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第十一話 『信頼のイロハ』

 幕間を挟みつつ綴ってきた本書だが、早いもので、次が最後のエピソード群となる。

 お気付きの通り、本書の幕間で語られている内容は、僕がこの本を綴っている今現在の出来事であり、本書のエピソードからすれば、少しばかり未来の話という事になる。

 

 従って、少々内容の食い違いや不明瞭な点も多々あったとは思うが、本書の残り数万字を駆使して順を追って明らかにしていくつもりだ。安心して読み進めて欲しい。

 

 突然だが、時間とは儚く移ろいゆく物である。

 一般的には”後ろ”から”前”へと進むといった、動画のシークバーを操作するようなイメージを持たれる事が多いだろう。実際にそういうものなのかもしれないが、しかし「果たしてそうだろうか」と異を唱える科学者も多い。

 

 何が言いたいかというと、本当のところ、確かな事は何一つ分かっていないのだ。

 こういう現象が起こるから、こういう事なのだろう――という仮説が乱立している段階にすぎず、時間や、空間、宇宙、深海に至るまで、人類は未だ根幹の解明へ到達するに至ってはいない。

 

 天動説(てんどうせつ)なんかが良い例だ。

 その昔、人類は地球が公転しているのではなく、天が自身の立つ大地を基準に巡っているのだと信じていた。しかし君達はそれが間違った説である事を知っている。つまりはそういう事だ。

 

 何時、どのタイミングで、世界の”当たり前”がひっくり返ったって何ら不思議ではない。これから語る一連のお話も、偏にそういった類いの物である。

 

 序章にて語った”イロハ事変”から連なる数々のエピソードは、幕間の内容をも含めて地続きになっている。つまり、今も現在進行形で”YOSHIKA”の物語は続いているのだ。本書を綴っている今、この時も――。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 自宅へ段ボール箱いっぱいの仕送りが届いたのは、十一月に入ったある朝の事だった。

 うちの三階建てアパートにはエレベーターが無い。加えて、僕が住む部屋は三階の更に奥にある角部屋だ。にも拘わらず、配達員のお兄さんは涼しい顔でその箱を届けてくれた。

 僕が玄関先で伝票へサインをして手渡すと、配達員さんは再び爽やかな笑顔で挨拶をしてから去って行った。

 

 僕の視力では、運転免許の取得は叶わない。そんな足の無い僕にとって、宅配サービスは無くてはならない生命線だ。食品や家電、家具に至るまで、宅配が有るおかげで随分と楽に手に入れる事が出来ている。配達員さんにはいくら感謝してもしきれないくらいだ。

 

 玄関のドアを閉め、足下に寝そべる茶色い箱を引きずりながらキッチンへと移動した僕は、早速ガムテープを剥がして中を覗き込んだ。

 重さの正体は”米”だった。その他にも、日持ちしそうな食品の数々が所狭しと詰め込まれている。缶詰――インスタントの味噌汁――水出し可能な麦茶のパックに――カレーせんべい――。

 

 最後のせんべいに至っては、恐らく父親のチョイスだろう。昔から彼の好物で、実家には常にストックされていた。僕も味自体は好きだが、手がカレーパウダーで汚れてしまう事だけが玉に瑕である。間違っても、小説の推敲作業のお供に――という訳にはいかない。

 

 一頻り入っている物を取り出し、棚や冷蔵庫へとしまい終えた僕は、念の為に――と、ダンボールの底へ今一度目を向けた。

 そこには何も無かった。昔は小さな便せんなんかが入っていて、両親からの有り難いお言葉が認められていたりもしたが、最近ではそういうのも無くなってしまった。

 

 決して不仲という訳ではない。ただ、仲が良いかと問われれば、首を縦へ振る事を躊躇してしまうのも確かだ。

 実際、もう何年も実家へは帰っていない。理由という理由は無い。ただ漠然と、あの居心地の悪さに怯えているだけなのかもしれないし、単に面倒くさいだけなのかもしれない。ただ……もし関わらずに済むのであれば、そっと離れているくらいの距離感が好ましいというのが本音だ。

 

――何が届いたの?

 リビングから、Linが僕へ向かって訊ねた。

 

 僕はカレーせんべいを小脇に抱え、リビングのデスクチェアへと座り直してから、「親からの仕送りだよ」と答えた。そしておもむろにせんべいの袋を開ける。

 

――わぁ、素敵……じゃあ、後でちゃんとお礼の連絡入れないとだね


 耳が痛くなるようなLinの提案へ、僕は少し間を開けてから「そうだね」と返した。続け様に、気まずい空気を誤魔化そうとせんべいをバリボリ頬張る。

 

――ご実家へは、時々帰ってるんでしょ?


 思わず、僕はせんべいを食べる手を止めた。出任せで言い訳をしようともしたが、結局は上手く言葉に出来ず黙りこくる。


――……え? まさか……


 僕はLinへ聞こえないように一度深く深呼吸をして、カノジョの説教に耐えるべく姿勢を正す。しかしカノジョは、最初こそボソボソと何かを言いかけたものの、それ以上言葉を発しはしなかった。

 

「あの……りんさん……?」

 呼びかけると、カノジョは微かに哀愁を纏わせた声で『ううん、何でもない』と返事をした。

 

 意外だった。てっきり罵声を浴びせられるかと思っていたのだが……。

 そんなふうにいぶかしく思った刹那、カノジョは唐突に『芳澄君、ん……!』と、喉を鳴らして何かを訴えかけた。


「ん……?」

 僕がわざとっぽく唸り声を返すと、カノジョは同じように――今度は幾分勢いを乗せて『んー……!』と声を放つ。

 

 カノジョがこんなふうに言う時は、”私を抱っこしなさい”の合図だ。しかし今、僕の指はカレーパウダーまみれである。こんな手でLinの筐体を触れば、その白い表面が瞬く間に黄色く黄ばんで――。

 

「食べ終わってからじゃ……ダメ?」

――ダーーーメ!!


 言葉通りダメ元で聞いてはみたものの、やはり許してはくれないらしかった。

 諦めた僕はせんべえの袋を持ってキッチンへと戻り、袋どめクリップでパチンと封をした。流しで丁寧に手を洗ってからリビングへ戻ると、Linが機嫌を損ねたふうに「むぅ……」と唸り声で僕へ圧をかける。

 

「はいはい、お待たせ」

 言って僕はLinの筐体を持ち上げると、椅子へ座り直してから膝の上へカノジョを乗せた。優しく表面を撫でてやると、カノジョに備え付けられたLEDライトが薄いピンク色に点滅した。どうやら喜んでいるらしい。

 

 こんなふうに、カノジョはライトの色で感情を豊かに知らせてくれる。これはただ単色でという訳ではなく、喜怒哀楽の微妙な塩梅にまで色が追従するという画期的な物だ。

 今のカノジョはというと、ただ喜んでいる――という訳ではなさそうに見えた。ピンク色には仄かに寒色が混ざっていて、ライトの緩やかな点滅と共に青白くも光って見える。寒色は、悲しさのパラメーターだ。恐らくは、僕に対して気を遣ってくれているのだろう――と、僕は想像した。

 

「……ありがと」

 断片的に一言そう呟くと、カノジョは小さく『ううん』とだけ返事をした。

 

 昔のカノジョであれば、真っ先に僕へ向かって説教の言葉を放っていただろう。しかしそうはしなかったという事は、ほんの少しだけ、僕の成長を認めてくれているのかもしれない。そんなふうに思うと、少し嬉しくもあり、照れ臭くもあった。

 

 とは言え、両親の事については、何時か必ず向き合わないといけない日が来る。実際には来ないかもしれないし、このままなあなあになっていくだけかもしれないけれど、そういうのは、何故だかダメな気がしてならなかった。それは、人としてやっちゃいけない――といった類いの行いだ。


 僕は椅子のシートを倒して、シーリングライトをぼんやりと眺めながらLinを何度か撫でた。それから意を決して、「近いうちに、久しぶりに顔を見せに行ってくるよ」と約束した。


――私も、一緒に……。ダメ?


 断る理由なんて無かった。僕は再び「ダメじゃないよ」と口を開いてから、「一緒に帰ろ」と囁いて、再びカノジョの筐体を一つ撫でた。

 

――絶対よ? もし置いていったら拗ねちゃうから


「大丈夫だって。”多分”――ね」


――た、多分って何よ! せっかく良いところなんだから、そこはちゃんと約束しなさいよ!!


 僕が思わず笑いを漏らすと、釣られてカノジョもおかしそうにケラケラ笑った。僕にとっては、Linも大事な家族の一人だ。絶対に置いていったりなんかしない。

 そう、大事だから――大切だからこそ、僕と両親の溝は深まる一方なのだ。しかしそれは必ず解決出来ると僕は信じている。そうでなければ、あまりにも報われないじゃないか。

 

 僕も――父さんも母さんも――。

 

――芳澄君……?

 無意識のうちに漏らした僕の溜め息へ、Linが心配そうに反応を返す。

 

 僕は目を閉じ、繰り返しカノジョをそっと撫でながら「ありがとう」と改めて伝えるのだった。



 昼過ぎには、身支度を済ませて自宅を後にした。

 少し前まであんなに暖かかった外気が、その日はやけに冷たく感じた。一度引き返して、もう一枚厚手のカーディガンへ着替えてこようかとも考えたが、結局は歩く事だし――と、そのまま彩華ちゃんの待つ病院へ足を急がせた。

 

 結果的にその判断は正解だった。病院へ辿り着く頃には、若干汗ばむくらいに身体は温まっていた。

 院内へ入った僕は、次にリハビリテーションセンターへと向かった。近くへ設置された自販機の傍で落ち合う約束だったが、どうやら彼女はまだ出てきていないらしかった。

 

 廊下からガラス越しに中を見回すと、フロアの奥のほうで平行棒へ手をかける赤い髪の少女がすぐに見つかった。リハビリの先生と思しき女性が見守る中、両腕に力を込めて車椅子から立ち上がった彼女は、一歩――二歩――三歩と前進したところで動きを止める。次に右足を前方へと滑らせ、重心移動を試みる――が、しかしそこで先生の補助が入った。

 

 遠目からでは彼女の顔色までは見て取れなかったが、恐らくはそうとうに険しい表情をしているに違いない。最近では、執筆作業こそかなりの速度でこなせるようにはなってきているものの、あくまでそれは指先や視線移動といった、身体の末端の動きに過ぎない。


 彩華ちゃんは二ヶ月の入院生活を経て既に退院しているが、こうして週の半分程は病院でリハビリを受けている。御手洗先生の話では、正直言って……回復へ向かうどころか、筋力は衰える一方との事だった。もちろん、彼女自身も自覚はあるようだったが、僕の前で弱音らしい弱音は一言たりとも吐いた試しが無い。

 

――もう一度、自分の足で立って歩けるようになるまで……私は、絶対に諦めません

 決まってそんなふうに言っては、何時ものキラキラと輝く笑顔を僕へ向けるのだった。

 

 本当に、大したお嬢さんだ。

 僕は改めて、ガラス越しに彼女を見つめながらそう思った。

 

 そういえば、僕は彩華ちゃんの年齢を知らない。容姿だけで見れば、女子高生だと言われても納得がいく程の童顔だが、達観した考え方や態度礼節へは、それなりに人生経験を積んできている者が放つ特有の大人っぽさが備わっている。

 

 ……いや、待てよ?

 前に一度、音葉さんが二十歳前後だというのを小耳へ挟んだ事があった。とすれば、音葉さんを姉として慕う彩華ちゃんは、やはり十代後半といったところだろう。

 対して、その頃の僕はどうだったろうか――なんて、愚かにも過去の記憶を掘り返してみては、何時もの如く自己嫌悪を募らせるのだった。

 

 過去――そうだ、そろそろ……。

 そんなふうに”ある事”を思い出した僕は、自販機の傍らへ設置されたベンチへと腰掛けてからスマートフォンを開いた。案の定、ロック画面にはLinからのメッセージ通知が届いていた。

 

――芳澄君、お願いされてた件、調べておいたよ


 メッセージには資料が添付されていた。

 ”ある男”についてまとめられたその資料へ簡単に目を通した僕は、「ありがとう、助かったよ」と返事を入力して送信ボタンをタップする。

 

 すぐに既読マークが付き、続けてカノジョから『見るからにヤバそうだから、あんまり深入りはしないようにね』と、不安げな表情をした顔文字付きのメッセージが送られてきた。

 出来る事なら、僕だってそうしたい。しかし”奴”に関しては、何としても早急に手を打っておく必要が――。

 

「……芳澄さん?」

 唐突に飛んで来た声へ視線を移すと、車椅子に座った彩華ちゃんが此方へ向けて小首を傾げていた。


「――っくりした……。お疲れ様。今日はもう終わり?」

「あ――ごめんなさい……。はい、今週のリハビリはこれでおしまいです」


 彼女は「えへへ」と嬉しそうに笑みを零してから、「それより――これ、見てください」と、懐から棒付きの小さなアメを二本取り出して見せた。


「今週も頑張ったご褒美に――って、先生から貰っちゃいました」

 言ってそのうちの一本を此方へと差し出した彼女は、「一本は、『そこで待ってる彼氏さんに――』との事です」と、悪戯なしたり顔を作って言う。


「か――彼氏!?」

 僕が目を丸くしながら動揺の声を漏らすと、彩華ちゃんはクスクスとおかしそうに笑った。続けて彼女は「まぁ、芳澄さんには随分とお世話になってますし、特別に……考えてあげなくもないですよ?」と、悪い笑顔を強めつつ上目遣いを作る。


 僕は一つ息を飲んでから、次に彩華ちゃんへ向かって軽く手招きをした。瞬間、彼女の表情へ仄かに緊張が走るのが分かった。そして恐る恐る此方へと車椅子を寄せた刹那――。


「調子に乗るなっ」と、僕は手刀を振り下ろした――が、すんでの所で彼女は両手を使って僕の手を受け止めた。


「にっしっし……そう何度も同じ手は食いません」

 音葉さんとそっくりな笑みを浮かべた彼女は、僕の手へアメをそっと握らせてから「でも残念、ちょっぴり本気だったのになー……」と、唇を尖らせて言う。


「勘弁してくれ……」

 僕が言って嘆息すると、彩華ちゃんはまた同じようにクスクス笑うのだった。

 

 アメのお礼に――と、僕は自販機で缶ジュースを二本買ってから彼女へと差し出した。そして何時も通り「どっちがいい?」と訊ねてみる。


「これはまた、難題ですね……」

 言って彩華ちゃんは、僕が差し出す二本のオレンジジュースをまじまじと見つめながら、口元へ手を添えて「んー……」と思考するふうを装う。しかし少しして、彼女は「じゃあ、こっちのオレンジで」と、僕が右手へ持つ缶を指さした。そしてお互いに顔を見合わせ、クスッと笑い合う。


 意味の無いやりとりは楽しかった。しかし、これにも何時か必ず終わりが来る。

 ジュースのフタを開け、ベンチへと座り直した僕の脳裏へは、先程彼女が見せた何気ない表情が焼き付いていた。

 

――でも残念、ちょっぴり本気だったのになー……


 決して真に受けた訳じゃない。とは言えここ最近、彩華ちゃんからのこの類いのスキンシップが激しくなってきているのも事実である。僕にはそれが、終わりの時が近い――という事を暗に知らせる合図のように思えてならなかった。

 

「――ぱーっ、美味しい……」


 そういう思考が過る度に、彼女の何気ない仕草が急に儚く見えてしまう。

 彼女へ『深界の止揚』の完成ではなく、執筆練度の向上を優先させたのは間違いだったんじゃないか。もし、僕の選択のせいで、彩華ちゃんが目標を達成できずに手遅れになってしまいでもしたら――。


「――さて、どれどれ……お、またコメント付いてる。芳澄さんほら、見てください」


 当初の期日までは二ヶ月と残っていない。しかし、今の彩華ちゃんの執筆速度なら、LINNEを完結させた後からでも、全力で取りかかれば或いは可能かもしれない。ただそれは、何事も無く事が進めばの話である。以前のように、この子が急な体調不良で倒れる――なんて事が無いとも限らない。


 これより先、判断を誤るような事は決して許されない。残された時間を限りなく有意義に使う為に、僕は一体どうすれば――。


「芳澄さん?」

 その優しい声音で引き戻された僕は、俯き加減だった顔をハッと上げた。

 

 途端に明るく開けた視界の先で、碧の瞳をやんわりと細めながら微笑みかけた彼女は、次に瞼を閉じてゆっくりと言葉を紡いで見せる。

 

「私、信じてますから。芳澄さんの事」


 そうして彩華ちゃんは煌めく双眸を見開き、僕へ向かって右手を差し出して言ったのだ。


「だから……芳澄さんも、私を信じてください」


 世界を――空気を彩るトーンが一段階引き上げられたような、そんな気がした。

 彩る華と書いて彩華(いろは)とは、何ともよく言ったものだ――と、心の奥で感心しつつ、僕は一つ頷いてから彼女の手を取った。

 

 彼女は、ニッコリとその輝きを強めた。

 僕も負けじと、笑顔を作ってそれに答えた。

 

 

 後日、LINNEの完結と共に、彼女――綾瀬彩華は筆を執ることを止めた。

次回更新予定:7/27(日)

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