6.ゆるりとお勧めの宿屋に泊る
「着いた。ここ、お勧めの宿」
「へぇ、ここが……」
周辺の建物と比べてこぢんまりとしている場所に、魔石の明かりが灯っている。
宿屋というよりは、大きな民宿と云った雰囲気だ。
明るい小窓から声が漏れている。
酒場も兼ねているのだろう。男たちの話し声が聞こえてくる。
「入ろう」
「はい」
アリーさんが入り口の扉を開ける。すると、ドアの備え付けの鐘が甲高い音を鳴らした。
「いらっしゃい!」
中に入った途端、若い女性の挨拶と談笑の騒めきが聞こえてくる。
「あれ? アリー! こんな時間にどうしたの?」
「ん」
出迎えの声の主はアリーさんと知り合いのようだ。
「なになに? 急にどうしたの? 遊びに来たわけでもないんでしょ?」
「客を連れて来た。ここはお勧めの宿。食事も美味しいし、安い。信用できる」
「あっ、そういうこと? ありがとう! お母さん! 泊りのお客さんだよー!」
元気な女の子だ。歳が近そう。
背丈も少し高いくらいだし、そうであるに違いないよね。
「すぐにお母さんが来るからね。私、お店の手伝いをしないといけないからもう行くけど、アリーはどうする? 食べて行く?」
「いい。リエルを連れて来ただけだから」
「そっか。リエルさんって言うんだ。私はベティ。これからよろしく、ね?」
「うん。よろしく、ベティさん」
笑顔が可愛い。孤児院の女の子たちを思い出すね。
もっとも、ベティのように愛嬌が良かった訳でもないんだけどね。
だって愛想が悪かったし、ボクは嫌われていたもんね。
「じゃあお母さん! 後はお願いね!」
「ああ、分かったよ」
ベティが離れていく。代わりに同じ給仕姿の大柄な女性がやって来た。
「アリー。最近遊びに来ないから心配していたわよ。元気そうで安心したわ」
「ん、順調」
「で、この子がアリーのお気に入りって訳ね?」
「ギルドの仕事。困っていたから連れて来ただけだから」
「あはは、そうかい。そりゃあ大変だ。そう言うことにしておくよ」
「うん。マリヤ。リエルのことをよろしく。私、ギルドに戻る」
「なんだいもう行くのかい? ご飯食べていかないのかい?」
「うん。また今度来る。じゃ」
アリーさんがボクを見て笑った。ボクはすぐに、「ありがとうございました」と、感謝に礼を済ませる。
アリーさんがまた笑ってくれた。「リエル、いい子」と一言告げ、扉の鐘を鳴らして出ていく。
ボクはアリーさんを見送った後に振り返り、マリヤさんを見上げるように目を合わせる。
「一泊5000ルード。うちは朝と夜が付いてくるよ。昼はランチをやっているから、その都度支払いになるわね」
さっそく話を進めてきた。
銀貨一枚で一万ルード。王都の宿の平均は一万ルード。物価の違いは分からないけど、良心的な値段に聞こえてくる。
「じゃあ、銀貨二枚でお願いします」
ボクはアイテムボックスからお金を取り出し、マリヤさんに手渡す。
「はい、確かに」
受付カウンターの前でマリヤさんに精算を済ませていく。
計算は魔導具のようだ。前世で見たことがある。手動のレジと同じ形をしている。
たぶん造りが違うのだろうけど、似ている気がする。大きさが巨大で違うけど、ボタンを押して行く感じが同じように見える。
「うちは湯あみ場が無いからね。洗濯場で済ませておくれよ。お湯は有料だ。支払いはその都度お願いするわね。分からないことがあったら遠慮せずに聞いておくれよ」
「分かりました」
「あんた育ちがいいねえ。どこから来たんだい?」
「王都からです。孤児院出なので、育ちがいいかっていうとそんなことはないですね」
「そうかい。そりゃあ大変だ。ところで夕食はどうする? もちろん食べるんだろう?」
「はい。お願いします」
「じゃあ席に案内するよ。おかわりは別料金になるからね。その都度お金を払ってもらうことになるわ。うちは小さい宿だから即金払いになるのよ」
「分かりました」
「じゃあ付いて来て」
大柄の女将さんの後ろにボクは付いて行く。
受付カウンターから離れ、厨房が見える吹き抜けの広間に移動し、テーブル席の合間を進む。
満席御礼。身なりの整った客層が大勢居る。
どうやら商人がほとんどのようで、聞こえてくる笑い声は商売の話ばかり。景気がいいのだろう。皆さん、嬉しそうにしている。
「お前さんたち。ちょっといいかい?」
部屋の隅のテーブルの前で立ち止まる。身なりが落ち着いた男女三人に向け、マリヤさんが声を掛けた。
「相席いいかい? この子だけなんだけどね」
三人は食事に夢中のようで、無言で顔を上げてうなずいている。
「よかった。それじゃあベティが夕食を持って来るから。リエルはそこで待っていてね」
「はい」
そう言うと、マリヤさんは厨房の方へと向かっていく。
ベティの声が聴こえてくる。元気に注文を受け取り、可愛い声を上げている。
ボクは進められたその椅子に手を掛ける。
しかし困ったことに、ボクの座るテーブルスペースの上に空きがない。
三人の料理が置かれている。
どうしよう。勝手に食器を動かしたら怒られるかな?
そんな風に迷っていると、三人が気付いてくれた。
自分達で皿を動かし、場所を空けてくれた。
「ありがとう」
感謝したボクは、木の椅子を引いて腰を掛ける。
三人がそれぞれボクを見る。
ボクに興味があるようで、食事の手を休めている。
「あの。なんですか?」
気になるので声を掛けてみた。決して怖い訳ではないよ。
本当は人見知りが激しいボクだけど、これくらいは当たり前のこと。一応サラリーマンをやっていたからね。大人の対応はできる。
「キミが噂の子か? 近くで見ると小さいな」
何か文句があるのかな? 確かに小さいけど、小さいからといってそんな風ににらまないで欲しい。
「あ、怖がらせてしまったか? すまんな。少し気になっていたんだ」
体格が良い素朴な男。話し方も粗野で男らしい。おそらく冒険者なのだろう。
「俺はアレン。こっちはティエッシュにレティッシャだ。よろしく、リエル」
この男、いきなりイケメンになった。碧眼金髪で笑うと愛嬌があるね。
どうやらボクのことを知っているみたいだ。
「あたしがティエッシュだよ。アレンと同じチームなの」
「私はレティッシャだ。アレンとは長い付き合いになる」
どちらも若い女性。だけど隣に座るレティッシャは種族が違う。茶色い犬耳をした獣人族のようだ。
「ボクはリエルです。今日冒険者になりました。よろしくお願いします」
「ああ、知っている。キミは有名人だからな。ついさっきまで俺たちもギルド内で噂をしていたんだ。すぐに分かったよ」
「え? ボクが有名人なんですか?」
アレンというイケメンの言葉に、思わず聞き返してしまった。
「ええ、そうよ。女の子がギルドマスターに頭を下げていたら有名にもなるよ。あたしも見ていたからね」
「ティッシュの言う通りだな。昼間の時間、全員がキミを見ていたんだ。あの怖いギルドマスターに大きい口を叩いている子供が居るってなあ。あの場に居た全員が驚いていたな」
「そうなんですか?」
ギルドマスターだったんだ。あの受付のおじさん。偉い人だったんだね。
後、ボクは女の子じゃない。男の子だよ。
「あの」
「お待たせ! リエルさん、夕食を持って来たよ!」
「あ、うん」
男であることを否定したら、ベティに声を遮られた。
でももういいよ。いつものことだし。
「今日はホーンラビットのスープとソテーだよ」
「うん」
三人のお皿を見て知っていました。
とても良い匂いがしていたので、きっと美味しい料理に違いないとね。
「じゃあ、ごゆっくり」
「ありがとう」
そう云うと、ベティが笑って離れていく。可愛いね。
ボクは両手を合わせる。
孤児院でもしていた作法。
日々の糧に感謝して、作ってくれた人に祈りを捧げる。
そうして食前の挨拶を済ませたボクは、木のスプーンに手を取り、スープと具材をすくって、口まで運ぶ。
美味しい。だしの味がしっかりしていて、とろとろに溶けた野菜に好く馴染んでいる。
暖かい。干し肉ばかりだったボクには凄いご馳走に思えてくる。
パンもいいね。フランスパンに似ていて柔らかく、歯ごたえが程良くする。旅の黒パンに慣れたボクにとっては、とても食べやすいものだ。
ソテーのお肉も柔らかくていいね。スプーンの先で簡単に崩れていく。
美味しい。
「旨そうに食べるな。見ていたら腹が減って来た。二人とも注文で何かを追加するか?」
「アレンのおごり? やったね。それだったらお酒が飲みたいなー」
「おいおい、勘弁してくれよ」
「いいよね? 頼んじゃうよ? あっ! ベティちゃん! エール二杯。お願い!」
「はい! ありがとうございます!」
「私は肉だ! 肉を頼む!」
「はーい」
どうやらアレンのおごりが確定したらしい。
女性二人がさらに注文で声を張り上げていく。
「ごちそうさま」
ボクは聞き耳を立てながら夕飯を綺麗に食べ終えた。
そして食への挨拶を済ませ、最後まで取っておいた水に手を付ける。
「それにしてもキミは凄いな」
赤い顔のアレンがボクに視線を合わせてくる。
最近流行りの甘味についての話題に飽きたらしく、興味がボクに移ったようだ。
「ん? 急にどうしたんですか?」
「薬草の採取だよ。その歳でギルドマスターを納得させられたのだから、冒険者のセンスがあるよ」
「そんなことはないですよ」
「謙遜するな」
アレンはだいぶ酔っているみたいだ。ティエッシュさんにエールを進められてから、すでに五杯目。
「俺も経験がある。ガキの頃だけどな。始めは上手く行かなかったもんだ。それなりに腕には自信があったんだがなあ。採取になると、これがからっきしでな。失敗ばかりをしたもんだ。おかげで先輩方に沢山怒られたよ」
「はあ……」
「キミは一回で採って来た。凄いよ」
「えっと」
「そう困った顔をするな。もっと堂々としろ。周りになめられても損ばかりすることになるぞ?」
「ア~レ~ン? もう、なによう? 子供相手に説教? あたしも混ぜてよ」
アレンの隣から抱き付くようにティエッシュさんが真赤な顔をしている。
木のジョッキを傾けエールを一口。盛大に息を吐き、赤いまぶたの瞳を合わせてくる。
「あたしたち幼馴染なんだけどね。昔から一緒に冒険者をやっているのよ。今ではDランク。これでもそれなりに有名なの。うっぷ」
「おい、ティッシュ。飲み過ぎだぞ?」
「いいの。大丈夫。平気よ」
「本当か?」
「でね、リエルちゃんみたいな初心者冒険者には必ず採取仕事が回されるんだ。なんでだと思う?」
「え?」
なぜなんだろう。分からない。
分からないからボクは、素直に眉をひそめる。
「それはね。信用が無いからよ。新人冒険者には実力が無い人が多いからね」
信用か。確かにそうかもしれないね。
「他にも理由はあるぞ? 薬草採取には魔力を感じ取る才能が必要になる。それが出来ないようでは、魔物と戦うことなんてできないからな」
「あっ」
「リエルちゃん、気付いちゃった? 気付いちゃったよね? そう。そうなのよ! 新人冒険者には色々と試練があるのよ! これからも沢山のことをお願いされて、全部熟していかなければならないの。それを全て出来て始めて、次のランクに行けるのよ!」
「なるほど」
チュートリアルなのかもしれないね。ゲームの初心者クエストのようなものかな?
まったく違うかもしれないけど、流れ的には合っているような気がする。
探し物やゴミ掃除にお使いなど、覚えている限りでも、ゲームでの初心者冒険者には多くの仕事がある。
信用ポイントを稼ぎ、ある程度信用のレベルを上げることで、土地を買うことができるようになる。専用の家を建て、生産を行い、武器や防具、倉庫やその他の用途に使用していく。
立地条件が良い場所は後々得をすることになる。
お店を開いてもいいよね。
ボクがサーバーを変えてゲームをやり直した理由の一つだ。
スタートダッシュに、各種クエストを熟し、信用ポイントを稼いで信用レベルを上げる。
懐かしいな。
「だからまあ、しばらくは薬草の採取だな。Fランクになるまでが一番大変だからな。がんばれよ」
あ、聞いていなかったかも。
「アレン、ちょっと酔い過ぎ。リエルちゃんのためにならないよ?」
「そうなのか?」
二人が何か重要なことを云っていた気がする。
「ねえ、アレン。話ついでにもう一杯飲んでもいい?」
ティエッシュさんもだいぶ酔っぱらっている。アレンの肩に赤いほほを押し付けている。
「ダメだ。今日はもう終わりだ」
「えぇぇ、もっと飲もうよう?」
「ほら、部屋に戻るぞ」
そう受け応えをしつつ、アレンがボクに片目で合図を送って来た。
ボクはアレンの意図を察し、会話のフォローをする。
「やだー。もっと飲む」
「ボクもそろそろ部屋で休みます」
「え? リエルちゃんも行っちゃうの?」
「はい」
「そっか……残念。分かったわよ。今日はもういい!」
そう言うと、アレンがティエッシュさんの肩を担ぎ、立ち上がる。
「悪いな」
そう一言告げ、アレンがうなだれるティエッシュさんと一緒に奥へと歩いていく。
「すまんな。仲間の酒に付き合ってくれて。迷惑を掛けた」
「いえ、楽しかったです」
確か、名前はレティッシャさんだったかな。
忘れるところだった。
人の名前を覚えるのは苦手かも。
「リエル。一ついいか?」
「はい。なんですか?」
「その話し方は止めろ」
「あ、そうですね、じゃなかった。……そうだね」
「ああ、それでいい。今後も気を付けた方がいい。周りのためにも。そして、自分のためにも、なあ」
来た。テンプレが来たよ。
小説の通りかも。
敬語とか、丁寧語みたいな言葉遣いをすると、冒険者は損をする。
よくある話だ。
それに、彼女は獣人族。獣人族はそういった話し方を嫌う。
漫画の通りだね。
「ありがとう。レティッシャさん。今後はそうさせてもらうね」
「私は呼び捨てでいい」
「うん。分かったよ。レティッシャ」
レティッシャはいい人だね。
犬系かな? 実家のご近所に居た柴犬を思い出すね。
「リエル。獣人族と話すのは初めてか?」
「うん。見たことはあるけど、実際に話すのは初めてだよ」
「そうか。最初が私でよかったな。獣人族は敬称呼びを嫌う」
「そうなの?」
「ああ」
「どうしてなの?」
小説の通りだったら分かるけど、一応聞いてみよう。
「常に対等でいることが信頼されていると感じてしまうからな。敬称を付けるということは、他人として扱っているのだと感じしまうからだよ」
「でも、偉い人や商人は丁寧に話さないと嫌われるよ?」
「そうだな。リエルの言う通りだ。商人の考え方は分かっている。それが美徳であるということも知っている。だがな。知っていても私たちは魂に抗うことができないからな。分かっていても怒りを感じてしまうものだ」
なるほど。本能が許さないってことなのかもしれないね。
「分かったよ。ボク、人族以外の人に対しての話し方は気を付けることにするよ」
「ふっ、人族以外か。リエル。面白いことを言うな」
「そう、かな?」
「そうだな。確かに人族だけかもしれんな。他の種族も獣人族ほどではないが、丁寧に話をすると損をする」
「あれ? エルフは違うの?」
「エルフ? ああ、森人族か。確かにあいつらはそうかもしれないな。だが、どちらかというと敬称を嫌う方だな」
納得したボクは、うなずきで返事をする。
口に水を含み、慣れない話し方に対して気持ちを落ち着かせる。
「リエル。ついでに一つ言っておきたい」
「えっと、何かな?」
「お前、いい臭いがするな。雄なのだから、良い臭いをさせるのは止めた方がいい。雌だと間違えられる」
「え、え?」
「リエルは雄だよな? 違ったか?」
「うん。ボク男だよ」
やっと分かってくれる人が居た。でもちょっと意外な含み。
「見た目も気を付けた方がいい。そんな顔をしていたらすぐに人さらいが来る。リエルは雌に見えるからな。その手の好き者に需要がある」
やっぱりそういう人が居るんだ。
なよなよしているホモ臭い男のお尻を狙うのかな?
「そっか。ありがとう、レティッシャ」
「ああ」
明日からは気を付けないと。
できるだけ人の多いところに行こう。
身なりにも気を配ろう。服を買って、男らしい格好をしよう。
「私もそろそろ部屋に戻る」
「うん。お休み、レティッシャ。今日はいろいろと教えてくれてありがとう」
「ふっ、お前はいい奴だな」
「え?」
レティッシャがボクの頭を撫でる。幼い子供としてボクを見ているのかもしれないね。
「じゃあな」
レティッシャが席を離れていく。
ボクはその動きを目で追う。
そして、云われたことを思い出す。
「いい臭いって何だろう」
ボクは自分の服の臭いを気にする。
すんすんと鼻を近づけ、空気を吸い込む。
でもよく分からない。臭いとかはなさそうだけど。
体は生活魔法で定期的に洗浄をしている。
水浴びをしていないから汚いかもしれないけど、他の人よりは綺麗だと思う。
「うーん」
脇の臭いを嗅いでみた。
少し独特の臭いがした。
やっぱり、体は水で洗った方がいいのかもしれないね。
「あの! ちょっといいかな!」
「はーい!」
早速とボクは洗濯場への案内をベティにお願いする。
それとついでに注文。
体を拭いてから寝ることにするため、お湯を分けてもらうことにした。
席を立ち、銅貨二枚を払って、勝手口から裏庭へと案内をしてもらう。