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第六譚

 どこかほっとする反面、状況整理を求められた。

 柚香がここにいるはずがない。

 もしかしたら銀朱が俺を牛馬のように働かせるために人質気分で神隠ししてきたのかとも思ったが、だとしたらこんな処で自由に歩いているはずがない。

 間違えて紛れ混みましたという世界でもないだろう。

 ここは人の世界ではないのだ。

 自分でもびっくりするぐらい今まではできなかった馴れ馴れしさで、柚香の両肩に手を置いて存在を確かめる。

 柚香はそれを拒否する様子はなく、むしろほっとした顔をしてみせた。

 銀朱と違って温度を感じる。

 あたたかい、人しか持っていない温もりだ。

 たった数時間しかここにいないはずなのに、忘れかけていた質感で、とてもリアルなものに感じた。

「どうしてここに」

「祐喜を助けに来たんだよ。他に何があると思ってるの……」

 柚香は俺の服の裾を掴むと急ぎ足で石段を下り始める。

 濃紺の空に浮いた月と常夜燈だけが足元を照らす。

「どうやってここに?」

 あ、いやなんていうか、俺だってよく分かってるわけじゃあないんだけど。

「それより逃げよう祐喜。銀朱がいない間に!」

「銀朱のこと知ってるのか!?」

 雨に濡れて砂利はぬらぬらと光り、靴を履かない俺の足の裏を土汚れですぐ真っ黒にさせた。

 柚香は早い。紅葉山でのランニングの成果だろうか、夜目も利いているようで本殿から伸びる急な五十段の石段を駆け下りる。

 周囲はシンとしていて、唾を飲む音さえ聞こえてしまいそうだ。

「知ってるよ。祐喜だっておばあちゃんから聞いてたでしょう?」

「いや、ばあちゃんから聞いてはいたけどッ……!」

 まさかばあちゃんこっちの世界に入れるとか!?

 俺だって異次元へ行き来する超能力なんかがあるって聞いていたら、もうちょっと前向きに日課をこなしていたはずだ。

 だがそんな話は聞いたことがない。『柚子』はこの世界には踏み込めない。

 いつも『あぶらあげ』側から、姿を見せてくれていたと聞いてる。

「柚香あのな、俺がいつも供物届けてた『あぶらあげ』だけどあいつ、いなかったんだよ」

「いなかったも何も、視えないって言ってたし、ウチの女の仕事だしって言って、取り付く島も無かったじゃない」

 柚香はこの期に及んで何を言うのかという調子で返してきた。

「そうなんだけど、俺が無視してたとかじゃなくて、そのものが居なくなってたんだよ。銀朱はそれを見つけようとしてんだ」

 柚香は足を止めて、袖を掴んでいた手をぱっと離した。

「祐喜、どうして銀朱の味方をするの?」

「そういう訳じゃないよ」

「向こうでは祐喜がいなくなって2年も過ぎてるんだよ!? おじさんやおばあちゃんがどれだけ心配してると思ってるの!?」

 柚香の語る言葉は、『現実』だ。

 思わず言葉の勢いに足を止めてしまう。

「私だって心配したんだから……」

 視線を外して、柚香は制服の裾をぎゅっと握り締めた。

 背が伸びて、高一の時には少し不格好だった制服がぴったり体にあっている。

 チェックのハイウェストのスカートは高一の時と丈が変わって、少し詰めたのか膝上だった。

 ほんの少しだけの違い、俺から見ればいきなりのチェンジにしか見えないけど、現実で二年を経て起きたゆるやかな変化なのかもしれない。

 ただ天真爛漫ってオーラだけだった柚香の横顔に大人びた影が落ちて、少女らしさより女性らしさが滲み出る。

 俺は現実から置いていかれているのだと、柚香の姿を見て感じた。

「祐喜は私が、私が本当にただのトレーニングの為だけに毎日紅葉山走ってたと思ってたの……? 夕飯の残り物だなんて言って、毎日おかずを持ってきたりしたのは、どうしてだか分からない……?」

 向かい合って、大きな柚香の黒い目を見つめる。

 強い意志が込められた目からは、今にも涙が落ちてしまいそうだった。

「祐喜を心配してるからだよ」

 どくん。

 心臓が激しく音を立てて、外の音を断ち切った。

 勝負の時がやってきたと言わんばかりに、体中が緊張で固まった。

 目の前の柚香が、答えを求めて俺の顔をじっと見つめてきた。

「それなのに銀朱の肩を持つの? 神様信じてないって言ったのに、そんなにこっちはよかったの……?」

 一秒が、長い。

 この世界の一秒が、元の世界では何分なのか計算をする気にはならないけれど、元の世界の時間ほど消耗した気持ちになる。

「か、勘違いするなよ! 別に銀朱は俺が好きだとかじゃない!」

 こんなところまで助けにきてくれたのに、拒否の態度に見えたのなら、誤解だ。

「俺は穏便に『あぶらあげ』を戻して帰ろうと──」

「その通りだ。お前の役目はまだ終わってはいない」

 よく通る声がして、俺と柚香は駆け下りてきた石段へ視線を上げた。

 白髪交じりの髪を結った茂野だった。

 こんな処で口論している暇はなかった。

 茂野は右手に物騒な白刃を携え、月光を照り返してゆっくりと石段を下りてこちらへやってきた。

 青い目が車のテールランプのように闇の中に軌跡を描く。

 皺の入った顔も手も、衰えがフェイクであるかのように声に力があった。

 様になりすぎている帯刀姿からは、鈍感な俺にもビシバシと伝わってくる殺気が放たれている。

「茂……野」

「お前は銀朱様のお許しがあるまで社殿から出ることは許されていないはずだ。止まれ──戻って来るのだ」

「だ、だけど……ほら、『あぶらあげ』の気配が掴めたって言ってただろ、俺はもう用無しだろ!?」

 答える代わりにちらりと茂野は柚香を見た。

 どうみても俺は脱走しているわけで、鬼のような制裁を加えられるのは簡単に想像できた。しかも一人じゃなくて柚香もいる。

 と、なれば。どの道、もう逃げるしかない!

 柚香も茂野は敵だと分かっているのか、俺の腕を引っ張り走りだした。

「──面倒をかけるな」

 茂野の声は石段の上からではなく前方からした。

 胸の前で合わせていた手を大きく二回打って、俺と柚香へ突き出す。

 それは何の合図だったのか分からないが、俺と柚香は茂野を追い越すことはできずに透明な何かに阻まれ転倒する。

 尻餅をついて前方を視てもそこには何もない。

 手を伸ばし押してもそこから先の空間は断絶され、景色が絵であるかのように先にも後にも進むことはできない。

 全体を覆うかのように透明な檻に閉じ込められてしまった。

 茂野がゆっくりと近づいてくる。ざりざりと玉砂利を踏む音だけが耳に染みる。

 銀朱には喜怒哀楽があった。

 でも茂野は始終、感情の起伏がない。

 こいつ、実は銀朱より、怖いヤツなんじゃないだろうか── 

 逃げるどころか、身動きもまともに取れない。

 月を背にして茂野が俺から柚香へ視線を移ろわせた。

「この世界へ入り込むとは、希有なひとの子だ──だが、邪魔立ては無用」

 白刃が柚香に向けられる気配を察し、柚香を守ろうと抱き寄せる。

 逃げられないのなら、ここで滅多斬りにされて殺される他にないだろう。

「祐喜、駄目……!」

「俺は本殿に戻るから、戻るから柚香は傷つけないでくれ。ちゃんと『あぶらあげ』は銀朱のところに帰ってくるようにがんばるから、だから頼む!」

「駄目!」

 柚香がここに来て一番大きな声を上げた。


「駄目!銀朱に力を貸してはいけない!」


 その言葉に、俺も茂野も動きを止めた。

 柚香はその一瞬を好機と見てか、黒い目を輝かせた。

 右手が動き──透明な壁を凪ぐ。

 その動きに茂野は何を感じたのか、一足飛びで後退した。

 ピッと繊維が切れる音と共に、茂野の着物を切り裂く。

 左手に巻いていた数珠のようなブレスレットも切れて、虚空に星を散らした。

 ころん、ころんと石段に珠が落ちて行く。

 退いていなければ、茂野は今頃真っ二つだ。

 呆然としているのは俺だけでなく茂野も同じだった。

 ざり、と柚香の靴が砂利を踏み音を立てる。

 長い黒髪が揺れ、闇と同化している。漆黒の目は燃え茂野を威嚇していた。

 右手にはいままで持っていなかった『もの』が握られていた。

 茂野が帯刀する白刃と似た、ほのかに反りのある打刀。

 切先は紙一枚ほどの厚みも感じさせないほどに鋭い。

 鐔から柄頭まで金糸で輝き、赤い小さな房が垂れていた。

「それ──その、剱は」

 茂野と俺の驚きを無視して、柚香は切っ先を振って見えない壁をもう一度切り裂いた。

 都会のデザイナー制服を着た柚香には、ミスマッチすぎるその帯刀姿。

「あなた達が『柚子』を使うのは許さないわ。それが許されるとしたら『あぶらあげ』だけじゃない?」

 達、と言われてやっと気づいた。

 茂野で俺達を挟むようにして、石段の向こうに銀朱の姿があった。

 初めて俺と会った時と同じように、銀朱は怒気を孕んだ視線で俺と柚香を見つめている。

 銀朱は俺以上に汚れた足袋と、裾の汚れた着物を引きずり、近づいてくる。

 傍らには『あぶらあげ』の姿はない。

「お前……なぜお兄様の剱を持って居る。それは『紅葉山一ノ宮麓』だ」

 銀朱の目に柚香の持つ刃が映る。銘を紅葉山一ノ宮麓と言うのだろうか。

 三日月のようなその白い線は遠くからでも銀朱の目を明るく照らしている。

 名からして紅葉山のもの。

 そしてただの一振りでないのは日本刀に詳しくない俺にも伝わってきた。

「私が感じたお兄様の気配はそれだ。お兄様とお兄様の侍従しかしか振るえない刃。それをなぜひとの子が振るっている」

「答えてあげたら祐喜を返してくれるの? もう私達ひとの子に干渉してこないって約束する?」

 銀朱は柚香の言葉に足を止め、茂野と黙って柚香を見て居る。

 一挙一動に対応しようとしているのが肌から伝わってきた。

 俺は銀朱の青い目が、初めて警戒を帯びているのに気づいた。

 全くもって未知のものを見るかのように凝視している。だが銀朱と茂野の視線に屈することなく、柚香は堂々と剱を構えて威圧を跳ね返していた。

「お前は……何なのだ。本当に愚図と同じ、人間か?」

「紅葉山の里のどこにでもいる人間よ。『柚子』じゃなくたって『あぶらあげ』を想っている人間だっているのよ」

 いや、想っていたってそんな剱振り回したりこっちの世界に入ってドンパチできるなんて俺は聞いたことがない。

 柚香は──俺とは、違う。

「つまり──第二の『柚子』というところか」

 俺の思考と並行して銀朱が呟き、茂野が続けた。

「ですがひとの子が、我ら稲荷の世の侍従が授かる御神刀を振るうことなどできません。紅葉山一ノ宮麓』を振るう器は『大紅葉山』、もしくは侍従しか──」

 茂野はそこまで言うと口を噤んだ。

 その表情からは、それはあり得ないという意図を感じた。

 銀朱に茂野がいるように『あぶらあげ』にも侍従がいるということだろうが、それが柚香であるはずがない。それは俺だって賛同だ。

 柚香は人間だ。

 俺が千パーセント保証できる。

 なんてったって神様を信じていなかった俺が十年間近く見てきた。

 質感だってある、幻聴ではないのだ。

「茂野、まさかお兄様が、こんな小娘を己の侍従にしたと考えたわけではないだろうな。いくらお前でもそれは侮辱に値する」

 銀朱が自分の侍従にそこまでいうくらいだ、あり得ないのだろう。

「それにもし、柚香が『あぶらあげ』の侍従だとしたら──」

 俺の言葉の先を把握したのは茂野だ。

 柚香が『あぶらあげ』の命令で動いているとしたら、銀朱は『あぶらあげ』に嫌厭されているということに繋がる。

「長い歴史の中でこのような連関があったとは聞いたことはありませんが──この娘はまさか、『大紅葉山』を有しているのでは」

 茂野が銀朱にもう一つの定義を投げかける。

 俺には茂野の言葉が難しくて理解できないが、柚香は理解したようだった。

 ほのかに口元に笑みが宿った──ように見えた。

「馬鹿なことを言うな茂野! お兄様ほどの方がこんな齢の満たぬ小娘に捕らわれて力を奪われていると言うのか!?」

「ですが──そうでなくては、筋が通りません」

 茂野の推察でしか柚香の行動の見きわめがつかないのだろう。

 怒りながらも銀朱は否定を返せない。

 今までの『柚子(おれたち)』はただ『あぶらあげ』に寄り添っているだけだった。

 しかし柚香は──第二の『柚子』は天女伝説のように『あぶらあげ』を捕らえ、力を使うことを覚えた──

 本当の『柚子』が無関心でいる間に、新しい『柚子』が生まれていたということなのか。

「さすが茂野ね。聞いた通り本当によく頭が回るのね」

 そうだとするなら、柚香が『あぶらあげ』を銀朱の元に返す訳にはいかないだろう。

 銀朱は警戒から怒りの炎へ感情を切り替えた。

「お兄様はどこだ」

 柚香は答えない。

 銀朱は俺に突きつけた言葉をもう一度繰り返した。

「お兄様を──帰してもらうぞ、『柚子』」

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