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イチ  作者: トオノホカゲ
1章
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1章ー1

 すっきり晴れ上がった青空には白い雲がひとつ、ぷかぷか浮かんでいる。歩道の片側に植えられた桜の木は青々と繁り、葉の隙間から差し込む日の光が目に眩しい。

のんびりと歩く僕を、同じ制服を着た生徒たちが次々に追い抜いていく。みんな友達を見つけては朝の挨拶を交わし、二人三人と連れだって楽しそうにはしゃぎながら学園の門の中に吸い込まれていく。……僕以外は。


「あ、僕っ娘(ぼくっこ)

「ちょっと声大きい! 聞こえるって!」


 うしろから小さなコソコソ話が聞こえてきて、僕は振り返った。見覚えのある三つの顔。そこにいたのは同じクラスの女子三人組だった。


 どうやら『僕っ娘』というのは僕のあだ名らしい。自分のことを『僕』と呼ぶからあだ名は僕っ娘。初めて聞いた時は単純だなあなんて思ったのだけど、スマホでその意味を調べて驚いた。それは揶揄(からか)いや嘲りを多分に含んだ言葉だったのだ。まあ僕は別に気にはならないけど。


 それよりももっと興味深いのは、三人組の女子の方だった。彼女たちは移動教室のときもお弁当を食べるときも、手洗いに行くときだっていつも三人一緒なのだ。なんという恐るべき仲の良さ。しかし、まさか登校前から一緒だとは思わなかった。そんなに一緒にいて飽きたりはしないのだろうか。

 彼女たちを見つめながら考え込んでいると、三人組はひきつった顔で会釈をして僕を追い抜き、小走りで門の向こうへ行ってしまった。


  途端にはっとする。しまった、朝の挨拶をしていないじゃないか! 社会生活の中では挨拶が何よりも大事だと亜積さんも言っていたというのに、今頃気が付くなんて。僕は大きなため息をついて校門へと歩き出した。


 この学園に転入して二週間ちょっと。だというのにクラスメイトと話をするどころか、まともに挨拶を交わすことさえままならない。もちろん親しくなった人など皆無。僕が誰かに話しかけようと近づいていくと、なぜかみんなひきつった顔で後ずさり逃げていくのだ。

 どうしてなのだろう。僕のどこが悪いのか、どうしたらいいのかさっぱりわからなかった。というのも、学校というものに通うのは初めてのことだったからだ。


 僕はちょっと変わった環境で育った。親の顔は知らない。生まれたばかりの僕は、真冬の日、ある病院の前に捨てられた。

 拾ったのはそこに勤める若い医師で、僕が発熱していたこともあり、すぐに診療室に回された。幾重にも重ねられた肌着を取り払い、僕の少々特殊な体を見た人たちは、驚愕に言葉を失ったという。

 もちろんそのころの記憶は僕に残っていないので、すべてあとから聞いた話だ。幸運なことに僕を見つけてくれた医師ーー(よう)さんーーが僕を引き取ってくれて、それからは愛情に恵まれながらなに不自由なく育った。たとえ本当の親がいなくとも幸せだった。葉さんがいてくれたから。


「佐上さん」

 そのとき背後から呼ばれ、僕ははっと我に返った。

「え? あっ……はい!」

 慌てて振り返ると、緊張した面もちの男子が立っている。ネクタイの色からすると同じ一年生のようだが、知らない顔だ。

「あの、ちょっと時間もらえるかな」

「いいですけど」

 僕がうなずくと、「それじゃ、こっちに」と校舎裏の方へと促された。彼はずんずん歩いてツツジの茂みの前までくると、僕に向き直った。緊張しているようで表情が硬く、頬が紅潮していた。ひとつ深呼吸すると、彼は話し始める。


「じつは俺、佐上さんのこと気になってて。だから、付き合ってもらえないかな、って、思うんだけど」

「……ええと」


 実はこういう状況になったのは初めてではなかった。先週に一回、今週に入ってから一回。今日で三回目になる。さすがにここまでくれば、彼の言う『付き合う』が個人的な交際を指していることはわかるのだが……。


「それは友達ではいけませんか?」

 僕の問いに彼はぱっと顔を上げた。

「もちろん、最初は友達からでもいいよ! それでお互いを知っていって、徐々に」

「徐々に?」

「……え?」

「徐々に、どういうふうになりたいと?」


 彼は一瞬面食らった後、気を取り直したように「そりゃ、ゆくゆくは彼女になってもらいたいけど」と言う。

 『彼女』。僕は口の中だけで小さく呟いた。彼の考える彼女とはどういうものなのだろう。彼女の定義とは何だろうか。友達とはどこがどう違うのだろう。僕は腹を割って彼と話し合うことに決めた。


「あの、正直にお話しますが」

「え? あ、はい」

「僕は性的な接触はできません」

「せい、てき……?」

 すると彼は目に見えてあたふたし始めた。

「いや、えっと、それはもう。佐上さんが望まないのであれば、そういうことはナシであっても、俺は一向に構わないけど」


 話しながら彼はかわいそうなくらいどんどん狼狽していく。なぜそんなに慌てるのだろうか。僕にはわからなかったが、でも彼がそう言ってくれるのであれば答えは一つだ。


「それなら友達と変わりませんよね」

「……え?」

「そうでしょう? 友達と同じですよね? 僕たち、友達になりましょうよ」

 口に出すと、それがなによりも正解だという確信がこみ上げてきて、僕は一人でうんうんとうなずいた。


「僕ね、ずっと友達が欲しかったんですよ。でもなぜだがちっとも友達が出来なくて。でもやっと……。やっと友達が出来たんだなあ。ふふふ。僕、あなたのことじっくり観察したいです。いいですよね、僕たち友達ですものね? いろんな話しましょうね。あなたのことたくさん教えてください」


 うれしくなって握手のひとつでもしたかったのだが、なぜか彼の顔はひどく強ばっていた。それどころか、硬直していた顔がだんだん白くなっていく。


「どうかしました? 大丈夫ですか、なんか顔色が悪いですけど……」

 と彼に近づこうとすると、彼は首を振って後ずさった。


「ごめんなさい」

「え?」

 戸惑って見つめた彼の目には、恐怖の色が浮かんでいた。


「無理です!」彼は間髪いれずに叫んだ。「今の話はなかったことにしてください!」

 絶叫があたりに響き、気が付くと彼は一目散に逃げていった。引き留めようと伸ばした手がむなしく空を掴む。

「え……?」

 ひとり取り残され、僕は呆然と立ちすくんだ。


 何が起こったのだろう。ええと……。さっき彼は『無理です!』と叫んで逃げた。僕と友達になるのは無理ということだろうか?

「そんな……」

 喜びの絶頂から突き落とされ、僕は力なく座り込んだ。


 学校に通いさえすれば友達ができると思っていた。でも現実は全然違かった。いつまでも経っても友達のひとりも出来ない。

 どうしてうまくいかないのだろう。女子でも男子でも構わない。たったひとりの友達でいいのに。

 いくら普通のひとの振りをしていても、僕が異形ながらくたであることは隠せていないのだろう。出来の悪い間違い探しみたいに、どこに混じっても不完全な僕は簡単に見つけられ、閉め出されてしまう。


 どれだけ呆然と座り込んでいたのだろう。丸めた背中に当たる日差しは暖かいけど、心の中は芯まで冷えるようだった。


 そのとき、どこからか「おーい」と叫ぶ声が聞こえてきた。空耳かと思ったが、また「おーい」と声がする。男の人の声だ。

「おーい、そこの君!」

 今度こそはっきり聞こえてきた声に、僕ははっとして顔を上げた。

「そうそう、そこの君だ!」 

 きょろきょろあたりを見回すと、「こっちだ、こっち!」とさらに僕を呼ぶ声。立ち上がるとツツジの茂みの向こうに、建物の一階の窓から身をのりだし大きく手を振る人影が見えた。

「君、大丈夫か?」

「あ、はい! 大丈夫です!」

 僕は慌てて人影に向かって叫んだ。こんなところでうずくまっていたので、体調が悪いのかと心配されたのかもしれない。


 申し訳なく思いながら僕は茂みをかきわけ建物に近づく。そして窓の側に立つその人の顔を見上げて、僕は凍り付いた。


 ーーーー(よう)さん?


 全身の血が逆流して、胸が痛いほどに鼓動を打った。頭が真っ白になり、数歩よろめきながらもなんとか踏みとどまった。


 白いワイシャツにネクタイ。心配そうに眉根を寄せて僕を見つめるその顔は、僕がよく知る葉さんそっくりだった。これは、幻だろうか。


 ぐっと拳を握る。手のひらに爪が突き刺さり、鋭い痛みが走った。そうだ違う、これは現実だ。ここに葉さんがいるはずがないじゃないか。だって、葉さんは……。


「君、大丈夫か」

 かけられた声に、動揺をしながらもなんとかうなずいた。

「す……すみません、大丈夫です。具合が悪いとかではないので」

 僕はそう言って踵を返そうとした。一刻も早くここを立ち去りたかった。


「待って!」

 その人が大きな声を上げた。

「君、腕に怪我してるぞ!」

「え? あっ……」

 ふと右腕を見ると、さきほどのツツジの枝で擦ったのか一筋の切り傷が出来ていた。うっすら血もにじんでいる。

「見せてごらん」

 その人が言うので、僕はふらふらと窓に近づいて行った。僕の傷を一目見ると、その人は「消毒したほうがいい」と言った。


「まだ保健室は空いていないから、ここで手当てしよう」

「でも……」

「遠慮することはない。そっちから入っておいで」

 なかば強引に引き留められ、僕は仕方なく指示された掃き出し窓から校舎に上がった。

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