④
「ん…?」
目が覚めて、最初に目に入った物は白い天井だった。顔を横に倒すと自分が寝ているベッドを囲む、赤い天幕が視界に入った。その先に女性がいる。
「カル、レーテ…?」
リーフェルが声をかけるとカルレーテは振り返り、駆け足で近寄る。リーフェルは体を起こし、寝台から足を垂らした。
「お目覚めになられたのですね。気分はいかがですか?」
「ん?うん、大丈夫」
「それはようございました。ところでリル様。ご自分が何故倒れられたのか、覚えていらっしゃいますか?」
リーフェルは視線を上に向け、覚えていることを一つ一つ確認するように、たどたどしくも言葉を並べる。
「え、と。ティオロさんと話しをして、王様に会いに行こうって立ち上がって、それで…。そだ。足が痛くなったんだ」
「足?」
カルレーテが怪訝そうに顔をしかめる。
「……見せてください」
声の裏に焦りの色が見える。リーフェルは素直に左足を見せた。しゃがんで傷を見るカルレーテの手が青白い光を発し、それを赤く痣になっているところに当て、彼女は説明を始めた。
「私達はリル様が天界に来られる際、又は暮らしておられる最中に、何らかの異変が起こることを予測していました。『ちから』のない空気に慣れている『人間』が『ちから』の集まる世界に来るというのはそういうことです。私達はもっと重く考えていたのですが、軽かったですね。でもリル様、お気をつけください。もし、何か異変があれば、小さなことでもすぐに私に教えてください。軽傷に見えてもお命に係わる危険があることをご理解ください」
言葉の終わりと共に手が外される。痛みは完全に無くなっていた。
「他は大丈夫ですか?」
優しい労りの声にリーフェルは嬉しくなって微笑み、頷く。
「うん。あの、『ちから』って何?」
「それは『不思議な現象』を起こす力やその源のことです」
「…『不思議な現象』を魔法とすると、魔力みたいな?」
「はい。魔法という呼び名を私達は使いませんので、『現象』と『ちから』と呼んでいるだけです」
「そう…。あ、カルレーテ、王様の部屋までの道を教えてください」
リーフェルは不意に、倒れる前の会話を思い出した。
「はい。それでしたら、ティオロ様からリル様の体調が整い次第、呼ぶように言われていますので。…もう行かれますか?」
「うん。もう大丈夫だから」
リーフェルは口を笑みの形にして答え、カルレーテも頷く。
「わかりました。でしたら、リル様はここでお待ちください」
軽く礼をし部屋から出て行く。それから数分と経たない内にドアがノックされ、ティオロが入ってきた。
「リル様、もう大丈夫ですか?」
半ば叫びのような声でティオロは確認し、リーフェルは落ち着いて微笑みと共に答えてやる。ティオロがリーフェルに手を差し出す。
「お手をどうぞ、リル様」
古めかしい言葉に噴出しそうになるのを堪え、彼の手を取る。そのまま、リーフェルは引かれるままに歩を進めた。
そして、一つの扉の前で二人は足を止めた。
そこが一段と大きく、複雑な彫刻がしてあるなど立派だったため、リーフェルはここが王の部屋の入り口なのだと一目で悟った。
「ユシャセ」
その出入り口でしかない扉に、ティオロは声をかける。すると、端のほうから返ってくる声があった。声の主は背中を預けていた壁から離す。
「やっと来たか。待ちくたびれたぞ」
暗がりから出てきた顔は、苛立ちによって眉は寄せられているものの、髪と瞳の色ぐらいしか違わないのでは…と疑うほど、ティオロによく似た青年だった。彼の青に近い緑の瞳が、好奇を宿してリーフェルに向けられる。
「お?誰だこのお嬢ちゃん。だめだろこんなとこまで連れてきちゃ」
あーあ、これだから…と首を振るユシャセにリーフェルは視線を向ける。
「あなた方、双子さんですか?」
二人は互いに目を見合わせ、ユシャセが噴き出した。
「あっはっはっは…はははは――」
「違いますよ。両親が双子のためよく間違えられますが、ぼく達は双子ではありません」
ティオロの声も笑みを含んでいる。
「でも、お二人とも武術習っておられるでしょう?」
二人は唐突に笑いを収めた。再び、目を見合わせる。
リーフェルは彼らの動きに隙がないことに気づいていた。もとい、それに気づける者はほとんどいない。特にティオロは文役だという役職のため気づかれることはごく稀だ。 ユシャセの好奇の色が濃くなる。
「おや。ずいぶん鋭いとこにお気づきで。そう、俺は尚武に属している。こいつも小さい頃から一緒に習っていた。君はなぜこんなところに?」
「お、おまっ。姫様に『君』はないだろ?」
ティオロが慌てて注意をし、ユシャセは目を見開く。当の本人は全く気にしていない。
「え、姫様?」
リーフェルは優美な笑みを口元に浮かべる。
「はじめまして、ユシャセさん。私はリルです。一応、姫として連れてこられました。お見知りおきを」
「姫が何でさっきの見破れるんだ?」
ユシャセは心底びっくりしていた。
(ティオロさんに比べて感情がよく顔に出るのね)
そう思いながらリーフェルはふふっと笑う。
「家が家でしたので。それに、私のことはリルと呼んでください」
「はぁ…。家が家ってどんなっ……つうー」
ティオロの突きが鳩尾に入り、ユシャセは体を折る。ティオロは彼を気にもかけず、事務のように会話を続ける。
「では参りましょうか」
「ああ、そうですね」
無情にも、リーフェルは笑顔で応じた。
ユシャセは痛みがある程度治まったことで体を起こし、ティオロにくってかかる。言葉に覇気がないのは痛みのせいだろう。
「――っ。痛かったぞティオロ。くそっ何なんだよ?」
ティオロはこめかみに手を当てながら対応する。それすら面倒くさそうだ。
「なんだじゃねえよ。つか、なんだって何だよ。お前、姫様に無礼が過ぎるぞ。今後、このような態度をとるなら、お前は姫の担当から外れてもらう。敵の攻撃からお守りし、少しでも不安をなくすために就けたボディーガードが、姫様を危険にさらす――誰がいるとも知れない廊下で、情報を流そうとするなど論外だ。…分かったらこっちに来い。扉を開ける」
「ああ…そうだな」
短く答え、リーフェルに向かって歩いてきた。顔が引き締まって見えるのは、負っている役職の重みからだ。尚武の準主将を務めるそれから、声が自然と真剣みを帯びる。
「姫様。我々は常に厳重な警備をしているつもりです。でも、広い城ですから、どこに敵が潜んでいるのか、目や耳があるのか気づかないこともあります。お気をつけて…と言うのは簡単ですが、我々の仕事は姫の護衛です。ご自分の御身を大切に思うのならば、一人の外出はお控えください」
「……はい」
僅かな沈黙の後、リーフェルは答えを口にする。それを聞いてからユシャセはティオロの方に足を向け、扉の片側に付いた。二人は両開きの扉を手前に引き、一切の抵抗も音もせずに扉は開く。