⑨
ユシャセも少年だったころ、時間の経過だけでは癒えない心の傷を負ったことがあった。一時期は食事もしなくなり、死んでしまうのではないかと本気で心配したものだ。
あのときの無力さは忘れることさえできない。あまりにも近似している状況に、ティオロは思わずぼやいた。
「くそっ、陛下が仰ってたのはこういうことか……」
囁くようにわずかに漏らした一言を、ユシャセは聞き逃さなかった。飛び跳ねるように起き上がり、ティオロに体を向ける。
「そうだよ!お前さ、陛下が仰ったことを教えろよ!!」
「あれ?まだ言ってなかったっけ?」
「聞いてねぇよ。ってか、俺は今日そのためにこの部屋に来たんだよっ!自分でいつでもいいからとか言っといて、忘れんなよ」
ついさっきまで、ティオロと顔が合わせれないほどに昔の自分と重ねて辛くなっていたユシャセだったが、あっという間にたった一言で怒り出す。その切り換えの早さにティオロは苦笑した。
(お前はそういうやつだよ……)
単純さがユシャセの長所であり、それを羨ましいとも思う。
「陛下から下った命令は、姫の傷を癒すこと。そのために俺らを側近にしたのだと仰ったが、それだけだ。原因とか詳しいことは何も教えていただけてないんだ」
ユシャセは舌打ちとともに悪態をつき、もどかしそうに頭を掻いた。
「やはり姫に教えていただくしか道はねぇのか…陛下もいい度胸されてんじゃねぇか」
「はあ?お前陛下に向かって何言ってんだよっ」
「褒めたんだよ。ただお一人のご子息のお命を賭けてまで、俺たちを試されてるんだぜ?こりゃ期待に応えるしかねぇだろ?」
そう言って、獣じみた笑みを浮かべた。ユシャセは立ちふさがる壁が高ければ高いほど燃える性質だ。その強さをやっと身に付けた。ティオロは幼馴染の成長に様々な感情が篭った微笑を浮かべた。
「それで、今出来ることは?」
「関係を築くことだ。姫に話してもらえるだけの信頼を得るんだ。いいかティオロ、絶対に焦るなよ。時間がないとはいえ、それを踏み倒して姫の守りを土足で荒らしまわるのは、ただ彼女を危うくするだけだよ」
ティオロは降参というように両手を挙げた。
「分かったよ。リル様のことはお前に任せる。俺は大人しくお傍で控えるだけにしとくよ」
「ああ、そうしてくれ。時々報告に来るさ。…とりあえず今日はお開きだな。何も分からないのだから手も足も出ねぇし」
ユシャセは軽く伸びをして、ベッドから下りた。
「じゃな、姫のところに戻るよ」
言い残して、膝を曲げたユシャセを、ティオロが呼び止める。
「おい、待て。まさかとは思うが、姫様は今お一人か?」
「いいや。将軍に頼んできた。だけど、将軍は姫が泣くことを知らないから、そろそろ戻んねぇと」
天井を見上げるユシャセはどことなく頼りない、捨てられた犬のような表情をした。ティオロは彼を軽く小突いた。
「ったく、そんなんでどうすんだよ。先はまだ長いんだ、深く考えすぎて答えのない堂々巡りをされては困るんだ。公私は分けろ。な?」
偉そうな態度とは裏腹に、心配しているのだと分かるユシャセは、悪戯好きの子供みたいな笑みを浮かべて小突き返した。
「わーーってるよ。じゃな」
言い終わるや否や、ユシャセの姿は一瞬でティオロの部屋から消えた。
名残りの風がティオロの短髪を天井へと舞い上げた。