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第二譚

 衝撃で俺は飛び起きた。

 腹を押さえて咳き込むと、目の前にさっと水が差し出される。

 あぁどうも、と仰いだところで、切り子細工のグラスを差しだしてきた相手が視界に入り、口に含んだ水を思い切り噴きだした。

 水を差しだしたのも、俺の腹に一発入れてたたき起こしたのも、見知らぬジジィだった。

 白髪交じりに皺の線がいくつか入った頬。

 目尻に年気の入った皺。渋い横顔に、眼光だけは鋭くビー玉のように輝く青。

 俺が口に含んだ水が噴き掛かるはずだったが、俺の行動を読んだのか年にそぐわない俊敏な動きで避けてると、膝に乗せていた手ぬぐいでさっさと飛び散った飛沫を払ってみせた。

「銀朱様、起きました」

「怠惰だな。一体何時間寝れば気が済むのか」

 聞き覚えの有る女の声と容姿。

 改めて左右を見回すと俺は畳に横たわっている。

 一段上がった上座に頬を殴打した女が、悠長に脇息に肘を置いて俺を見下ろしていた。

「あ……」

 周囲を見渡すと立派な書院で、引き違い戸と互い棚には盛大に花が生けられている。

 春夏秋冬の全ての名花を詰め込んだような鮮やかな生け花に負けないくらい、女の身につけている着物は美しかったが、それすら霞むほどに白銀の髪は艶めいている。

 よし、大丈夫。俺は冷静な判断ができている──

「お前……『あぶらあげ』だな!」

 この女は俺を『柚子』と呼び、そして、やっと私が視えるようになったのかと言った。

 この時代錯誤な意匠に人外の容姿とくれば、想像するものは一つだけ。

 先祖代々の『柚子』達が視てきた、紅葉山稲荷神以外思いつくものはない。

 ちなみに『あぶらあげ』というのは、先祖が名付けた紅葉山稲荷神の愛称で、俺もそれはしっかりと叩き込まれている。

 もしそれ以外に選択肢があるとしたら、これは夢だということだけだ!

「違うわ、この愚図め」

 ……

 …………

 女は即否定した。

 それはもう、俺をがっくりさせるには充分なくらいに、バッサリと。

 心底嫌だと言わんばかりに、女は美しい顔を歪ませて眉間に皺まで寄せてきた。

「あ、違う。そー……すか、じゃどなたさんです?」

 そうだ、考えてみれば俺は神様が存在しているなんて信じていないんだから、そんなわけがない。

 となると、彼らは紅葉山でロケをしていた時代劇の── 

「私は『大江山』だ」

 ……

 …………

 次は思考を三十度ほど回転させた処にある言葉を口にした。

 大江山。

 おおえやま、というのは電車で三十分の処にある山のこと……でいいのだろうか。

 だが、「私は」という説明はおかしい。

 ここは大江山だと言いたいのだろうか。

 だとしても大問題だ。 

「大江山って、今何時だよ! 終電二十一時にはもうないんだぞ! この誘拐犯!」

 俺が慌てる様を遮るように、女は畳を思い切り叩いた。

 スパンと見事な音。

 場を切り裂くその音に、怒りが俺に向けられていることだけは理解した。

「やっとそなたとこうして話ができるのだ。家に帰す訳にはいかぬぞ」

 何が何だか分からないが、女は俺に話しがあるようだ。

「は、話って何す……か」

「お兄様のことだ。お兄様をどこへ隠した」

 オニーサマ。

 お兄様。

 兄貴……?

「誰の……えっと……あんたの?」

 女の青い目が本当に弓のように細くなる。

 訝しげなその視線はとなりのジジィも変わらない。

 そんな目で見られても、困る。

 俺だって妹がいれば「お兄ちゃん」とか呼んでもらえることもあったかもしれないが、母さんは妹を残してくれなかった。

「そなた『紅葉山』のお兄様を知らぬと。『柚子』でありながら知らぬというのか」

 お? やっと良く知った地名が出た。

「えと……あんたは大江山さんで、紅葉山に兄貴がいて……俺が『柚子』の一族であることを知っていて……んでもって俺がその兄貴をよく知っていると思っていらっしゃるわけ?」

 整理のためにそこまで口にすると、俺はその構図の記憶を瞬間的に掘り当てた。

 これはばあちゃんがガキの頃の俺に、寝枕で聞かせてくれた話。

 俺たちが供物を届けに行く紅葉山稲荷神には妹がいる。

 大江山の稲荷神、名前は銀朱(ぎんしゅ)

 ばあちゃんは何度もこの稲荷神とケンカをしたという。

 白銀の稲荷神で、ものすごく上から目線。

 ドSで鬼畜で容赦がない鬼のような稲荷神だが、とにかく美しい稲荷神であった──と。

 改めて女の姿を視る。

 ばあちゃんから聞かされて思い描いた姿そのままだった。

 いや、そのまますぎる。まるで俺の妄想がそのまま形になったかのような出で立ちだった。

 女が「阿呆な顔をしておる」と憎々しげに俺に毒づいてきた。

 恐らく俺は、狐に摘まれたような顔をしていたに違いない。

 となると、こいつが銀朱だというのなら、俺の隣にるジジィは

茂野(しげの)……じゃない……よな、あんたまさか」

 乾いた口で記憶にある名前を零すと、女はバシバシと畳を扇子で叩き俺にキンキン声で怒鳴ってきた。

「私のことをお兄様と間違えたくせに、なぜ侍従の茂野だけは間違えぬのだこの大馬鹿もの!愚図!」

 茂野。ばあちゃんにとっては助け船だったと笑って話してくれていた。

 いつも『柚子』と『あぶらあげ』の邪魔をする銀朱を、やんわりと引き離して大江山へと連れ戻してくれた、銀朱の侍従。

 ぽろりとこの話を柚香に漏らした時に、柚香もこの名前を知っていた。

 柚香も視えているのかと思ったら、違う。

 驚く俺に柚香は笑った。

「大江山の茂野って桜のことでしょう?大江山の社殿にある大きな桜の木は、茂野っていう名前がついているんだよ。桜の名所の葵山から寄贈されたんだよ。綺麗だよね」

 あくまで人の世界での認識だったようで、取り乱した俺の方が恥ずかしかったという記憶。

 もしかしたらばあちゃんも、大江山の桜の名前を知って創作したのかもしれないが、その創作の人物が俺の横に正座をしている。

 ヤバイ、頭おかしくなりそうだ。 

 両者へ視線を投げてから、目を擦ってもう一度視た。

 変わらず女──銀朱と茂野は存在していて、挙動不審な俺を冷たく見下ろしていた。

 いや、だけど俺は神様なんて視えないんだぞ?

 もしかしてこれはばあちゃんが仕掛けたドッキリとか……

「ふん。動じておるわ、この愚図めが」

 銀朱は手元の茶を手に取ると、俺の動揺には興味がなさそうに喉に薄茶を流し込んだ。

「我らが見えぬはお兄様にちょっかいを出さず結構と思っておったが、それを逆手に取って色々としてくれたのぅ」

「なっ……なんだよ! 俺は何もしてないぞ」

「お兄様を帰してもらおう。お前が関わっているのは百も承知じゃ」

「だからッ……俺はお兄様とか知らないし、紅葉山の稲荷神を視たこともない!」

「ならなぜ……お前は私を視ている。本当は見えていたにも関わらずその振りをしていたのだろう」

 俺が逆にそれを知りたい。

 説明を求めようとすると、茂野は俺の衿を掴んでひょいと持ち上げた。

 十四歳の健康男児をまるで猫のように持ち上げたものだから驚いた。

 離せと暴れてみせると、ポケットからぽろりと柚香の御守りが落ちた。

 俺を下ろすと、茂野は落ちた御守りを拾い上げた。

「これに違いありません、銀朱様のお力を感じます」

 茂野は懐から紫色の布を出してそれに乗せて丁寧に銀朱に手渡した。

 なんだか俺がばい菌か何かみたいな扱いだ。

「それが何だよ。それは柚香の落とし物だ! 返せよ」

 銀朱は御守りを厳しく吟味してみせると、茂野の手を通して俺の手に戻した。

「どうやら無信心のお前がこうして私を視ることができたのは、『柚子』としての素質と、その守り札に込められた強い願いによって繋がった一時的な現象のようだな」

 つまり俺はこの御守りに込められた力によって、こいつらを視るに至ってしまったということだろう。

 この御守りを捨ててしまえば視えなくなるのかもしれないが、これは柚香が大事にしていたものだし捨てられない。

「ふむ。となると、信心深くないお前にはお兄様を拐かすことはできぬか……」

 銀朱は俺が『あぶらあげ』を視れないことを理解してくれたらしい。

「納得したらもういい? 帰らせてくれ。ていうか目を覚まさせてくれというべきなのか、悪いけど終電がなくなって帰れない場合タクシーを……」

 クラクラしながら腕に巻いた時計を覗き込み、時間を確認して思考が止まる。

 本来なら六十回秒針が回り一回長針が動くはずの時計は、高速再生をしているかのように長針と短針が秒針のような動きをしていた。

 時計が壊れるというなら止まってしまうのが常だと思うのだが、まるで生き物のように針はめまぐるしく回転を続けていた。

「なんだ……これ……」

 それにこの部屋、よく見ればなんだか変だ。

 床は畳だというのが分かる。

 立派な欄間も柱もあるのが分かる。

 だけど何か薄い膜に覆われていて、実体があるようで──ないようで、重なり合う境を意識しようとすると今以上に酔ってしまいそうだ。

「お前が拐かしたのではないとすれば、では残る可能性は二つ」

 銀朱は俺の混乱など余所に、右手に持った扇をパタンパタンと開いて閉じてを繰り返す。

「お兄様は旅に出てしまわれたか、それとも真に──消えてしまったか」

「どっちにせよもう俺には用はないだろ……? 今何時なんだ、本当はここはどこなんだ! 教えろよ!!」

 俺の叫びを銀朱は無視して、面を上げて俺を睨んだ。

「お兄様を呼べ。そなたが我らを信じお兄様を呼べばお兄様は絶対に反応する。帰すのはそれからだ」

「そんな事はどうだって」

 銀朱は床の間に飾られていた長刀を手にすると、軽く回転させて刃をこちらへ向けた。

 その鋭い切っ先に驚き、息を飲んだ。

「どうだってよい? 『柚子』であるお前がその口でよくも言えたものだ」

 今までの『柚子』であればそんなことは絶対口にしなかっただろう。

 『柚子』はすべからく『あぶらあげ』を好意を持って接し、愛していた。

 だからこそ千年の長い間、代を変え毎日供物を届けに行っていたわけだ。

 千年前の初代『柚子』。

 この初代が紅葉山稲荷神を視たのがはじまりだった。

 『あぶらあげ』というニックネームをつけたご当人。

 無邪気にも『あぶらあげ』の処へ十四歳になったらお嫁に行くと約束し、そして(当然)叶うことなく人間の旦那を迎えて子供を産み、長女が『柚子』の振りをしてまた山に登った。

 だから女が代々この役目を負っている。

 『あぶらあげ』がいるとして、『柚子』が代替わりしていることに気づいているのかそうでないのかはよく知らない。

 でもばあちゃんは、自分ではない先祖の『柚子』を演じ『あぶらあげ』を送った日々を、今でも宝物のように思っているようだ。俺がはねつけるので俺に話しをしたりしないがよく父さんに話をしている。

 神様が特別に自分を慈しんでくれるという体験は、たしかに自慢話になるかもしれない。

 それでも俺はひねくれているのか、ばあちゃんだって結局『あぶらあげ』が好きだとか、大事だとか言いながら、じいちゃんと結婚して母さんを産んだ。

 つまり『あぶらあげ』を捨てた。

 俺と同じ、否定したのだと思う。

「俺は『柚子』じゃねーよ、先祖とは違うんだ。俺は俺の生き方がある」

「お前単体などどうだっていいことだ。何であれ『柚子』が脈々とお兄様に関わってきた事実は変わらない」

「俺はなぁ、そういうのが大嫌いなんだよ! ひとくくりにして勝手に評価すんな!」

 俺が否定するが、銀朱は一向に差し向ける刃を引かない。

 それどころか名案とばかりに目を細めた。

「鳴かぬなら泣かすか。『柚子』の命の危機を知れば、お兄様もお姿を現すかもしれんのぅ」

 銀朱は全く躊躇いを見せる様子がない。

 息巻いて刃の切っ先を、俺の鼻先に突き出してきた。

「呼びかけにも一切お応えにならないとしたら──お前が、お兄様を殺したのだ」

「誘拐犯疑惑の次は、殺人犯疑惑かよ!」

「我ら神が有り続けるためにはひとの子の信仰が不可欠。『紅葉山』を支える『柚子』のお前がこれほどまでに無価値、無信心ということはお兄様を殺す刃となっていてもおかしくはない」

「待て待て!! 俺一人なんかが、神様を殺せるのかよ!」

「殺せる!」

 予想を遥かに超える断言に、思い切り心臓を捕まれた。

 逃げ腰のまま静止してしまう。

「『柚子』ならお兄様を殺せる。憎いがお前達はそれができる。お兄様にとってあまたのひとの子と、そなたらは別だ。お兄様は『柚子』を特別に寵愛している。それは裏を返せばお前がお兄様を殺せるということだ」

 ヤベー俺、神様を殺せるのか。

 なんかすごくないか……?

 あ、いやなんつーか。別に殺したいとかそういうんじゃなくて、字面の格好良さとしてね?

 恋は人を殺せる、とかいう一説に近いのだろうか。

 こいつらが本当に稲荷神だとして──概念的なイキモノであるなら、そういう考え一つで確かに生かしたり、殺したりはできそうだけど。

 でもまぁ、俺は恐らく『柚子』として見られてないし、愛されてもいないと思う。

「いや、そんな、重大な話聞いたことないっす……。それにほら、『紅葉山』は観光名所で信心深い人もいっぱいいるから、俺が信じてなくても消えるってことはさすがに……」

「ではお兄様はどこへ行ったというのか! 自由気ままな方ではあるが、お兄様を感じられなくなることは今まで一度もなかった!」

 びゅん、と前髪を刃が掠める。

 肩を竦めて逃げようとするが、障子はしっかりと茂野が押さえて無表情で俺を見て居る。

 銀朱が長刀を振りかざすと今度は俺の肘を掠めた。

 切っ先が擦った俺の皮膚に、朱色の線がさっと引かれる。

 赤い雫が痛みと共に溢れてきた。

 この痛みは、マジだ。

 これは夢でもドッキリでもない。

 銀朱はマジで俺を誘拐犯だか殺人犯だかだと思っているし、人を殺すことに引け目など感じたりもしない。

 身を守るために長刀の握り手を掴んで取り上げる。

 そっちがそのつもりなら、俺だって殺されるつもりなんてない。

 だが武器を取り上げて手にしたところで、全く動かなかった茂野が俺の腕を叩きつけ、長刀を奪い取った。あっという間もなかった。

 俺には会話の優先権以上に、生存権すら存在していなかったということらしい。

 茂野にグサリとやられるかと思いきや、追撃はなく銀朱が飛び込んできた。

 次の手は扇子でビシバシと攻撃かと思いきや、握りしめたグー手をぽかぽかと叩きつけてくる。

 いや、全然痛くないですよ、銀朱さん……。

「この!愚図めが! どちらにせよお前がすべての原因だ!」

 手はひやりとしていて現世のものとは思えない不思議な体温だった。

 空にかかる虹の温度を想像する。

 暖かいような、冷たいような。

「お前達のことをお兄様がどれだけ慈しんできたと思っている。そなたは畏れ敬う心を忘れ兄様を殺したのだ。いつからひとの子は、目で見えるものだけを信じるようになったのだ! 嘆かわしい!」

「しょ、しょうがないだろ! だったらお前も今目に見えない兄貴のことを信じて待てよ!」

「我らはもともと、視覚などに頼りはしない。そんなものに頼るのはお前達愚鈍なひとだけであろうが!」

 ぽかぽかしてくる手を掴んで止めさせるが、紅を引いた口は閉じることがない。

「さぁ早くお兄様を呼べ! 私が呼んでも呼んでも、お兄様は答えては下さらない。悔しいがお前しかいない。お兄様が愛し続けたお前しかいない!」

「呼べって、どうすりゃいいんだよ。神様を信じてねぇ俺でもいいのかよ」

「お兄様を想えばいい! 今まで貴様らはそうして来ただろう!」

 俺は一度だって、好意をもって『あぶらあげ』を想ったことがあっただろうか。

 いや、ない。ないな。

 だから想うとしてもそれは無感情で、無信心で、銀朱の言葉が正しいのなら想うことで逆に殺してしまうのではないかとも思う。

「そういう話なら……俺は多分、お前の兄貴を殺してるよ」

 銀朱の勢いがまるで無かったかのように収まった。

 俺に馬乗りになっていた銀朱の顔が近い。

 白すぎる頬は、大江山の境内に咲いている白梅の色。頬の紅は桜。

「何度も何度も……心の中で紅葉山稲荷神のことを俺は殺してるよ」

 淡々とした言葉に、俺の本心をくみ取ったのだろうか。

 聞き返すことも否定を求めることもなく銀朱は項垂れた。

「俺は神様なんて信じてない」


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