街角のすずらん屋
1
すずらん屋はにぎやかな商人街の街角にある。華やかに着飾った様々なねずみたちがにぎやかに行き交うこの街は、この都市で最も栄えている場所だ。すずらん屋がある通りに立ち並んでいるのは、帽子屋、時計屋、服屋、宝石屋、香水屋など華やかな店ばかり。しかしすずらん屋も負けてはいない。隣の香水屋「ミモザ」よりも多くの女性たちでごった返している。
「これ、ください!」
香水をつけた女性の甘い匂いでいっぱいのすずらん屋の中で、ただ一人の男性である樫の木ユウリはにこにことカウンターに座って、若い女性から小さなかごを受け取る。ピンク色のひげの化粧品やかわいいレターセットや白いストールを手に取って、会計をする。店オリジナルのクリーム色をした紙袋にそれらを入れて渡すと、女性はにっこりと笑って店を出て行った。
クリーム色で統一された店内は、女性たちのかしましい話し声で満たされている。ひげの化粧品がすらりと並んだ棚を指差し、あれがいい、これがいい、と騒ぐ少女たち。職人たちが一つ一つ作り上げたてんとう虫のぬいぐるみや蝶をモチーフにしたしゃれた置物を手に取る大人の女性たち。すずらん屋は雑貨屋だ。それも、人気の。
一番の注目を集めている商品棚がある。その商品は、ガラス窓の中にあり、女性たちがきらきらした目で見つめているもの、白い毛に黒い大きなぶち模様のあるユウリがカウンターの中でレジスターを操りながら、暇を見て作っているもの。アクセサリーだ。トンボ玉のネックレスに、銀でできたほおずきのイヤリング、色とりどりの電気石がはめ込まれた指輪。女性たちは心底ほしそうにそれらを見ている。
「ねーえ、店長さん。あの星のピアス、もっと安くならない?」
こげ茶色の毛をした少女が、ユウリに話しかけてきた。星のピアスはシンプルだけれど、白金でできていて、結構な高級品だ。ユウリは少し考えて、
「じゃあ、五パーセントオフね」
と笑った。少女が不満げに口を尖らせる。
「もう少し」
「じゃあ、六パーセント」
「十パーセント!」
「無理だよ。七パーセントは?」
「十パーセント!」
「八パーセント。もうこれ以上は値下げできないよ」
「じゃあ、買う」
少女はにこにこと満足げな顔をした。ユウリは参ったな、という顔でアクセサリーの棚の鍵を開け、小さなクリーム色の宝石箱にピアスをしまって少女に渡す。少女は大切そうにそれを鞄にしまい、数枚のお札をユウリに渡した。
「また来るわ。ありがとう、店長さん」
少女が去って行くのを、アクセサリー棚の周りの女性たちは羨ましそうに眺めた。ユウリが作るアクセサリーは高い。だから滅多なことでは買えないのだ。
「ユウリ、繁盛してるわね」
少女と入れ替わりに、背の高い、薄茶色のはつかねずみの女性がやって来た。ユウリはそれを見て、子供のように嬉しそうにする。
「イリア!」
「あなたのお店が繁盛するから、隣のわたしの店にも多少はお客が流れてくるわ。ありがたいわね」
「そんなことないさ」
美人と評判の彼女は、隣の香水屋「ミモザ」の店主だ。彼女はユウリと仲が良くて、店員に店を任せてはちょくちょく店に来る。彼女はユウリの親友なのだ。
「いい香り。何の香り?」
「白檀の香りよ。素敵でしょ? 新しく入荷した香水の香りなの」
イリアはどこか謎めいた笑みを浮かべて、ユウリの前に立つ。ユウリは急にはしゃぎだす。
「彼女、昨日も来たよ」
「でしょうね。あなたのその顔でわかるわ」
「昨日彼女が買ったものは、薔薇づくしだったんだ。薔薇のイヤリングに薔薇の指輪。どれも金製なんだ。彼女にすごく似合うよね」
「そのあと彼女がわたしの店で薔薇の香水を買ってくれたのは、そのお陰なのね」
イリアがまたにっこり笑う。ユウリは照れたように頭をがりがりと掻く。
「彼女、ぼくのアクセサリーのファンだってさ。すごく嬉しいな」
「よかったわね」
イリアがそう微笑んだ時だ。店のドアが開いて、鈴がちりちりと鳴った。ユウリは急に落ち着いた態度に戻って、その客に笑いかける。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは!」
オレンジ色のワンピースを着て、同じ色のつばの広い帽子をかぶった小柄な女性が、カウンターに真っ直ぐやって来た。跳ねるような足取りだ。
「あら、イリアさん。こんにちは」
「こんにちは」
イリアが彼女に笑いかける。彼女はそれに明るく笑顔を返して、ユウリに話しかけてきた。
「ユウリさん、見て、これ。わたし、ここで買った薔薇のアクセサリー、全部つけてきちゃった」
見ると、耳や指に小さく金色に光るものがある。ユウリは何度もうなずき、
「本当にありがとうございます、マリイさん」
と言った。マリイがふふふ、と笑う。
「あなたのアクセサリーは本当に素敵なんだもの。素材にもこだわっているのでしょう? 本当に気に入ってるのよ」
「作った甲斐があります。嬉しいな」
「今日は新しいアクセサリーを買いに来たんじゃないの。お礼を言いたいだけなの。本当にありがとう」
「そんな」
ユウリが少し下を向いて答える。マリイはそれを覗き込んで、
「今日は習い事で忙しいの。ピアノとバイオリンのお稽古なの。だからもう帰るわね。ありがとう、ユウリさん。さようなら」
「さようなら」
マリイは華やかに店を出て行った。ユウリの笑顔はその途端子供っぽいものとなり、
「やったあ!」
とイリアを見た。イリアはドアのほうを見ている。
「聞いた? ぼくの作ったアクセサリー、あんなに気に入ってくれてるんだよ」
「よかったわね」
イリアがユウリに向き直った。優しく微笑んでいる。
「お礼を言いに来ただけだって。それだけのためにわざわざ?」
「そうね」
「でも、彼女ってお嬢様なんだなあ。ピアノにバイオリンだって。でもさ、彼女はパンダねずみだよな、どう見たって。ぼくもパンダねずみ。これって」
「そうね。釣り合ってるんじゃないかしら」
ユウリがにやにや笑いを止められずにイリアに話しかけていると、女性客がカウンターにやって来たので、それをやめた。レジスターを打つ。すると、イリアが店を出て行こうとしている。
「イリア。もっと話そうよ」
「あなた、どう見たって忙しいじゃない。それに仕事中は仕事に集中するものよ」
イリアはこうつぶやくと、微笑んだまま店を出て行った。
ある日の夕方。店にお客がいなくなり、店じまいの準備をしているときのことだ。店のドアの鈴が鳴った。マリイだったのでユウリは慌てた。
「こんにちは。ユウリさん、新作はできた?」
「ああ、ごめんなさい。できていたのですが、皆売れてしまって」
アクセサリーの棚は、ほとんど空だった。するとマリイはいかにも残念そうにうつむいてため息をつく。
「わたし、今日もお稽古が忙しかったの。そろそろ新作ができてくるころだとはわかっていたのだけど。残念だわ」
マリイのあまりの落ち込みように、ユウリはくすりと笑う。
「マリイさん」
「なあに?」
マリイが明るく笑ってユウリを見る。ユウリはどぎまぎしながら、
「何なら、ぼくがあなたに」
アクセサリーを作って差し上げます、と言おうとしたときだ。ドアの鈴がまた鳴り、今度は黒いはつかねずみの若い男性が入ってきた。男性客が珍しくてユウリがそちらを見ているうちに、マリイは店の奥のほうに隠れるように滑り込んでいた。マリイに声をかけようとすると、男性客はアクセサリーの棚のほうをちらりと見てからユウリに話しかけてきた。
「樫の木ユウリさんですよね」
彼はにこにこと笑っていた。見覚えのある顔だ、と思っていると、男性客は自ら名乗った。
「家具職人グイルの弟子、シムリです」
ああ、とユウリは声を出す。見覚えがあるのは当然だ。あの職人街で一番有名な職人たちの一人、グイルの弟子だったのだ。
「立派な店ですね」
「ありがとうございます」
「ユウリさんは元々職人街のアクセサリー職人だったのに、もっとお客と触れ合いたいと言って街を出て行きましたよね。ぼくらの間ではいまだに話に上りますよ。すごいなあ。こんなにきれいなお店で、お客と毎日会話して。楽しいでしょうね」
「そうですね。とても」
ユウリは笑った。すでに人気のアクセサリー職人だったユウリは、多くの宝石店との契約を打ち切って、自分の店を持った。それがこのすずらん屋だ。アクセサリーはコストぎりぎりで売っているし、そのほうがお客も来るからと、すずらん屋は様々なものを売る雑貨屋になった。ユウリのものを見るセンスのお陰で、すずらん屋はにぎわっている。
「でも、シムリさん、何故ここに?」
ユウリは先程から思っていたことを口に出した。シムリのような男性が、どうしてここに来たのだろう?
「実は、誕生日プレゼントの指輪を作ってほしくて」
「指輪?」
「れんげの花をモチーフにした、かわいい指輪を作ってほしいんです。季節はずれだとはわかっています。でも、きっと彼女は喜ぶから」
「彼女?」
「ぼくの恋人です」
シムリは嬉しそうな顔をする。ユウリはこの男性が好ましく思えてきた。ハンサムで背が高く、服のセンスもよくて、何もかも完璧に見えるのに、何て正直なひとなんだろう、と。
「彼女はれんげの花がとても似合うんですよ」
「そうですか。わかりました。作りますよ」
ユウリがそう言うと、シムリはほっとしたように胸に手を当てて、ありがとうを言って出て行った。
オーダーメイドは久しぶりだな、とユウリは思う。どんな風に作ろう。大体、シムリの恋人とはどんなひとなのだろう。
そこに、マリイがゆらりと出てきた。ユウリはマリイに、あなたにも素敵なアクセサリーを作って差し上げますよ、と言おうとしたが、その様子を見てできなくなった。マリイはぼんやりと遠くを見ている。
「マリイさん?」
「ユウリさん。わたしもシムリのことが好きなの。すごく、すごく」
ユウリは頭を強く叩かれたような衝撃を受けた。そうして何も言えないでいるユウリの前を、マリイは滑るように歩いて、店を出て行った。ちりちりと、鈴が鳴る。
そうか。シムリさんの恋人というのは、マリイさんのことなんだ。
ユウリは絶望的な気分で立ち尽くしていた。
その夜、ユウリはひたすら新しいアクセサリーを作っていた。彫金の蜂のピアス、ぐみの実のペンダント、葉っぱをつなげたような形のアンクレット。狭いアパートの部屋にあるシンプルなアトリエで、ユウリはひたすら細かく指先を動かしていく。削りかすが出る。それがユウリの黒いベストに降りかかる。それを振り払うこともせず、ユウリは集中して「花以外の」モチーフを使ったアクセサリーを作る。シムリがマリイに贈るれんげの花の指輪なんて、作りたくも、想像したくもなかった。
アクセサリーを作り終えると、ユウリは寝室に戻ってそのまま寝た。何も考えたくなかった。何も。
翌朝、店を開いていると、イリアがやって来た。いつものように微笑んで。ユウリはむっつりと黙り込んで、彼女を店に招きいれた。
「どうしたの? 機嫌が悪いのね」
「別に」
「素敵なアクセサリーね。何だかいつもと違う」
「そうだね」
「ユウリ?」
「ねえ、イリア。シムリっていう家具職人に、マリイさんに贈る指輪を頼まれちゃったよ。二人、恋人なんだね」
イリアがきょとん、とした顔をする。
「どうしてシムリがマリイさんに?」
「シムリさんを知ってるの?」
ユウリが顔を上げる。その顔はどう見ても寝不足の顔だ。
「だって、彼はピイの恋人なのよ」
「ピイさんの?」
目の前が明るくなっていく気がした。桜の木ピイ。彼女はイリアのもう一人の親友で、冒険小説家だ。ユウリも何度か会ったことがある。物静かで、かわいらしい女性。白いはつかねずみである彼女は、ユウリにも優しくしてくれた。
「なあんだ。そうなんだ」
ユウリに、元の子供っぽい笑顔が戻ってきた。イリアがにこにこと笑っている。
「ピイさんにれんげの指輪か。確かによく似合ってる」
指輪のイメージが浮かんできたぞ、とつぶやくと、イリアがくすくす笑った。
「シムリの恋人がマリイさんじゃないとわかると、途端に元気になるのね」
「だって」
ユウリは照れ笑いをする。そして思い出したように、カウンターに置いていた店の紙袋に手を伸ばした。
「これ、一昨日作ったんだ。売れないように取っておいたんだよ。桔梗のアクセサリー。君に似合うと思ってさ」
イリアはそれを受け取ると、何とも言えない不思議な表情をしていた。ぼんやりとした、たゆたうような表情。ユウリはそれにお構いなしに紙袋を開く。
「布製の桔梗のカチューシャに、桔梗の形のペンダント。君って紫色が似合う、大人の女性だからさ」
「紫色、似合う?」
「うん。似合うよ」
「桔梗の香水、つけなきゃね」
「桔梗の香水なんてあるの?」
「探せば、あるわ」
イリアはお礼を言うと、店を出て行った。店の仕度があるからと。
「イリア! 今夜チーズ・レストランに寄ろうよ。いいことを教えてくれたお礼におごるからさ」
窓の外で、イリアは笑った。手を振って、歩いていった。
それを見届けたあと、ユウリは鼻歌を歌いながら店の準備を始めた。
2
夜、レストラン街にあるチーズ・レストランで、二人は赤ワインを片手にチーズ料理を食べていた。広い店内、上流階級らしいねずみたちが静かに会食している。紫色のドレスにユウリの作ったアクセサリーをつけたイリアが上品にナイフとフォークを使って食べている。黒いスーツを着たユウリはぎこちなくそれを真似している。高級なチーズ料理は大好きだけれど、作法にはなかなか慣れない。ユウリはアクセサリー作り以外では不器用なのだ。
「このトマト、おいしいね」
ユウリがイリアに笑いかける。
「そうね。このチーズによく合うわ」
イリアがにっこり笑う。
「ここの料理は本当においしいよね。ぼく、月に一度は来ることにしてるんだよ」
「『ボン・シェール』だったわね、お店の名前。本店はもっと遠くの都市にあるのよね。わたし、いつか行きたいわ」
イリアがそう言って微笑んで、ワインを飲んだ。ユウリは自分の胸を叩いて、
「いつか連れて行ってあげる。店を繁盛させて、お金を貯めて、一週間くらいお店を休む。そして一緒に旅行に行こう」
「本当に?」
イリアが信用していないような言い方をしたので、ユウリはむっとした。
「本当だよ。ぼくたち親友じゃないか。ぼくは親友に嘘なんかつかないよ」
「そう」
「そうさ」
「でも、マリイさんは?」
イリアが顔を上げる。悪戯っぽく微笑んでいる。
「マリイさんという好きな人がいるのに、わたしという女性と旅行したっていいの?」
「いいよ。君は親友だもの」
ユウリがにこにこ笑う。
「でもさ、マリイさんの話だけどさ」
「何?」
イリアが笑ってユウリの顔を見る。
「よく考えると、シムリさんはピイさんの恋人でも、マリイさんはシムリさんのこと、好きなんだよな」
「大丈夫よ」
イリアがユウリの手を取る。ユウリが無邪気に笑う。
「あなたは魅力的だもの。誰だって好きになるわ」
イリアは首をかしげてユウリの顔を見つめた。
家に帰ってからも、ユウリは意気揚々とアクセサリーを作った。コスモスの形のイヤリング、ケイトウの絵を掘り込んだペンダント。鼻歌交じりに作る、きらきらとしたものたち。
ユウリは自分が作ったもので女性たちが喜んでくれたり、きれいになったりするのを見るのが好きだ。だから店を持ったと言ってもいい。
女性たちがもっと喜んでくれるように。そう思えば、多少の寝不足や疲れは気にならない。
イリアは気に入ってくれただろうか。今夜はユウリの作ったアクセサリーに合わせた格好で来てくれた。ユウリは思い出して嬉しくなる。
「マリイさんにも作ってあげなきゃ」
ユウリは何を作ろうかと色々考えながらベッドに入った。マリイへの贈り物は、あとからでもいい。でも、考えたかった。それだけでわくわくした。
翌日の昼、シムリが店にやって来た。ピイを連れて。ふんわりとした、白地に黄色いコスモスの花がいっぱいに描かれたワンピースを身に付けたピイは、にこにこ笑っていてとてもかわいらしかった。シムリは嬉しそうだ。
「どうされたんですか、二人で」
店中の女性たちの注目を浴びている二人に、ユウリは声をかけた。シムリが化粧品の棚を指差す。
「ひげの化粧品、新しいのが出たんでしょう?」
「ええ、レモン色が」
「それ、ください」
ユウリはカウンターから出て、真新しいレモン色の壜を手に取ってシムリに渡す。シムリはお金を払って、ふと考えてこう言った。
「ここで塗ってもいいですか? ピイに」
ユウリは戸惑いつつも、
「どうぞ」
と笑った。
シムリが壜の蓋を開ける。蓋には小さな筆がついている。それでレモン色の液体をすくって、ピイのひげにすっと塗った。ピイは周囲の目を気にして恥ずかしそうにしていた。現に、周りの女性たちは物珍しそうに二人を見ていたのだ。しかし、シムリが真剣な目で、一本一本のひげを慈しむように筆で塗っているので、ピイはシムリの顔を見ずにはいられない。動揺していたピイだが、しばらくするとシムリの目をぼんやりと見つめて、じっと動かなくなった。
ユウリはこの情景を見て、感動していた。これが恋人というものだ、と思った。自分もこうなりたい。マリイと。しかしマリイが愛しているのは目の前のシムリだと思うと、胸が痛んだ。
「はい、完成。動いていいよ、ピイ」
シムリが壜の蓋を締めながらピイの腕に触れる。ピイがため息をついて、シムリに笑いかける。
「とてもお似合いですよ」
ユウリが言うと、ピイは微笑んで、
「ありがとう」
と言った。
「では、ありがとうございました」
シムリがぺこりと頭を下げて、ピイの背中を押しながら出て行く。
「こちらこそ。ありがとうございました」
ユウリも頭を下げる。ドアの鈴がちりちりと鳴る。外からはシムリとピイの話し声が聞こえてくる。
「次はミモザに寄ろう。香水を買わなきゃね」
「シムリ、お金、大丈夫? この服も、この靴も、全部今日買ってくれたばかりなのに」
「大丈夫。給料が上がったんだ。誕生日に身に付けるものは全部ぼくのプレゼントにしたいんだよ」
ユウリはそれを聞いて、羨ましくて仕方がなかった。シムリの真っ直ぐで正直な愛し方。自分はマリイをこんな風に愛せるだろうか?
と、そこまで考えて、ユウリははっとした。もしかして、今のことがマリイに伝わってしまいはしないだろうか? そうなれば、マリイが傷つくのは必然だ。
ユウリはそうならないことを祈った。
閉店の時間が近づく。最後のお客もいなくなった。ユウリはぼんやりと昼間のことを考えていた。シムリとピイ、そしてマリイのことを。
ドアがちりちりと鳴って、お客が来た。いらっしゃいませ、と言おうとして、ユウリははっとした。マリイだ。今にも泣きそうな顔で、ゆっくりと歩いてくる。カウンターにやって来ると、マリイはその上にうつぶした。
「ユウリさん、わたし、聞かなきゃいいことを聞いちゃった」
くぐもった声で、マリイはつぶやく。ユウリはおろおろとそれを聞いている。
「シムリは本当にピイが好きなのね。わたし、それだけですごく不幸だわ」
「マリイさん」
「シムリのこと、ずっと前から大好きだった。だけどシムリはピイのことを好きになったわ。どうしようもなかった。わたしのことを好きになってもらう努力、たくさんしたのに」
「マリイさん、気にしないで」
「わたしを愛してくれる人なんて、この世にいないのよ。わたしって、気が強いし、うるさいし。ピイとは真逆よ」
「それは違います、マリイさん」
ユウリが強い口調でそう言うと、マリイはそっと顔を上げた。目が潤んでいて、痛々しい。ユウリは彼女を守ってあげたかった。
「ぼくはあなたのことが好きです、マリイさん」
マリイがぼんやりとユウリを見た。
「好きです」
マリイはぱっとカウンターから離れた。うつむいている。
そのままの状態で、数秒が経ち、やっと彼女はこうつぶやいた。
「ごめんなさい」
マリイはばたばたと走って、店を出て行った。ドアの鈴が乱暴に鳴る。
ユウリは、マリイの「ごめんなさい」の声を、頭の中で何度も繰り返した。
3
「ユウリ?」
カウンターでぼんやりしているユウリのところに、イリアが来た。ユウリがプレゼントした桔梗のアクセサリーを、今日もつけている。
「もう帰る時間でしょ? 何してるの?」
「別に」
ユウリはふてくされた声を出す。
「何かあったの? マリイさん、うちの店の前を走っていったけど」
「別にって言ってるじゃないか」
ユウリがうるさそうにそう言うと、イリアが眉間にしわを寄せて、ユウリを見つめる。
「何があったか、くらい言ってくれてもいいじゃない」
その途端、ユウリの感情がはじけた。
「振られたんだよ!」
そう叫んで、そのままユウリは自分を卑下し始めた。
「ぼくなんてね、背も低いし、ハンサムじゃないし、シムリさんみたいじゃないんだ。愛されないのは当然なんだよ。マリイさん、ごめんなさい、って言ってた。ぼくは振られたんだよ!」
「そう」
「そう、じゃないよ! もっと言うことがあるだろう? 君はぼくの親友なんだから、優しい言葉をかけてくれたっていいだろう?」
ユウリがイリアをにらむと、イリアはいつの間にか近くにいた。
「親友って便利な言葉ね。あなたがわたしに甘えるのに便利な言葉」
「何だよ」
「あなたはマリイさんのことしか考えてないのね」
そして、かがんでユウリに口付けをした。ユウリは目を白黒させた。イリアが離れたあともぽかんとしている。
「じゃあね」
イリアが店を出て行く。ユウリはしばらく頭の中が真っ白で動けなかったが、ようやく立ち上がり、イリアの店に走りこんだ。辺りはすっかり暗い。イリアの店は、いい香りがする。
イリアは店の奥でユウリに背を向けていた。
「ねえ、どういうこと?」
ユウリが尋ねる。イリアは振り返ることもなく、
「帰って」
と強い口調で叫んだ、ユウリは何も言えずに、すごすごと店を出て行った。
一体どういうことなのだろう? イリアは自分のことを愛しているのだろうか? ならば自分はどうすればいいのだろう?
イリアに対して、封じていた思いが心の中に染み出てくる。親友だと思って封じていた気持ちだ。これは何なのだろう?
優しいイリア。どんなときでも励ましてくれた。ユウリは子供のように甘えるだけでよかった。それでよかったのだろうか?
何か、しなければならないことがある。彼女に。
彼女というのは、誰のことだろう?
店に戻ると、カウンターにメモ用紙と宝石箱が置いてあった。手紙には、
『これでピイの指輪を作ってください。シムリ』
と書いてある。宝石箱を開いてみる。中には高価なピンクサファイアが入っていた。
「シムリさん」
ユウリは胸を打たれた。シムリは何て真っ直ぐなのだろう。この宝石も、あのプレゼントも、全部苦労して働かなければ手に入れられないものだ。その苦労を全てピイにささげる、この一途さ。ピイのひげを塗るときの、あの真剣な目。あの目はピイしか見ていなかった。ユウリは、シムリのことが心から羨ましくなった。
ユウリは、決めよう、と思った。
4
ユウリはピイの指輪を作った。思いを込めて。シムリの気持ちが届きますように、と願って。できあがった指輪は、ピンク色の花の形のケースに入れた。
そして、もう一つ。四角いケース。彼女に渡さなければならないもの。ユウリはそれを握り締める。彼女に、絶対に渡さなければならない。
今日はイリアの店は休みだった。マリイも当然来ない。ユウリは、行こう、と思って立ち上がった。そのときだ。
ドアの鈴が鳴った。オレンジ色のワンピースを着た、マリイが入って来た。ユウリは驚いて彼女を見る。マリイはワンピースのスカート部分を両手で握って、カウンターに近寄ってきた。
「ユウリさん」
「はい」
「この間は、いきなり帰ってしまってごめんなさい」
「いいんですよ」
ぎこちなく、笑う。マリイは笑わない。
「この間の、お返事をしに来たの」
ユウリは口を閉じた。気持ちは不思議と落ち着いている。
「わたし、ユウリさんのこと、好きよ。尊敬してる。大人だし、素敵なアクセサリーを作ってくれるし。でも、男性として好きになることはできないの。ごめんなさい」
ユウリはしばらく黙って、口を開いた。
「いいんです。仕方のないことだ。ぼくらは通じ合えるところがありましたよね。ぼくの作ったアクセサリーを、あなたはとても気に入ってくれて、ぼくもあなたの明るさがとても好きで。でも、そうじゃないところがあった。ぼくはあなたを愛していたけど、自分の本当の姿を隠して、あなたの前では大人に見えるようふるまっていました」
「そうなの?」
少しだけ、マリイが笑う。
「本当は、子供っぽいんです、ぼくは」
ユウリも笑う。次に真面目な顔に戻る。
「それって、結構重大なことだなって思うんです。つまり、ぼくは嘘をついているんです。本当の姿をさらしていないんです。それは、あなたに好かれようと頑張っているという証なのかもしれない。でも、ぼくにとっては違うんです。嘘をついているのにあなたを愛そうだなんて、間違っている、そう思うんです」
マリイはユウリを見つめている。
「ぼくの思いは自分勝手だった。だから、あなたに愛されなくて当然だったんです」
愛されるのに、その欠陥のみが邪魔をしているのではないとわかっている。ユウリは手の中にあるケースを握り締めた。
「わたし、もうここに来られないわね」
ふと、マリイがつぶやく。それを聞いたユウリがひどい後悔をする。客と店主。その関係を壊したのはユウリだ。でも、マリイに愛を告げたことは後悔していない。
「じゃあ、今までありがとう、ユウリさん」
「さようなら」
「さようなら」
ドアの鈴が鳴る。これはマリイが鳴らす最後の鈴の音だと思うと寂しい気がした。しかし、ユウリは手の中のケースを握って、大丈夫だ、と思った。
「ユウリさん」
顔を上げると、シムリが立っていた。窓の外を眺めている。
「あれは、マリイかな? こんな早くからどうしたんだろう」
「シムリさん、指輪、できあがりました」
シムリの疑念を掻き消すように、ユウリは大きく声を張り上げる。途端にシムリはカウンターの上を見て、ぱっと笑顔になった。
「かわいい指輪だ。きっとピイは喜んでくれる。ありがとうございます」
「いいんです」
シムリの喜びようを見て嬉しくなったユウリは、がりがりと頭を掻いた。
「どうか、ピイさんに『お誕生日おめでとうございます』とお伝えください」
「何言ってるんですか?」
え? とユウリは不思議そうな顔をしたシムリを見た。
「あなたもいらっしゃるでしょう? ピイの誕生日パーティーに」
ユウリは面食らった。
「ぼくが?」
「いらしてください。あなたは大事な指輪を作ってくださった方です」
シムリは微笑んでいる。ユウリは少し考え込んで、
「行きましょう」
と笑った。
ピイの家の周りは、コスモスの森になっていた。赤い屋根の家にある広い庭で、ピイは桜材の大きなテーブルのお誕生日席に座らされて、小柄なかやねずみの家族とおしゃべりをしていた。職人らしいひとびとがいる。ピイの仕事関係らしきひとびともいる。あちこちの毛が抜けたまだらねずみが一人、テーブルをじっと見つめている。
「あれはぼくの師匠のグイル。見ているのはぼくが作ったテーブルなんですけど、どうかなあ。真面目に作ったテーブルなんだけど、ケチつけられないかなあ」
シムリががりがりと頭を掻いて笑った。しかし、ユウリはシムリとは別のものを見ていた。
イリア。
イリアは、テーブルに料理を運んでいるところだった。ピイに微笑みかけている。こちらを見ていない。
「イリア!」
思わず、叫ぶ。イリアがぱっと振り向く。ユウリの姿を認めると、料理をテーブルに置いて、家の中に飛び込もうとする。客たちがしんと静まり返る。
「待って、イリア! 君に渡したいものがあるんだ」
イリアが立ち止まり、ゆっくりと振り返った。ユウリを、いつもとは全く違う、怯えた目で見ている。ユウリが紫色のケースを見せると、イリアが目を丸くした。
「君のために作ったんだ。見て」
中には桔梗の形をした銀のイヤリングが納まっていた。イリアが口をわずかに開く。
「気づいたんだ。君がいつもぼくのそばにいてくれたことに。優しくしてくれたことに。励ましてくれたことに。ぼくは君を愛してるんだ」
イリアが近づいてくる。たゆたうように。ユウリは審判を待った。
「わたしも、愛してる」
ちゅっ、と額が鳴った。ユウリが見上げると、背の高いイリアがユウリを見下ろして、泣いていた。
「マリイさんのことが好きなんじゃなかったの?」
初めて聞く、イリアの涙声。
「終わったんだよ。あのひとへの思いは終わったんだ。君にキスされてから、ぼくはようやく気づいたんだ。ごめんな。今まで気がつかなくて」
「いいの。わたし、あなたに愛されてると知っただけで嬉しいの。大好きよ、ユウリ」
「ぼくも」
そのとき、拍手が起こった。見ると、シムリとピイだった。にっこり笑って、手を叩いている。
「ピイったら」
イリアが泣き笑いをする。
「ピイには全部話してあるのよ」
それを聞いて、ユウリは照れたように笑った。
ユウリとイリアの二人は、シムリとピイのそばの席に座った。椅子もシムリのお手製らしく、グイルがじっと観察している。
「お誕生日おめでとうございます、ピイさん」
この間と同じ、白地に黄色いコスモスの花が描かれたワンピースにレモン色のひげの化粧をしたピイは、静かに微笑んだ。イリアがそれに続くと、派手なぶち模様のねずみもおめでとうを言う。続いてかやねずみ一家、グイル、様々なねずみたち、最後にシムリ。
シムリはにこにこと笑って、ピンク色のケースを取り出した。ピイが驚いたようにシムリを見上げる。
「ぼくからのプレゼント」
シムリはケースを開けて、指輪を取り出した。それにうっとりと見とれているピイの左手の指の一つにはめる。指輪は細いリングにれんげの模様が彫り込まれ、小さなピンクサファイアがはめ込んであった。とても美しい。
「ピイ、ぼくと結婚してくれる?」
シムリがあまりにも明るく言うので、周りのひとびとも、ユウリもイリアも呆気に取られた。ピイも呆然としている。
「してくれる?」
シムリはあっけらかんとしていた。ピイの目に、涙の粒が盛り上がる。
「ええ」
ねずみたちはざわめいた。そして口々におめでとうを言う。ユウリとイリアもピイに向き直る。
「おめでとう、ピイ」
イリアが言うと、ピイははにかんだ。とても素敵な笑顔だった。
「ユウリ」
イリアが呼ぶ。謎めいた、いつもの笑顔が戻っている。
「あなたはわたしのために指輪を作る気、ある?」
ユウリは微笑んで、
「もちろん」
と答えた。
《了》