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第七譚

 蛍──だろうか。

 ひとと神の間を、緩やかな曲線を描いて横切る。

 誰もその光を目で追わない。

 沈黙が場を支配していたが銀朱はその間に色々と合点が行ったようだ。扇を広げ、バシッと音を立てて手の平に叩きつけ閉じた。

「お兄様の気配を探しても探しても見つからなかった理由がよぅ分かったわ。この世にはおられないのなら、見つかるわけがない。お前がお兄様をこの世界から奪ったのだな」

 ざわざわと鎮守の森が揺れる。

 雷鳴を呼びそうな雲行きは銀朱の心と呼応しているのかもしれない。

 月が雲に隠れ全員の影を塗りつぶす。

「奪ってなんていないわ」

 柚香は落ち着いていたが、銀朱はそうもいかない。

 柚香越しに俺へ命令してきた。

「愚図、死ぬ気でお兄様を呼び、このお門違いの小娘がどこぞに封印したお兄様を解放するのだ」

「祐喜、やめて。力を貸してはいけない──うぅん。貸さないで」

 白刃に映る柚香の横顔が揺らで俺を映す。

 するどい切っ先は俺の首を飛ばすこともできるのかもしれない。

 ゴクリと息を飲んだ。

「ただでさえ『柚子』などというやっかいなひとの子がお兄様の心を乱しているのに、次々と湧き出てこられては迷惑千万だ」

 柚香は銀朱の言葉に異論があるようだ。

「『あぶらあげ』を呼び戻せたら、祐喜をどうするつもりだったの?」

「格別に用もない。当然ひとの世に返してやるつもりでいた。だが、そうじゃなぁ。ここまで話がこじれると、色々と面倒であるから」

 銀朱は扇でポンと首を叩いた。

 首を飛ばす、という意味だ。

 柚香を挑発しているのだと思うが、本当にやりかねない。

「そんな予感がしてたのよ。ただで帰すわけないわよね。神隠しに合って無事に帰ってきたひとはいないがセオリーよ。祐喜聞いたでしょ。駄目よ絶対に」

「愚図、神の力に魅了されたひとの子にまともな話が通じると思うな。そのおなごにうまく使われているだけだぞ。お兄様の力を独占するために『柚子』のお前が邪魔なのだ」

 眼光鋭い女子二人に思い切り睨まれて、俺は動けない。

 俺がどうにもできないのを理解してか、お互いの口上はエスカレートしていく。

「『あぶらあげ』は帰れないのよ。分かって」

「勝手にお兄様の言葉を代弁するでないッ!」

「私は嘘なんて言わないわ。『あぶらあげ』はここには戻るつもりはない。私と一緒にいるのよ」

「いけしゃぁしゃぁと、ひとの子だと思って殺さずにおこうと手を抜いてやっておるのを、実力と読み違えておるのではあるまいな」

 銀朱は扇をぼきりと折ってしまいそうな勢いで、手が大きく震えている。

「『あぶらあげ』は『柚子』の側にいたいのよ」

「それが貴様自身だと言うか! 思い上がりもいい加減にするのだな。認めたつもりはないが、お兄様の気に入りのひとの子はその愚図ただ一人だ」

「そうね、そうよね。分かってるわ。私は『あぶらあげ』に特別に愛してもらうなんて無理よ。でも銀朱。分かっていても、どうしようもないことがあるのは、あなただって分かってるでしょ」

 どこか、柚香は自分に言い聞かせるように囁く。

 その反動のように顔を上げてきっぱりと続きを放った。

「第一『柚子』は祐喜。『あぶらあげ』は──私なんだから気にかけるのは当然なのよ」

 一瞬、この場にいる誰もが耳を疑った。

 だが聞き返すことができるのは俺だけだった。

「え? ──柚香、今何て」

 柚香は凜とした声で再度宣言した。

「私が、『あぶらあげ』なの」

「何……言って、るんだ」

 銀朱の猛攻に対して隙を作るための虚言かと俺は思った。

 柚香が『あぶらあげ』とか──ありえない。

「柚香は、人間……だろ!? 俺がずっと視てたじゃないか!」

「そう、私……歴とした人間よ。でもここに『あぶらあげ』がいる」

 とん、と柚香は自分の胸を指した。

「『あぶらあげ』は私を()り代にしてるの」

「依り代……?」

 摩訶不思議世界の法則なんて分からない。

 だがその響きは、嫌な予感しか感じさせなかった。

「つまり私は『あぶらあげ』でもあって、柚香でもあるってことなの」

 理解できない俺の顔を見下ろして、柚香はため息をついて話始めた。

 それは今から十六年前に遡る。

 柚香は生まれてからまもなく、右足に重篤な障害を持って居ることが発覚した。

 手術が成功すれば歩くこともできるが、手術に堪える体力を得る頃には同時に病気も進行し生きてはいられない。

 毎日が綱渡りで、投薬と間をつなぐための手術の繰り返しだった。

 希望は奇跡しかない。

 柚香の両親は当然神様にすがった。

「それ、祐喜が拾ってくれた御守り」

 柚香は俺のポケットの中のキティ御守りを指差す。

 俺は急いで御守りを返した。

「失敗しちゃったね。これを落とさなければこんなことにはならなかった」

 自嘲気味に笑いながら柚香は御守りを握り締める。

「足が治りますようにってお母さんが買ってくれたの。紅葉山にやってきたのだって回復祈願と病気治療のためだよ」

 柚香が引っ越してきた理由を、そういえば聞いたことがなかった。

 都会にいたのにどうしてこんな田舎にやってきたのか、疑問に思うことがなかった。

「私はね、祐喜のお母さんが事故後に搬送された大江山麓の知恩病院に入院してた。そこで『あぶらあげ』に会ったのよ」

 柚香は今でも『あぶらあげ』との出会いの細部を覚えているという。

 痛みに苦しむ額を、小さな黄金色の神様がそっと撫でてくれた。

 それが最初の出会いだった。

 願いを叶えに来たと、そう囁いて。

「それで、『あぶらあげ』が助けてくれたっていうのか?」

「うん。願いを叶えてくれた」

 病床で思い描いた願い──

 思い切り走りたい、学校に行きたい、料理をしたい、恋をしたい──

 その全てを、『あぶらあげ』が与えてくれたのだ。

 柚香の言う事が本当であれば、『紅葉山一ノ宮麓』を振るえる理由も明白だ。

 侍従でもなんでもない。

 柚香が『あぶらあげ』なのであれば──当然のことだ。

 銀朱は柚香が『紅葉山一ノ宮麓』を見せた時以上の衝撃を受けたようで、扇を落とし、ぺたんと石段に座り込んでしまっていた。

 俺はその二人を黙って見つめることしかできない。

「でも、願いごとが叶うには対価が必要だよ。毎日毎日山を登って回復祈願をしてくれる家族の苦労だけじゃ見合わなかった。私は対価として『あぶらあげ』に体を貸すことになった」

 シャーマンが神を下ろすように、柚香は『あぶらあげ』を体に宿した。

 柚香が『あぶらあげ』を捕らえたわけじゃあ、なかったのだ。

 言うなれば『あぶらあげ』が柚香を捕らえた。逆なのだ。

 ただそこには意志の疎通があって、共生関係があった。

「でも、なんで『あぶらあげ』は人間の体を欲しがったんだ……?」

「まだ分からないの? 『柚子』の、祐喜のためだよ」

「え? 俺……?」

 なんでそこで俺が出てくるの。

 俺は開けたままの口をぱっと閉じた。


 沈黙。




 ──俺が、『あぶらあげ』を信じていなかったから──




「祐喜に視てもらえるように、『あぶらあげ』は人間になったの。祐喜のお母さんは、事故で亡くなったでしょ」

 放心状態の俺は、ぎこちなく首を縦に振った。

「祐喜を『柚子』として守り愛して欲しいって、おばさんは『あぶらあげ』に願ったんだって。もう、絶対に自分は助からないから、自分の代わりに守って欲しいって」 

「現世でいうところの、十四年前の話か」

 銀朱の言葉に、柚香は頷いた。

「『あぶらあげ』はもちろん首を縦に振ったよ。だけど祐喜はその恵みを受け入れる状況になかった。信じなかったから、どんなに『あぶらあげ』が手助けしたくても空振りにしかならなかった」

 俺が拒否を続けるのだから、諦めればいいのに『あぶらあげ』はそうしなかったのだ。

 柚香の体を借りてひとの世に降りた。

「『あぶらあげ』はこの道を、選んだんだよ」

「お兄様ならやりかねない……」

 銀朱は項垂れて呟いた。

 あまりの落胆振りに、それがどれだけ彼らにとって非常識なことかは想像に容易かった。

 『あぶらあげ』は柚香と一緒に十四年間俺の側で、俺を見守ってきた。

 夕飯のおかずを作って、毎日供物を届ける俺に微笑みかけてきたというのだ。

「……神域が『あぶらあげ』の生きる場所。それなのに現世に下りてきた。どれだけのことかは分かるよね」

 柚香は息を吸って、大きく吐きながら銀朱へ視線を投げた。

 銀朱は黙って柚香を見上げている。

「『あぶらあげ』の意志は強い。『柚子』の側にいて、約束を守るためにいるの。だから、銀朱にだって邪魔はさせない。私がさせない」

 茂野が話をしていた。

 『あぶらあげ』は愛するものへの眼差しを絶やさない。

 どんな苦境に置かれても、身を落としても、守るべきものを守り通す御方だ、と。

 たしかにその通り。

 思いは、とてつもなく大きかった。

 自分が小さすぎて、情けなくなるくらいに。

 俺は否定して視ないふりをしてきたものに、愛されていたのだ。

 本当に『柚子』は俺で。

 俺は『あぶらあげ』に愛されていた。

 『あぶらあげ』は『柚子』の願いを叶えて、奇跡を起こしているのだ。

 今も。

「そんな顔しないでよ。祐喜が信じなかった──おかげで、私はこうして生きていられる。私は、祐喜のおかげでこうしてるんだから、感謝してる」

 柚香は、俺の手をぎゅっと握りしめた。

 その温かさがどこか心伴い気がして、俺は問い詰めた。

「待てよ。じゃあ『あぶらあげ』がこっちに戻って柚香の中からいなくなったら……」

「──足の病気が再発するかもしれない。『あぶらあげ』と過ごした日々の記憶が丸ごとなくなっちゃうかもしれない。先のことは何も分からない。でも祐喜には、銀朱によってじゃなくて、私の……『あぶらあげ』の力で、神様を信じて欲しかったんだよ」

 銀朱をはね除けていた意志は、柚香のものだったのだ。

 茂野へ視線をやるとどこか──本当に少しだけほっとした顔をしていたような気がした。

「結局、お前の意志でお兄様を留めていることに何ら変わりはないのだな」

 口を挟まなかった銀朱が声を上げた。

「お兄様は『柚子』と添えることができればそれでいいはずだ。祐喜が神を視ることができれば、ひとの子の器にこだわる必要などない、これでそなたは無用のものだな」

 銀朱の言葉は冷徹だ。

 柚香もそれはよくわかっているようだ。

 俯いて、黙り込んだ。

 『あぶらあげ』は柚香にとって、命の恩人で、友人で、特別な存在なんだ。

 柚香の手の中の剱が、その望みのために行動した全てを語っていた。

「この先は、私ではなくお兄様がお決めになることだろう」

 銀朱はそこまで言うと、少しだけ溜めてから続けた。

「ひとの子に為って愚図を守りたいと、それがお兄様の望みであるのなら私がこれ以上邪魔立てすることはできないだろう。いつかお帰り頂くのを待つ以外何ができる」

「銀朱様、ですが」

 茂野が口を挟むが銀朱は応じなかった。

 こちらにはこちらの、俺の知り得ない雑多な問題があるのだろう。

 銀朱は、本当に虚ろな表情を投げてきた。

 やっと見つけた兄に会わずに我慢をするというのは、誰だって辛いことだろう。

「銀朱が兄貴に会いたい気持ちも分かるよ。柚香と『あぶらあげ』が俺にしてくれたことの大きさも分かる。なぁ、考えて両方が幸せになる方法を選ぼう」

 俺の言葉に銀朱はムッと眉を寄せた。

「愚図のお前に何ができると言うのだ。この状況で! 適当な事を言うな!」

「俺は『柚子』だから、できるよ」

 その一言で、何もかもが片付いてしまいそうな気がした。

 銀朱も俺のその言葉に、考えが読めたのか噛みつく姿勢を解いた。

 初め『あぶらあげ』を呼んだ時、拒否されたのは柚香というフィルターはあったからだ。

 無理矢理『あぶらあげ』を呼び戻そうとして拒否したからであって、協力してさえくれれば、多分──いや絶対に、俺は『あぶらあげ』と接触できるはずだ。

「柚香の中の『あぶらあげ』を呼んでもいいかな? 『あぶらあげ』と二人で、話をしたいんだ」

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