消える時間
夏の港町は、湿った海風と油の匂いが混じっていた。
昼間の陽射しは石畳をじりじりと焼き、夜になってもその熱はまだ足元に残っている。
その夜、相馬の誘いで港の夏祭りに出かけた。
提灯の赤い光が潮の水面に揺れ、屋台から漂う焼きイカの匂いに腹が鳴る。
人々の笑い声と三味線の音色が重なり、どこか浮世離れした熱気に包まれていた。
「ほら、あっちだ」
相馬に手を引かれ、岸壁近くまで行くと、大輪の花火が夜空に咲いた。
赤、青、金色。花火の閃光が相馬の横顔を一瞬だけ明るく照らす。
その目は少年のように輝いていて、祐真はこの瞬間が永遠に続けばいいと本気で思った。
「——なあ、もし次に会えなかったら、どうする?」
花火の音にかき消されそうな声で、相馬が言った。
「そんなこと——」
言いかけたとき、再び花火が炸裂し、言葉は煙の中に溶けた。
翌朝。
南蛮堂に行くと、相馬の姿はなかった。
店主に聞くと、「昨夜の祭りのあとから見ていない」と首を振る。
港の知人を回っても、誰も彼の行方を知らない。
ただ一人、港湾倉庫の守衛だけが「ああ、夜中に坂のほうへ歩いていくのを見た」と証言した。
祐真は胸がざわついた。
あの坂——石段。
まさか、と思いながらも足は自然とそちらへ向かっていた。
坂道は湿った空気に包まれ、蝉の声が遠くで響く。
石段の途中まで来たとき、突風が吹き抜けた。
六甲おろし——夏にしては異様に冷たい。
「やめろ……今は戻れない!」
祐真は階段の手すりを掴み、必死で踏みとどまる。
だが、目の前の景色がじわりと揺らぎ、色が薄れていく。
気づけば、現代の夕暮れの中に立っていた。
アスファルトの路地には自販機の青い光。
振り返っても、もうあの街はない。
ポケットに手を入れると、南蛮堂のマッチ箱があった。
だが、それは微かに濡れており、指先に冷たい感触を残した。
相馬は、あの世界に取り残されたのか——
それとも、もう存在しない時間に飲み込まれたのか。
祐真はただ、坂の上を見上げた。
風は止み、蝉の声だけが虚しく降ってきた。