⑥
長い間ほったらかしにしていてすみませんでした( ;´Д`)
またぼちぼちと更新していきたいと思っています!
たくさん用意されていた料理は明らかに一食では食べられない量だったので、料理長に言って夕食の量を減らしてもらった。そして今、湯船につかりながらリーフェルは自分が姫であることを思い知った。
「広い、温泉みたいだわ……」
つぶやく声さえ響く風呂は、こぢんまりとしたリーフェルの家の風呂のゆうに五倍はあった。
脱衣所ではカルレーテが控えている。彼女は、この風呂は姫様専用だと言った。ゆっくりと時間を使っているが、確かに人が入ってくる気配はない。
リーフェルは湯気の立ち上る合間から、高いところに設置された窓を仰ぐ。脱衣所でカルレーテに時刻を聞いたところ、すでに満天の星空が覗くはずの時間だった。
しかし、仰ぐ空は未だ明るい。昼間と比べたら陽の強さは弱っているものの、夜の帳が下りる気配はなかった。
夕食を終え、自室に戻る廊下でそのことに気づき傍らを歩く侍女に尋ねたところ、返った答えを思い起こす。
『この世界の陽は沈みません。永遠に白夜の世界なのです』
現界には『夜』というものが存在するのでしたか、と感慨深げにつぶやいた彼女に首肯を返しながら、リーフェルもまた、異世界という言葉を噛み締めていた。
世界が違うというのは、今まで当たり前だった現象も異なるのか、と。
長い風呂を終えて夜着を着る。脱衣所のドアを開けると、そこは自室である。己の部屋と風呂が隣り合わせというのも姫だと実感することの一つである。
「リル様、髪を乾かします。こちらにどうぞ」
「あ、いえ。自分で……」
断ろうとした声が、カルレーテの顔を見た瞬間途絶える。カルレーテは目を潤ませて訴えてきた。そんな顔をされては、おとなしく席に着くしかない。
リーフェルの髪を優しく拭きながら、カルレーテがぼやく。
「これからは人にしてもらうってことに慣れてくださいね。あなたは姫様なのですから」
「…『姫』は自分のことも自分でしてはいけないの?それっておかしいと思う」
リーフェルは素直に意見を言っただけなのに、カルレーテは床に頭を付けて謝った。
「すっすみません!出過ぎた真似をっ。ど、どうか、お赦しくださいっ」
その体が震えている。リーフェルもそばに膝をついて、震える肩に手を置いた。
「ごめんなさい、私が悪かったわ」
優しい声を掛けると、カルレーテは顔を上げた。
「ごめんなさいね……」
もう一度謝ってみるが、働いた経験のないリーフェルには主の意に反する発言をするという失態が、どのくらい恐怖を与えるのか理解できていなかった。
(あーあ、さっそく失敗しちゃった。そうよね、私は姫様なんだもの、気をつけなくちゃ)
気合いを入れ直すが何か腑に落ちない。
(だって、それって意見を一つも言えないってことじゃないの。やっぱり、いやだな)
リーフェルは未だ立ち上がらないカルレーテの肩に置いた手に力を込めた。
「ねえカルレーテ、友達になりましょうよ」
突然の思いつきに、カルレーテは困惑する。
「え、え、え、友達?えっと……」
「うん、そう。…私、姫だなんて今日初めて言われても、威厳なんか持てないし、主従関係って嫌いなの。きっと、今みたいな発言はこれからもたくさんすると思う。なんせ経験がないもの。」
リーフェルは力なく笑う。その顔は、カルレーテの瞳に少しだけ幼く映った。
「だから、友達になってほしいの。友達なら、さっきみたいな発言も気にならないでしょう?それに…私は一人なんです。ここには今日来たばったりで、家族も、友人も、知り合いも誰もいない。私は強くないから一人では頑張れません。昼に入れた気合いも保たないくらい、私って本当に弱いのよ。…だからっどうか……」
思いつきがあまりに感情と同調して、それはやがて願いとなった。
幼い姫の心の痛みを包み込むように、カルレーテはリーフェルの手に触れた。水仕事をしていたのか、自分と同じ皹だらけの手を慈しむように優しく撫でる。
「私は姫様に仕える、身分の低い身です。それでも、あなたの望みが変わらないのでしたら、私に否やはありませんわ。あなたの心の支えになれるのでしたら、それ以上の喜びはありませんもの……」
カルレーテはそれまで撫で続けていた手を止めた。小刻みに震えている小さな手を、そっと包む。
そろそろとおびえた瞳で、リーフェルは優しい色をたたえたカルレーテの瞳を見上げた。彼女の瞳は、まるで母のように慈愛に溢れていた。
その瞳をより細めて、カルレーテは口を開いた。
「あなたが友の約束をくださったお返しに、私もお約束いたします。
たとえ、あなたの心に深い傷があったとしても、辛いことがあったとしても、『姫』は気丈に振る舞わなければなりません。しかし、この部屋には私がおります。愚痴も、弱音も、怒りも、すべてお話しください。どんなことでも、私が聞いて差し上げますから。」
美しい笑顔が目の前に広がる。
それを見た瞬間、熱いものが込み上げてきて、それは堪えきれずに溢れ出た。
胸があたたかい。
最近は辛いことばかりだったから、涙が温かいと言うことを忘れていた。
「…ど…して……」
(どうしてそんなに優しいの?
どうしてそんなに心を砕いてくれるの?
今日初めて会ったばかりなのにっ)
それらの感情は涙に呑まれ、声にならなかった。当然だが、それに対する答えは返らない。
時として、大人のような表情をするリーフェルは、ともすれば外見よりも幼く映る。
嗚咽を堪えようとして、しかし叶わずにしゃくり上げる肩を、カルレーテは抱きしめた。
彼女の腕の中で泣きじゃくる少女が泣き疲れるまで、カルテ―テは幼子にするようにその背をずっと叩いていた。
リーフェルは唇をかんで、 何度も何度も深呼吸を繰り返す。次々と込み上げては止まらない激情をどうにか押し込めて、優しさに満ちている胸から体を離す。
「ごめ、なさい。も、大丈夫よ」
頬を伝い落ちた涙を拭い、気丈に笑ってみせる。
カルレーテは全部受け止めると言ってくれたが、彼女の過去が、心を凍えさせる恐れが、そろそろ泣き止めと繰り返しにささやくのだ。自分はまだ好調ではないと自覚する余裕もなく、心の声に従った。
カルレーテはまだ何かを言いたそうにしていたが、しかし結局は何も言わずに気遣わしい目を向けるだけだった。リーフェルはそれを感じて居心地が悪くなり、必要以上に焦る。
「ほ、ほら、もう寝ないと!明日も早いしっ。ね、ね、そうしよ」
言いながら既に寝具にくるまり、毛布を口元まで引き上げる。