長岳寺の花見
「小七郎どのは鬼火を斬れるかな」
舞い散る山桜の花弁を扇の風で踊らせながら、老人が訊ねてきた。
どう答えて良いかわからず、塙小七郎はかわらけを置いて太い腕を組んだ。あいにくの曇天で始まった長岳寺での二人の花見も、酒が進んでようやく興が乗ってきたところだ。他愛ない雑談かもしれないが、この油断ならない老人の前である。どんな話であれ、弱みは見せたくない。
「あいにく火の玉を見たことがないものですから、わかりませぬな。とはいえ、しょせんは魑魅魍魎。南無阿弥陀仏を唱えて斬れば退散するものではないでしょうか」
「なるほど。小七郎どのの武辺と御仏の力が合わされば、さもありなん」
老人はつるりと頭を撫でて可笑しそうに笑った。しかし東大寺の大仏を燃やした当人が仏の法力を語っても、なんの説得力もない。
この老人、昨年落髪し、悟りを志す心を意味する道意を号するようになったが、誰もそんな不似合いな名で呼びはしない。織田家では元の名の松永久秀で通っているし、小七郎も彼の階位である弾正少弼を指して、霜台どのと呼んでいる。巷では悪弾正と呼ばれて久しい。大仏殿に火を放ち、足利将軍を謀殺し、主君の三好家を乗っ取ったという久秀の所業は、信長からも三悪を為した天下の大悪人と評されているほどである。
しかも久秀は三年前、武田信玄の進軍に乗じて挙兵し、織田家を窮地に陥れた過去がある。四悪目を歴史に刻もうとしていたのだ。信玄が病没した後に久秀も降伏し、所領の大半を没収されて許されたが、小七郎にはそこも解せない。このような信の置けない妖人を生かしておく理由など何もないように思う。
今の久秀は大和十市郷の三分の一を治める小名に過ぎないが、いつ何をしでかすかわかったものではない。だから小七郎は茶の湯を習うという名目で久秀に近づき、その動向を探っているのだった。従兄弟の原田直政が実質的な大和の守護を任され、己も代官として十市郷の一城を任されている。久秀に怪しいところがあれば、いつでも刀の鯉口を切るつもりでいる。
しかし当の久秀はのんびりとしたもので、会うたび親身に茶の湯を指南してくれる。今日も風雅を学ぶ一環にと、遅咲きの山桜を肴に花見を催し、鬼火などというどうでもいい噂話に興じている。この老人が本当に三悪を為した御仁なのかと、時折小七郎は信じられない気持ちになる。そしてそのたび、いやいやこうやって油断させるのがこの老人の手口かもしれぬと気を引き締め直す。そんな小七郎の揺らぎを知ってか知らずか、久秀は素知らぬ顔で扇を畳んで東手にそびえる山を指した。
「実は、そこの山に鬼火が出るという噂があるのじゃ」
「ほう、龍王山に」
龍王山の頂には久秀の息子、久通が治める龍王山城がある。築城の名手と名高い久秀が手を入れただけあって、南北の峰にまたがった城郭の壮麗さが長岳寺からも伺えた。
「七月にはあそこで倅が祝言を挙げることになっておる。その前に凶兆を追い払えぬものかと思うてな」
「そうでしたか、嫁取りとはめでたき話にござるな。そのような折に領内で、しかも城の膝元に鬼火の噂とは、確かに愉快ではないでしょう」
「噂だけならまだ良いが、死人が出ておる」
久秀の言葉に小七郎は身を硬くした。人死にが起きたとなれば、噂と笑っていられる事態ではない。
「先日、鬼火が出たと聞いて向かったわしの手の者が、山中に事切れた姿で見つかった。総身を焼かれた姿でな。ほかにも、以前からたびたび鬼火による死人が出ていると聞いておる」
「くわしく調べねばなりませんな」
「うむ。それにあたって、おぬしの小姓の藤丸に話を聞かせてもらいたい」
「はあ……藤丸にですか」
「鬼火を直に見たことがあると聞いての。それに、この辺りの村の出ともな」
久秀が言う通り、藤丸はこの近辺にある田井庄村出身だ。父が戦に巻き込まれ、母も山で滝つぼに落ち、両親を失い行き場を失って下働きの奉公に出された。働き者で目端が聞き、顔立ちも良いこの若者を小七郎はいたく気に入り、小姓に取り立て連れ回していた。
小七郎が傍に控えていた藤丸を呼んで問いただしてみると、はたして久秀の言うとおりだった。どこから藤丸のことを知ったのか、自分の身辺を嗅ぎ回られていたようで面白くなかったが、久秀に言わせると、鬼火の噂を知っている者を調べているうちに自然と藤丸に行き着いたのだという。
藤丸を久秀に引き合わせる。平伏する藤丸に、久秀がさっそく問いかけた。
「そこもとの村で、鬼火について伝え聞いておろう。直に見たときのことも含めて、知っていることを申せ」
久秀の声色は穏やかだったが、藤丸は強張った顔でうつむくばかりで、なかなか言葉が出てこないようだ。夜ごと、寝物語に小七郎から久秀の悪行と罵詈雑言を聞かされている藤丸である。恐ろしくてまともに久秀と向き合えないのだろう。小七郎が声をかけて助け舟を出してやると、ようやく藤丸は顔を上げた。しかし久秀を恐れているというよりも口ごもっている様子だった。
「霜台さま、話しても怒りませぬか」
「わしが怒るような話なのか」
「はい」
何が面白いのか、久秀は扇を広げて相好を崩した。
「かまわぬ。申してみよ」




