冬空のアンタレス
冬の刺すような冷気の中、僕は一人、夜空を見上げる 。漆黒が広がる空に、北には北斗七星、南にはオリオン座が、まるで誰かが零した宝石のように凍てついた輝きを放っている 。吐き出した白い息は、一瞬だけ視界を濁らせては消えていく 。
「……ああ、昔と変わらないな」
ふいに漏らした独白は、誰に届くこともなく冬の闇に吸い込まれる 。気まぐれに軌道を変える惑星や、一瞬の光を残して消える流れ星を除けば、この星空は何年経っても変わることが無い。
君と一緒に見上げた星空と、今の星空はまるで変わらない。それと同じように、君との関係も、ずっと変わらないと思っていたし、変わりたくないと思っていた。
あの日の自転車での帰り道。いつもなら別々の方向へ別れるはずの橋を、その日は二人で渡った。少しでも長く一緒にいたくて、僕は君を途中まで送ることにしたんだ。
坂の途中、横道にそれた場所にある川沿いの橋。夕日と川面が重なるその場所は、僕たちのお気に入りの特等席だった。 見上げた空には、すでに陽光が山の端に隠れ、西には淡いピンク色の余韻が広がっていた。反対側の東の空は、深い紺色のグラデーションを纏い、一足早い夜を連れてきている。
「あのピンク色の空、なんていう名前なんだろう」
君の問いに、僕はスマホの画面をなぞった。
「ちょっと待って……ああ、『薄明』だって。あのピンクが混じった薄い青色は『紅掛空』というらしいよ」
「へえ、なんにでも名前があるものなんだね」
「そうだね。でも、色の和名って、なんだか素敵だと思わないかい?」
「本当だね。他にも知らない名前がたくさんありそう」
そんな会話を交わしているうちに、紺色の空はさらに濃度を増し、ひとつ、またひとつと星が瞬き始めた。
「ねえ、オリオン座はあれだよね?」
「そうだよ、正解」
「私、十二月生まれの射手座なんだけど、どこにあるのかな?」
「……」
「なによ、その顔」
「いや……射手座は、夏の星座なんだ」
「えっ、嘘でしょう?」
「本当さ。ちなみに、その射手座が狙っている先に何があるか知ってる?」
君が小首を傾げる。僕はその横顔を見つめながら答えた。
「蠍座のアンタレス。……ハートだよ」
「へえ……」
「じゃあ、僕の星座は?」
「ええと、十月だから、確か……。あ、そうか」
「そう。蠍座だ」
「!それって………」
僕はその答えを待たずに、少しだけ強引に君を腕の中に抱き寄せた。 僕の鼓動が聞こえてしまいそうだったけれど、君の鼓動もまた、同じ速さで僕に伝わってきた。
すっかり暗くなった道を、一台の車が通り過ぎていく。赤いテールライトが角を曲がり、視界から消えた。
重なる、わずかな静寂。
君が、ゆっくりと顔を上げる。その額に、僕の唇が微かに触れる。そのまま二人の距離は、自然に、吸い寄せられるように近づいていって……。
「……もう、こんなところで……」
「……嫌だった?」
「……嫌じゃない、けど」
君はそう言って、僕の胸に顔を押し付けてきた。僕はその華奢な肩を包み込むように、少しだけ力を込めて抱きしめる。
「寒い?」
「大丈夫。……でも、顔が熱いから、もう少しだけこのままでいさせて」
「あのさ。夏の星座は、冬でも明け方には見れるんだ」
「そっか……じゃあ、いつか一緒に見たいな」
君はあの日の事を覚えているだろうか。蠍座の僕と射手座の君との関係性の話を。これを話した時、君は照れながら、でもとても嬉しそうに笑っていたよね。その笑顔を、僕はずっと側で見ていられると思っていたんだ。
けど、時間の流れは僕たちをそのままにはして置かなかった。ほんの少しのすれ違いで2人の道は別れ、僕たちはそれぞれの道を、時間を歩くことになった。その時の胸の痛みは、今も忘れた事は無い。
今の僕は、君との細い糸を繋ぎ止めるためだけに、一年に一度、ごく短い連絡を交わすだけだ。それは、少しでも強く引けば、音も立てずにぷつりと切れてしまいそうな、あまりにも儚い関係だから 。
僕には、もう一度あの頃のように想いを告げる勇気がなかった 。想いを言葉にすれば、このかろうじて保たれている距離さえも失い、永遠の他人になってしまうのが怖かった。
もし、僕に運命を覆すほどの勇気があったなら 。もし、何度拒まれても君に告白し続けていたなら 。僕たちの歩む道は、再び一つに重なり合うことがあったのだろうか?
その答えは今も出ない 。いや、答えなど永遠に分からなくていいのかもしれない 。あの日、並んで見上げたあの星空が今も変わらずそこにあるように、君との繋がりもまた、今の形のまま変わらずにいてほしいと願ってしまうから 。もし答えを知ってしまったら、見慣れたこの夜空さえ、全く別の景色に変貌してしまうような気がして、それがひどく寂しく感じるんだ。
東の空がわずかに白み始める頃、僕は仕事へと向かうため、いつものように家を出る 。厳しい寒さに身を縮めながら、僕は無意識に南の空を探す 。
君も、目にすることがあるんだろうかと、思いながら。
そこには、冬にも関わらず、夏の星座であるさそり座が昇っている 。その心臓部で赤く燃えるアンタレスと、それを狙い澄ます射手座 と一緒に 。
お読みいただきありがとうございました。
本作は 武 頼庵 様 主催の「すれ違い企画」に参加しています。




