第41話:アメリカ編【アナスタシアとファースト姉様】
アメリカ、ニューヨーク。
「クラウン・アンド・アンカー・サプライチェーン」海運会社、本社、秘書室。
私はデスクの上のモニターから目を離し、隣の直属の上司に声をかけた。
「マスター。今日、日本支部から視察に来られる方って、どんな人なんですか?」
「ボスの最後の直系で、ロシア人の妹分よ」
「ロシア人ですか。あんまり笑わないイメージがありますけど。しかもボスの直系ってことは……めちゃくちゃ怖そうですね」
「まぁ、ソフィア様直属のメイドを務めているくらいだから、優秀な姉様よ」
「ボスの直系の姉様たちって、みんなスパルタ教育で育ってるじゃないですか。超絶シゴデキだけど、下にも厳しいというか……。あーあ、嫌だなぁ」
私がキーボードを叩きながら愚痴をこぼすと、マスターは短く笑った。
「私も昔、何度か一緒に仕事をしたけど……彼女はそんなにスパルタじゃないわ。なにせ、この会社の設立メンバーの一人でもあるしね」
「えっ、設立メンバー? あれですよね、イギリス側だったソフィア様が独立戦争に負けてイギリス軍が撤退した後も、アメリカを監視するために建てたダミー会社が始まりだったとか……。ってことは、めちゃくちゃ年上じゃないですか!」
「そうね。中世から生きてるんだから、私らから見たらもうおばちゃんね」
その時、ドアが開いた。
「「おはようございます、ボス」」
「おはよう。応接室の準備はできている?」
「はい、できます。それとお食事も用意しておりますが、何名ほど来られるのですか?」
「彼女一人よ。ローレン、JFK空港まで車の送迎をお願い」
私はボスのほうを見ながら、席を立って深く頷いた。
「イエス、ボス」
* * *
ジョン・F・ケネディ国際空港。
(この、待機中の一人でいる時間が一番いいわ〜)
私は車のシートを倒して、コーヒーを飲みながらのんびりと待っていた。
すると、こちらに黒いドレス姿にサングラスをかけた女性が歩いてきたので、すぐにシートを直す。……たぶん、あの人だ。
彼女は車の横に歩み寄り、コンコンと叩く仕草をした。
「間違っていたら失礼ですが……」
「……」
ロシア訛りの英語……間違いない。
「あ、お待ちしておりました。クラウン・アンド・アンカー・サプライチェーン秘書室のローレンです。お荷物を車に乗せますね」
「ありがとう」
近くで見ると、驚くほど綺麗な人だった。ひと昔前の白人のハリウッド女優みたいだ。
車を発進させ、ハイウェイに乗る。
ルームミラー越しに見ると、アナスタシア姉様はずっと窓の外の景色を眺めていた。
「窓、開けましょうか?」
「いいえ、結構よ。風景を見ていただけだから。……随分と変わったわね」
「ええ。アナスタシア姉様がいつ頃アメリカにいらっしゃったのかは存じませんが、だいぶ変わったかと」
「そうね……前にここに来たのは、50年代頃だったから。本当に変わったわ」
(50年代って……1900年代だとしても、私全然生まれてないじゃん……)
そんなことを考えながら、車はオフィスの地下駐車場へと滑り込んだ。
「お荷物はどうされますか? 後ほど宿泊先へ送迎いたしますので、このままトランクに入れておきましょうか」
「大丈夫よ、持っていくから」
* * *
アナスタシア姉様をVIP用の応接室に案内した後、私は社長室に向かった。
「ボス、アナスタシア姉様が到着して、応接室でお待ちです」
「うん、私も向かうから、あなたたちも後で来なさい」
その後、自分のデスクに戻り、少し残っていた急ぎの仕事を片付けていると、ある違和感に気づいたので隣のマスターに声をかける。
「マスター、エラーです」
マスターはタイピングしながら目をPCに向けたまま、淡々と返事をした。
「何が?」
「社長の午後の予定表なんですけど……この後、何も入ってないんです」
「あー、エラーじゃない。今日は予定を入れてないんだよ」
「えっ!? 社長に予定が入ってない!?」
「そうよ」
「ええ……そんなことあるんですか? 大統領との予定がある日だって、バンバン予定詰め込んでるじゃないですか……」
「うん、そうよ。こんなの、ソフィア様が視察に来られた時ぶりね〜」
「ええ……すご……」
「よし、私は片付いたわ。そっちは?」
「あと一件、返信したら終わります」
「はい。アナスタシア姉様に会うのも久しぶりだわ〜」
* * *
応接室の重厚な扉の前。
「ボス、失礼します。入ります」
「いいわよ」
中に入ると――広いテーブルの上には大量の食事が並べられ、アナスタシア姉様がそれをものすごい勢いで平らげていた。
そしてその横で、ボスが……頬杖をついて、デレデレに溶けたような笑顔で彼女を見つめていたのだ。
「アナスタシア姉様、お久しぶりです。相も変わらずお綺麗ですね」
「もぐもぐ……エレノア、久しぶりですね。元気そうですね」
「先ほどもご挨拶したかと思いますが、こちらが私の一番の妹分であるローレンです」
「あ、先ほどは。ローレンです」
「お迎えありがとうございました。もぐもぐ……お二人もよかったら、お食事どうですか?」
(めちゃくちゃ食べてる……)
「あらあら、ナースチャ。口に食べかすがついてるわよ。拭いてあげるから、『んー』ってしなさい」
「ファースト姉様、自分でできますから……んー」
「はい、綺麗になったわ」
(嘘でしょ……!?)
あの冷徹でシゴデキなボスが……口を拭いてあげている……なんなんだこの空間は。
「ほら、ナースチャが好きなボルシチも作ってきたわよ。食べてちょうだい」
「ありがとうございます。姉様のボルシチ、好きです。もぐもぐ……美味しいです」
「そう? よかったわぁ。……で、日本はどう? 困ってない?」
「そうですね。もうすぐ夏になる頃ですが、すでに暑いです。ジメジメしているというか……でも、平和で良いところです。もぐもぐ」
「そうなのぉ? 困っていることがあったら、すぐに言いなさいよ? ソフィア様はワガママで大変だろうから、すぐにファーストお姉ちゃんに言うのよ?」
「ありがとうございます」
私が目の前の光景に唖然としていると、隣のマスターが囁き声で話しかけてきた。
「あの溺愛っぷり、すごいだろ。ある意味、直系で末っ子の妹分だからな。もう溺愛しまくって、あの通り甘やかされて育ってるんだ」
「なるほど……」
「そろそろ、血が欲しいでしょ? ほら、飲みなさい。好きなお酒も用意してあるわ」
「ありがとうございます、ごくごく」
「ほら、昔みたいに、私が口移しで飲ませてあげるわよ?」
「……もう子供じゃないです。自分で飲めます。もぐもぐ」
ヴァンパイアになりたての頃は、頭でわかっていても血を飲むのが苦手な場合があって、そういう時、伝統的に赤ん坊に母乳を与えるみたいに口移しで飲ませる風習があるのだが……すごいなぁ……。私はすぐに飲めたタイプだから、マスターにしてもらわなくて本当に良かったけど。
「ところで、アメリカにはどのくらい滞在する予定なの?」
「とくに決まっていませんが……色々とソフィア様から言付けをもらっているので、それが終わってからです。ごくごく」
「そうなの? ……残念ね。今日はうちに泊まっていくでしょ? ゆっくりしていきなさいよ」
「ありがとうございます。……それと姉様、眷属の作り方を教えてください」
ピタリ、と。
ボスの笑顔が、そのまま固まった。
「……姉様?」
「ナースチャ。今、なんて言ったの?」
「いや、だから。眷属の作り方を……」
「……どうして、眷属の作り方を知りたいの?」
「えーと……眷属にしたい女の子ができたので……」
「……それは、誰?」
「えーと……しぐれ、という日本人の子です」
アナスタシア姉様が、少し恥ずかしそうに言う。
(あ、これ……気に入った人間を眷属にするパターンだ)
吸血鬼が人間を眷属にするには大体三種類あって、「緊急で血を与えるパターン」「人間が自ら進んでなるパターン」、そして「吸血鬼側が、ずっと一緒に生きていきたいから血の契約を結ぶパターン」。
たぶんこれ、最後のやつだ。
「……あの、ソフィア様を救ったという、人間の小娘よね?」
「はい、そうです。もぐもぐ」
「なんで、その子を眷属にしたいの? 向こうから『眷属にしてほしい』と言っているの?」
ボスの口元は笑っているのに、目が笑ってない。いつもの、怖い時の顔だ。
「いいえ。私が気に入っていて、ずっと一緒にいたいと思っているので」
ドンッ!!!
ボスが机を激しく叩いた。
「そんな不純な動機での眷属化は認めないから!! まだ子供には早いわ!!!」
「え……姉様……?」
「あ、ごめんなさいね。大きな音を出して。……その話は、また今度にしようね?」
隣のマスターが、天井を仰ぎ見ながらぼそりと呟いた。
「……これは、仕事が増えるぞ」
そして、私の肩をポンと叩く。この仕草をする時は決まって、私たちが忙しくなる予兆だった。
「……イエス、マスター。」
私は用意された自分のグラスの血を一気に飲み干し、これからのNY滞在がとんでもないことになりそうだと、深くため息をついた。




