第5話「吸血鬼、初の保護者面談」
「……終わった」
昼休み。 私は教室の机に突っ伏して、真っ白な灰になっていた。 手元にあるのは、一枚のプリント。 タイトルは『進路希望調査票(保護者署名欄付き)』。 提出期限は……今日。
「忘れてた……。父さん海外だし、郵送じゃ間に合わないし……」
担任の先生(通称・鬼軍曹)は言った。『今日忘れたら、今週末の三者面談、一番手にねじ込むぞ』と。 それは困る。非常に困る。 父さんがいない今、三者面談に来るのは……誰? 誰もいない。 まさか「バイト先の雇い主(吸血鬼)」を呼ぶわけにもいかないし。
「……いや、待てよ?」
私はふと、ある妙案を思いついた。 あの洋館には、人間離れした美貌と、完璧な常識(?)を持つメイドさんがいるじゃないか。 彼女なら、「姉です」と言い張ればいけるかもしれない。
放課後、洋館のサロン。
「……というわけで、アナスタシアさん。今週の金曜日、学校に来てくれませんか?」
私がプリントを差し出しながら懇願すると、アナスタシアさんは紅茶を注ぐ手を止め、静かに頷いた。
「お安い御用です。しぐれの頼みとあらば、姉でも母でも演じてみせましょう」
「あ、ありがとうございます! 助かります!」
「服装はどうしましょうか。目立たないよう、地味なスーツを用意しますが」
「はい、ぜひそれでお願いします!」
よかった。これで三者面談の危機は去った――そう思った瞬間だった。
「待ちなさい」
ソファでくつろいでいたソフィア様が、漫画雑誌を読みながら口を挟んだ。
「ナースチャを行かせるのは反対ね。却下よ」
「えっ? なんでですか?」
ソフィア様は雑誌をパタンと閉じ、呆れたようにため息をついた。
「しぐれ、貴女は分かっていないわ。女子校に吸血鬼を放り込むという意味を」
「意味……?」
「そこは、穢れを知らない若き乙女たちが数百人も集う場所よ? むせ返るような甘い血の匂いが充満しているの」
ソフィア様はチラリとアナスタシアを見た。
「そんな『羊の群れ』に、何日も血を我慢している『飢えた狼』を放ってみなさい。……いくらナーシャでも、理性が持つ保証はないわよ?」
「……っ」
アナスタシアさんが、バツが悪そうに目を伏せた。
「……申し訳ありません、お嬢様。たしかに……今のコンディションで女子校に行くのは、少々刺激が強すぎるかもしれません」
「えええ……(そんなに危険地帯だったの、うちの学校)」
私は戦慄した。あぶない。校内バイオハザードを起こすところだった。
「じゃあ、どうすれば……」
私が頭を抱えていると、ソフィア様が不敵に笑い、ソファから立ち上がった。
「仕方ないわね。……私が代わりに行ってあげるわ」
「えっ、でもソフィア様、子供じゃ……」
「失礼ね。2000年も生きてれば、肉体の年齢操作くらいお茶の子さいさいよ」
ソフィア様の体が、ボンッ! と白い煙に包まれた。
「――これなら、文句ないでしょう?」
煙が晴れると、そこには大人の女性が立っていた。 身長は170センチくらい。プラチナブロンドの髪を優雅に巻き、ボディラインが露わになるタイトなスーツを着こなす、絶世の美女。 誰が見ても「20代後半のキャリアウーマン」だ。
「す、すごい……! 完全に大人だ……!」
「ふふん。伊達に長く生きてないわよ。……さあ、行くわよ、しぐれ。久しぶりの『学校』、楽しませてもらうわ」
大人ソフィア(中身は2000歳児)は、優雅に髪をかき上げた。 ……一抹の不安はあるけれど、背に腹は代えられない。 私はこの最強の(そして最恐の)保護者を連れて、学校へ向かうことになった。
金曜日、放課後の学校。
「……あの人、誰?」 「モデルかな? すっげぇ美人……」
廊下を歩くだけで、すれ違う生徒たちが振り返る。 ソフィア様のオーラは圧倒的だった。 その堂々たる歩き方は、まさに女王の行進だ。
職員室に入ると、担任の鬼軍曹(50代男性・独身)が、カチコチに固まって出迎えた。
「あー……つまり、貴女がしぐれさんのお姉さんで?」
「ええ。実は……父が出張先の現地妻に産ませたのが私でして……。腹違いの姉になります」
大人ソフィアが、妖艶な笑みを浮かべて身を乗り出す。 なんて設定だ。 金髪碧眼の容姿に、「現地妻」というワードが妙な説得力を与えている。
(お父さん、ごめんなさい……。お父さんは今、学校中で『海外で現地妻を作ったクズ野郎』認定されました……)
私は心の中で、遠い空の下にいる父に土下座した。
「そ、そうでしたか……(業が深すぎるだろう...)」
担任は気まずそうに咳払いをし、話題を変えた。
「あの、差し支えなければ、お姉さんのご職業は……?」
「漫画家をしております」
「えっ」
私が思わず声を上げてしまった。漫画家? 確かに同人作家だから間違いではないけど。
「ほほう、漫画家先生ですか! それは素晴らしい」
「ええ。日本のサブカルチャーには感銘を受けておりますので」
「なるほど、それでこの品格……。失礼ですが、どちらの大学を出られたので?」
担任が興味津々で聞くと、ソフィア様は少し遠い目をして、懐かしそうに微笑んだ。
「イギリスのUniversitas Oxoniensisですわ。……設立されたばかりの、古い時代でしたけれど」
「ウニ……? はぁ、海外の大学ですか。響きからして凄そうですねぇ……」
担任は全くピンと来ていない様子で、適当に相槌を打っている。 私は気になって、机の下でこっそりスマホを取り出し、検索してみた。
『ウニベルシタスなんちゃら大学』……検索。
『検索結果:オックスフォード大学(ラテン語名)』
(お、オックスフォード!? 世界トップレベルの!?)
さらに、その下の記述を見て、私は戦慄した。 『設立:11世紀末〜12世紀頃』
(……設立されたばかりって、やば...)
この人、ガチで言ってる。歴史の重みが違いすぎる。 担任は気づいていないが、目の前にいるのは歴史の生き証人だ。
「ふふ。この子は少し不器用ですから。でも、私が責任を持って『教育』しておりますので、ご安心を」
ソフィア様が私の肩に手を置く。その指先が、少しだけ爪を立てている気がして痛い。 「教育」の意味が、私と先生とでは絶対に違う。
「は、はい! お姉さんに任せておけば安心ですね! ハハハ!」
ちょロい。鬼軍曹が骨抜きにされている。 ソフィア様の「人心掌握術」は、吸血鬼としての能力なのか、それとも2000年の経験値なのか。
無事に(?)面談を終え、私たちは廊下に出た。
「ふぅ……なんとかなりました。ありがとうございます、ソフィア様」
「お礼は『血』で払ってちょうだいね。倍額で」
「えぇ……」
そんな軽口を叩きながら、私たちは校舎を後にした。
一方、その様子を校舎の3階から見下ろしている影があった。 梶原景である。
「……」
景はパックのイチゴオレを飲みながら、眼下を歩く二人組をじっと見つめていた。 一人は、クラスメイトのしぐれ。 もう一人は、見たこともない外国人の美女。
「……」
景は何も言わず、飲み終わったパックをゴミ箱に投げ捨てた。 ただ、その瞳の奥には、紫色の警戒色が静かに揺らめいていた。
(第5話 完)




