第6話:サキ
私はサキと申します。
まさか自分が名前を持つ事になるとは思いませんでしたが、これは私の主、聡明にして偉大なる竜の王ドヴェルグ様が付けて下さった物で、私のいちばん大事な宝物です。
私とドヴェルグ様……名前を聞いたのはほんの数日前なのですが、あの方と初めてお会いしたのは千年も前の話になります。その時から、私の時間は動きだしたのです。
私は、この都市の防衛システムとして開発されました。
街には何重もの防衛策が張られていますが、その全てを突破された時の最終戦闘兵器。
それが私です。
この認識は私の中に刷り込まれていたので、起動した瞬間に理解出来ました。
といっても、私が初めて起動した時には、都市は既に廃墟となっていました。
どういった理由でここに住んでいる人間が街を離れたのかは分かりませんし、特に興味もありません。私は、私が作られた理由だけは理解していたので、それでよかったのです。
そして、私は世界を認識した初日に、至高の存在である竜と戦うことになりました。
私の中には、対防衛システムとして、様々な種族の特徴や弱点などが記録されています。
その中でも、竜種は最大レベルの警戒種族でした。
私の目の前に現れたその竜は、『帝王竜』と呼ばれる種族。竜の中で最も強大な力を持つとされていますが、個体数が少ないため、データがほとんどない状態でした。
白銀の竜は私を見据えると、四肢を踏み締め、威嚇するように吼えました。
並の生物なら、その咆哮で震えあがって逃げ出すか、下手をすると絶命した事でしょう。
ですが、私は怖いとは思いませんでした。
私に強大な戦闘能力が備わっているからではありません。
当時の私は、あくまで防衛システムでした。
戦闘兵器の邪魔になる『恐怖』という感覚を持ち合わせていなかったのです。
戦って防衛が出来れば任務は完了し、最終防衛システムが敗北した時点で都は滅びるのだから実装されなかったのでしょう。
誰もいない廃墟なのだから、無視して逃げる手だってあったでしょう。
ですが、私の存在理由は『都と民を守る事』として設定されていました。
民は居なくても都はあります。だから私は戦いました。
都が残っている。私はそれを守るために生まれた。だから動く。それだけです。
私と帝王竜の戦いは七日七晩続きました。
私は疲労を感じませんが、向こうは桁外れの力を持っています。
消耗戦に持ち込んだはずなのに、追い詰められたのは私の方でした。
私がどれだけ魔力の塊をぶつけ、廃都に残された迎撃システムを使おうが、まるで歯が立ちませんでした。
生物としての格の違い。
世界で最も強いカブトムシがいたとしても、そこらの人間の子供に踏み殺されてしまう。
種族の差というのはそういうものなのです。
私は持てる全ての力を使い果たし、指一本動かせなくなりました。
最終防衛ラインである私の、最初で最後の使命は終わる。そう思いました。
悲しいとも、無念だとも思いませんでした。私には感情が無かったのです。
ですが、帝王竜は人形のように倒れ伏す私を無視し、手近な建物を見つけると、そこに丸くなって眠り出してしまいました。
私に疲労はありませんが、魔力がゼロになっていたので身動き出来ません。
そのまま何日も同じ姿勢で地面に転がっていました。
そして、私が泥と埃に塗れながら、なんとか動けるだけの魔力を大気中から吸収しても、ドヴェルグ様は眠ったままでした。そして、私は存在理由を失ってしまいました。
私の役割は『都と民を守る事』です。
今、この都には誰もおらず、最終防衛役である私は倒されました。
つまり、この都は占領されたのです。若き帝王竜の手によって。
私は自分が本当に『無』になってしまったと思いました。
私は、なんのために生まれて来たのでしょうか?
帝王竜に負けた私は、滅ぶと思っていました。
ですが、現実に私は生きています。
では、これから私は何をすればいいのでしょう。
そう考えた瞬間、『私』という概念が生まれた事を、私自身気付いていなかったのです。
それから数十年の間、若い帝王竜はほとんどの時間を寝て過ごしていました。
私は何もする事が無く、からっぽのままでした。
ですが、生まれた時から組み込まれていたプログラムに従い、とりあえず都を守るという行動を取る事にしました。
そして、それまで気にもしていなかった、廃都の外について少しずつ思いを馳せるようになりました。
知性から感情が芽生え始めたのです。もっとも、そう気付いたのはつい最近ですが。
周辺の森の生態を調査している間、「帝王竜同士で覇権争いが起こっている」と、亜人の噂話を耳にしました。
そして、私はここで初めて『疑問』を覚えました。
帝王竜同士の争いが起こっているというのに、なぜ、あの帝王竜は参加しないのかと。
「帝王竜、あなたは何故、覇権を狙わないのですか?」
私は、眠りこける帝王竜にそう質問しました。
殺されるかもしれないと思いましたが、当時の私は、自分が感情や疑問を持ち始めている事に気付いていませんでした。
帝王竜は私をちらりと見ただけで、質問には答えませんでした。
私は自分で物事を考えるという事がひどく苦手でした。
与えられた命令をなぞる事しか出来ない存在だったのです。
だから、今に至るまで千年もの時間が掛かりました。
帝王竜は、私に宿題を出したのでしょう。
「人に聞くのでは無く、己自身で考えよ」と。
それを確信したのは一週間前です。
帝王竜――ドヴェルグ様が突如けたたましい叫び声を上げ、一人で何事かぶつぶつと呟き始めたのです。
今までとはがらりと雰囲気が変わったのを見て、私はとても驚きました。
まるで、私が一人前になるのを待ってくれていたように思いました。
それは間違いではなく、ドヴェルグ様は自らの名前を明かし、私に喋りかけて来たのです。
今までの非礼を詫びよう、とまで言ってくれました。
非礼などあるはずがありません。
私に『恐怖』という体験をさせ感情の種を撒き、その種を育てる時間を待ち、『感情』という宝物をくれた偉大な帝王竜ドヴェルグ様。
そして、ドヴェルグ様は「サキ」という名前を下さいました。
ただの防衛装置として作られた私を、一つの『生命』として見て下さったのです。
私は感激のあまり涙を流しました。そして、自分に涙を流す機能がある事に驚きました。
それから少し経つと、ドヴェルグ様は「人間の王都に向かう」と言い残し、飛び去りました。
その数日前に「神託を受け、強者と戦わねばならない」と仰っていました。
その理由は分かりませんが、私はドヴェルグ様の帰りを待ちました。
朝方に出掛けたドヴェルグ様は、夕刻になって戻ってきました。
何やら浮かない表情をしていました。
私は千年間の勉強期間を与えられたお陰で、きちんと相手の感情を読めるまでになっていました。
「それでドヴェルグ様。グランツ王国に攻め入ったとの事ですが、人間を壊滅させたのですか?」
私はそんな愚かな質問をしてしまいました。
帝王竜最後の生き残りであるドヴェルグ様が、同族を殺した人間に対し復讐しにいった。
その程度の考えにしか至らなかったのです。
ですが、ドヴェルグ様は厳かな口調でこう言いました。
『我が一族は己の傲慢さゆえ、滅ぶべくして滅びたのだ。それに対して我は何とも思っていない』と。
そこで私はようやく気が付きました。ドヴェルグ様は帝王竜の中でも特別なお方なのだと。
自ら血なまぐさい争いに参加せず、神託を受け強者と戦う宿命を自覚したのです。
にも関わらず、人間の国を滅ぼしませんでした。
そう、ドヴェルグ様の願いは、傲慢な強者を打ち滅ぼす事なのです。
たとえ同族であろうとも、傲慢さゆえに滅びた者に同情する余地は無いということでしょう。
逆に、力無き弱者を蹂躙する気はない。だから人間の国を破壊しなかった。
世界の安寧を願い、真の帝王として君臨せよ。
それはまさに『帝王竜』の名を冠するに相応しい振る舞いではないでしょうか。
これから起こりゆく戦いは、ドヴェルグ様にとって大変なものになるでしょう。
だというのに、ドヴェルグ様は去り際、私に『休め』と気遣いをしてくださいました。
私の使命は『都と民を守る事』です。そして、今この都市はドヴェルグ様の物であり、私もまたドヴェルグ様のものなのです
。
だから、私はドヴェルグ様を命を掛けてお守りせねばなりません。
これは命令ではなく、自らの『意志』でそう決めた事です。
千年という年月は短くはありませんでしたが、私という個体には必要な時間でした。
「だから……私は……サキは、これからも戦い続けます」
廃都の防壁、三十メートルを越える壁際に立ち、私は一人そう呟きました。
この都市……いえ、ドヴェルグ様のためなら、私はいつでも身を投げ出しましょう。
私に『感情』と『名前』、そして『生きる意味』を教えてくれた偉大なる帝王竜ドヴェルグ様。
そのドヴェルグ様の住むこの土地に近付いている者がいる事を、私は感知していました。
数は数十程度……亜人の群れのようですが、蹴散らすのは容易でしょう。
「けれど、まずはドヴェルグ様にご報告しましょう」
私は壁を飛び降り、建物から建物を跳躍し、ドヴェルグ様の元へ最短距離で向かいます。
勝手な行動をして、ドヴェルグ様に何かご迷惑が掛かったら取り返しが付きませんから。
なぜ私は生まれて来たのか。
一瞬で使い捨てられるためだけに作られたのか。
ドヴェルグ様に完敗した最初の数百年は、その意識に苛まれました。
けれど今は、私を生み出した者達に感謝しています。
私が生まれて来なければ、ドヴェルグ様に出会う事もなかっただろうから。
ただ一つだけ、創造主に文句を言いたい事があります。
――なぜ私を竜型にしなかったのかという事です。
多分、人の街の防衛システムだから、私が異形に見えないよう、このような小型の人間の女性として設計したのでしょう。
「私がメスの竜型だったら、ドヴェルグ様の癒しになれたのかもしれないのに……」
ついそんな愚痴が漏れてしまいました。
孤独である事のつらさは私が一番よくわかります。
今のドヴェルグ様は、ただ一頭で帝王として振る舞わねばなりません。
それは、想像を絶するほどにつらいことでしょう。
人型の私に出来る事は少ないかもしれませんが、私は、これからも存在し続ける限り、あのお方のお傍に侍りたい。そう思うのです。
だから、近付いてくる『異変』を伝えるため、私はドヴェルグ様の元へ急ぎます。
少しでも、あのお方のお役に立てるように……。