一章 少女の重い枷①
本編スタートです。
目尻からの涙が、頬に一筋の跡をつくっていた。
どうして泣いているのだろうと思いながら、目をこすり、体を起こす。陽光が目に痛い 。白い壁が陽光を反射させて、室内を明るくしていた。
(……陽光が目に痛い?)
その感覚に違和感を覚えたリーフェルは、窓を振り仰いだ。日がすでに高く昇っている。リーフェルは慌て、寝台に立ち上がる。寝台がぎしりと音を立て、足がいつもより沈む。そのことに、また違和感を感じながらも、そのまま数歩足を進める。途端に。
「きゃあ!?」
あるはずのない段差に気づかず、寝台の上から転げ落ちた。突然のことを理解できずに、目の前にある寝台に視線をやる。
「え……」
余計理解不能になった。忙しいほど瞬きを繰り返し、室内を見渡す。全体を見回し終えたあと、もう一度寝台に視線を向け、情けなくも半開きになった口を、相変わらず理解できていないという顔を、締めることができなくなった。
(昨日、私が入った布団は?ここは誰の部屋?何でこんなところに寝てるの?
ここは、どこ――?)
そのとき、扉が勢いよく開き、慌てた様子の見知らぬ女性が入ってきた。
「姫様、どうされました!ご無事ですか!?」
入ってきたのは、二十歳より若いと分かる女性だった。寝台から転げ落ちたリーフェルの声で飛んできたらしい。
「姫様?」
疑うような視線と声音に、呆けていたリーフェルは我に返り、立ち上がった。
「え、あ、はい」
「大丈夫ですか?何か声が聞こえたのですが、どうされたのですか?」
「あっと…。ベッドから落ちてしまって……」
「まあ、ベッドから?お怪我はありませんでしたか?」
女性はリーフェルに近寄り、それを避けるようにリーフェルは後退る。
「だ、大丈夫です。あの、お気になさらないでください。それより、お聞きしたいことがあるのですけれど……」
ようやく女性は動きを止め、にっこりと微笑んだ。
「何でございましょう?」
「つかぬ事をお聞きしますが、ここはどこですか?」
リーフェルは部屋を見回した。けれど、何度確かめても結論は同じ。知らない部屋だった。
(ここは、一体どこなのだろう?)
「天界ですよ」
「え?」
まるで、リーフェルの考えを呼んだかというタイミングで答えは返ってきたが、しかし、意味が分からなかったため、リーフェルはそう反応するしかなかった。一向に理解を示さない少女に、女性はなおも愛想よく返答する。
「天界です。正確には天宮と呼ばれるところなのですが。数日前に手紙が届きませんでした?」
リーフェルは少し考える仕草をしたあと、思い出したように声を上げた。しかし、その声もすぐにしぼんでしまう。やがて相手を伺うようにおそるおそる言葉を紡ぐ。
「手紙って、もしかしてあれのこと、ですか?」
彼女の頭に浮かぶそれは一つ。
『葉が綺麗に染まった頃、お迎えにあがります。
リーフェル様』
文面は一文。宛先も名前だけで差出人の名はなかった。印象に残りはしたものの、解読不可能だったのを覚えている。
「……でも、天界って何ですか?何で私、…あ……」
唐突に昔の記憶が蘇り、言葉が途切れる。遠い記憶と先ほどの女性の言葉が重なる。
「天界ってまさか…。まさか、ここは私が住んでいた世界とは違うの?」
「あら。姫様は『他界説』をご存じなのですか?ティオロ様より、現界では『他界説』は失われているとお聞きしたのですけれど」
お互いを真っ正面に見る位置のまま、二人は動かない。素直な女性の言葉に、リーフェルはうっすらと笑みを浮かべた。
「はい。一般の人たちは己の世界のみを信じていますが、私は少々違うのです。ところでティオロ様ってどなたです?」
女性の顔に再び笑みが戻る。
「ティオロ様は姫様の側近となる方です」
「そう、なんですか。ええと、…あなたは?」
「私は……」
言いかけて、女性は自分のことを何も言っていないことに気がついた。内心慌てながらも、優雅に素早くドレスを手に膝を折り、頭を垂れた。
「申し遅れました。私は、姫様専属の侍女兼医院の副長をしております、カルレーテと申します。どうぞ、よろしくお願い致します」
頭を下げられ、いよいよリーフェルは困惑する。
「そんな、顔を上げてください、カルレーテさん。私はリル、本名はリーフェルです。たくさん質問してごめんなさいね」
情けないように苦笑しつつ、肩を竦めた。
「もう一ついいですか?何故姫って呼ぶの?私のこと、ですよね?」
「もちろんそうです。あなたは王のご息女ですもの」
扉の向こうから数人の足音と声が聞こえる。耳を澄まさなくても聞こえるそれらは、活気に満ちていた。そして、全てが聞こえなくなり、再び朝の静寂が訪れるまで、リーフェルは沈黙した。
「え……」
最初に出たのは戸惑いだった。あれだけ沈黙したのに、何を言われたのかわからず、実感がなかった。けれど一拍後、事の重大さに思わず聞き返す。
「それ本当ですか?」
「はい。私たちには陛下直々にそうお達しがありました」
「え、うそっ」
予想すらしていなかった、あまりに大きすぎる現実にリーフェルは狼狽える。
「姫様が信じられるかどうかはご勝手ですが、私は信じていますし……」
何故か微妙に早口である。きっと次の言葉が言いたくて仕方ないのだろうと、身構えるリーフェルだが――
カルレーテはにっこりと微笑み、それに、と続けた。
「朝食の準備が出来ていますよ」
「……」
前後の会話に共通点が見つからず、思わず間抜けな反応をしそうになった口を慌てて閉じる。しかし、心の中ではしっかりと聞き返していた。
(あの、カルレーテさん?どこをどうしたらさっきの話が、食事の話になるのよ?)
そんなことをつらつらと考えて、リーフェルは脱力した。
そんなリーフェルを余所に、カルレーテは部屋の隅に申し訳程度に置かれているクローゼットを開けた。数着のドレスからいくつかを選び抜き、小さな机に置く。部屋の鍵とカーテンを閉めてから、カルレーテはリーフェルを呼んだ。
「さ、姫様、服を脱いでください」
視線をやると、カルレーテは小さな机のそばに立っていた。そこへ小股で近づいていく。夜着の肩紐に手をかけ、素直に脱ごうとしたリーフェルは、ふと、見られていることに気づいた。
「あの、着替える間は出てもらえますか?」
おそるおそるといった体で言ったリーフェルに、カルレーテは思案顔を作る。
「そうですね、姫様もお年頃ですから羞恥もおありでしょう。しかし、私は陛下よりお世話を仰せつかっておりますので、どうかお任せください」
カルレーテの手が伸びる。リ―フェルは反射的に身を丸くした。
「着替えくらい一人で…ちょっ、やっ、やめっ…きゃあっ」
リーフェルの声も虚しく、カルレーテは無理矢理に衣服を剥ぎ、着せていった。
分かりにくいところが多々あると思いますが、質問していただければと思います…(; ̄O ̄)