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第4話「二千年、生きた吸血鬼」


「……あら、気づいた?」


目が覚めると、そこは天蓋付きの豪奢なベッド――ではなく、いつものサロンにある長椅子シェーズ・ロングの上だった。 ふかふかのクッションに沈み込んだ体が、鉛のように重い。


重い瞼を持ち上げると、深紅のドレスを着たソフィア様が、優雅に足を組んでこちらを見下ろしている。 その傍らには、いつになく沈痛な面持ちのアナスタシアさんが控えていた。


「あ、あれ……私……」


起き上がろうとして、首筋に手をやる。 ズキズキとした痛みが残っているかと思ったけれど、傷一つない。肌はツルリとしていて、痛みも消えていた。 夢? いや、違う。あの強烈な快楽と、血を吸われる音は、紛れもない現実だった。


「……さっきの、夢じゃ、ないですよね」


私が震える声で尋ねると、ソフィア様はグラスに入った赤い液体(今はもう、それがワインじゃないと分かる)を揺らしながら、困ったように眉を下げた。


「ええ、夢じゃないわ。……私の可愛い使用人が、貴女に対して失礼をしてしまってごめんなさいね」


ソフィア様がチラリと横を見ると、アナスタシアさんが深く頭を下げた。


「……申し訳ありません、私が未熟なばかりに……」


「い、いえ! 謝らないでください! ……びっくりはしましたけど……」


私は慌てて手を振った。 血を吸われた恐怖よりも、いつも完璧なアナスタシアさんが落ち込んでいる姿の方が、なんだかショックだったからだ。


「それで……その……」


私は意を決して聞いた。


「血を吸うってことは……やっぱり、お二人は……」


「隠すのも面倒だし、言っておくわ」


ソフィア様は悪戯っぽく笑い、赤い瞳を細めた。


「私たちは『吸血鬼ヴァンパイア』。……まあ、貴女たちがそう呼ぶところの、長命種族よ」


やっぱり。 分かってはいたけれど、本人の口から聞くと衝撃が違う。 私は思わず後ずさりして、ソファの背もたれに張り付いた。


「……いつから、生きてるんですか?」


「私? 私はローマの生まれよ。当時はまだ『帝国』ですらなく、元老院と市民が治める共和政だったけれど」


「えっ」


「西暦で言うなら……そうね、紀元前かしら。カエサルがルビコン川でさいを投げた頃には、もう生きていたわ」


「に、二千年……!?」


桁が違いすぎて、逆に実感が湧かない。 日本の歴史で言えば弥生時代だ。卑弥呼よりもずっと前じゃないか。


私は恐る恐る、隣に立つアナスタシアさんを見た。 彼女もまた、人間離れした美貌で佇んでいる。


「じゃあ、アナスタシアさんも……?」


「……私は、お嬢様に比べればまだ若輩者です」


アナスタシアさんが、静かに口を開いた。 その声は、深海の底のように静かだった。


「私の生まれは北の国……今のロシアにあたる、モスクワ大公国があった地です。人間としての生を終えたのは、西暦1431年のこと」


「1431年……」


「推定ですが、享年19歳でした。……私は絶望して、お嬢様に拾われました。それ以来、こうして影として仕えております」


「……そう、だったんですね」


私はただ「へぇー」と頷くことしかできなかった。


「……でも、どうしてそんなすごい人たちが、わざわざ日本に? しかも鎌倉なんて」


私が話題を変えるように尋ねると、ソフィア様は途端に表情を輝かせた。


「いい質問ね! 理由は三つあるわ」


「み、三つ?」


「一つは安全確保。ヨーロッパは教会の力がうるさいから、八百万やおよろずの神がいるこの島国は居心地がいいの。……そして二つ目は、この鎌倉という土地に愛着があるからよ」


ソフィア様は懐かしそうに窓の外を見た。


「昔、少しだけ立ち寄ったことがあるのよ。平安の世……まだ鎌倉幕府ができるずっと前にね」


「えっ、来たことあるんですか?」


「ええ。たしか『鎮守府ちんじゅふ将軍』とか呼ばれていたかしら……。北の奥州へ戦に行くという武士の一団に、暇つぶしについて来たの」


「ちんじゅふ……しょうぐん……?」


「ここの由比ヶ浜に八幡宮を建てて、戦勝祈願をしていたはずよ。……当時のここはまだ何もなくて、ただの野っ原だったけれど」


「(なんか日本史で習ったかも……)」


「海と山に囲まれたこの地形は、守りに適していると直感したわ。私の目に狂いはなかったようね」


ソフィア様はグラスを揺らし、それから少し声を潜めた。


「そして、ここに来た最大の目的。……私は、『武衛ブエ』の宝を探しているの」


「ぶえ……?」


聞き慣れない単語に、私は首を傾げた。 人の名前だろうか? 私の反応を見て、ソフィア様が呆れたようにため息をつく。


「あら、知らない? 鎌倉殿かまくらどのと言えば分かるかしら」


「かまくら……どの……?」


「……しぐれ」


私の困惑を見かねて、アナスタシアさんが助け舟を出してくれた。


「現代の日本人の方なら、源頼朝みなもとのよりともと言えば分かるはずです」


「あっ! 頼朝! 知ってます! 『いい国つくろう』の人!」


「ええ。その頼朝公の、親しい間柄での愛称……唐名からなでの呼び名が『武衛』なのです」


「へぇ……そうなんですね(あだ名かぁ)」


ソフィア様はつまらなそうに頬杖をついた。


「あいつとは古い付き合いでね。幕府を開いた祝いに、とある『宝』を私に譲ると約束していたのよ。……でも、受け取る前にあいつは死んでしまった」


「死んじゃったんですか?」


「ええ。落馬したとかで、あっけなくね。……人間はすぐ死んでしまうから困るわ」


ソフィア様は悔しそうに唇を噛んだ。


「その後、私も日本を離れてしまったから、回収し損ねていたのよ。今回戻ってきたのは、その宝を見つけ出すためでもあるわ」


「なるほど……(落とし物探しってことか)」


「そして最後! 三つ目の理由! 実はこっちが一番重要なんだけど……」


ソフィア様は急に身を乗り出し、頬を紅潮させて叫んだ。


「私は、この国の『デフォルメ文化』を愛しているからよ!!」


「……でふぉるめ?」


「そうよ! 私が生まれたローマやギリシャは『リアル』一辺倒! 筋肉の筋とか血管とか、そんなんばっかり! でも、この国は違った! ハニワを見た時の衝撃と言ったら! あの『可愛く簡略化する』精神こそが、今のマンガやアニメに繋がる萌えの原点なのよ!」


「は、はあ……(この人、ただのオタクだ)」


熱弁を振るうソフィア様を見て、私の緊張は完全に解けてしまった。 怖い人たちかと思ったけど、話してみると意外と普通……いや、変な人たちだ。


私は気になっていたことをいくつか質問してみた。


「あの、吸血鬼って、やっぱり太陽はダメなんですか?」


「別に平気よ。ただ、私たちにとって陽の光は眩しすぎるの。だから昼間に出歩くときは、濃いサングラスと日傘が必須ね」


「へぇ……。じゃあ、食事は? 血しか飲めないんですか?」


「人間の食事も摂れるわよ。味も分かるし。でも、栄養にはならないの」


ソフィア様はテーブルの上のクッキーを指差した。


「人間にとってのガムみたいなものね。味はするけど、お腹は満たされない。私たちの飢えと渇きを満たせるのは、血液だけよ」


「な、なるほど……」


「ちなみに、血の味にも好みがあるの。一般的に極上とされるのは、穢れのない処女と童貞の血ね。すごく甘い匂いがして、砂糖菓子みたいに美味しいらしいわ」


ソフィア様がチラリと私を見る。


「私自身は、熟成された年配者の血も嫌いじゃないけれど……。アナスタシアは、甘いのが大好きだから」


「っ……お嬢様、バラさないでください」


アナスタシアさんが顔を真っ赤にして俯いた。 そういえば、昨日私の首筋で「甘い」って言ってたような……。


「それからね。血を吸う『場所』にも美食家のこだわりがあるのよ」


ソフィア様は妖艶に笑って、自分のドレスの裾を少し持ち上げ、太ももを指先でツーっと撫で上げた。


「首筋はあくまで一般的なテーブルマナー。……本当に美味しいのは、太ももの内側や、その奥の恥部に近い血管ね」


「は、はあ……!?(ち、恥部!?)」


「そこは動脈が太くて、何より生命力が凝縮されているから。味も香りも濃厚で、一度味わったら病みつきなのよ」


「ひぇ……」


私は思わず自分の股間を押さえて身を縮めた。 「そうらしいわよ」ではなく「病みつきなのよ」。 つまり、このお嬢様は「経験済み」ということだ。


「それにね、血の味というのは、相手の感情一つで劇的に変わるものなのよ」


ソフィア様は楽しそうに続ける。


「恐怖で青ざめた血も悪くないけれど、一番の絶品は……『快楽』で熱を帯び、甘く蕩けた血ね」


「か、快楽……?」


「ええ。だから私たちは、獲物をより美味しくいただくために、本能的に相手を『その気』にさせてしまう傾向があるの」


ソフィア様が、細い指先で自分の唇をなぞる。


「例えば……吸血の前に甘い口づけを交わしたり、敏感な場所を優しく愛でて、熱を上げさせたりね。そうやって高ぶらせた相手から吸う血は、格別なのよ」


「……っ///」


私は昨日のアナスタシアさんを思い出した。 お姫様抱っこに、耳元での囁き、そして押し倒されて……。あれも全部、本能的な行動だったってこと!?


「血を吸うという行為は、私たちにとって『食事』であり、同時に『性欲』を満たす行為でもあるの。……昨日のアナスタシアみたいに、理性が飛ぶこともあるわ」


「は、はい……よく分かりました(身をもって)」


私は顔を真っ赤にして頷くしかなかった。


「さて、しぐれ。貴女には選択権をあげる」


ソフィア様は真顔に戻り、私を指差した。


「怖ければ、今すぐ辞めてもいいわ。記憶を消して、家に帰してあげる」


それは、願ってもない提案だった。 普通の女子高生なら、迷わず頷いて逃げ出す場面だ。


「でも、続けるなら……日給は6万にしてあげる」


「ろ、6万!?」


「ええ。アナスタシアさんが粗相をしたお詫びと、口止め料込みでね。貴女の血は、うちのメイド(アナスタシア)の舌に合ったみたいだし」


6万。 一ヶ月働けば……単純計算でも相当な額になる。 これなら、生活費も、修学旅行の積立金も、全部払える。 それに何より――。


私はアナスタシアさんを見た。 彼女は不安そうに、私を見つめ返している。 私が「辞める」と言ったら、彼女はどう思うだろうか。あんなに悲しい目をする人を、放っておけるだろうか。


「……やります」


私は顔を上げた。


「日給6万なら、血の少しくらいいくらでもあげます! 私、貧乏なんで!」


私の即答に、ソフィア様は目を丸くし、それから「くくっ」と喉を鳴らして笑った。


「守銭奴ね。気に入ったわ。……ナスターシャ、いいメイドを拾ったわね」


「……ふふ。ええ、本当に」


アナスタシアさんが、安堵したように微笑んだ。 その笑顔があまりに綺麗で、私はまた少し、ドキリとしてしまった。


「さて、契約成立ね。私は録画しておいた今期のアニメを消化しなきゃいけないから、部屋に戻るわ。アナスタシア、彼女を送ってあげなさい」


ソフィア様はひらひらと手を振ると、上機嫌で奥の部屋へと消えていった。


「……足元に気をつけて」


玄関までの長い廊下。 二人きりになると、アナスタシアさんは少しバツが悪そうに沈黙していたけれど、玄関の扉を開ける直前で、ふいに足を止めた。


「しぐれ」


「はい?」


振り返ると、アナスタシアさんが真剣な眼差しで私を見つめていた。 彼女は一歩近づき、私の手をそっと両手で包み込んだ。 ひんやりとして、でも柔らかい感触。


「……本当に、良かったのですか? 私たちは、貴女を食い物にする怪物ですよ」


「まあ、そうですけど……。でも、悪い人たちじゃないって分かりましたし。それに、アナスタシアさんが悲しそうな顔をするのは、なんか嫌なんで」


私が照れ隠しにそう言うと、アナスタシアさんは虚を突かれたように目を見開き――それから、花が綻ぶように破顔した。


「……っ、貴女は……本当に……」


彼女は私の手を引き寄せ、愛おしそうに自分の頬に押し当てた。 クールな仮面が外れ、そこには年相応の少女のような、甘えた表情があった。


「ありがとう、しぐれ。……貴女が拒絶せずにいてくれて、私は本当に嬉しい」


「あ、アナスタシアさん……?(ち、近い……)」


「お嬢様が仰った通り、貴女の血は甘くて……私には刺激が強すぎました。でも、次はもっと優しくしますから」


彼女は上目遣いで、私の首筋に熱っぽい視線を這わせた。


「……また、貴女を味わわせてくださいね?」


「~~っ!!」


その言葉と、潤んだ瞳の破壊力は凄まじかった。 ソフィア様が言っていた「本能的な誘惑」って、これのこと!?


「じゃ、じゃあまた明日! 失礼します!!」


私は顔から火が出る思いで、逃げるように屋敷を飛び出した。 背後から「ふふっ」という、鈴を転がすような楽しげな笑い声が聞こえた気がした。


「ハァ……ハァ……」


重厚な鉄の門扉を抜けて、ようやく一息つく。 心臓がまだ早鐘を打っている。 なんなの、あの人たち。綺麗すぎるし、キャラ濃すぎるし、誘惑してくるし。 私のバイト生活、本当に大丈夫かな。


「あら、逃げるように帰るのね」


「うわっ!?」


不意に頭上から声をかけられ、私は飛び上がった。 見上げると、さっきまで奥の部屋にいたはずのソフィア様が、なぜか門柱の上に優雅に腰掛けていた。


「そ、ソフィア様!? いつの間に……!?」


「ふふ。近道をしたのよ」


ソフィア様は悪戯っぽく笑った。 その足元から、一羽のコウモリがパタパタと飛び去っていくのが見えた気がしたけど、見間違いだろうか。


「……どうやら、ナスターシャは表にあんまり出さないけど、貴女を気に入ってるみたいよ」


「え……」


「あの子があんな風に甘えるなんて、何百年ぶりかしらね」


ソフィア様は目を細め、どこか楽しげに、そして少しだけ警告するように言った。


「あの子、独占欲がすっごいから、多めに見てあげてね?」


「ど、独占欲……?」


「ええ。一度手に入れた『宝物』は、絶対に離さないタイプよ。……せいぜい、愛されてあげなさいな」


意味深な言葉を残し、ソフィア様はひらりと門柱から飛び降り――次の瞬間、ふわりと霧のように姿を消した。


「……え?」


後には、静かな夜風だけが残されていた。 独占欲。宝物。 その言葉の意味を噛み締めながら、私は夜の切り通しを歩き出した。


こうして私は、吸血鬼の館で、正式に「生贄兼メイド」として働くことになったのだ。


(第4話 完)

第4話を読んでいただきありがとうございます! 今回は歴史ネタが多かったので、作中に出てきた用語を少し解説します。


【歴史・用語解説】


鎮守府将軍ちんじゅふしょうぐん: 奈良・平安時代に、東北地方(陸奥国)の軍政を司った将軍のことです。 作中でソフィアがついて行った「源頼義みなもとのよりよし」は、頼朝のずっと前のご先祖様で、この役職に就いていました。


北の奥州への戦(前九年の役): 1051年から始まった「前九年のぜんくねんのえき」のこと。源頼義・義家親子が、東北の安倍氏と戦った長い戦争です。


八幡宮を建てて戦勝祈願: 源頼義は、京都の石清水八幡宮を鎌倉の「由比ヶ浜」に勧請(神様の分霊を移すこと)して、戦の勝利を祈りました。これが現在の「鶴岡八幡宮」の起源(元八幡)です。 ソフィアお嬢様は、この時から鎌倉に目をつけていたわけですね。


武衛ブエ: 源頼朝のことです。 頼朝が「右兵衛督うひょうえのかみ」という官職についた際、この役所の中国名(唐名)が「武衛」だったため、尊敬や親しみを込めてこう呼ばれました。 大河ドラマなどでも、たまにこの呼び名が出てきます!


ソフィアお嬢様、とんでもなく昔から日本にいたようです……。


もし「歴史ネタ面白い!」「アナスタシアのデレが良かった!」と思っていただけたら、 下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマーク登録をしていただけると執筆の励みになります! よろしくお願いします!

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