とある真面目な旦那様が気になるお相手は異世界の元悪役令嬢?
悲恋です。成就しません。
多少ですが、死の描写があります。
『とある真面目な主婦が人生をやり直そうとしたら、異世界の悪役令嬢に転生しちゃったお話。』
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『悪役令嬢に転生した真面目な主婦のお相手は隠密組織の貴族様?』
https://ncode.syosetu.com/n9809hi/
に続くお話になりますが、読んでいなくても、
分かるように……なっていると、思います。
私には、妻がいた。
初めてしっかり付き合った女性だった。
告白されて、付き合うことはあったが私の口数の少なさと、何を考えているか分からないと言われる表情に長続きはしなかった。
彼女は自分の周りにいるどんなタイプの女性とも違った。初めて自分から告白した。
それも『告白』と呼べるようなものではなかったのかもしれない。
彼女と出会ったのは、大学だった。
同じ学部内の友人が、彼女を好きになった。実は自分も好きだと、彼に打ち明けられなかった。
彼は彼女に告白した。
しかし断られたと言っていた。少し待って欲しいと言われたが待てなかった、と。
帰り道。偶然、彼女に会い、映画に誘った。
彼女は『いいよ』と笑った。
その道中、例の友人に会った。駅までの道のりを3人で歩く。明らかに2人の様子がおかしかった。
彼が彼女にフラれたのを知っていたため、柄にもなく、黙る2人の間でよく喋った。
彼が去った後、2人になると彼女は言った。
――『何か、知ってるの?』と。
彼女からしたら、あまりにも私の様子がおかしかったらしい。
『知ってるよ』と伝えた。
『自分も好きだったから、焦ってしまった』と。
彼女は『そう』と、一言で私の告白を流した。
映画が終わった帰り道。
『さっきの返事を聞かせて欲しい』と言ってみた。
彼女は『いいよ』と言った。
らしくなく、舞い上がった。
何度かデートするうち、ふと彼女の顔が曇ることがあった。無理矢理、付き合わせてしまったのかもしれない。恐る恐る彼女に『もし無理に付き合わせてしまったのなら、断ってくれていい』と言うと、彼女はハッとしたように『大丈夫』と言った。
大学卒業後、特にプロポーズすることもなく流れるようにそのまま結婚した。
彼女も働いていたが、そのうち子どもができて、彼女は産休、育休を取った。
2人目が生まれてから、生活は一変した。
彼女は常に気持ちが不安定だった。
子育てがそんなに大変なら代わってやる、と伝えたが余計に怒らせたようだった。
子どもたちが保育園に入ると、バタバタした日々が始まった。綺麗な部屋で、静かに穏やかに暮らしたいのに、仕事から帰ると部屋は片付けられておらず、不満が募った。
そんな日々が過ぎ、子どもたちが高校生と中学生になった頃の、ある日。
彼女から日中に連絡が来た。今まで仕事中に連絡してくることはなかったのに。
電話に出ると、事故にあって救急車で病院に行くので、早めに帰ってきて欲しいとのことだった。
私は仕事を切り上げるのが難しく、断った。
その後、病院から連絡を受けた。
――彼女が亡くなった、と。
私との電話の後、意識が混濁し、そのまま戻ることはなかった、と。何も言っていなかった。そんなに容態が悪いなど……救急車で病院に向かう途中の急変だったらしい。彼女自身もそこまで自分の状態が悪いと思っていなかったのだ。
病室で会った彼女は事故にあったにも関わらず、確かにどこにも傷がなく、綺麗だった。体内が損傷していたのだ。
少しずつ、少しずつ、彼女は死んでいった。
最後に、私に電話をして。
最後も、子どもたちの心配をして。
『父さんは母さんを愛していなかったの?』
高校生の長男が言った。
どう答えたら、いいのだろう。
確かに、結婚して子どもが出来るまでは妻として愛していたと思う。しかし子どもが出来てからは、もう家族だった。
妻は女ではなく、子どもたちの母親だった。
『母さん、父さんと離婚しようとしてたんだ』
中学生の次男が言った。
(――え? ……初めて、知った。彼女は――私と別れたがっていた?)
『母さん、いつも寂しそうだったよ』
『父さんと母さんが話してるの、あまり見たことがなかったね』
『父さん僕らには優しかったけど、母さんには優しくなかったよね』
そんなつもりはなかった。
ただ彼らから見てそう感じたのなら、彼女も……きっと、そう感じていたのだろう。
死んで、失ってから、知るなんて。
ただ――涙は、流れなかった。
でもあの日、私はどうかしていたのだ。
――まさか、死ぬなんて。
〜・〜・〜
閉じた眼の上から強い光が射す。
あまりの眩しさに、私は眉間に皺を寄せながら、ゆっくりと眼を開く。
見覚えのない部屋に、見覚えのない青年。
(ここは、どこだ?)
「兄上、気がつかれましたか!」
(――誰だ?)
「……良かった、兄上……」
(――弟? ……私には、姉しかいないはずだが)
「っ!!」
激しい頭の痛み。
急に来たその痛みに頭を抑え、顔をしかめる。
「兄上!!」
あぁ、そうだ。私はタレット・ラッセル。20歳。
王族の隠密を担う家の長男だ。
普段は第一王子シリル・ゴールドスタイン殿下に付いている。
弟――そうかウォーレン。シリル殿下と同じ歳。
17歳で学園に通っている。
その学園で、彼はシリル殿下の一つ下の異母弟である第二王子オズウェル・ゴールドスタイン殿下に付いている。
私は隠密活動中に事故に巻き込まれ、今まで意識を失っていたのか。
激しい頭痛と共に今までの記憶が蘇った。
ここはきっと『異世界』なのだろう。そして、元の世界の私は死んだのだ。
この世界での記憶もあるから、何とか暮らしていけるだろう。
両親ともに亡くした子どもたちは、今、どうしているのか。
――私は、なぜ死んだのか。
それだけが気がかりだった。
〜・〜・〜
ある日、弟が屋敷に『友人』を連れてきた。
今まで一度も、自分から誰かを招いたことのない弟が。そして、その相手を見て、私は驚愕した。
シリル殿下の元婚約者サラ・フローレス。
以前からは考えられないほど人格が違っていた。
半年程前に行われた王家主催の夜会でシリル殿下の代わりに服毒し、倒れてから、趣味、思考、性格が変わったらしい。
彼女の変化直後はシリル殿下を始め、宰相の息子メルヴィン・ロイド様も、騎士団長の息子アラン・ハワード様も戸惑っていた。
それも、無理はない。
あんな傲慢で我儘で上から目線で性根の醜い女、誰でも願い下げだっただろう。
今はその影すらない。
「兄上、紹介しますね。私の友人のサラ嬢です」
「御初に御目にかかります。サラ・フローレスでございます」
制服ではあるが、見事な淑女の礼をする。
私は眼を見張った。
「ウォーレンの兄タレット・ラッセルです。ご挨拶は初めてでしたね」
――以前、会っているが。と含ませてみる。
彼女は真っ赤になって、俯いた。
「あの……その節は、酷い態度を……本当に申し訳ありませんでした」
(――驚いた。分かっていたのか。そして、私に向かって、謝罪するなど……)
「いえ。ご心配にはおよびません」
『では』と失礼しようとすると呼び止められた。
「タレット様。少しだけご一緒していただけませんでしょうか」
「でも……お邪魔ではありませんか?」
「お話ししたいことがあるのです」
視線を弟に向けると、彼は瞬きを一つした。
「――分かりました。では、少しだけ」
一緒にサロンまで歩く。
ソファに腰掛けると、彼女が切り出す。
「お時間いただき、ありがとうございます。一度、しっかりと謝罪させていただきたかったのです」
「え?」
「タレット様は普段からシリル第一王子殿下のお側にいらしたのでしょう?」
「はい。殿下が学園に入ってからは割とずっと」
「では……婚約者として側にいた私をご存知ですよね?」
何となく、話が見えてきた。
そして、なぜか以前の彼女と違う話し方に違和感を覚えた。
「あの頃の私は、本当に酷い態度でした。改めて、お詫び申し上げます」
「もう大丈夫ですよ。顔をあげてください。それより、もうご体調は宜しいのですか?」
「はい。もう、すっかり。ご心配いただき、ありがとうございます」
そういって、微笑む。その笑顔に胸がざわめく。
今の彼女を見ていると不思議な気持ちになった。懐かしいような、悲しいような――何とも言えない感覚だ。
あの傲慢で悪意に満ちた、厚化粧の香水臭い女。
自分がシリル殿下に付いてから、嫌と言うほど側にいた。ある時、従者に変装していたら、見下され蔑まれた。それはもう酷い態度と言動だった。
それにしても僅か半年で、こんなにも人が変わるものだろうか。たとえ毒殺されそうになり、生死を彷徨ったからといって――
(――いや、まさか)
自分が一番よく知っているではないか。昏睡状態から戻って、別人格になってしまった人物を。
『彼女』が亡くなったのは――半年前だった。
(いや、まさかな。そんなはず、あるわけない)
「そういえば先日、お仕事中、事故に遭れたとお伺いしました。タレット様こそ、ご体調はもう宜しいのですか?」
「ええ。私もすっかり」
「それは、良かったです」
「そういえば、兄上は意識が戻られてから、あまり表情が変わらなくなりましたね。口数も減りましたし……」
ウォーレンは心配そうに私の顔を見る。私は少し笑って『大丈夫だよ』と言った。
彼は、ふわっと優しく微笑んだ。
「あの……タレット様。差し出がましいようですが一つだけ、宜しいですか?」
「何でしょう?」
「先ほど口数が少ないとお伺いしましたが……心の中にある想いは口に出して、言葉で伝えなければ、相手には届きませんよ」
彼女は私に向かって、にっこりと笑って言った。
「どちらか一方が伝えてばかりでは、いつか、伝え続ける方の心が失くなってしまうと私は思います。大切な人にこそ、言葉で伝えることも大事だと」
私とウォーレンは黙って彼女の話を聞いていた。
しかし――彼女はなぜ、急にこんな話をし始めたのだろう?
彼女はチラリとウォーレンに目線を移す。
視線が合うと、少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「――ウォーレンは私に真っ直ぐ想いを伝えてくれます。いつも私を気にかけてくれるし、それを言葉にしてくれます」
それを聞いたウォーレンは一瞬、眼を見開くと、顔を真っ赤に染め、俯いた。
そんな彼の様子に、驚いた。
家の者の中では割と表情が豊かな彼だが、いつも冷静で心はあまりブレたことはない。
そんな彼が、彼女には心を揺さぶられている。
兄である私から見ても、彼は申し分のない男だ。
侯爵家の次男で、頭脳明晰、容姿端麗。
王族に付いているため、夜会などには、積極的に
『ラッセル家』としての参加はしないが、それでも令嬢たちからの人気は高い。
ただ、今まで一度も関わりをもってこなかった。王家の隠密組織のトップであるラッセル家には必要ない、と。
確かに隠密を担っているため、婚約者という存在はいない方がいい。秘匿の面からも、相手の安全の面からも。護るものが多くなればなるほど、自身を危険に曝す。
まだ幼い双子の弟と妹がいる。彼等も隠密にするため、教育していかなければならない。
他にも今、やらねばならぬ事が多くある。
だから彼は『時期が来たら、結婚すればいいさ』と言っていた。
そんな彼が選んだ人がまさか第一王子シリル殿下の元婚約者だなんて。
しかも、メルヴィン様や、アラン様など他の貴族からもたくさんの求婚が来ていると言われているというのに。
そういえば、シリル殿下も嘆いていた。
毒の副作用の問題さえなければ、婚約を継続出来たのに、と。
今の彼女を好ましく思う者は驚くほどいる。
「ウォーレンは、私には勿体無い御方です」
彼女はそういうと少し眼を伏せた。どこか寂しげに笑って、続ける。
「第一王子殿下に付いていらっしゃる、タレット様でしたら、もちろん、ご存知かとは思いますが……私は毒の副作用で子どもが産めないかもしれない身です。ですから今後、婚約、結婚などは考えておりません」
「サラ」
ウォーレンが彼女の名前を呼ぶ。なぜか私の鼓動が速くなった。
(何だ? この感覚は……)
ウォーレンが遮ったにも関わらず、話を続けた。
「ウォーレンと……これからも仲の良い友人でいさせていただいても宜しいでしょうか」
「え?」
「タレット様にも認めていただきたかったのです。私のことは、色々ありましたから。御家としても、きっとご心配でしょうし……」
「友人としてで良いのですか?」
「えっ?」
私と視線を合わせた彼女に言った。
「今後、ウォーレンに『婚約者』が出来ても、構わないと?」
「兄上!」
ウォーレンを手で制す。彼女は戸惑っていた。
「確かに。子どもは、いればいるだけ良いですが。うちには嫡男の私もおりますし、ウォーレンの下に弟と妹がおりますので、他の貴族同様、そう重要なことではありません」
彼女の瞳が揺れた。
「貴女がなぜ、そこまで友人に拘るのか伺えますでしょうか?」
彼女は俯いて、何かを考え込んでいた。しばらくして、ゆっくりと話し始めた。
「服毒して、生死を彷徨った時、長い夢をみていたのです」
「夢?」
「……はい。その夢の中で、私は結婚していて。子どももいて。でも……旦那様には愛されていませんでした。愛し合って、結婚したはずなのに」
最初は少し戸惑ったが彼女があまりにも真剣に、そして、苦しそうに話すので、いつしか聞き入ってしまっていた。
「彼は私に何も言ってくれなかったのです。彼の心の中を。想いを。そして、当たり前のような挨拶でさえも」
彼女の瞳からポロポロと雫が落ちた。突然のことに私もウォーレンも吃驚する。
ウォーレンが慌てて、ハンカチを渡すと『ありがとう』と受け取り、それを握り締めて続けた。
「怖いのです。また同じ想いをするのが。結婚しなければ――恋愛であれば、いつでもやり直せるからと思っていました」
ハンカチで涙を拭く。
「でも、違ったんです」
「――というと?」
「いつでもやり直せるような簡単なことではなかった。ウォーレンが教えてくれました。私は単純に、彼の優しさに甘えていたのです。私は――やっぱり酷い女です」
彼女は涙でぐしゃぐしゃになった顔で、無理矢理笑っていた。
「今の私は、夢の中の旦那様と同じでした。伝えてもらってばかりで、私は伝えていなかった。ごめんなさい。ウォーレン」
ウォーレンは彼女の背中を優しくさすると、彼女の顔を覗き込み、ふわっと柔らかい笑顔を向けた。
「私は嬉しいよ?」
「えっ?」
「サラに甘えて貰えて」
「どういうこと?」
「私にだけ、甘えてくれていたのでしょう?」
「……はい」
「充分だよ。それが知れただけでも。サラは全然、酷い女ではないよ。私がサラの恋人になりたかっただけ。だから、私の方が我儘だった。サラの気持ちを考えずに、自分の気持ちを押し付けたのだから。今、サラの気持ちを伝えて貰えて、凄く嬉しくて、これ以上ないくらい幸せだよ」
彼は彼女に微笑んだ。彼女も彼に微笑んだ。
「それで? これからも『友人』でいいの?」
「えっ?」
「私に『婚約者』が出来ても?」
「うぅっ……ウォーレンって、そんな意地悪だったかしら?」
「サラ、だからね」
「どういうこと?」
「サラにしか、しないってこと」
「っ!!」
そんな2人のやり取りになぜか心が痛んだ。弟に愛しい人が出来て、嬉しいはずなのに。
何だろう――この気持ちは。
私も『彼女』に、彼のように伝えられていたら、よかったのだろうか。
年々、向かい合うこともしなくなっていた。
――『彼女』は、どんな顔をしていただろう?
『彼女』の顔を思い出すことすらも出来なくなっているほど、見ていなかった。見てこなかった。
そんなことに今、気が付いた。
数日後。
学園でシリル殿下に付いていると彼女に会った。学園内では必要に応じて、教師か生徒に変装しているが、今日は共に行動する必要があったので生徒になっている。
「おはよう、サラ」
「おはようございます。第一王子殿下」
「いつもサラは綺麗だね」
「ありがとうございます」
彼女のシリル殿下への態度は、先日と同じ人物なのかと思うほど、冷たいものだった。
思わず、クスリと笑ってしまう。
彼女がチラリと私を見る。そして、首を傾げた。
「おはようございます。サラ様」
「……おはようございます」
彼女は私に近づき、少し顔を寄せて囁いた。
「――タレット様?」
「よくお分かりになりましたね」
「いえ、自信はありませんでしたよ? 全然、違うではないですか。それとも、そちらが本来の?」
「いえ。先日、屋敷でお会いしたのが」
「生徒の姿、新鮮です。お似合いですね」
ふふっと笑う彼女に眼を奪われた。胸の奥で何かが疼く。
2人でこそこそと話していると、明らかに機嫌を損ねた人物の顔が目にはいる。
「随分、仲がいいんだな。いつの間に?」
いつもとは違う低い声に彼女の肩がビクッと跳ね上がる。そして、とても驚いた顔をしていた。
そうだろうな。今まで彼女の前で怒りの感情など見せることはなかったのだから。
彼は王子だ。
常に温厚で人当たりの良い笑顔を浮かべている。
執務室では荒れることもよくあるのだが。それを知っているのは、ごく僅かだ。
「先日、屋敷にいらっしゃったのですよ」
「サラが? ラッセル家にか?」
「ええ」
「なぜ?」
「それは、第一王子殿下には関係ございませんわ。私とラッセル家のことですもの」
彼女が遮るように言うと、シリル殿下は動揺して瞳を揺らした。
「第一王子殿下、タレット様、失礼いたします」
綺麗に礼をして、教室に向かって行った。
「――どういうことだ」
「彼女の仰った通りですが」
「なぜだ」
「彼女は私に会いに来たというわけではないので、分かりかねます」
「そうなのか?」
「はい。私は紹介されただけですので」
「――そうか。それにしても、随分、親しげな名前で呼ばれているのだな」
「……」
シリル殿下はジロッと私を睨んだが、それ以上、聞いてはこなかった。弟のことが知られれば、色々複雑になりそうだ。
吐きたいため息を殺し、心の中で吐き出した。
彼女は分かっていない。
どれだけ、彼女を追っている視線があるのか。
(――『彼女』に似ているな)
『彼女』もそうだった。
本人は全然、気が付いていなかったがかなり視線を送られていた。付き合い始めても、いつも、気が気じゃなかった。
ただ、彼女と同じように『彼女』も異性に対しては、淡々と返していた。自分だけが『彼女』の特別になれた気がして、舞い上がった。
昼休み。
学園の用事があり、シリル殿下と別行動をしていると、人気のない中庭のガゼボで彼女を見つけた。
「ウォーレンは一緒ではないのですか?」
急に声をかけたからか、驚いたように振り返る。
相手が私だと気が付くと、少しホッとしたように微笑んだ。
その笑顔に胸が高鳴った。
「こんにちは、タレット様。ウォーレンは第二王子殿下に付いていらっしゃいます」
「そうでしたか。――ここ、座っても?」
「ええ。どうぞ」
彼女の手の中にある本に眼をやると、それに気が付いた彼女が本を上げて見せる。
「ウォーレンが貸してくれた本です」
「あぁ。ウォーレンは本が好きですからね」
「私も読書が好きなのです。ここでよく一緒に本を読みます」
「お互いに読書しているのですか?」
「ええ。そうですが……」
「つまらなくないのですか?」
「えっ?」
つい、出てしまった問いだった。
お互いに読書するなら、一人でも構わないのではないかと思ったからだ。
「空気が……好きなのです」
「空気?」
「ウォーレンの纏う優しい空気が心地よくて。何をしていても心が落ち着くのです」
彼女はふわっと笑った。
「……さくら……」
「え?」
「あ、いや……貴女を見ていると思い出すのです。昔の知人を」
「……知人、ですか……」
「はい」
馬鹿だな。そんなはずないのに。
そして、今まで一度も『彼女』の名前を口にしたことなどなかったのに。
『彼女』を呼ぶときでさえも。
今になって、名前を呟くなど。
――ただ、彼女の笑顔が『彼女』の笑顔に似ていた気がして。もう『彼女』の顔も思い出せないというのに。
「……サクラ……様と仰るのですか?」
「え? あ、はい……」
「珍しいお名前ですね」
「そうですね、ここでは」
「ここでは? ――どこか遠くの国の方ですか?」
「……はい。もう二度と会うことはできない人です。――貴女のお名前に似ていますね」
「そうですね……」
彼女は気まずそうに微笑んだ。
「以前、貴女が私の屋敷に来たときに――」
急に話を始めたからか、彼女は視線を上げて私の顔をじっと見つめた。
「夢の……話をしていましたね」
「はい」
「実は……私も怪我をして、意識がなかったときに見た夢がありました」
「……え?」
「私も別の人生を歩んでいました。……ただ、私の場合、ある意味、報いのようなものでしたが」
「報い?」
「はい。貴女の話を聞いて、私は報いを受けたのだと思いました」
「――タレット様も夢の中ではご結婚されていたのですか?」
「ええ、そうです。でも、分かっていなかったことが多かったのですよ。だから、貴女の話を聞けて、よかった」
少し笑って見せると、彼女も微笑んで言った。
「では、タレット様とご結婚される方はきっと幸せになれますね」
「えっ?」
「だって……もう、どうすればいいのか、お分かりなのでしょう?」
「……っ!!」
突然、目頭が熱くなり、頬に何かが伝う。
今まで一度も流したことのない『涙』が。
目を掌で覆い、声を殺す。
通り抜ける風が木々を揺らす音だけが2人の間に流れていた。
彼女は、何も聞かなかった。
夢の詳しい内容も、突然の涙の訳も。
ただ、黙って、側にいてくれた。
「……失礼いたしました」
「いえ。何もありませんでしたよ?」
「ありがとうございます」
そっと、見なかったことにしてくれるようだ。
その気持ちが有り難い。
「貴女は今、幸せですか?」
急に聞いてみたくなった。
「ええ。とっても!!」
彼女は満面の笑みで私を見た。
(――そうか。『彼女』はもう、先に進めたのだな)
今、思い出した。
私はあの時、自ら死んだ。
『彼女』の墓参りの後、青く澄んだ空を見上げていた。そのまま、何かに呼ばれるように飛び出した。
なぜそうしたのか、自分でも分からない。衝動的といったら、そうなのだろう。
ただ、この世界に来て良かったのかもしれない。
私も一歩、踏み出してみようか。
新しい、この世界で。
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