第42話 アメリカ編【ハ短調 K.477】
アメリカ、ニューヨーク。
クラウン・アンド・アンカー・サプライチェーン本社、秘書室。
アナスタシア姉様が来米してから一日後。隣の社長室には、うちの会社が傘下に収める警備会社の重役たちが何人も呼ばれ、異様な熱気に包まれていた。
時折、ボスの怒鳴り声が漏れ聞こえてくる。
「これは緊急案件だ!!」とか「すぐに兵隊を日本へ向けろ!!」とか、穏やかじゃない。
「マスター。あれ、何見てるんですか?」
私は、隣のデスクで仕事そっちのけで資料を見ているマスターに声をかけた。
「ああ。さっき、警備会社の奴らから上がってきた資料だよ」
マスターのデスクには、ホッチキス留めされたアジア人のプロフィールが置かれていた。
「シグレ・オオバ……? 十代の子供じゃないですか」
「昨日、アナスタシア姉様が言ってた『眷属にしたい』っていう人間さ」
「ボス、もう調べさせたんですか!? 相変わらず仕事が異常に早いですね」
「ごくごく普通の子に見えるんですけど……。あ、でもあだ名が『狂犬レズ』って……フフッ」
「普通の子でもないみたいだよ。ほら、五ページの特記事項を見てみな」
マスターが指差した項目を見て、私は目を疑った。
「……FBI、MI5、日本の王室組織の観察対象……? な、何やったんですか、この子。どんな重大犯なんですか!」
「ちなみに、ソフィア様もFBIに手配されてるからね」
「……ええっ!?」
「うん。もう死んだことになってるけど、50年代にアル・カポネなんかと仲良くやってたからさ」
「……私、就職先間違えたかもしれません」
そんな限界トークをしていると、受付から連絡が入り、アナスタシア姉様がフラリとやってきた。
「姉様、どうされましたか?」
「少し、車をお借りできますか?」
「はい、手配できますが……どちらへ?」
「ソフィア様からの言付けの件で、ある物を取りに行きたくて」
私たちが応対していると、バンッ!と社長室のドアが開き、ボスが飛び出してきた。
「ナースチャ〜! いるなら来なさいよ〜!」
さっきまで重役たちを怒鳴り散らしていた氷の女ボスとは、完全に別人の声色だ。
「お仕事中にお邪魔かと思いまして……」
「気の利く子ねぇ〜。何か、どこかに行くの?」
「ええ。ソフィア様から言われていた件で……少々、物を取りに行く必要がありまして」
「そうなの? そしたら、そこの二人を連れて行きなさい。ナースチャ、アメリカでの免許はとっくに失効してるでしょうし」
「しかし、二人ともお仕事があるでしょうから……」
「いいのよ。いいわよね? 二人とも?」
絶対に「ノー」と言わせない圧だ。
積まれた膨大な資料を前に、マスターは顔を引き攣らせながらも完璧な笑顔を作った。
「……もちろん。喜んでお供いたします」
ビジネスウーマンはつらい。
* * *
言われた住所に到着して、私は首を傾げた。
「……普通の教会、ですね」
故人への挨拶だろうか。アナスタシア姉様に付いて歩いていくと、古いレンガ造りの霊廟に行き着いた。墓碑銘には1778年没とある。
「ちょっと、騒がしくしますね」
そう言うなり、アナスタシア姉様は、霊廟の石の扉を軽々と足で蹴り破った。
ひぃっ……! この暴力的なまでの破壊力、やっぱりボスの直系だ。
「すみませんが、取り出すのを手伝ってくれませんか?」
私とマスターは無言で頷き、粉砕された扉を越えて、重たい棺桶を引きずり出した。
棺を開くと、完全に白骨化した遺体が安置されていた。その手が、真鍮で作られた筒状のものを大事そうに抱えている。蝋で厳重に封がされていた。
アナスタシア姉様はなんの躊躇いもなく、白骨の手首ごとボキッとへし折ってそれを取り出した。吸血鬼に倫理観を求めても無駄よね。
彼女は丁寧に蝋を剥がし、中から古い羊皮紙を取り出した。私とマスターも覗き込むが、古英語で書かれていてよく読めない。どうやら手紙らしい。
「綺麗に残っているものですね。ありがとうございます。これで用は済みました」
姉様は羊皮紙をしまうと、再び白骨の方を向いた。
「あと、その指にある指輪も回収します」
「あ、はい……うわぁ、独特の匂いがする……」
私が恐る恐る、骨の指から指輪を引き抜こうと苦戦していると、横からマスターが手を出した。
「何やってんの。こうすると早いんだよ」
マスターは、骨の第一関節をポキッと折って、スポンと指輪を外した。私もあと数十年生きれば、この雑な感覚に慣れるのかな。
その指輪には、どこかで見たことのある紋章が刻まれていた。
「このマーク……」
「テンプル騎士団残党のマークですよ」
「えっ、テンプル騎士団? アメリカに騎士なんているんですか?」
「バカ、ローレン。テンプル騎士団の残党といえば、フリーメイソンだろ」
マスターが呆れたようにツッコミを入れる。
「今の子たちには、そっちの名称の方が定着しているのですね。失礼いたしました」
「いえ、私の教育不足です。……すみません」
マスターが平謝りする。
私たちは棺を元の場所に戻し、その場を後にした。
帰り際、管理人の男性にアナスタシア姉様が暗示をかけ、「墓荒らしの男を見た」という偽の記憶を植え付けていた。ヴァンパイアって、そんな便利機能もあったんだ。
* * *
オフィスの地下駐車場に戻ると、見慣れない黒塗りの車が複数台停まっており、黒スーツにサングラス姿の屈強な集団がたむろしていた。
しかも、銃規制の厳しいニューヨークで、堂々とアサルトライフルのマガジンを持っている。
「マスター。変な奴らがいますが……」
「私も見たことない顔だ。警戒しよう」
マスターは助手席のダッシュボードからグロックを取り出し、流れるような動作で安全装置を外して私に確認する。
「今のNYって、マフィアでも私立探偵のライセンスがあれば銃器の携帯できたっけ?」
「いつの話ですか。今は一般人が持つのも至難の業ですよ。私たちだって、長い講習を受けてSNSのアカウントまで提出したじゃないですか」
「確かに。じゃあ、マフィアじゃないな。ボスのプライベート携帯にSMSで緊急コードを……」
後部座席で、アナスタシア姉様が静かに口を開いた。
「お二人とも、落ち着きなさい。あれは味方よ。まったく……ヒルデの直系は、すぐに火薬の匂いを嗅ぎつけるのだから」
「しかし……申し訳ありませんが、ボスの身の安全を優先に考え、警戒は解きません」
すると、集団の一人がこちらに歩み寄ってきた。
「私の合図で、バックで地上に上がってビルの正面玄関から抜けるぞ」
「オーキードーキー」
後ろでアナスタシア姉様が深いため息をつくのが聞こえたが、悪いけれど、万が一ボスに何かあったら大問題なんだ。
スーツの女性が、車の前に立った。
「何者だ? 名を名乗れ」
イタリア訛りの英語だ。完全に部外者だ。
マスターが、顔をドアから身を乗り出して凄んだ。
「そっちこそ何者だ。ここは私たちのボスの海運会社だぞ。来る場所が違うだろう、イタリア野郎」
「ここの社員か。ならば、我々の仕える方の会社でもある。礼儀をわきまえなさい」
「んだと? ここの敷地内で、物騒なものぶら下げてんじゃねえぞ」
彼女の背後から、他の連中もこちらに向かってくる。
マスターが、相手からは見えない位置で、右手のグロックの先端でシフトレバーをコツ、コツと叩いた。
合図だ。
その瞬間に、アナスタシア姉様が後部座席のドアを開けた。
「失礼いたしました、姉様方。私はアナスタシアです。この二人は、ファースト姉様の配下であるエレノアとローレンです」
「アナスタシアか。エレノアとローレン……? 聞いたことないが……」
「二人とも、ヒルデの直系の姉妹です。ファースト姉様の身に危険があると勘違いして警戒していたようです」
「ふふっ。なるほど、忠誠心はいいが……蛙の子は蛙だな。通っていいぞ」
そのまま、道を空けられた。味方だったの……?
マスターが信じられないという顔をする。
「アナスタシア姉様……あいつらは……」
「『プラエトリアニ』の方々です。まったく……もう50年代じゃないのだから、少しは落ち着きなさい、ローレン」
「……すみません、姉様」
マスターがしおらしくなっている。珍しい。
「あの……マスター。『プラエトリアニ』って……」
「……私のマスターがいたところの組織だよ」
「えっ……ヒルデ姉様がいたところ……? ってことは……」
「ああ。ソフィア様が来ている」
* * *
社長室へ向かう廊下には、あちこちにプラエトリアニが警護に立っていた。
「戻りました」
扉を開けると、そこにはボスと、写真でしか見たことのないフランス人形みたいに綺麗な若い女性がいた。
「話をしていたら、戻ってきましたよ」
「あら。初めまして」
仰々しく、ボスが私たちを紹介する。
「左がエレノア、右がローレンです」
「どうも、初めまして。ソフィアよ」
我々のボスのボス。私みたいな新参者のヴァンパイアはまず会えない、超VIPだ……。
「は、初めまして……ソフィア会長。エレノアと申します……」
百戦錬磨のマスターが緊張で強張っている。続けて私も緊張しながら挨拶をした。
「ロ、ローレンです……」
「ふふっ、緊張しなくて大丈夫よ。二人とも若いわね」
さらにボスが追加で
「エレノアが1950年にヴァンパイアに、ローレンは1990年頃に」
「本当に若いわね。困ったことがあったら、私に言うのよ?」
その直後、アナスタシア姉様が部屋に入ってきた。
「ソフィア様。随分とお早いご到着ですね」
「居ても立っても居られなかったのよ」
「なるほど。そういえば、しぐれは元気にしていますか?」
「なによ、すぐにしぐれの話? しぐれは元気よ。でもこの間、景と喧嘩して大変だったのよ」
「なんと! それは……帰ったら、甘やかさないとですね」
あ、朝プロフィールで見た子の名前だ。
って、ボス、ボス! 顔が怖い!
「なんか、下で騒ぎがあったらしいけど大丈夫だった?」
ソフィア様の言葉に、ボスがビクッと反応する。
「それは……この二人が、プラエトリアニの姉様たちを初めて……」
先ほどの地下で起きた話を、アナスタシア姉様がソフィア様に話す。やばい、怒られる……。
「フハハッ! 知らないとはいえ、あの子たちに喧嘩腰だったの? すごいわね!」
そう笑うソフィア様の横で、ボスが立ち上がった。
「大変、申し訳ございません……!! 二人とも!! なんてことをするんだ!!」
すごい剣幕で私たちを叱るボス。するとすかさずソフィア様が止めた。
「こら、ファースト。この二人は、あなたの身に危険があるかもしれないって、重装備の相手にも怯まず対応したのよ? ここは褒めるべきよ」
「し……しかし……!」
「たまには褒めてあげなさいよ。いまどきこんな子たちいないわよ。若いのに頼もしいわ」
そう言って、私とマスターの頭を撫でてくれるソフィア様。ああ、女神様だ……。
「普段は……冷静で優秀なのですが……たまにこういうことが……ヒルデの直系というのもあるかもですが……」
「あの子も、私に何かあると冷静じゃないから、似てるわね」
ソフィア様が笑うと、アナスタシア姉様が進み出た。
「ソフィア様、例のものを取ってまいりました」
「ありがとう、ナースチャ。これこれ」
先ほどの教会から取ってきた、もとい盗んできた例のものをソフィア様に渡す。
「やっぱり、あいつが持っていたのね」
「それで、どうされますか?」
「総仕上げよ。――テンプル騎士団の残党狩り!」
「それなら、私もやります」
「ファースト姉様は忙しいでしょうから。……私とソフィア様で対応しますよ」
狩り? ……なんだろう。すごく物騒な単語が。
明日から、私とマスターはアナスタシア姉様とソフィア様と行動をともにすることになった。
今日の業務は終了して、帰り支度を済ませていると、ボスが私とマスターのところにきた。
「その……今日は怒鳴って悪かったな」
マスターが頭を下げる。
「私たちもまさか、ソフィア様がこられているとは知らず……失礼しました」
「ソフィア様は味方も多いが敵も多い。こちらに来るときは突然だから、無理もない」
「でも二人ともたまに頑固で、後先考えないところがあるから、そこは直しなさい」
「はい……」
「まぁ……私のために行動してくれたのはわかったから、そこはすごく……その……嬉しかったよ」
私たちが反応に困っていると。
「う……私は先に帰るから、戸締りをよろしく!」
ボスは颯爽と帰っていった。
するとマスターが小さく息をつく。
「ボスのああいうところが好きだから、仕えてるんだよなぁ」
「たしかに。なんでしたっけ? 日本でいう『ツンデレ』ですよね」
【用語解説】
タイトルの「ハ短調 K.477(479a)」について。
これは1785年、モーツァルトが友人の追悼のために作曲した『フリーメイソンのための葬送音楽』の作品番号です




