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イチ  作者: トオノホカゲ
2章
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2章-1

2.


  新品のリュックにマウンテンパーカー。登山靴に最高級シルクの折りたたみができる虫取り網。それと最新型のデジカメに双眼鏡。僕が生物準備室の机に並べていくそれらのものを見て、結城先生は目を丸くした。


「前から思ってたんだが、佐上は裕福な家のお嬢様なのか?」

「え? どうしてですか? 全然違いますよ。むしろ逆ですが」

「そうなのか? だって、こんなに高価なものぽんぽんと買ってくるからなあ」

「まあ、ものだけは割と自由に貰えるんですけどね……。それにデジカメと双眼鏡はお下がりですし」


 ありがたいことに、亜積さんに申請すれば欲しいものはなんでも一週間程度で用意してくれる。だけど決して僕に自由に使えるお金があるわけではない。お店に買い物に行ったのはいつだか思い出せないくらいだし、そもそもお金というものを持たされていないのだ。

 結城先生は僕の言葉に首を傾げていたが、いそいそと最新のデジカメを手に取り、眺めだした。


「そんなことよりどうですか? 先生に教えてもらったものは一通りそろったと思うんですが」

「ああ、十分すぎるほど十分だ」


 舟場先輩にも無事認めてもらえて、僕は正式な生物部員となったのはつい先日のこと。(書類上は最初から正式な部員だったけど、あくまでも精神的な話としてだ)まだ舟場先輩とは完全に打ち解けたとは言えないが、関係はなかなか良好だと思う。


「ねえ先生、今度のフィールドワークっていつなんですか? 次はどこ行くんですか?」 

「ん? フィールドワークか?」

「はい」

「そうだなあ、まだ考えてなかったんだがーー」


 先生がそこまで言ったとき、生物準備室の扉がノックなしにバーンと開いた。


「ちょっと結城先生!」

 入ってきたのはお馴染み舟場先輩だ。でもなんだか様子がおかしい。ものすごくテンションが高いし、顔も上気している。

「どうした舟場?」

 結城先生が不思議そうに尋ねると、舟場先輩はずんずんと先生の近くやってきた。そして両手を握りしめて叫んだ。


「石澤先輩が来ました!」

「い……石澤? 石澤って、あの石澤か?」


 戸惑ったように結城先生が言うと、舟場先輩が鼻息荒く「そうです、その石澤先輩です!」と返す。


「なに、本当か!」

「はい本当です!」


 舟場さんのテンションに釣られるように、結城先生のテンションまでおかしな具合に上がっていく。僕は置いてけぼりで首を傾げた。


「あの、石澤さんって誰でしょうか?」

 先生におそるおそる尋ねたとき、準備室のドアがまたしてもバーンと開いた。


「結城せんせーい! お久しぶり! 遊びに来ちゃったよ!」

 ドアから飛び込んできたのは結城先生と同じくらい長身の男の人だった。結城先生と舟場先輩が声を揃えて叫ぶ。


「石澤!」

「石澤先輩!」


 ……ということはこの人が話題の石澤さんのようだ。Tシャツにジーンズという地味な装いなのに、石澤さんは派手な雰囲気を持つ人だった。緩くパーマがかかった髪の毛といい整った顔といい、モデルか芸能人のようだ。

 僕は彼の華やかな雰囲気に気圧されつつ、盛り上がる三人を眺めた。


「いやあ、しかし驚いたなあ。連絡くらい寄越してもいいんじゃないのか」

「だって驚かせたかったんだもん。サプライズ、成功でしょ?」


 石澤さんは楽しそうに笑う。舟場先輩も嬉しそうに「成功ですよー。すごいびっくりでした」と言ったところで、準備室に和田先輩が入ってきた。


「ちょっと石澤先輩、置いていかないでくださいよ……」

「和田ぁごめんって~。久しぶりに母校に帰って来たらテンション上がっちゃってさ!」

 ちっとも悪く思ってなさそうな石澤さんに、和田先輩はおおきなため息をついた。


 僕は四人のやりとりについ噴き出してしまった。するとぱっと振り返った石澤さんが、目を丸くして叫ぶ。

「えっ? この子誰? 新入部員?」


 僕はずっとここにいたのだけど、石澤さんの目には入らなかったようだ。石澤さんはすごい勢いでぐいと顔を寄せてきたので、驚いて後ろにのけぞってしまった。結城先生が苦笑しながら、石澤さんの首根っこを掴んで引き離す。


「佐上、こいつは石澤だ。ほら、和田といっしょにこの生物部を立ち上げたっていう」

「ああ! なるほど!」

 生物部に入ったときにそんな話を聞いた覚えがあった。石澤さんは眉を下げて申し訳なさそうに「驚かせてごめん」と謝った。

「いえ、大丈夫です! あの、僕は一年の佐上イチって言います。よろしくお願いします」

 深く一礼して顔をあげる。石澤さんはなぜだか驚いたように目を丸くしていたが、やがてゆっくりと微笑んだ。


「……そうか、良かったな。いい子が入って」

 安心したように優しく笑う石澤さんに一気に親近感がわいた。テンションの高さと騒がしい言動にはちょっと驚いたけど、石澤さんはとても優しい人のようだ。


「俺さ、ほんと言うと心配してたんだよ。今年もまた新入部員がごそっと辞めていったって和田から聞いたからさ」


 石澤さんの言葉に、感に入ったように舟場先輩がうんうんうなずいている。思わず僕は和田先輩と目配せした。きっと舟場先輩には、自分が原因だという自覚はないに違いない。


「それにしても石澤も大学生らしくなったな!」 

 結城先生が嬉しそうに石澤さんの肩をばしばし叩きながら聞く。

「大学生活の方はどうなんだ? 吉木教授にも会ったか?」 

「もちろん挨拶に行ったよ~。結城先生から話は聞いてたけど、あの先生ほんとぶっ飛んでて最高だね! あ、先生によろしくって言われたよ」


 ずいぶん先生が大学に事情に詳しいなと思ったら、石澤さんが通っている大学は、なんと結城先生の母校でもあるらしいのだ。


「おまけに生物部のOBだから、けっこう大学の方にも顔出してくれたり。ね、先生」

 石澤さんの言葉に先生はうなずく。

「そして和田も第一希望校だよな」

「はい、一応は」 

「ええ? なんだよ一応って。お前が入って来んのこんなに待ってんのによ~」

 石澤さんは和田先輩の肩をがっしりとつかみ揺さぶった。


 へえと感心していたら、舟場先輩が寄ってきて小声で教えてくれた。

「あんたはまだ一年で受験なんて考えてないだろうから知らないと思うけど、石澤さんの大学って偏差値高いのよ。ほんと言うと私も行きたいけど、厳しいかなぁ。まあ和田先輩は余裕だろうけどね」

「そうなんですか」


 大学かぁ、と僕は石澤先輩を眺めた。石澤さんは数ヶ月前までは僕たちと同じように制服を着ていたはずなのに、すでに身にまとう雰囲気は全く違う。私服だということを差し引いても、この身体から発する自由なパワーは高校生にはないものだ。


「羨ましいなあ」

 僕が思わずぽつりと呟くと、耳ざとく声を拾った石澤さんが僕に笑いかけた。

「佐上さんもおいでよ。うち理系も文系も同じキャンパスだから、闇鍋みたいで楽しいよ~。大歓迎!」

「ええと僕、大学とか行かないので……」

 するとその言葉に結城先生は驚いたようにこちらを見た。

「そうなのか? でも佐上の担任からは君は優秀だと聞いているぞ。いい大学も狙えるんじゃないかとも言っていたが」

「……え」

 なぜ僕の成績を知っているのだろう。確かに先日返ってきた実力テストはなかなかの好成績だったと自分でも思う。でもそれは今まで、他にやることがなくて勉強ばかりしてきたからだ。友達もなく、テレビもネットも自由に使うことが出来なかった僕にとって、本や教科書は知識を吸収できる唯一のものだったから。


「大学に行くだなんて考えたこともないです。だって僕、別に将来やりたいこともなりたい職業もないんですよ。ただ一人静かに生きていけたら、もうそれだけで十分っていうか。あ、もともとそんなお金もないっていうのもありますけど……」


 よく考えずに思ったことをそのまま言ったら、全員が黙り込んでしまった。それは結構な重く長い沈黙で、僕は驚く。


「え? あれ、僕なんか変なこと言いました?」

 慌てて言うと、舟場先輩が僕の肩をばしんと叩いた。


「なに枯れ果てたおじいちゃんみたいなこと言ってんのよ! あんたはまだまだ希望に胸を膨らませてなきゃいけない年齢でしょうが!」

「そうだよ佐上さん。そんなふうに自分の可能性を狭めては駄目だよ」


 和田先輩にさえ困ったような顔をされ、すっかり戸惑ってしまった。助けを求めるように結城先生の方を見ると、先生もまた悲しそうに眉を寄せている。

 みんなどうしてそんな顔をしているのだろう。まるで、自分が酷いことを言ってみんなを傷つけたような気分になり、僕はあたふたとたじろいだ。


 いつもそうなのだ。僕は普通のひとの気持ちがわからない。いくら普通の人間のふりをしていても、ふとした瞬間に僕の異常さは露呈してしまう。やはり僕が人間のふりなんて出来やしないんだーーーー。


 しかしそんな重い空気を振り払ってくれたのは、石澤さんだった。

「そうだった! すっかり忘れてたけど、今日は先生に提案があって来たんだよ!」

 石澤さんが出した大声に、生物室の雰囲気が一気に軽くなる。結城先生が「提案?」と目を瞬かせた。

「そう、すっごくいい提案だよ! ねえ先生、大学の生物部と合同でフィールドワークしない?」

「合同で?」

「うん、うちの大学の中で」

 その言葉に、結城先生がなるほど、というように頷いた。

「確かにそれは妙案だな」

「でしょでしょ! さすが先生、話が早い!」


 どんどん進んで行く意味の分からない話に僕や舟場先輩が首を傾げていると、結城先生は僕の方を見てにっこり笑った。

「そうしたら佐上も、大学のことがいろいろわかるかもしれないしな」

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