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繊月

作者: 子淀

 気がつくと私の体は既に横になっていた。硬く生温い地面の上に仰向けになっていたのだ。頭の後ろがじわり、と痛む。最近こういったことが多々ある。医者は何やら難しい事を話すが、どうやら簡単に治るものでは無いらしい。私たちの暮らしはそんな病に金をかけれるほど豊かではなかった。年二つ下の妻に、もうじき一歳の児がいる。不遇なことに私たちは一家で体が弱いものだから生活費の他によく金が外に出ていく。私たちは微力ながら何とか生き延びていた。児をあやす頬の痩けた妻に生命力はもう殆ど無いと見れた、ほどに微力だ。私が口癖の、若し死ぬ時は皆共に死のう、と言うと妻は小さく、はい、と言うだけだった。毎回先のやり取りより妻の声はか細くなっていった。たとえ春の陽気の下でも、部屋の空気は重く暗く感じるので、床に臥すよりかは趣味の散歩(もっとも趣味と言えるかどうかは怪しいが)に耽っていたところだった。


 六月の月の無い夜だった。強くなりそうな、まだ小さな雨粒が落ちている夜だった。私は隣の笛吹の親戚の家に勝手に上がり込み脅して金をせしめた。所謂、脅迫、窃盗というものだ。このちっぽけな悪事で人を助けるのが目的であり、実は、私の夢の一つでもあった。私は駆け足で自宅へと向かった。これから人助けをして己の夢を叶えることにたいへん胸を躍らせた、妻と児の事も想っていた、しかし、罪の意識が徐々に徐々に浮かび上がってきたのだ。自宅付近でようやく浮かんだ遅さに私は笑ってしまった。

 清々しい朝を迎えて医者の所へ薬を貰いに行った。今日は、咳の五月蝿い患者の多い日だった。何か病でも流行しているのだろう。そのような患者たちが優先され、私は昼下がりまで待った。奪った金も特別多いわけでもなく、妻と児の分しか買えなかった。愛情と慈悲は多少持ち合わせているので、ふらつきながらも行きより若干早足で医者の元を後にした。


 夢を叶える覚悟を決めたところで玄関の戸をいつもより大きく開けた。妻のいつもの咳も聞こえないので、幾分良くなったのか、と一息の安心と憂いに沈むと、私は一粒の異変に気がついた。辺りが妙に鉄臭い。妻に問うと、なんでもありません、と言った。なんだ眠っていないのか、具合はどうだ、と問うと、良くなる一方です、と答えた。戸を閉めるまでに、一見健康な妻がこちらへ小走りで向かってきた。この妻に扮した片腕のない女に、私は腹を刺されていた。そしてこの女が何者かを理解し、たいそう驚いた。その私の妻のようなものは、私が襲った親戚の嫁にあたる女だった。私は思わず外へばたばたと逃げて声の無い助けを乞いた。苦しみながらも、変に冷静なのか、諦観なのか、妻と児が気になった。私はふと自宅の窓を見ると、目が合った。肩身の狭い、いや、肩から下の無い更に細くなった妻と目が合った。自分の母の顔をみて笑って、手遊び中の一歳になった児とも目が合った。

 私は、外套の懐の底に座る、行場を失った大小様々な錠剤を思い出して意味無く噛み砕く。今の私の何処に効くと言うのか、口に残る苦味を味わった。嗚呼、私の最期に相応しい味だ、と腹の傷が謳った。血が引いていく感覚に、雨に濡れるような寒気を覚えて、私の体は既に横になっていた。月が繊さく輝いた夜だった。

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