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イチ  作者: トオノホカゲ
1章
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1章ー4

****


「その舟場先輩って子とイチ、水と油みたいだね! 相性悪いんだよ~」

 パソコンに向かった亜積(あつむ)さんは、僕と船場先輩の話を聞くなり愉快そうに笑い飛ばした。

「ええ、そんな……」

 身もふたもない意見にがっくりと落ち込み、僕はソファにひれ伏した。背中を向けて机に向かう亜積さんはそんな様子が見えているのかいないのか、楽しそうに「あはは」と笑っている。僕はため息をつき、ソファの背もたれに体を預けた。


 研究棟にある亜積さんの部屋には、大きなふわふわの布張りのソファが無理やり設えられている。理由は簡単。僕がよく入りびたるからだ。


 だが今日はいつものように亜積さんといっしょに笑えるような心境じゃなかった。入部そうそう先輩に喧嘩を売ってしまったのだから。


 つい売り言葉買い言葉でいろいろ言ってしまったけど、冷静になれば冷静になるほど自分の行動はまずかったと後悔がこみ上げる。僕としては間違ったことは言っていないのだが、これでは友人関係になるどころの話ではない。


「気持ちはわかるけど、そんなに落ち込まないことだよ。ほかにも部員はいるでしょ? その子と仲良くなればいいじゃない」

「う~ん……。あともうひとり和田先輩っていう三年生がいるんですけど、中立ってかんじで仲良くなれるかはちょっと微妙ですね」


 和田先輩は、舟場先輩と違って温和で優しい雰囲気を持つ人だ。そしてとても人の機敏に聡い人なのだろう。あのあと僕たちのもとに和田先輩と結城先生も合流したのだが、瞬時に僕たちの間に立ち込めた不穏な雰囲気に気が付いたのは和田先輩だった。頼みの綱の結城先生はちっとも気が付いていなかったというのに。

 だが船場先輩と僕のどちらの味方になるかといえば、やはり舟場先輩の側に立つだろう。ずっと苦楽を共にしてきた仲間と、ぱっと出の新入部員。どちらを選ぶなんて、答えは火をみるより明らかだ。


「それはなかなか厳しそうだね。まあでもさ、新しく入る環境なんてみんなそんなもんだよ。最初から上手くいかないのが普通」

「そんなもんですかね」

「そうそう」


 男にしては細く長い亜積さんの指がキーボードの上で踊るのを見ながら、僕はため息をついた。

 たった一人の人と仲良くなるのがこんなに大変だと思わなかった。そして舟場先輩のように、僕がただそこにいるだけで敵意を向けてくる人がいるだなんて考えたこともなかった。


 ……そもそも、僕のような人間が友達を作ろうだなんて、大それたことだったのかもしれない。

 だんだんと気持ちが沈みかけたとき、「そういえばさ」と亜積さんが振り返った。


「イチ、電車通学の申請したでしょ? あれ許可できないって言われたよ」

「……やっぱりですか」

「うん、何かあったら取り返しがつかないからって。南原先生は賛成してくれたんだけど、照井先生と室岡先生が反対なさってねえ」


 主治医の先生たちに電車通学のお伺いを立てたのは、つい先日のことだ。高校は最寄りの駅から徒歩で十分ほど距離で、多くの生徒は電車と徒歩で通っている。専属の運転手さんに学校まで車で送ってもらっている僕としては、それがとても羨ましかった。


 相談をしたときの亜積さんの反応から、許可が降りるのは難しいことは予想していた。とは言ってもやはりショックではある。


「この分じゃ、生物部のフィールドワークも許可下りないかなぁ」

 そうなったら舟場先輩に『やる気がない』なんて猛攻撃されそうだ。 

「フィールドワークって何?」

「あ、ええと、生物部の顧問の先生が引率してくれて、公園に行ったり海に行ったり山に行ったりして調査するらしいんです」

 亜積さんは「へえ」と言って細い顎を人差し指でとんとん叩いて考え込む。

「う~ん……。公園とかぐらいだったら大丈夫じゃないかな。さすがに海とか山は無理そうだけど」

「え! 本当ですか!」

 僕がソファから勢いよく起きあがると、亜積さんは苦笑した。

「あとで南原先生に相談しといてあげるよ」

「はい!」

「それにしても生物部ねえ。イチがそういうのに興味あるなんて知らなかったな」

 亜積さんの言葉に僕はどきっとした。

「まあ、なんとなく。面白そうかなって思って」

「……ふーん?」

 何か僕の態度に引っかかったのか、亜積さんは含みのある返事をする。僕はきまりが悪くなって立ち上がった。


「そ、そろそろ自分の部屋に戻りますね。もう九時ですし」

「ああ、もうこんな時間か」

 亜積さんが大きく伸びをして振り返った。

「また明日ね、イチ。おやすみ」

 お礼を言って僕は亜積さんの部屋を後にした。


 しんと静まり返った廊下をぺたぺたと歩き出す。この建物は基本的に壁も天井も真っ白で、床だってぴかぴかに磨き上げられ清潔だ。だけど僕はこの廊下がなんとなく苦手だった。漂白されたかのような無機質な白い空間の中にいると、どこまでも永遠に続くかのような錯覚に陥ってしまう。

 ふと背中に寒気を覚えて身震いした。パーカーの襟をかき合わせ、僕はエレベーターに乗り込む。五階のボタンを押し、背後の壁にもたれ掛かった。


 目を閉じると鮮やかなツツジの花のピンクと、驚いたように目を見開いた結城先生の姿が浮かび上がる。


 生物部に入らないかという先生の提案に飛びついたのは、もちろん友達が欲しいという理由からだけど、小ずるい下心がなかったとは言えない。僕は葉さんに似た結城先生の側にいて葉さんの面影を追いたかったのだ。そんな自分に嫌気がさしたが、己の欲求を止めることもまた出来なかった。


 まあ誰にも迷惑はかけていないし、と僕は思い直した。きっかけがどんなものであれ、きちんと活動すれば問題はないはずだ。問題があるとすれば……やはり舟場先輩をどう黙らせるかどうかだ

 ポン、と軽い音を立ててエレベーターが五階に到着した。廊下を右に進み、指紋認証パネルに人差し指を押し当て鍵を解除する。


 扉を開けると真っ暗な部屋が僕を出迎えた。十畳ほどの部屋には、シングルのベッドと勉強机、本がたくさん詰まった棚に、ふかふかのソファ。部屋の隅にはちょっとしたキッチンがあるし、ユニットバスだってついている。十分すぎるほどに贅沢な僕だけの城だ。


 靴を脱いで部屋にあがり、勉強机の上に乗せられた写真立てに向かって日課の挨拶をする。


「ただいま、葉さん」


 少し色あせた写真の中では、誕生日にもらったクマのぬいぐるみを抱えた八歳の頃の僕が嬉しそうに微笑んでいる。その横には僕を見て微笑む葉さん。僕はその葉さんの綺麗な横顔を、人差し指でゆっくりとなぞった。


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