゃんは杖に両手を置いて、柚香の両親を遠目で見た。

「何が?」

 まさか足の病気が再発したことを喜んでるわけじゃないよな。

「『あぶらあげ』が気にかけていたんだよ。柚香ちゃんは『あぶらあげ』を受け入れる以外の選択肢がなかったから、ひとの子としての人生を歪めてしまったって」

「でも『あぶらあげ』が助けなきゃ、柚香は今日まで生きていられなかっただろ」

「私だってそう言ってやったよ。『あぶらあげ』はそういうことを気にするんだよ。でもこうなったら、柚香ちゃんはひとりだ。これからは一人で生きて行かなきゃいけない。辛いかもしれないけど、みんなそうやって生きてるんだからね」

「俺がいるよ。同じ人間の俺が……『あぶらあげ』みたいにはできないけどさ……」

「あんたみたいな子で柚香ちゃんがいいって言ってくれるならそれでいいけどね。柚香ちゃんが嫁に来てくれたらいいねぇ、あんたみたいに不信心なことを言う『柚子』を育てたりしないだろうよ」

「そうやって『柚子』増やしてくことばっか考えるの止めろよばあちゃん、正直、自分の存在価値見失うからさ……」

「あんたにはまだ分かんないだろうね。でもすぐ分かるよ。自分の子にもその孫にも、『あぶらあげ』と会って欲しいってそう思う日が来る。義務感じゃなく自分で繋げて行きたいって思えるんだよ」

 なんか嫁とか早計なことを言ってくるし、ツッコミしてやりたいところは色々あるけどやめておいた。

 『あぶらあげ』の優しさを語るばあちゃんの横顔は、いつもよりずっと優しげなのだと気づいた。

 いつも偶像妄想の話を聞くのも嫌で顔を見なかった。

 俺はばあちゃんがじいちゃんと結婚することで『あぶらあげ』を捨てたと思っていたけど、そうじゃないんだ。

 ばあちゃんも、柚香も、同じように『あぶらあげ』を思っている。

 多分、俺もこれから。

「『あぶらあげ』がここに来なかったのは、そういうことなのかな……」

 俺が一人で結論に至ると、ばあちゃんが聞き返してきた。

「柚香は側に居て欲しいって言ってたんだ。まぁ心の半分を失っちゃうみたいなもんだからそりゃ当然だよな。でもなんていうのかな、独り立ちっていうのかな。柚香が本当の意味で一人で立てるようになってから今度は自分から会いにきて欲しかったのかなって」

「柚香ちゃんだって分かってるよ。あんたよりずっと賢い子だ。『あぶらあげ』はいなくなったりしない。『柚子』のあんたがこうして信じているんだから、また絶対に会えるってね」

 手術開始の報告を受ける。

 借り物競走は終わったのだ。

 あとは共に走ったものたちと、盛大に健闘を語るだけにしたい。

 俺は自然と両手を組んで、祈るように手術終了を待った。

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