土蜘蛛
「おぬしら、土蜘蛛衆であろう」
久秀のつぶやきに、頭領の眉がぴくりと反応した。しかし黙して答えず、小七郎から目を離さない。老体の久秀は無視して良いと判断したのだろう。
構わず、久秀は小七郎に顔を向けた。
「こやつらは古くから山に隠れ棲んでいる一族でな。山人とも呼ばれ、独自の技で里の者に恵みを施すかわりに供物をもらう関係にあった。だが、この戦乱で交流が廃れたのであろう。自ら里に下りて供物を奪いに来るようになったのではないかな」
なおも頭領は黙して語らない。小七郎もうなずくことしかできない。
「土蜘蛛衆は山に穴を掘ってねぐらにしており、鉱物を扱う術に長けておる。おのれの領域を脅かした者を鉄糸で簀巻きにする手口と、硫黄の炎で村人を脅かし、作物や金品を奪い取る手口からすぐに察することができたわい」
黙れと言うかわり、頭領は久秀に狙いを定めた。対する久秀は飄々としたもので、弓矢に気づいていないかのごとく、言葉を続ける。
「こやつらは姿を見せることを嫌う。月明りのない小雨の日を選ぶうえ、山でさらった者、捨てられた者、川に身投げした者を拾い上げ、こうして使い走りにしておるのじゃろう。考えたものよな。村の者が裏に気づいても、情が絡んでお上に討伐を願い出るかどうかは悩むであろう。本腰を入れて当たらせるほどの被害も出さず、ほどほどの略奪で抑える。いやまったく、狡猾、狡猾」
「なぜそう詳しいのか知らんが、そこまでわかっているなら、真相を知ったお前たちを生かして帰すことがないのも察しがつくだろう」
頭領がくぐもった声でつぶやく。見ると、他の土蜘蛛衆たちも思い思いの得物を手にして臨戦態勢に入っている。後は誰かが動けばすべてが終わるだろう。
「あわてるでないわ」
久秀は扇を開いて土蜘蛛衆に向かって突き出した。
「山の守り人であったおぬしらが盗人の真似までせねばならぬとは、なんとも闇濃き時代じゃ。慰みに、わしが本物の鬼火というものを見せてやろう」
その言葉と共に、扇の上に青い炎が浮き上がった。硫黄の炎と違い、ふわふわと球体が宙に浮いている。小七郎も土蜘蛛衆たちも呆気に取られた。
扇をはためかせると、風を受けた鬼火は山桜の花弁のようにふわりと浮き上がる。熱さも重さも感じない有様は、奇怪を通り越して幽玄の妙さえ感じさせる。皆が見惚れる中、久秀が扇を畳み、鬼火を叩くと、火の玉は音もなく無数の火花となって四方に飛び散った。
それと同時に、小七郎たちを取り巻く土蜘蛛衆の輪をさらに包み込む、大きな火の輪が出現した。赤々と燃える松明の炎に浮かび上がったのは、口元まで布で覆った、屈強な集団だった。
「得物を捨てい」
重々しい声が山中に響く。赤い炎に照らし出された男たちはすでに弓を引き絞っており、号令一つで土蜘蛛衆はみな射抜かれてしまうだろう。
「こやつらは……おれたちと同じ土蜘蛛衆ではないか」
驚く頭領に久秀が答える。
「わしがおぬしらのことに詳しかったのはな、別の地で巡り会うた土蜘蛛衆を傘下にしているからじゃ。土石を扱わせればおぬしらの右に出る者はおらぬ。築城の折は山師として重宝しておるぞ」
頭領が久秀に殺気を向けた。この老人を人質に取り、切り抜けられないか算段を立てているのだろう。だがそれを小七郎が見抜いている以上、隙はつけない。進路も退路もふさがれたことを悟り、ようやく頭領も観念したようだ。弓を捨て、土蜘蛛衆たちに目配せした。頭領にならい、残りの者たちも得物を置く。久秀の配下たちが武具を拾い上げ、男たちを連行していく。その様子を、小七郎は驚きと共に見送った。
「いつの間に、かような者たちを向かわせていたのです」
「長岳寺を出たときじゃ。藤丸の話で彼奴等のしわざであることは察しがついておった。このようなところで小七郎どのにもしものことがあれば、備中守《直政》どのに顔向けできぬからのう。とはいえ、あ奴らの動きが思うより早く、危うい目に遭わせてしまった。まことに相すまぬことをした。この詫びはまたいずれ」
藤丸が母親と抱き合っているのを見やりながら、小七郎は苦笑いして首を振った。囮にされたことに何も思わぬわけではないが、久秀自身も矢面に立っての策だったのだ。それに、結果この光景を見られたなら悪い心持ちではない。
「小七郎どの。藤丸の母君はいったんわしが預からせてもらうが、かまわぬかな」
「それでよろしいかと。事の次第を聞かねばならぬでしょうし。なによりここは松永家の治める地にござる」
「うむ。それに硫黄の炎は毒の煙を吐く。腕利きの医師に心当たりがあるゆえ、土蜘蛛衆に囚われていた者たちはみな診せておこう」
「藤丸にかわり、御礼申し上げまする」
土蜘蛛衆の頭領が通り過ぎるのを見て、小七郎は話題を変えた。こちらが本題だ。
「ときに、土蜘蛛衆の処断はいかになさるおつもりか」
「何も。わしの土蜘蛛衆に組み入れ、召し抱えるつもりじゃ」
「いや、それは道理が通らぬでしょう。あ奴らに殺された者たちもいるのですぞ」
いくら実力主義の織田軍でも、罪人を配下に加えるなど聞いたことがない。しかも彼らはつい先ほどまで小七郎たちに弓を向けていた者たちだ。
「奪った命をおのれの命で償うことなどできぬ。生きている者は存分に生くるべし。あ奴らは行き場を失い賊をしていただけじゃ。こちらで役割を与えてやれば大人しかろう」
「しかし、治安を守るために賊は即処すべしと上様の御下知があったはず。そのようなことをしては示しがつきませぬ」
「弱者を切り捨てた先に何がある。世の中、勝者より敗者、強者より弱者のほうが多い。勝者や強者のみ残し、弱者を切り捨てていては、いずれ強者も足をすくわれよう」
「……それは、上様のことと受け取ってよろしいか」
「さて、いかようにもお取りになればよろしかろう」
小七郎はさりげなく刀に手をやった。
久秀がやろうとしていることは明確に信長の命に反する行為である。しかも久秀の先ほどの言葉は、信長の世が危ういものと批判しているに等しい。取りようによれば、信長の足元をすくおうとしていると疑うこともできる。
どうする。引っ立てるか、あるいはここで斬るか。しかし……。
逡巡しているあいだに、藤丸が久秀に駆け寄っていった。母親と共に涙を流して礼を述べている。小七郎はため息と共に殺気をひそめた。織田家の道理からは外れていても、人の道理は久秀にあると判断したのだ。今宵、自分が見たのはじゃんじゃん火の始末だったということにしよう。おのれ一人の胸に仕舞っておけば済む話ではある。
松永久秀。常人には伺い知れぬ道理を身につけし妖人ではあるが、わしが思うような人間ではないのかもしれぬ……。
「われらもそろそろ山を下りましょうか」
小七郎の言葉に久秀もうなずき、一行は龍王山を後にした。




