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序章

 夢から覚め、「朝だ」と意識が戻る瞬間。

 男は頬に綿毛でくすぐられている感触を感じながら、ゆっくりと目を開けた。


 「やーと、起きた! ハピを待たせるとは困った寝坊助さんね」


 安眠明けの男の耳に入り込むのは、幼い子供の声。忙しく貴重な早朝の時間に、起きない人を呼び覚ます呆れた声だ。

 男は暗い所から明るい所へ移動した直後の眩しさに、目を細める。光に次第と慣れ、かたわらに人気を感じた。小動物を思わせる丸い影が揺らいでいる。

 目蓋まぶたを開いている途中に、水分が足りずにれた声を出した。


 「誰かいるんですか?」

 「ハピだよ! ハピ!」


 柔らかい口調に眠気を誘う声。

 男の視界が明確になった。目の前には――声の印象に合致がっちする幼女の姿が映った。幼女はツンツンと、男の頬を突きながら笑顔を溢れ出している。無邪気で曇りが一切ない表情。しゃがんだ姿勢で顔を突く幼女は、虫に悪戯いたずらしている子供の光景だ。

 西洋人形を思わせる小さく整った顔。金色の長い髪の毛は繊細せんさいに乱れがない。紅い大きな瞳が特徴的な美幼女だ。白色をベースに赤色を箇所かしょに散りばめ、胸元にはこれでもかと主張する巨大な深紅しんくなリボンの服を着ている。俗に言う、魔法使いのようだ。衣服の下は見なくてもわかる。発育を楽しみに待つとしよう。


 「子供?」

 「なっ! れっきとした大人だよ! “大魔導士”なんだからね、まったくー」

 「大魔導士? テレビの見過ぎか・・・・・・。なぜ、子供がこんなところにいる?」

 「だから、おーとーなっ!」


 男の顔を突く幼女の指には、怒りの感情が蓄積される。定期的な触れ合いは、気が付くと高速で連打になっていた。今ではピストン運動に特化した機械のようだ。男の頬は沈み込み、へこみが出現していた。


 「痛い、痛い、大人だな、お・と・な」

 「うんうん、分かればいいんだよ。ハピは可愛い大人なのっ!」


 ハピを名乗る幼女は、無垢な満面の笑顔を見せた。突く指を止め、立ち上がると、男に手を差し出した。


 「いつまで寝てるの? 早く起きて、起きて」

 「は、はい」


 男は華奢きゃしゃで小さい手のひらを掴む。起き上がろうと地面に手をつくと、想像している硬さではない違和感。「ん?」と、地の感触を確認するために顔を向けた。


 真っ白でふかふかな毛布。雲の柔軟なクッション。


 男の手は、地面に3センチめり込んでいる。辺りを見渡すと、雲海の真上に居るような光景が広がっている。ハピの手を引っ張り、立ち上がる。身体を回転させて、周辺の状況を観察する。


 「急にどうしたの? ハピに見惚みほれちゃった?」

 「違う、なんだココは? 研究室の床で寝ていたハズじゃ」

 「一瞬で否定された。ハピ、悲しい」

 「悲しいのは置いといて、質問に答えてくれ」


 男は険しい顔色で横にいる幼女に視線を向けた。ハピは人差し指を下唇に当て、微笑みながら口を開く。全てを見透かしているような、小悪魔を思わせる。


 「ここは天国でーす。天の上の国でーす。後、15分で消滅しまーす」

 「天国? 何訳が分からないことを・・・・・・。本当なのか?」


 顔色を変えないが、不安を抱く感情が垣間かいま見える。男の反応にハピは口を押さえた。


 「ハハッハッ、フフッフ」

 と、可愛らしい笑みがこぼれる。


 「冗談だよっ! 引っかかったね。ここはハピが作り出した世界だよ。キレイでしょっ!」


 そう言うとハピは両手を広げ、その場で一回転を決める。身長120センチの小柄と、175センチの男を並べると親子である。研究者のようなワイシャツに黒のパンツスーツを履き、身体をおおうように白衣をまとっている。


 「冗談言っている場合か」


 男は口に手を当て、合間を置いて続ける。


 「それにしてもココは夢の世界か? いや、確か私は研究室で眠りに入ったはずだったな。すると、これは夢ということが確実だな」

 「おーい、一人の世界にいかないで。ココはハピが作った世界だから、夢なんかじゃないよ」


 ハピは「まったくもー」と、言わんばかりの困った顔をする。男は首を下げ、ハピに視線を送る。


 「現状の事実は理解しがたいが、天国じゃないだけ良いか」

 「でもでも、消滅するのはホントだからね!」


 安堵あんどして肩の荷が下りた男に、理解不能な言葉が落とされる。真意しんいがわからず、脳裏のうりもやがかかる男の顔は、近寄りがたい鋭い目つきに変わった。ハピは片目をつぶり、我が子のように可愛らしい子供のごとくベロを出している。彼女には男の顔は特に怖くないようだ。


 「どういう」

 「まあーまあー焦らずに、ここに座ってくださいな」


 ハピは手を出し、白い床と同化している椅子に誘導する。男は一先ず、ハピの言われるがまま椅子に腰を下ろした。着席を確認したハピは、高く飛び上がると男の対面にある椅子に座った。新体操選手を思わせる身のこなしは、芸術点が高くつくだろう。


 「遅くなりましたが、自己紹介。“ハピ=ミツォタキシー”。大魔導士をやってます」

 「はい?」

 「自己紹介だよ、じこしょーかい!」

 「私は“久能周多くのうしゅうた”だ。30歳男。仕事は大学で主に電気工学を専門としている“研究者”だ」


 久能は、中肉中背で運動をしない男性を例にしたような体型をしている。容姿は学校のクラスにいる冴えない眼鏡少年が、そのまま年齢を重ねた感じだ。顔や腕、足の筋肉はやせ細り、他人から心配されながら生活しているのだろう。過労で倒れる一歩手前の社会人を思わせる。


 「へーよくわかんないやっ! でもでも、ハピよりずーと年下さんだねっ!」

 「はっ?」

 「私はもう100歳を軽く超えているんだよ」

 「いわゆる、ババア・・・・・・」


 一瞬――ハピの深紅の宝石の瞳に、久能は異常な恐怖を覚えた。猛獣ににらまれた小動物が、身動きが取れないような。背筋に大量の冷水を一気にかけられた、凍えさせられる脅威きょういだ。


 「ゆるさない」


 ハピは、久能に聞き取れない音量でささやく。


 そして――閃光。頭部への鈍い衝撃。


 次の瞬間、久能は上空から何者かに鈍器で力の限り殴られた。そのような強烈な痛みを後頭部に感じた。

 まったく、状況を把握できない。突発的な出来事から、徐々にダメージが現れてきた。自覚とは別に、視界が横に倒れていくのが理解できた。スローモーション映像のように、コマ送りになっている。

 意識が薄れる中、目に入ったのは、大きく膨れた頬のハピだ。

 久能は全身の力が抜け、人形のように椅子から崩れ落ちた。


 「ハピを怒らせたバツだからねっ」


 ハピの言葉を最後に、意識が途絶えた。





 「・・・・・・おーい」



 「おーい、生きてますかー」


 聞き覚えのある声。

 久能くのうはハッと意識が戻り目を開けると、勢いよく上半身を起こした。


 「あれ、私はいったい。・・・・・・何かが後頭部に当たって気が遠くなったような?」

 「正解!」


 高らかに響き渡る、天真爛漫てんしんらんまんな声。

 久能は目の前で、ハピが人差し指を立てていた。ハピの姿を認識すると、夢から覚めないていない。また同じ場所に戻ってきた、ということを自覚し、深いため息がれる。痛みが残る後頭部をさすりながら、じーとハピを凝視ぎょうしする。


 「また、お前か」

 「えっ、聞こえないよー」


 ハピは耳に手を当て、聞き取れないことをアピールする。彼女の行動を確認すると、顔を背けて言葉を発する。


 「ババ」

 「えー、聞き間違えかなー?」

 「バ・バ」

 「次はないよ」


 ハピは能面のような表面上の笑顔で威圧してきた。全く笑っていない。心の奥では何を考えているのか、わからない。考えるのが恐ろしい。

 久能はハピの顔を横目に、動物の本能が危険信号を知らせた。だが、心は揺らぐことがなかった。


 「事実から結論を述べているだけだが」

 「結論というものは、時にねじ曲げないといけないんだよ!」


 ハピは腕を組み、首をゆっくり縦に振った。自信満々なセリフに、不満げな面持ちになる久能。


 「それは不正行為だ。相応そうおうの罰が下るぞ」

 「捏造ねつぞうは?」

 「それも不正行為だ」

 「隠蔽いんぺいなら、どうだ!」

 「それも不正行為だ」

 「なんならいいの。神経、ねじ曲がってんのか、このやろー」

 「それは事実だ」


 ハピはぷるぷるにうるった頬っぺたを、いっぱいにふくらませた。駄々(だだ)をねる子供にしか見えない。優しい大人なら心配で声をかけてくれるだろう、愛くるしさがある。


 「年齢についての結論は、ハピをたたえられない君にバツが下るけどね」


 ハピは笑顔で、ウィンクをした。久能は蛇ににらまれた蛙のように寒気に襲われた。

 正面にいるハピは、容姿に似合わない猛獣のような覇気はきを放出している。威圧感のある笑顔で、一般的な神経の持ち主なら怯えることだろう。しかし、久能は平常運転で過ごしている。

 久能は強引に話を切られたことに対して不満そうだ。そして、1つため息を漏らす。

 息を吐き終わると、無表情のままだが雰囲気が微妙に変化した。大人らしく感情を切り替えた様子で、悠然ゆうぜんと立ち上がる。


 「ところで先ほどの発言だが、この世界が消滅すると言っていた気がするが?」

 「するよー、後5分43秒で」


 「えっ?」と、疑問と驚きの感情が混ざり合う。久能は一瞬、言葉に詰まった。


 「時間もないから簡単に説明しちゃうね」


 ハピはそう告げると、真っ白な心地良さそうな椅子に座る。椅子に両手をつき、足をぶらぶらと交互に揺らし始める。


 「この度、君はハピの生まれ変わりとして、人生をエンジョイしてもらうことになりましたー。おめでとー!」


 ハピは微笑ほほえみながら、拍手をする。むなしく響く可愛らしい打楽器の音。

 言葉に理解が追い付かない久能だが、落ち着いた様子で口を開いた。


 「小説でもあるまいし、そんなこと科学的にありえないだろ」

 「現実は小説より奇なり、って言葉がチキュウにはあるでしょ。ハピはもう死んでるんだけど、また元の世界に降り立たなきゃ行けないんだけよ。でも、君がいたチキュウの特に二ポンの文化には興味を持ってね。そこで、ハピの変わりに元の世界に戻ってくれる人を呼び出したんだっ!」


 ハピは両手を使い、何を表現しているのか解析できないジェスチャーで説明をしている。久能は理解不能なジェスチャーを完全スルーして話を進める。


 「つまり、お前は元の世界に戻りたくないから俺を呼び出した、というか?」

 「そうだよ」

 「自分勝手だな」


 久能はハピの経緯に落胆らくたんし、呆れた表情になる。


 「その話だと、お前が住んでいたのは地球では無いのか?」

 「チキュウって言葉は存在しないよ。元の世界の人間は、まん丸の星で暮らしてることに気づいてないんだよ。でもでも、食べ物とか建物とかはちょっとだけ似てるかもしれない」


 ハピは真剣な表情で説明する。

 すると、久能のまゆがピクッと、わずかに動いた。彼女の言葉に対し、とある疑問が湧き上がってきたのだ。そこで、一番重要な質問を投げかけた。


 「・・・・・・私が元の世界に戻れるかわ正直、どうでも良い。研究を続けさえできればな。お前の世界は、地球並みの科学技術はあるのか?」


 ハピは首を横に振り「そんなの無いよー!」と、一言。当然の如く、きっぱり言い放った。

 「地球の技術の発展は凄いよね」と、子供が興味津々なおもちゃを見つけ出した目の輝きをしている。


 「電気、ガスは?」

 「ないよー」

 「電車や車、電化製品はないのか?」

 「ないよー」


 ガクッと首が落ちる。試験の点数が悲惨ひさんで、現実を受け入れられない人間を見ているようだ。数秒の間を開けて、再びハピに視線を送る。


 「前言撤回だ。ここはお前が作った世界で、呼び出したのはお前なんだろ? 元の世界、今までいた大学の研究室に戻してもらわないと困る」

 「えっと、残念なお知らせが一つ。私が呼び出したのは、彷徨さまよっていた死者の魂なんだよね」

 「はっ? ‥‥‥えっ?」


 ハピは頬をかき、申し訳なさそうな口調で説明する。


 死者の魂――すなわち死んでいる。


 その事実は、嘘か本当かはわからない。ハピの発言に困惑した状態になり、久能の口からは言葉が出てこない。


 「ゴメンね。でも、チキュウとは違う楽しみがあると思うよ。後はハピの代理をよろしくね。ハピの生まれ変わりだから可愛くて、強くなると思うから安心して」


 一点を見続けて呆然ぼうぜんとする久能に、ハピが声をかける。金色の神々しい髪の毛をでながら、紅い大きな瞳は、哀愁あいしゅうただよう人間を映している。

 「あっ」と、何顔を思い出したようにハピが言葉を漏らす。


 「大事なことを決めないとだ! 今の名前だと呼びづらいからハピが名前つけてあげるね。えーと、君の名前なんだっけ?」

 「‥‥‥久能、周多」

 「クノー、シュータ?」


 急遽きゅうきょだが、久能の新しい名前を考え始めた。放心状態の久能には、ハピの自由気ままの行動はどうでもよかった。「死んだ」と言われた事実が、理解できないでいる。

 ハピは、「シュータ、クノー」と呪文のように唱えている。

 数十秒が経ち、閃いた様子で手のひらに拳をポンッと置いた。


 「そうだ。名前をくっつけて、シュク、シュクにしよう!」


 ふわふわの椅子から立ち上がり、前のめりで久能に指を差した。


 「それとハピのファミリーネームを付けて、“シュク=ミツォタキシー”で決定ねっ!」


 ブツブツと念仏を呟いているごとく、久能に話しかけても無駄な状態であった。しかし、ハピはお構いなしに久能の肩を数回触った。柔らかく、透き通った手は子供と間違えるほど、若々しい。

 ハピは久能が反応をしないことを無視して、話を始める。


 「もう消滅するね、後は頼んだよ。そうだそうだ、言い忘れてたけど」


 ハピは笑顔のまま「たくしたぞ」というジェスチャーを送った。そして、追加で言葉を繋げる。


 「君の・・・・・・に・・・させてもら・・・・・・。また・・・・・・」


 満面の笑顔の大魔導士の女性。放心状態の研究者の男。二人を残した世界は、幕を閉じた。

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