第13話 「日本とソフィア様の関係」 (二階堂警部補目線
【金曜日の夜・二階堂の自宅】
「……ただいま」
私は自宅のドアチェーンをかけ、さらに鍵を二重にロックした。
築30年のマンション。散らかった部屋。
普段なら落ち着くはずの自分の城が、今は頼りない紙細工のように思える。
テーブルの上には、ジャックダニエルの瓶と、あの一枚のメッセージカード。
『一週間来なかったら、こっちからそっちの家に行くから♡』
達筆な日本語。そして、鼻をくすぐる甘いココアの香り。
昨日の記憶は曖昧だ。でも、身体が覚えている恐怖は消えない。
あの金髪の女は、間違いなく人間じゃない。
私の勘が、全身の毛穴を開いて警告している。「関わったら死ぬ」と。
「……来週まで待つって書いてあるし、はぁ……」
私はキュポンとコルクを開け、ジャックダニエルをグラスに入れて一気に流し込んだ。
喉が焼けるような刺激。
アルコールで脳を麻痺させないと、眠れそうになかった。
【日曜日の朝・神奈川県警察本部】
翌々朝。日曜日。
私は割れるような頭痛と共に目覚め、重い体を引きずって出勤した。
休日の当番出勤とはいえ、県警本部の正面玄関に着くと、異様な空気が漂っていた。
「……なんだ、あれ」
玄関前に、黒塗りの高級セダン――センチュリーが数台、威圧的に停まっている。
ナンバーは品川の一般ナンバーだが、公用車特有の重厚感がある。
ヤクザの組長の車じゃない。もっと「上」の匂いだ。
「おい、二階堂!!!」
秘密の喫煙所へ逃げ込もうとした私の背中に、怒号が飛んだ。
課長代理だ。普段は「二階ちゃん」と呼ぶのに、苗字で呼び捨てにする時は本当に怒っている時か、焦っている時だ。血相を変えて走ってくる。
「あんた……一体昨日何をやらかしたんだ!?」
「はぁ? 何もしてませんよ。……あ、もしかして金曜日の『外務省』の件ですか?」
「バカ野郎! 別件だよ! 珍しい客が来てるんだよ!」
代理は私の腕を掴み、強引にエレベーターへと引きずり込んだ。
「いいか、失礼なことは言うなよ。俺の首が飛ぶ……」
「えぇ……」
通されたのは、普段は本部長クラスしか使わない最上階の特別応接室だった。
重い扉が開く。
「失礼します……。二階堂警部補を連れて参りました」
代理が直立不動で頭を下げる。
部屋の中には、仕立ての良いダークスーツを着た二人の男女が座っていた。
一人は、50代半ばくらいの年配の男。
白髪交じりの髪を撫で付け、穏やかな顔立ちをしているが、その目は笑っていない。深淵のような静けさだ。
もう一人は、20代後半くらいの若い女性。
黒髪を後ろで束ね、鋭い眼光を放っている。隙のない姿勢。その懐には、拳銃とは違う「何か」を隠し持っている気配がする。
「お掛けください」
年配の男が静かに言った。
私が席に着くと、彼らは警察手帳ではなく、黒い革の手帳を提示した。
そこには、金色の「菊の紋章」が刻まれていた。
『宮内庁 書陵部 特別祭祀課 烏丸』
『宮内庁 皇宮警察本部 賀茂』
「宮内庁……?」
私は絶句した。
宮内庁は聞いたことがあるが、その書陵部? ってなんだ。
なんで私に?
横を見ると、代理が部屋の隅で小さくなっている。
「課長代理、あなたは退出していただけますでしょうか?」
烏丸の言葉に、代理は「は、はいっ!」と弾かれたように部屋を出て行った。
静寂が降りる。
「単刀直入に言います。二階堂警部補」
烏丸と名乗った男が、温度のない声で切り出した。
「あなたの身に、危険が迫っています」
「危険? ヤクザの報復ですか?」
「いいえ。あなたが金曜日に接触した……ソフィアという人物についてです」
心臓が跳ねた。
やはり、あの屋敷のことか。
「彼女らはただの国際マフィアや慈善団体ではありません。古来より歴史の裏で暗躍してきた、『人ならざる者たち』です」
「……は?」
私は乾いた笑い声を上げた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。今は令和ですよ? 映画の見過ぎじゃないですか?」
しかし、烏丸も賀茂も表情一つ変えない。
若い女性の方、賀茂が冷淡に言い放った。
「信じないのも無理はありません。しかし、すでにあなたは彼女の異常さに気づいているのでは?」
「ッ……!」
「どうやら、何かあったようですね。日本では『吸血鬼』と呼ばれる生き物です」
「……じゃあ、百歩譲ってあんたらみたいな堅いところの役人がその吸血鬼を信じていたとして、何の関わりがあるんだよ」
「そうですね。我々は表向きは宮内庁書陵部特別祭祀課となっていますが、実態としては『八咫烏』と呼ばれており、長年彼らを監視してきました」
烏丸が続ける。
「特に、あの屋敷の主……ソフィアという女。彼女の派閥は吸血鬼たちの中でも頂点に立つ集団で、規模は計り知れません。彼女は『西の女帝』とも呼ばれる長です。数百年ほど大きな動きを見せていなかったのが、ここ半年、日本の鎌倉に拠点を構えました」
「政府としては、変に干渉はせずにという対応を取りました。しかし、宮内庁としては接触、状況によっては捕獲する必要があると判断しました」
「じゃあ、なんで逮捕しないんですか」
「手が出せないのです。彼女の力は強大すぎる。これは非公式ですが、かつて……天武の帝の御代。彼女は帝と、ある女性を巡って争いを起こし、帝に手傷を負わせたという記録すらあります」
「天武天皇って……いつの時代だよ」
私が呆然とすると、女の賀茂が即答した。
「奈良時代です。この話はお伽話として、日本では有名です」
「はぁ? ……ごめんなさい、自分、歴史は苦手で……。それは、『平家物語』ですか?」
「違います。『竹取物語』です」
賀茂が私を軽蔑するような目で見た。
「しかし、これはただのお伽話ではありません。あれは、異界の者たちによる抗争の記録なのです」
頭が追いつかない。スケールが大きすぎて現実味がない。
だが、あのソフィアという女の底知れなさを思い出すと、否定しきれない自分がいた。
「我々は、彼女が大人しくしている限りは黙認していました。しかし……状況が変わりました」
烏丸の目が鋭く光った。
「彼女が、日本の公権力たる警察官……すなわち、あなたに執着し始めたからです。これは主権侵害であり、看過できません」
「私……?」
「それに、もう一つ理由があります」
烏丸が声を潜めた。
「壇ノ浦の戦いで失われたとされる『三種の神器』の一つ、草薙剣。……一般には海に沈んだとされていますが、実は源氏側が密かに回収し、あの吸血鬼に源頼朝公が託したとなっていました。」
「神器……?」
「しかし、最近の情報から、どうやら彼女たちは託されておらず『武衛の宝』を探しているとのことで。それが神器に該当する可能性があります。実際、我々はそうだと確信しています」
烏丸が言葉を切る。
「もし彼女たちがそれを探しているのであれば先に回収せねばなりません、すでに持っていたとしても同じです、国家の象徴を、化け物の手に委ねておくわけにはいきません」
「彼女たちが昨日、大規模な集会を開いたことは把握しています。我々の手の者が潜入を試みましたが、強力な結界に阻まれ失敗しました」
賀茂が悔しそうに拳を握る。
「世界中から幹部(眷属)を集めた……いわば『血気集会』であることは間違いありません。何らかの『開戦』の準備です」
「開戦!? 戦争!?」
私は立ち上がった。
「待ってください! 私、関係ないですよね!? ただのマル暴の刑事ですよ!?」
「いいえ。どうやら、色々なルートから二階堂警部補を捕獲したがってます」
背筋が凍りついた。
あのメッセージカード。『こっちから行くから♡』。
あれは、デートの誘いじゃなくて捕獲の予告だったのか。
「ですので、二階堂警部補」
烏丸が立ち上がり、私を見下ろした。
「我々があなたを『保護』します。拒否権はありません。あなたの身柄は、こちらで確保します」
「保護って……軟禁する気ですか!?」
「人権よりも国益です。それに、あの怪物に魅入られたら、死よりも深い沼に沈むことになりますよ」
賀茂が立ち上がり、私の腕を掴もうとする。
「だから、私は文官である烏丸様の護衛としてだけではなく、あなたを『確保』するために同行しているのです」
「ふざけないでよ! 私は警察官だ! 自分の身くらい自分で……」
コンコン。
その時、ドアがノックされた。
代理だ。真っ青な顔をしている。
「……お話のところすみません。あの、うちの二階堂に、別の方からお呼び出しが来まして……」
「どちらですか?」
烏丸が不快そうに眉をひそめた。
「イギリス大使館から……」
「……!」
私たちは顔を見合わせた。
烏丸が頷き、私たちは一階の正面玄関へと向かった。
自動ドアが開く。
そこには、信じられない光景が広がっていた。
「……嘘でしょ」
県警本部のロータリーを埋め尽くすように、高級車がズラリと並んでいる。
すべての車のナンバープレートが青色。
「外-〇〇〇〇」。外交官ナンバーだ。
その中心に、見知った顔があった。
優雅なドレスに身を包み、日傘をさした金髪の美女。
「一週間経ってなかったけど、迎えに来たわ」
ソフィアだ。
彼女は悪戯っぽく微笑み、私に手招きをした。
烏丸が一歩前に出る。
「どちら様でしょうか?」
「ふふ、私は、イギリス特別大使のソフィアと申しますわ。そちらの二階堂様に、我が大使館まで来てほしくてね」
特別大使。
そんな肩書きまで持っているのか。
烏丸は表情を崩さず、冷静に対応した。
「大変恐縮ではございますが、彼女は只今より我が国の保護に入ります。その願いは、正式に政府を通して頂いてからよろしいかと」
「あら、そんな手筈になってたの?」
ソフィアは、後ろに控えていたスーツ姿の女性に顔を向けた。
その女性は側近らしき人物だったが、無表情で胸の前で両手で「×」のポーズを作った。
「あら、そのようになっていないようだけど。……あなた、政府の人間? それにしては、だいぶ『こちら寄り』よね。陰陽寮って、まだあったのかしら?」
「……いいえ、宮内庁の者です」
「宮内庁? ……ああ、アンタら、黒い鳥の? はは、まだ組織としてあったのね」
ソフィアは愉快そうに笑った。
烏丸の目が、一瞬だけ細められる。
「どのように呼んでいただいてもよろしいです、紅の方様」
「ふふ、そんな古い名前で呼ばれるのは久しぶりよ。……それより、そういうことね。残念だけど、あなたたちが探しているお宝は持っていないわよ」
「そうですか。それはまた、別にお話を。今回はお引き取りして頂いても?」
烏丸の言葉には、有無を言わせぬ圧があった。
ここは日本だ。いくら外交特権があろうと、警察官を白昼堂々連れ去ることはできない。
「ふーん、確かにそうね」
ソフィアは意外にもあっさりと引き下がった。
そして、私の方を見て、ニカッと笑った。
「二階堂さん」
「あ、はい」
反射的に返事をしてしまった。
「その……来週、デートしましょうよ? いいわよね?」
衆人環視の中でのデートの誘い。
断れる空気じゃない。でも、OKしたら終わりだ。
「……考えておくのは、ダメでしょうか?」
私は精一杯の抵抗をした。
するとソフィアは、この世のものとは思えないほど美しく、そして残酷な笑みを浮かべた。
「ふふ、いいわよ。……でも、来なかったら」
彼女は視線を烏丸と賀茂に向け、また私に戻した。
「そのカラス二人を殺して、奪うから♡」
彼女は投げキッスを残し、高級車へと乗り込んだ。
青いナンバープレートの車列が、悠々と去っていく。
残されたのは、青ざめた私と、無表情のまま殺気を放つ宮内庁の二人だけだった。
「……策を取りましょう」
烏丸がポツリと呟いた。
私は弾かれたように彼を見た。
「策?」
「ええ。一旦、デートに行ってください」
「はぁ!?」
私は素っ頓狂な声を上げた。
「相手の懐に入り、お宝――『草薙剣』を見つけ次第、我々に連絡してください。それで確保しましょう」
「そ、そんな無茶な!」
「あなたには拒否権はないと言ったはずです。それに、断れば我々を殺すと言っていたでしょう? あなたは我々を助けるためにも、スパイとして潜入してもらう必要があります」
烏丸と賀茂は、冷たい目で私を見据えていた。
警察官としての正義感と、人として生き残りたい本能が、激しくぶつかり合う。
ヤクザより怖い吸血鬼に狙われ、助けに来たはずの政府組織に使い捨ての駒にされる。
私の運命は、完全に詰んでいた。
(第13話 完)
■センチュリー(TOYOTA Century)
日本が誇る最高級ショーファーカー。皇室、総理大臣、大企業のトップ、そして「本物の」ヤクザの親分などが乗る車として有名。
今回のエピソードで宮内庁(八咫烏)が乗ってきたのは、この車が持つ「公権力の威圧感」を演出するため。ナンバーが品川などの一般ナンバーでも、黒塗りのセンチュリーが並ぶと警察官でも足がすくみます。
■八咫烏
日本神話に登場する三本足のカラス。神武天皇を導いたとされる導きの神。
都市伝説やオカルト界隈では、「裏天皇」や「漢波羅秘密結社」として語られることが多く、戸籍を持たず、天皇や国体を霊的に守護しているとされる存在です。
作中では、宮内庁書陵部(天皇のお墓を管理する部署)のさらに奥にある、対アヤカシ・対怪異専門の極秘組織として設定されています。
■外交官ナンバー(外-〇〇〇〇)
青色のナンバープレート。日本の法律が適用されない「外交特権」を持つ車両です。
たとえ駐車違反をしても、スピード違反をしても、警察は切符を切ることすら困難(事実上の黙認)。ましてや車内を捜索することなど不可能です。
ソフィアはこの特権を利用し、白昼堂々と警察本部に乗り込みました。ある意味、暴力団よりもタチが悪い「最強の盾」です。
■武衛
源頼朝のことを指す唐名(中国風の呼び名)。
元々は兵衛府の督(かみ=長官)を指す言葉でしたが、頼朝が右兵衛督に任じられたことから、頼朝自身や鎌倉将軍家を指す隠語として使われました。
「武衛の宝」とは、すなわち頼朝が隠した遺産(草薙剣)のことを指します。
(※大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも、頼朝が「武衛」と呼ばれて親しまれていましたね)
■天武天皇
飛鳥時代の天皇(在位673-686年)。
古代最大の内乱「壬申の乱」を武力で勝ち抜いた、日本史上屈指の「武闘派天皇」。
呪術や道教にも造詣が深く、日本で初めて「天皇」という称号を正式に使用したカリスマです。




