15
意識はとうに覚醒していた。しかし、どうにも起きる気にはなれない。
何十分も天幕を見上げていたが、鋭く痛む心に耐えかねて吐き気がし始め、リーフェルは横向きになって咳をする。そこにカルレーテが入って来て、激しく咳き込むリーフェルの背を何度も摩り続けた。
どれくらい経ったのか分からなくなった頃、やがてリーフェルの咳が落ち着き、彼女は大きく息を吸った。
「…は…、疲れた……。ばかね、私。まだ朝なのに、疲れた、なんて……」
リーフェルは力の入らない身体を叱咤し、無理矢理体を起こす。それを手伝いながら、ばかねと嘲笑った声音が思いの外昏くて、カルレーテは背筋が薄ら寒くなったのを自覚した。
「今日は公休日なので、体調が優れないのでしたら、お休みされたらいかがですか?ティオロ様には私が……」
リーフェルは支えるカルレーテの手を振り払った。
「いいえ、そういうわけにはいかないわ。陛下の代わりを務めるには私はまだまだ力不足だもの。吐き気程度では休めれないわ」
ベッドを降りるリーフェルの動きはひどくゆっくりだ。まだ気分が悪いのかと勘繰って、ふと引っかかるものがあった。
リーフェルの元気が日に日に無くなり始め、あまり話をしなくなったのはおよそ半月前だった。確か、王が病床についたすぐ後だった。
はっとカルレーテはリーフェルを見つめる。視線を感じたのか、リーフェルは振り返ると力なく微笑んだ。
「心配してくれてありがとう、カルレーテ。でも、あまり気にしないで。私は体調が悪いのは慣れているからこれくらい平気よ。返ってあなたの方が保たなくなるわ」
泣きそうな笑顔を残して、リーフェルは廊下に出て行った。
リーフェルは朝食をほとんど口にせず、今にも倒れそうな身体を壁に凭れかからせながら執務室に向かった。人の少ない政塔は静けさで満ちていてとても落ち着く。冷たい空気を肺に送り込んで、リーフェルは目を閉じた。壁から身体を離したところで、角を曲がったユシャセが彼女に声をかける。
「リル様、おはようございます」
「おはよう、ユシャセ」
「リル様も休日出勤ですか?ティオロの奴、姫様をこき使いやがってっ!__」
隣を歩きながらクスクスと笑うリーフェルの顔色の悪さに、ユシャセは言葉を失った。急に黙り込んだ彼を不思議がって、リーフェルは首を傾げる。
「ユシャセ?」
ユシャセは手を伸ばし、リーフェルの頬に触れた。
「リル様、体調が__」
「大丈夫よ」
皆まで言わせず、リーフェルは言い切って顔を背けた。しかし、その反動で眩暈がしてユシャセの腕に縋る。彼の顔色が一瞬で青くなった。
「リル様っ!」
「…だいじょうぶよ、大丈夫。これくらい平気だわ。だから、ユシャセ」
咎めるようなリーフェルの声でもユシャセは彼女を離そうとはしなかった。
「離して、ユシャセ。……離しなさい」
「リル様!」
強くなるリーフェルの声音に反抗するように、ユシャセは声を荒げた。しかし、リーフェルはそれすら意に介さないまま、彼から身体を離そうとする。
「大丈夫よ。こんなの死ぬほどではないわ。だから安心して」
ユシャセは首を横に振って否定する。せめてカルレーテに診断してもらおうと抱き上げようとする寸前、執務室からティオロが顔を出した。
「何をされているのですか、リル様?そんなところに突っ立っていないで部屋にお入りください」
「ええ、今」
リーフェルは力の抜けたユシャセの腕を抜けて歩みを進める。
「おはよう、ティオロ。早くからご苦労さま」
「おはようございます、リル様。労いのお言葉、光栄でございます。ユシャセが失礼を働きませんでしたか?」
リーフェルの傍を離れないユシャセを睨み、ティオロは主に尋ねる。しかし、彼女は微笑で彼を擁護した。
「いいえ。彼は私を心配してくれただけよ。見逃してあげて」
「姫様のお言い付けのままに」
ティオロは机の前で腰を折って礼をした。ユシャセはリーフェルの手を取って椅子に座らせる。腰を落ち着けた少女は気分が少しだけ良くなり、ほっと息を吐いた。
「本日は書類の整理をしていただきます。予め私が目を通し、ある程度まで分別はしてありますが、今一度リル様がご確認ください」
「お疲れになったらおっしゃってください。机仕事だけでは肩が固まってしまいますので」
臣下二人の言葉にリーフェルは頷き、簡単に礼を述べる。
「分かりました。他にも書類は山ほどあるのでしょう?どんどん持ってきてくださいね」
リーフェルは机上のペンを手に取り、書類に目を通していく。ティオロはそれを見届けた後、水差しに水を足しに部屋を出た。ユシャセはしばらくリーフェルを見守っていたが、やがて処理済みの書類が溜まると、それらを手に執務室を後にした。