『がんばろう』『ありがとう』『大丈夫』『みんないっしょ』は等しく精液である
わたしは幼女作家ですので、東日本大震災の時には生きていなかったという認識でいてほしいですが、まあ生きてる生きていないにかかわらず、事象は事象として事実は事実として存在したことは、これは平均的な知性があれば理解できます。
読者様も、自分が経験した災害とかニュースとか、読者様の個人的な事情に接着していればいるほど、その事実はこころに深く刻まれていることと思います。
問題となるのは、そういった災害に対する個人的なダメージには差異があるということです。
東日本大震災のときに家族とか家とか流された人のダメージと、地震も津波もまったく影響のなかった他県の人のダメージが等しいはずがありません。
地震について言えば、当時のニュースサイトとかを漁ると出てくる言葉に『がんばろう』というものがありました。
がんばろう東日本とか、がんばろう東北とか、そんなふうに使われていたみたいです。
それで、実際に家とか流された人からすれば、燃え盛るような憎悪の気持ちが湧いたりもしたりして、なにががんばろうだよ。がんばれるわけねーだろバーカとなったわけです。
こんな記事があります。
https://anond.hatelabo.jp/20110407001402
少し引用します。
"家が流されてなくてさ、帰る場所があって、仕事があって、地に足が付いてる人が、すげぇ神妙な顔で、お洒落な服で、こっち見て何か言ってるな、と。おまえに言われたくないと。ほんとに。何も言わないでほしい。大丈夫なわけがない。おまえらに大丈夫だよ、とか言われても、大丈夫なわけがない。"
被災者から見れば、被災していない者たちのまなざしは、エロゲーをする野卑な視線と同じでした。
ていのよい、かわいらしい言葉で着飾った性欲だったのです。
絶対大丈夫だよ。なんとかなるよ。
ならぬ。ならぬというからならぬのだ。
いや幻想の力でそこまで現実に抗しきれるのかしら。
痛くないとどんなに言い張ったところで、脛を強打すれば誰だって痛い。
結局は他人事なのです。他人の痛みをていよく消費しているのです。
つまり上から目線のすごい版みたいなものです。
当時の人間たちにとっては『東日本』は哀れな被害者であり、被災された方々は感動ポルノ的な消費物と化していた。あるいは化していると被災者そのものは感じていた。少なくとも上の症例者はそう感じていた。そう読み解けます。
よって、精液どうしを交換するような『がんばろう』とか『みんないっしょ』とかが、症例者にとっては心底気持ち悪かったんですね。言うなれば許可がないのに精液を顔にベチャっとかけられたような不快感といいますか、こんなの書いて消されても文句は言えないとは思いますが、そういうことです。
今回のコロナ禍において、東日本大震災と異なる点は、コロナ禍が一部の地域にとどまらず、密度差はあるにしろ、日本全体を覆っているということです。
したがって『がんばろう』ではいまいち気持ちよくなれません。『大丈夫』も自分が安心できないのだから響かない。
高低差がなくなり平等にコロナ禍に巻き込まれているので、上から目線というのが成り立たなくなってしまっています。
しかしながら、一部に高低差が生まれなくもないのが今の状況です。
その最たるものが『医療従事者』たちです。
医療従事者はコロナ禍の最前線で戦っています。他の国とか日本もそうですけど、医療従事者がいるからこそ、何とか踏ん張れていて、『英雄』扱いしている国もあるみたいです。
つまり、がんばろうからありがとうへ。英雄たちに対して無責任にありがとうへ。
無辜の民であるわたしたちが、勇敢なる英雄たちにありがとうという言葉を使うようになりました。
これもまた精液であろうと思うのです。
ありがとうというたびごとに、射精しているのです。自儘に気持ちよくなっているのです。
困難に直面している人は、感謝なんか求めてないのです。必死だから。
あなたの射精につきあってる暇はないとなるはずです。
まあ『がんばろう』よりは薄めのカルピスみたいな感じで、罪一等は減じられているとは思うのですよ。例えばそれは、まったく無関係な対岸の地震である大震災とか津波ではなく、戦争で言えば前線と後方くらいの関係性はありますし、いつかは自分たちも前線に行くかもしれないという恐怖は薄々に感じていますから。
コロナ禍が広範であるがゆえに、完全な他人事として消費するわけにはいかなくなってますから。
ここまで書いてきましたけど、精液もまあその、好きな人どうしがたしなむのはいいと思うんですけどね。
よーく観察すると、おいしそうに見えなくもないですし。実際飲んだことないんですけど、おいしいと感じたりする描写がエロゲーとかエロ本であったりもするわけで、人それぞれだとは思います。
ただ、よくネットで、個人に対していやがってるのに付きまとったりする人がいるじゃないですか。ストーカーとかまで言わなくても『粘着』って言って。
精液には、粘着性があるわけです。
あなたの言葉は精液なのです。もちろんわたしの言葉もですけれども。
フェミニズムとかも、私の認識では、精液を飛ばしてくるばっちい人たちという印象です。
宗教も偶像に精液を必死にヌリヌリしています。ちょっと気持ち悪い。
でも、精液にも効用があって、粘着性があるから人と人どうしを絆で結んでたりするんですよね。
忘れていたけど『絆』はかなり精液ポイント高いと思います。
精液がまったくない世界は、分子的なヒトどうしが断絶しあってる世界といいますか、ソーシャルディスタンスで星空の下のレジスタンスですよ。
つまり極端にあってもなくてもよろしくないというか。
どのくらいがいいかというと、たとえば道の向こう側で赤の他人がバナナの皮ですっころんだのを見て、「ふふっ」と笑っちゃうくらいの精液ポイントは必要かなといった感覚です。
わたし自身は勝手に顔にベチャってしてこなければ、多少は精液濡れになってもいいとは考えてます。これはわたしの体性感覚ですけどね。SNSはブロック機能が発達しているから、他人の精液を自己コントロールできるようになったというか。いやならブロックするのがいいかな。
でも、ブロック以前にSNSは公の場であり、場に出された時点で侵害されたみたいに言い出す人もいるからね。
みんなそれぞれどこまで精液濡れになっていいかが違うから難しいんだよな。
創作においては、わたしはこの精液ポイントを各キャラクターごとに割り振っていますよ。主にコンフリクトが起こる原因は、突き詰めると精液に対する体性感覚の違いで起こるのです。
精液濡れになりたい人もいれば、乾いてカサカサのままでミイラみたいに生きていきたい人もいる。いろんな人がいてみんないい。とか言い出すとそれもまた精液ポイント高い。
いい塩梅というのを見出すのは、すごく難しいんです。
ふぅ……。
そういうわけで賢者タイムに入ります。
感想書いてっていうのもなんか変な作品ですけど、感想書いてくれると書いたかいがあります。
いっしょに精液濡れになろうね!




