伯爵令嬢ロシェル
ある日、伯爵令嬢ロシェルの人生は一変した。
赤ちゃんの時に取り違えられ、自分は伯爵家の本当の娘ではないと告げられた。
青天の霹靂だったが、少し納得している自分もいた。
ロシェルは父親にも母親にも似ていなかったから。
髪の色も、眼の色も、顔つきも、何もかも両親と共通したものがなかった。
父は母の不貞を疑い、物心つく前からロシェルをほぼ無視していたし、母は夫婦仲が冷え切った原因はロシェルにあるとして冷たく当たっていた。
世間体のためだけに教育は十分に受けさせてもらったが、両親から愛情を感じたことは一度もなかった。
それが、15歳の誕生日の一週間前に、突然真実を告げられたのだった。
ロシェルとの血の繋がりに違和感を持っていた父親はずっと調査を進めており、この事実が判明したらしい。
本当の両親は下町に住む平民の夫婦で、そこで育てられている本当の伯爵家の娘はハンナと言うらしい。
この事実が判明し、すぐに二人の娘は本当の両親の元へ戻されることとなった。
平民としての生活に不安はあるが、伯爵家への未練はなかった。寂しく苦しい思い出しかない。
でもたった一つ心残りはある。婚約者のアンソニーのことだ。
アンソニーとは6歳の時に家同士の意向で婚約が結ばれた。
それから、アンソニーとは良好な関係を築いていた。
両親に疎まれているのは表面上隠されていたが、勘のいいアンソニーはすぐに気づいていつも気にかけてくれた。
「僕たちが結婚したら、仲良しの夫婦になろう」
そう言ってくれた時のトキメキをまだ覚えている。
アンソニーだけがこの苦しい生活の中の希望だった。
伯爵令嬢じゃなかったのだから、この婚約ももちろん白紙に戻るだろう。
翌日には平民の両親が伯爵家にハンナを連れて来て、ロシェルを連れ帰る手筈となった。
アンソニーに会えないまま伯爵家を去ることになる。
ロシェルは最後にアンソニーに手紙を書いて召使に託した。届けてもらえるかは分からないけれど。
さよなら、私の初恋の人。
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翌朝、カバン一つの荷物を持って両親、いや、伯爵夫妻とロビーで待機していた。
クローゼットいっぱいのドレスや引き出し一杯のジュエリーは伯爵家のものなので、それを除けば私が持ち出せる物なんて、少しの着替えと、日記帳など、カバン一つに収まるほどの量だった。
昨日から伯爵夫妻とは一言も口をきいていない。用無しとばかりに無視されている。
元々話などろくにしてはこなかったが、最後の別れというのにほぼ15年間一緒に暮らした娘に一言もないのか。
沈黙を、来客を伝える鐘の音が破った。
そこに現れた娘を見て、伯爵令嬢とロシェルは驚きに目を見開いた。
母親にそっくりの美しい顔、父親譲りの金髪に青い眼の、本当の伯爵令嬢がそこにいた。
「あぁ…」
伯爵夫人は、思わずといった様に駆け出し、涙を流しながらハンナを抱きしめた。
伯爵もその後近づき、戸惑うハンナの顔を見つめて、今まで見たこともない優しい顔で微笑んだ。
その様子を、質素な出立ちのハンナの、いや、ロシェルの両親が泣きながら見ていた。
美しい伯爵夫妻と天使のような娘が抱き合っている姿は、絵画のように美しかった。
(これが本当の家族か…)
執事が私を本当の両親の元に連れて行き、そのまま帰るように促された。
ハンナは、去ろうとする平民の両親に何か言いたげだったが伯爵夫妻に抱きしめられて身動きが取れず、ハンナを見つめて涙を流す平民の両親も、執事に退出を命じられ、後ろ髪を引かれるように私と一緒に伯爵家の門を出た。
本当の母は、家路につくまでずっと啜り泣いていた。
本当の父は、気を遣っていろいろ話しかけてくれたが、ぎこちなかった。
無理もない。美しい娘が急にいなくなり、代わりにこんな地味な愛着もない娘を引き取ることになったのだ。心中お察しする。
家に着いた。
愛犬ジョンの犬小屋くらいの大きさの家だった。
家に入り、ハンナが座っていたであろう席に座るよう勧められた。
母親が三人分の紅茶を淹れてくれ、みんなで席についた。
「ごめんなさいね、さっきから泣いてばかりで。急なことで動揺してしまったの。でも、本当の娘に会えて嬉しいわ。本当に。」
「家が小さくてびっくりしたんじゃないか。今までのような贅沢な暮らしはさせてやれないが、堪忍しておくれ。」
不意打ちに優しい言葉をかけられて、昨日から強張っていた心が緩んだ。
改めて本当の両親を見る。
どちらに似てると言うわけではないが、同じ焦茶の髪にグレーの瞳。三人でいても何の違和感もない。伯爵家にいた時は、私だけが異質で浮いていた。これが家族か、と思う。
それから、180度違う生活が始まった。
朝は召使が起こして着替えさせてはくれない。母親に揺さぶられて起きて、そのまま寝巻きでベッドの上にいると、着替えて顔を洗うように促された。やり方が分からないでいると、母親が手伝ってくれた。
朝ごはんも、伯爵家にいた頃は座っていたら焼きたてのパンや作りたてのスープやおかずが次々並べられたが、机にはミルクとパン1枚。食べたら食器も自分で下げるらしい。
最初は平民の生活が何も分からず、母親も何もできないロシェルに戸惑ったが、一つ一つ丁寧に教えてくれた。
そして、15歳の誕生日を迎えた。
その日両親は、パンケーキにフルーツを重ねた小さなケーキにロウソクを立ててお祝いしてくれた。
一年前の14歳の誕生日は、伯爵家で盛大な誕生日パーティーが開かれた。貴族の子供達をたくさん招待し、プレゼントも数えきれないほどもらった。
でも、相変わらず両親は私に見向きもせず招待した子達の親と親睦を深めるのに忙しそうだったし、招待客の中に本当の友達もいなかった。
でも、今は目の前で一週間前に初めて会った両親が笑顔で私の誕生日をお祝いしてくれている。
心に温かいものが広がった。
「ロシェル、おまえにプレゼントがあるんだ」
父親がくれた包を開けると、金のチェーンに小さな紫の石が付いたネックレスがあった。
「母さんの、母さんの、そのまた母さんの…ずっと受け継がれてきたネックレスよ。15歳の誕生日に娘に受け継ぐって決まってるの」
母親が言った。
「私が…もらっていいの?」
本当はハンナにあげたかったんじゃない?
「もちろんよ。私の娘ですもの。」
微笑む母親を見て、その微笑みを15年間独占してきたハンナに嫉妬の気持ちが沸き上がる。
ハンナも今頃、誕生日パーティーをしているだろう。伯爵夫妻と笑顔で。たくさんのプレゼントに囲まれて。
ずっとずっと求めても得られなかった伯爵夫妻からの愛を容易く手に入れて、私の本当の両親からの愛も一身に受けていたハンナへの憎しみが膨れ上がり、本当の娘ではないと言われた時にも流さなかった涙が出て来た。
本当はハンナがもらうはずだったネックレス。
本当はハンナにあげたいと思っていたネックレス。
「いりません」
私はネックレスを拒絶した。
両親の優しさを拒絶し、私は部屋に戻って泣いて泣いて、泣き疲れてそのまま寝た。
朝起きて、頭も冷えて、なんてことをしてしまったのかと思った。
泣きたいのは両親の方だろう。
優しさを、恩を仇で返してしまった。
両親はもう、こんな私に優しくはしてくれないだろう。
そう思いながら、リビングへ向かうと「おはよう」といつものように両親が笑顔で言った。
キョトンとして机の上を見ると、三分の一に切られた昨日の誕生日ケーキと、いつもより具の多いスープが湯気を立てていた。
「昨日はあまりご飯を食べずに寝たからお腹すいたでしょう。たんとおあがり」
「…怒ってないの?」
「怒ってなんかないさ。もっとたくさんプレゼントを用意できたらよかったんだが、すまなかったな。でも平民はこんなもんだ!はは!今日のスープは特別美味しいぞ!食べよう食べよう!」
父親が笑いながらスープをかき込む。
どうやらプレゼントが足りなくて癇癪を起こしたと思われたらしい。
「ごめんなさい、お父さん、お母さん」
初めてお父さん、お母さんと呼んでみる。
私は、この心優しい人たちの娘であることに喜びを感じた。
もう二度と悲しませるようなことはしないでおこうと心に誓った。
静かに微笑む両親と一緒に食べたそのスープは、今までのどんな一流シェフの料理よりも美味しかった。
次話は本日17時投稿予定です。
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