第6話「鎌倉ノ本体ノ武士」前半
週明けの月曜日。 放課後の教室で、私は帰りの支度もせず、窓際で黄昏ていた。
原因は、金曜日の夜に遡る。
(回想:金曜の夜)
「……言っておくけどね、しぐれ」
ソフィア様は私の首筋に牙を立てる前、気だるげに言った。
「私の好みは、もっとこう……社会の荒波に揉まれて、疲弊しきった『行き遅れのOL』の血なのよ。安酒と仕事のストレスで熟成された、あの背徳的な味がベストなの」
「はぁ……すみません、若くて……」
ピポイントすぎる好み...
「貴女みたいな、夢も希望もある女子高生の血なんて、私にとっては薄味のジュースみたいなものよ。……まあ、保護者面談の代金として、仕方なく貰ってあげるけど」
ソフィア様は「やれやれ」といった感じで、私の首に噛みついた。
「んっ……」
「……」
チュウウウゥゥゥ……。
「……んんっ!? ……ナニコレ、美味っ……!!」
「え?」
「待って、コクがある! 貧乏生活の苦労が隠し味になってる! おかわり! もう一杯!!」
「ちょ、倍額って言いましたよね!? それ以上は致死量……あーーーーっ!!」
その後、順番待ちをしていたアナスタシアさんに手首を拘束され、たっぷりと吸われた。 まさに地獄の吸血フルコースだった。
(回想終了)
「……はぁ。貧血で世界が回る……」
日給6万の代償は大きかった。 私が机に突っ伏して、意識を宇宙に飛ばしていた、その時だった。
カツ、カツ、カツ、カツ……。
廊下から、重く、リズムの一定した足音が近づいてきた。 ホームルームが終わって騒がしい教室の空気が、波が引くように静まり返る。 全員が息を呑んでドアを見つめる中、足音は私の席の真横でピタリと止まった。
「……」
ゆっくりと顔を上げると、そこには紫のインナーカラーを見下ろす学園の狼と言われる、梶原景が立っていた。 彼女は無言のまま、私の机をコン、コン、と人差し指で叩いた。
「ツラ貸せ。……」
拒否権はない。 クラスメイトたちの「あいつ終わったな」「南無……」という視線を背中に浴びながら、私はドナドナされる子牛のように連行された。
誰もいない、旧校舎への階段の踊り場。 重たい鉄扉が、ガチャリと閉められた瞬間。
「……ふぅ」
景さんは深く息を吐き、ポケットから手を出すと――。 くるりと私の方を向き、その場に片膝をついて深々と頭を下げた。
「――大変失礼いたしました、しぐれ殿」
「……はい?」
私は鞄を落としそうになった。 今、なんて言った? 殿? 時代劇?
「衆目の中でしたので、あのような粗暴な振る舞いを……。どうかご容赦ください」
「え、えっと……梶原、さん……?」
顔を上げた彼女の表情は、さっきまでの「ヤンキー」ではない。 まるで忠義に厚い武士のように、凛々しく、そしてどこか緊張していた。
「単刀直入に申し上げます。……しぐれ殿。貴女様は、大庭本家より送り込まれた密偵であらせられますね?」
「み、密偵……?」
「隠さずとも結構です。我ら梶原家は、代々大庭家に連なる鎌倉党の一族。……あの洋館の『吸血鬼』を討つために、貴女様が単身乗り込んだこと、察しております」
「ちょ、ちょっと待ってください! 全然違います!」
私は必死に手を振った。
「私、ただのバイトです! 家出してお金ないから働いてるだけで、スパイとかじゃありません!」
「……ほう」
景さんは感心したように頷いた。
「『ただのバイト』という設定で潜入されていると。……さすがは本家の血筋。徹底しておられる」
「違うってば!! 話聞いて!?」
景さんは私の否定を「謙遜」か「高度な演技」だと受け取ったらしい。 彼女は真剣な眼差しで、衝撃の事実を語り始めた。
「しぐれ殿。我らには、800年前より源頼朝公から受け継がれた『特命』がございますよね、そのためにあの館に潜入していたのでは?」
「特命……?」
「はい。鎌倉に巣食う不老不死の怪物――当時は別の名前でよばれていた吸血鬼を討つことです」
景さんの声が、重く響く。
「頼朝公は、あの吸血鬼を深く警戒しておりました。『あの者が鎌倉に居座れば、必ず災いが起こる。国の民を守るため、決して生かしてはおけぬ』と」
「えっ? でもソフィア様は、頼朝とは友達だったって……」
「それが罠でございます」
景さんは冷徹に言い放った。
「頼朝公は、正面から戦っても勝てぬと悟り、策を弄しました。……ある『宝』という餌をちらつかせて、奴を館の宴に招き入れる手筈だったのです」
宝。ソフィア様が探している、あの宝のことか。
「手筈はこうです。宴で油断させ、若き女を生贄として差し出す。奴が夢中でその女の血を吸っている隙に、我が祖・梶原景時らが一斉に斬りかかり、その首を落とす……」
血の気が引いた。 ソフィア様が「もらう約束だった」と言っていた宝は、彼女をおびき寄せて殺すための撒き餌だったのだ。
「しかし……実行の数日前、頼朝公は落馬し、帰らぬ人となりました。暗殺計画は未遂に終わり、奴は生き延びたのです」
景さんは悔しそうに拳を握りしめた。
「頼朝公の最期の遺言は、こうです。『我が死しても、必ず討ち取れ。この世のためとはいえ、友を切る愚か者として我が呼ばれようとも...良い』……と」
「そ、それを今も……?」
「はい。我ら鎌倉党の末裔は、そのために代々技を磨いてまいりました。……そして今、奴が再び鎌倉に戻ってきた」
景さんはバッと私の顔を見た。 その瞳には、燃えるような期待と崇拝が宿っていた。
「そして、今こそ好機! ……まさか大庭の本家が、ご息女であるしぐれ殿を『現代の生贄』として送り込むとは!」
「!!」
「奴の懐に入り込み、油断させ、寝首をかく……。まさに頼朝公の策の再現! その覚悟、この景、感服いたしました!!」
「いやいやいや!! 違います!!」
私は全力で叫んだ。
「私、本当にただの貧乏学生です! 父さんは母さんと駆け落ちして実家と絶縁してるんで、そんな使命とか一ミリも聞いてませんから!!」
「……は?」
景さんの表情が、初めて崩れた。 ポカンと口を開け、棒立ちになる。
「駆け落ち……? 絶縁……?」
「はい。だから私は、ただ日給6万につられて血を吸われてるだけの、一般人です!!」
重苦しい沈黙が、踊り場を支配した。 景さんは数秒間フリーズした後、信じられないといった顔で呟いた。
「……なんと。では、しぐれ殿は、我ら一族の『関係性』や、頼朝公より続く『伝承』を……何も聞かされておらぬのですか?」
「はい。初耳です」
「……」
景さんは絶句した。 そして、顔を蒼白にし、震える声で言った。
「……ということは、しぐれ殿は丸腰で、あの化け物の巣窟に飛び込んだということですか?」
「結果的にはそうなりますね」
景さんは、まるで「戦場にパジャマで迷い込んだ幼児」を見るような、悲痛な目で私を見た。
「……なんて無謀な。しかし、それでこそ大庭の血筋」
「褒めてないですよね?」
間もなく景さんは立ち上がり、窓の外を指差した。
「ですが、ご安心ください。この土日を使って万全の準備を整えました」
「準備?」
「はい。金曜の夜、全国に散らばる一族と由縁者に檄を飛ばしました。『鎌倉殿の悲願、成就の時来たれり』と」
私は嫌な予感しかしない。 恐る恐る、埃っぽい窓から校門を見下ろす。
「…………は?」
思考が停止した。 そこには、異常な光景が広がっていた。
校門の前に、馬がいた。 サラブレッドのようなスマートな馬じゃない。 胴が太く、足が短い、時代劇に出てくるようなガチの軍馬が10頭。
そして、その上に跨っているのは――。
「……武者?」
戦国時代とかで見る鎧とは違う、大鎧と言われる 平安末期から鎌倉時代に使われた、四角いパーツが特徴的な、あのゴツい鎧兜。 それを着込んだ集団が、校門前にズラリと並んでいる。 さらにその後ろには、徒歩の武者たちが、槍やら薙刀やらを持って待機している。
「……な、なにこれ? 映画の撮影?」
「いいえ、討伐隊です」
景さんが誇らしげに胸を張る。
「騎馬武者10騎、歩兵50名。……これだけの兵を集めるのに、土日を費やしました」
「いやいやいや!! 目立つ!! 目立ちすぎだから!!」
私は窓ガラスをバンバン叩いた。
「警察呼ばれるよ!? 銃刀法違反とか道路交通法とか、いろいろアウトだよ!?」
「ご安心を。……ここは古都・鎌倉です」
景さんはニヤリと笑った。
「警察には『武者行列のパレード』として、すでに道路使用許可を申請済みです。根回しは完璧でございます」
「鎌倉の警察どうなってんの!?」
確かに、この街では春に「鎌倉まつり」があり、鎧武者が歩いていても「風流だね」で済む土地柄だ。 だとしても、ガチの殺意を持った武装集団が正規の手続きで待機しているのは奇跡としか言いようがない。
「さあ、しぐれ殿。……出陣です」
景さんが私の手を取り、熱い眼差しを向けてくる。
「手筈は整っております。しぐれ殿が館へ戻るのと同時に、我らもなだれ込み、一気に制圧いたします」
「え、私も行くの?」
「当然です、しぐれ殿こそが、この戦の総大将なのですから」
「いやだぁぁぁ!! 帰りたぁぁぁい!!」
私の悲鳴は、誰にも届かない。 景さんは窓を開けると、身を乗り出して叫んだ。
「全軍、目標、北鎌倉の洋館 ……」
『『『オオオオオオオオッ!!!』』』
校門から、野太い雄叫びと法螺貝の音が響き渡る。
校門前は、異様な熱気に包まれていた。 観光客が「キャー素敵ー!」「なんのイベント?」とスマホを向ける中、私は大柄な徒歩武者二人に、米俵でも運ぶような即席の神輿に乗せられていた。
「ちょ、降ろして! 恥ずかしい!!」
「しぐれ殿! 総大将が地に足をつけてはなりませぬ!」
景さんが馬の手綱を握りながら、キリッとした顔で言う。 もう完全に「戦モード」に入っている。止められない。
「ではいくぞ」
いつの間にか、鎧に着替えた景さんの号令で、武者行列が動き出した、その時だった。
「待てえぇぇぇいっ!!」
校舎の方から、ドスの効いた叫び声が聞こえた。 全員が振り返ると、そこには信じられないものが突進してきていた。
剣道の面をつけ、胴着を着込み、手には金属バットを構えた女子高生。 親友の義乃だ。
「しぐれーっ! 大丈夫か!? 今助けるぞ!」
彼女はクラスメイトから「しぐれが梶原に絡まれて連行された」と聞き、部室から装備を引っ張り出してきたらしい。 鎧武者の集団に、バット一本で特攻をかけてくるその姿。勇気がありすぎる。
「えっ、ちょ、義乃!?」
「梶原ァ! ウチの親友に何しやがる! その薄汚ねぇ手を離しやがれ!!」
義乃がバットをブンブン振り回す。 観光客が「え、何あれ? 新手のパフォーマンス?」とざわつく。 正直、鎧武者よりも剣道防具バット女子高生の方が、よっぽど不審者だ。
「三浦?お前に関係ない、失せろ」
景さんがいつものヤンキー口調で指示を出すと、数人の武者が義乃を取り押さえにかかる。
「離せっ! しぐれ! しぐれぇぇぇ!!」
私は神輿の上から、必死に手を振った。
「よ、義乃ーっ! 大丈夫! 私大丈夫だから!!」
「はぁ!? 誘拐されてんじゃねえか!」
「違うの! これは……えっと……お祭り! そう、お祭りのリハーサルだから!!」
苦しすぎる言い訳に、義乃が面の中で目を白黒させているのが分かる。
「あとで絶対説明するから! ごめんねぇぇぇ!!」
「えっ、ちょ、待っ……」
私の声は、法螺貝の音にかき消された。 武者行列はスピードを上げ、呆然とする親友を置き去りにして進んでいく。
「しぐれぇぇぇ……」
遠ざかる校門の前で、剣道防具の少女が一人、ポツンと取り残されていた。
私はガックリと肩を落とした。 日給6万のバイトは、いつの間にか「令和の鎌倉合戦」へと発展し、親友まで巻き込む大惨事となっていた。
ソフィア様、逃げて。マジで。
(第6話 完)
今回、登場した用語や一族について少し解説を。 実はこのメンバー、歴史的にも「濃い」繋がりがあるんです。
●梶原景のご先祖:梶原景時 源頼朝の懐刀として活躍した武将。大河ドラマなどでは「義経をいじめる悪いヤツ」として描かれがちですが、実はめちゃくちゃ仕事ができるエリート官僚兼武人でした。 「頼朝の番犬」と呼ばれるほど忠誠心が高く、汚れ仕事も引き受けた結果、周りから恨まれて失脚してしまう(梶原景時の変)という、ちょっと不憫な人でもあります。 景ちゃんが「誤解されやすいけど忠義に厚い」のは、ご先祖様譲りですね。
●しぐれのご先祖(?):大庭家 「大庭景親」などが有名な、相模国(神奈川県)の大豪族。 実は、梶原景時とは従兄弟同士です。 歴史上では、石橋山の戦いで頼朝を追い詰めた敵側でしたが、この土地(鎌倉周辺)における影響力は絶大でした。だから景ちゃんは、大庭の血を引くしぐれに頭が上がらないんですね。
●義乃のご先祖:三浦家 三浦半島を本拠地とした豪族、三浦一族。 歴史上、梶原景時を弾劾して失脚させた中心人物の一人が、三浦義村たちです。 つまり、「三浦 vs 梶原」は800年前からの因縁のライバル関係! 義乃が金属バットを持って景に突っ込んでいったのは、DNAに刻まれた闘争本能かもしれません。
●大鎧と軍馬 今回登場した「大鎧」は、騎射(馬に乗って弓を撃つ戦い方)を主体としていた平安〜鎌倉時代の鎧です。戦国時代の当世具足と違って、四角くて箱っぽい形が特徴。 また、当時の軍馬はサラブレッドではなく、今のポニーや木曽馬に近い、ずんぐりむっくりした体型でした。 景ちゃんが集めたのが「足が短くて胴が太い馬」だったのは、そこを忠実に再現したガチ勢だからです。
鎌倉党
源頼朝が鎌倉幕府を開くずっと前から、この土地(相模国)を支配していた武士団の総称です。
ご先祖様は、歌舞伎の『暫』のモデルにもなった伝説の武士、鎌倉権五郎景正。
この景正の子孫たちが枝分かれして、「大庭氏」「梶原氏」「長尾氏」などの家が生まれました。
つまり、大庭と梶原(景)は、元を辿れば同じ「鎌倉党」の親戚同士!
しかも、当時の勢力図では「大庭」がリーダー格(本家筋)だったため、景ちゃんがしぐれを「お嬢(本家の姫)」と呼んで崇めるのは、血統的に超正統な上下関係なのです。




