第11話「ソフィア様ご乱心」
「ふぅ……無事に帰っていったよ……」
私は門の影から、去っていくふたりを見送った。
二階堂さんと速水さん。あの刑事さんたちが無事に帰れて本当によかった。
ソフィア様から「お菓子を焼くように」と言われてつくりおわったので応接間に行ったら、二人がぐっすりと眠っていて(正確には硬直していて)、それをメイド長のヒルデさんが米俵のように担いで門の外まで移動させていた時は、どうなることかと思ったけれど。
それがもう、あまりにも手慣れた動作すぎて、驚きよりも「またか」と思ってしまった自分が怖い。
私はリビングに戻り、休憩をとることにした。
部屋の隅では、景さんとメイド長が何かよく分からない筋トレをしている。
「230、231、232、233! いいだろう! 人は裏切るが筋肉は裏切らない! そうだろう景!?」
「は、はいっ! 何か感じます!! 筋肉の高揚感が!」
「そうだ、それが筋肉の精霊からの贈り物だ!!」
「はいっ!!」
……景さん、完全に洗脳されている。
アナスタシアさんは用事があるらしく、今日は帰りが遅い。
平和だなぁ、と私がお茶を啜っていると、書斎からソフィア様が出てきて私に言った。
「しぐれ、ナースチャ(アナスタシア)が帰ってきたら、私のところに来るように伝えて」
「はい、承知いたしました」
ソフィア様は少し興奮した様子で、また書斎に戻っていった。
それから1時間ほど経ち、玄関のドアが開く音がした。
「ただいま戻りました」
「あ、アナスタシアさん! お帰りなさい!」
ちょうど私の上がりの時間だ。よかった。
「あの、アナスタシアさん。ソフィア様が『帰ってきたら部屋に来てくれ』と仰っていました」
「分かりました。……うん?」
アナスタシアさんはふいに私に近づき、鼻をクンクンとさせた。
そして、ナチュラルに私の髪を触りながら、低い声で言った。
「……あなた、葉巻を吸った?」
「えっ? いえ、私は未成年なので、そういうのは吸いません! たぶん今日、二階堂さんという刑事さんが来ていて、その方の匂いが移っちゃったのかもです」
「なるほど……。その女に目移りしたら、ただじゃおきませんからね」
「え!? あ、いや普通にそういうのじゃ……!」
なんで相手が女性だって分かったんだろう。
あと、あのキスの件以来……この人、距離が近いというか、ちょっと強引になってきた気がする。
彼女は私の反応を見て満足したのか、「失礼いたします、ソフィア様」とドアを叩きながら書斎へ入っていった。
その間も、背後では筋肉の儀式が続いている。
「あと50回だ! 限界を超えろ! そこに神が宿る!」
「うおおおおっ! 筋肉が! 筋肉が喜んでます!!」
どうしよう、全然意味が分からなすぎる。
私が呆然としていると、奥の書斎からアナスタシアさんが出てきた。
「…… Non, non...」
彼女はブツブツと外国語で独り言を言っていたが、私たちに気づくといつもの日本語に戻った。
ただ、その表情は死んでいる。
「しぐれ、今週の土日は予定あるかしら? 祝日で連休よね」
「あ、はい。特にありませんが……どうしてですか?」
「ちょっと、緊急事態になってお泊まりで、お手伝いをしてほしいの。時給は特別日当で、10万円よ」
「じゅ、十万!?」
金額に目が眩んだ。
いや待て、この屋敷の「特別手当」は命がけの予感がする。
「え、その……誰かを暗殺とか、そういう感じですか?」
「違うわよ。これから世界中から大勢、この屋敷に来るの。だから人手が必要になるだけ。そういう危ない仕事ではないから安心して」
「あ、じゃあやります。お金欲しいです」
即答した。背に腹は代えられない。
「景、あなたもお願いできるかしら?」
「まぁ、アタシに拒否権はないっすよね……」
「よく自分の立場を理解しているわね。その姿勢は好きよ」
「うっす……」
「では金曜日からお泊まりになります。部屋は景は自分のところで、しぐれの部屋も用意しておきます」
アナスタシアさんはゴホンと咳払いをして、スマホを取り出した。
そして、どこか遠くを見つめるような目で宣言した。
「現在、ソフィア様はご乱心の状態で、非常に危険です。これよりコード『レッド・ローズ』を発令。各地にいる姉様方に連絡し、緊急会議の招待状を送ります。……では解散」
「え、ご乱心? 解散? え?」
ご乱心ってヤバくない? このまま解散なの?
私はポカンとしたまま、その日は帰された。
【金曜日】
私は学校を終え、屋敷へと向かった。
いつもの静かな山道には、見たこともないような高級車が列をなして停まっている。
屋敷の門は開放され、黒服のSPや、様々な人種の外国人たちが忙しなく出入りしていた。
「……何これ、サミット?」
人混みを縫って、使用人用の入口へ向かうと、そこにはメイド長のヒルデさんがいた。
「オオ、しぐれ! よくぞ来た! 今日は忙しくなるぞ!!」
「あ、はい! ヒルデさん、これ一体何なんですか? 人が沢山いるんですが……」
「ガハハ! 世界中からお嬢様の眷属が集まっているのだ! さあ、アナスタシアも休憩室にいるから会ってやってくれ。元気になると思うから!」
「あ、はい」
言われるがまま休憩室に入ると、そこは地獄絵図だった。
机の上には栄養ドリンク「モ〇スター」や「リポD」の空き瓶が山積みになり、パソコンのモニターと睨めっこをしているアナスタシアさんがいた。
目のクマが酷い。そして、ブツブツと何かを呟いている。
「чёрт….чёрт(クソッ……クソッ)」
たまにボソッと言うのでたぶんロシア語だ。完全に闇落ちしている。パソコンもなんだか古い機種だ。
「あの、アナスタシアさん?」
私が恐る恐る近づき、耳元で囁くと、彼女はビクリと震えた。
「Извините!(失礼!) ……あ、しぐれ。すみません、集中しておりました」
「大丈夫ですか? すごい疲れてますが……」
「ええ、大丈夫です。……強く抱きしめさせてください」
「全然大丈夫じゃない!?」
言うが早いか、座ったままの彼女は私の腰に腕を回し、お腹に顔を埋めてきた。
「スーッ……ハァ……」
「ちょ、ちょっと! 無理はダメですよ……」
抵抗しようとしたが、彼女の力は強かった。
仕方なく、私は自然と彼女の頭を撫でていた。
サラサラの銀髪。冷たい感触。
30秒ほどそうしていただろうか。彼女はパッと顔を上げ、キリッとした表情に戻った。
「ありがとう、これで元気になりました。全回復です」
「よかったです……」
「よし、では取り掛かりましょう。まずはお嬢様にお伝えください。準備ができたので10分後には始められると。書斎にいらっしゃいます」
「はい、分かりました」
私が書斎へ行くと……そこには、二人の外国人女性に向かって凄い剣幕で怒鳴り散らしているソフィア様がいた。
英語? フランス語? 何を話しているのか分からないけど、めちゃくちゃ怒っている。
「すみません、ソフィア様……」
「あ、しぐれ! 来てくれたのね! ごめんなさいね、ちょっと興奮していて」
ソフィア様は私を見ると、瞬時に満面の笑みになった。切り替えが怖い。
「アナスタシアさんからの伝言で、準備ができたそうです……」
「よしシャアアア! じゃあ、早速やるわよ!」
普段は使われていない大広間に、大量の椅子が並べられていた。
正面には巨大なスクリーン。
世界各国のVIPのような美女たちが席につき、スクリーンにはZoomで参加しているメンバーの顔が映し出されている。
私たちは、参加者にお茶やお菓子を配る係だ。
アナスタシアさんは顔を死なせながら、機材の配線やネット接続を管理している。
準備が整い、私たちは壁際に待機した。
隣でアナスタシアさんが、ぐったりと椅子にもたれかかっている。
「アナスタシアさん、これから何が始まるんですか?」
「聞いていれば分かりますよ。これがどんなに無意味で、かつ世界を揺るがす会議か……。あ、あなた日本語しか話せないんですよね?」
「あ、はい」
「そうね……。あなたにも会議の内容を理解してもらいたいので、どうしましょう。……ちょっと私の血を入れさせてください」
「え、それって私もヴァンパイアになっちゃうじゃないですか!?」
「そんな微量じゃなりません。吸血鬼の血には『言語理解』の情報も含まれているんです。これからはお嬢様の母国語であるラテン語を中心に話し合いが進みますから」
「え、あ、分かりましたが……あの、前みたいに舌は止めてください。痛いから……」
「ワガママですね。ほら、首出して」
「はい……うっ……」
チクリとした痛みが走り、すぐに引いた。
なんだか頭がスッキリして、聞こえてくる外国語が日本語のように理解できる気がする。
ふと反対側を見ると、メイド長が嫌がる景さんに噛み付いていた。
「メイド長!!! 止めてください、嫌です! 強引すぎます!」
「いや、これやれば言葉が分かるんだよ! いいだろう! 先っぽだけだから!」
「止めて、いや、あッ!」
なんか、見ちゃいけないものを見た気がした。
そんな騒ぎをよそに、会議が始まった。
ソフィア様が演台に立ち、バン! と机を叩く。
「みんな、集まったわね! もう分かっていると思うけど、緊急の案件が発生したわ!」
会場がざわつく。
警察が来たから、何か重大なトラブルがあったのだろうか。
政府と全面戦争とかになったら……私、テロリストの仲間入りになっちゃう。怖い。
「ドストライクの女を見つけた!! なりふり構わず、ともかくその女を自分のものにしたいんだよ!!!」
……は?
会場が一瞬静まり返り、次の瞬間、ため息が漏れた。
「今日集まってくれたあなた達に、前のように手伝ってほしいのよ! 全力で!」
そう唾を飛ばしながら熱弁するソフィア様に、Zoomで参加していた派手な美女が手を挙げた。
『ソフィア様。大変言いにくいのですが、この感じで成功した試しはないかと……。それこそ、クレオパトラ様の時も然り、マリー・アントワネット様の時や……』
「ファースト! アンタとは一番古い仲とはいえ、それは違うわ! クレオパトラの時はグズグズしてたからカエサルに取られたのよ! アントワネットの時だって、ルイより私が好きってメロメロだったから!」
ファースト? 数字の名前?
私が首を傾げていると、アナスタシアさんが小声で解説してくれた。
「お嬢様は昔、自分の眷属の名前を覚えるのが面倒で、初期メンバーは数字で呼んでいたんです」
「ひでぇ……」
「しかし、お嬢様は何事も事を大きくしてしまう癖があります。クレオパトラ様をモノにしたいからとローマ元老院を唆かして軍隊を派遣させたり、アントワネット様を宮殿から連れ出すために民衆暴動を扇動したり……」
「歴史の裏側にこの人あり、ですね……」
「分かってるわい! もうよい!」
ソフィア様が遮ると、会場にいたスーツ姿の女性が手を挙げた。
「ソフィア様。イギリス王室は全面的に協力すると言っております」
「セカンド!! この間もありがとうね、上手くやってくれたみたいで!」
「いえいえ。王室の方々にとっては、お嬢様がいなければ今頃イギリスはフランス領になっていたとご理解いただいているほどですから」
「(なんか、すごい歴史改変の危機があったんだろうな……)」
すると、画面の中のファーストさんが呆れたように言った。
『あのね、セカンド。あなたがそうやってお嬢様を甘やかすから、こうなっているのよ』
『あら、お姉様こそ。お嬢様の恋路を邪魔するなんて野暮ですわ』
二人の言い争いが始まりかけたその時、ソフィア様が叫んだ。
「まぁ、みんなが私が心配で言ってくれているのも分かってるし! 私はみんなを家族だと思っているし、愛しているわよ!」
「「「お嬢様……!(トゥンク)」」」
会場の空気が一変した。
今まで文句を言っていた美女たちが、一斉に頬を染めてメロメロになっている。
何これ怖い。宗教?
「安心しなさいよ。今回のターゲットは、どう見ても庶民の子で、警察官の子なの。あの擦れた感じ……社会の荒波に揉まれて疲れ切った目が、たまらないのよ! 名前は二階堂と言って……」
「(あ、あの刑事さんだ……)」
するとアナスタシアさんが私の独り言に反応した。
「ええ、しぐれ。お嬢様は『仕事などで疲れ切った目が死んでいるような方』が好きなんです。私が思うに、自分が長生きしすぎて退屈しているから、必死に生きている人間の儚さに惹かれるんでしょうね……」
遠い目をしているアナスタシアさん。
多分だけど、こういう苦労を何世紀も続けてきたんだろうな。
「ともかく、なりふり構ってられないわ!! 日本政府に圧力を入れなさい!! ほら、アメリカなんて今の大統領使ってやれるでしょ!! ともかくやるんだよ!!!」
怖い、怖いよ……強引すぎるよ……。
気に入った人がいるからって、国家権力を動かすの?
普通に自分で口説けばいいじゃない。
そうだ……少なくともそれだけは伝えないと、世界がヤバい。
普段の私なら流されるけれど、隣で今にも過労死しそうなアナスタシアさんを見ていて、これ以上負担はかけられないと思った。
「あの!」
私は大きな声を出した。
会場がシーンとなる。
数百人の視線が、一介のメイドである私に集まる。
「あら、しぐれ。どうしたの?」
ソフィア様がキョトンとして私を見た。
「あの! こういうのって……二階堂さんのことが好きなんですよね、ソフィア様は。その好きな人にアタックするのに、周りに相談するのはいいと思いますけど……やっぱり最後は、本人と相手の一対一になると思うので……ご自身でアプローチするのが、良いかと思います……!」
言っちゃった。
心臓がバクバクする。
周りの眷属の人たちは、「よくぞ言ってくれた!」という顔で私を見ている。
「……あなたが初めてよ。そんな風に言ってくれたの……」
ソフィア様が、いつものように優しく微笑んでくれた。
あ、これ分かってくれたやつだ。よかった……。
「そんなん、恥ずかしくてできるわけないでしょうがァァァ!!!! 正論言えばいいってもんじゃないのよォォォ!!!!」
「えぇ……」
ダメだった。逆ギレされた。
これがドラマなら改心するシーンなのに。
「ナースチャ!!! これからは戦争になるわ! いい!?」
「は、はいぃ!!!!」
珍しく動揺しているアナスタシアさん。
「しっかりしなさい! その代わりに……この作戦が終わったら、しぐれとデートする時間を作ってあげるから!」
「え?」
「はい!! お嬢様!!! やります!!! 全力で!!!」
アナスタシアさんの目が、カッと見開かれた。
死んでいた瞳に、生気が戻るどころか、バーサーカーのような輝きが宿った。
「しぐれ、屋敷の仕事はしなくていいから、デートしなさい! 特別日当を出すから!」
「え、ちょ、意味が……」
え、特別日当!!
「はい!!! やります!!!(食い気味に)」
こうして、世界を巻き込んだ、ご乱心のお嬢様による恋愛物語(と、私のデートフラグ)が始まってしまった。
(第11話 完)




