第27話「アナスタシアの昔話」
大庭家 しぐれの部屋。
今日は怒涛の一日だった。
そして今夜は、アナスタシアさんと寝る日(当番)になった。
アナスタシアさんの自室はまだ用意できていないので、私の部屋で一緒に寝ることになったのだ。
彼女は、私の部屋に置いてあった漫画やフィギュアに興味津々だった。
「これは、ハニワですか?」
「いや、ある意味ハニワかもしれませんが、フィギュアと言います」
「なるほど。お嬢様(ソフィア様)の書斎にある資料用の像とは違って、造形がリアルですね」
「ですね。……そういえばアナスタシアさんは、明日はどうするんですか?」
「もちろん、お屋敷で仕事をして、仕事が終わったらこちらに帰ってきますよ」
「夜に行動するんじゃないんですね」
吸血鬼といえば夜行性のイメージがあったので、少し意外だった。
「そういうイメージがあると思いますが、実際はそうでもありません。昔は人の血を飲むのに『夜』が適していたので、そういう風に言われているだけです。人間と共存している以上、人間たちの活動時間に合わせた方がいい、というのが今の私たちの解釈です」
「なるほど、そっちのほうが合理的ですよね」
私はベッドに腰掛けながら頷いた。
ふと、ずっと気になっていたことが口をついて出た。
「よくヴァンパイアの人たちは昔の話をしているので気になったのですが……アナスタシアさんは、なんでヴァンパイアになったんですか?」
すると、彼女は少し困ったように眉を下げた。
「その……あまり、しぐれに言うのは……」
「え、なんでですか? 教えてくださいよ。せっかく二人きりなんですから」
「その……ソフィア様の言葉を借りて表現するなら、『今の女に、昔の女の話をするような感じ』に、今の段階ではなってしまうので」
「いや、今の女って……私、まだアナスタシアさんの女じゃないですよ……!」
「たしかに。『まだ』、ですかもね」
「いや、そういうわけでは!」
私が慌てて否定すると、アナスタシアさんはクスリと笑い、ゆっくりと語り始めた。
「時代は、1300年代後半から1400年代初頭ぐらいですかね。私は元々、モスクワ大公国の貴族の娘でした。当時、バチカンの教皇庁が画策した『対オスマン帝国包囲網』のための、非公式な政略結婚のカード……それが、19歳の私に与えられた役割だったのです」
「すみません、歴史がまったくわからないのですが……アナスタシアさんが貴族の出身だというのはわかりました」
言われてみれば、正直ソフィア様より所作が綺麗だし、言葉遣いも上品だ。
「政略結婚……。じゃあ、誰かに嫁ぐためにフランスへ?」
「ええ。ですが、辿り着いたフランスは百年戦争の泥沼でした。使節団は道中で散り散りになり、私は言葉も通じない異国の戦場に一人、放り出されました。……そこで出会ったのが、彼女だったのです」
アナスタシアさんのひんやりとした瞳に、微かな熱が宿る。
「泥と血に塗れた戦場で、彼女だけが私の手を取り、居場所をくれました。異端だと虐げられそうになった私を庇い、『神が遣わした友』だと笑って……」
その言葉を聞いた瞬間。
なぜか、私の胸の奥がキュッと締め付けられた。
会ったこともない『彼女』の笑顔が、ひどく懐かしくて、同時にひどく申し訳ないような……名状しがたい感情が走る。
「……でも、彼女は敵であるイングランド軍に捕らえられてしまった。そして、そのイングランド軍の指揮をとっていた『怪物』こそが、戦場を退屈しのぎに眺めていたソフィア様だったのです」
「……ソフィア様が、敵だったんですか?」
「ええ。私は囚われた彼女を救いたくて、単身、敵陣のソフィア様の元へ乗り込みました。……そこで、悪魔と契約したのです」
「悪魔……ヴァンパイアになる契約?」
私が尋ねると、アナスタシアさんは静かに頷いた。
「『刑は止められないが、救う方法ならある』と、ソフィア様は仰いました。……私はソフィア様の血を啜り、彼女の囚人服を着て、刑が執行される前に彼女と入れ替わり、身代わりとして火刑台に立ったのです」
「身代わり……」
「……火刑台の上で、熱さに意識が遠のく中。私は群衆の中に紛れて逃げていく彼女の背中を見ました。それが、私の見た最後の『光』です」
アナスタシアさんは、自身の白く細い指先を見つめた。
「その後、炭の塊となった私をソフィア様が回収し、こう仰いました。『あなたの勇気に賞賛を。これからは私の娘よ。私たち家族が、あなたを守るわ』と。……私は、自分の命と引き換えに彼女を守り抜いた誇りだけを胸に、永遠を生きることにしたのです」
長い沈黙が流れた。
窓の外で、鎌倉の夜風がヒュウと鳴る。
前にアナスタシアさんは、自分の年齢を19歳ぐらいと言っていた。
自分とそんなに変わらないのに、すごい覚悟だ。
でも。それを聞いて、私は無意識のうちにポロリとこぼしていた。
「……その女性のこと、まだ好きなんですか?」
「ふふ、そんなに怖い顔をしないでください」
「えっ」
そんな怖い顔、していただろうか。
「ええ、永遠に」
「む、矛盾してませんか? 私のことを好きとか言うくせに」
「ええ、たしかに。でも、私は間違っていませんよ」
微笑みながら言い切るアナスタシアさんに、私はちょっとカチンときた。
「なんですか……それ……」
なんかもやっとした感じだ。
いつも好き好き言ってくるのに、何百年前の女が好きとか。
ひんやりとした彼女の手が、私の頬を、まるで壊れ物を扱うようにそっと包み込む。
「いつか、すべてお話をしますから」
その冷たい手と、甘い声の響きに毒されたのか。
もやもやとした感情を抱えたまま、私はいつのまにか、深い眠りへと落ちていた。
【作者からの用語解説と時代背景】
今回は少し歴史的な要素が強かったので、あとがきとして作中の専門用語や時代背景について解説させていただきます。
■モスクワ大公国
13世紀後半から16世紀にかけて、現在のロシアの中心地であるモスクワ周辺に存在した国家です。アナスタシアの故郷であり、当時はまだ発展途上ながらも、東方の強大な軍事国家として独自の文化を築いていました。
■対オスマン帝国包囲網と教皇庁の政略結婚
当時、飛ぶ鳥を落とす勢いで拡大していたイスラム教国の「オスマン帝国」に対抗するため、カトリックの総本山であるバチカン(教皇庁)は、東西のキリスト教勢力を結集させようと画策していました。
作中では、その一環として「東方の強力な国であるモスクワ大公国との繋がりを持つための、非公式な政略結婚のカード」としてアナスタシアが使われた……という、本作独自の歴史解釈(裏設定)を交えています。
■百年戦争と泥沼のフランス
フランスの王位継承などを巡り、フランス王国とイングランド王国の間で長く続いた戦争です。アナスタシアが辿り着いた1430年代初頭のフランスは、国土の多くをイングランド軍に占領され、まさに泥沼の様相を呈していました。
■イングランド軍と「彼女」の火刑(1431年)
歴史に詳しい方なら、1431年という年代と「イングランド軍に捕らえられた」「火刑」というキーワードでお気づきの方もいるかもしれません、史実ではその彼女はイングランド軍の異端審問によってルーアンの広場で火あぶりの刑に処されましたが、本作ではそこに「イングランド側で暗躍していた吸血鬼(ソフィア様)」が絡んでいた、という歴史ファンタジーとしてのIFを描いています。




