第3話:竜の巣
「ここ通るの嫌なんだよなぁ……」
俺は自分の『巣』の真上に辿り着くと、ホバリングをしながら少しの間、逡巡する。
険しい山脈を越えると、辺りは大森林で埋め尽くされる。
生い茂るジャングルの中、忽然と円形にくりぬかれた不自然な土地が現れる。中心部から放射状に道が伸び、ちょうど観覧車を横倒しにしたような形だ。魔法陣のようにも見えるその場所は、かつて人が住んでいた名残がある。
建物はそのまま残っていて、高さ三十メートルはある頑丈な壁に覆われたこの場所こそ、今の俺の住処である。
人間の足だと最初の山を越えるだけでも大仕事だが、俺にとっては自転車で近所のスーパーに行くくらいの感覚で移動できる。
俺は覚悟を決め、ゆっくりと中心部の広場目がけて降りていく。ある程度降下すると、ビリッとした感覚が全身に走る。冬場の静電気みたいな感じだ。痛くはないが、毎回出入りするたびこの感覚があるからちょっと嫌なのだ。
これはこの都市――今は誰も住んでいないから『廃都』というべきだろうか。確か、都市の名前は『アドミラル』とかだった気がする。この都市の空中には、魔力による見えないバリアがドーム状に張り巡らされていて、空中から来る敵を迎撃するようになっている。
俺はここに千年前から住んでいるが、ロック鳥という、ゾウを鷲掴みにして飛べるようなデカいワシがバリアに触れ、焼き鳥を通り越し、一瞬で蒸発したのを見た事がある。
しかも周りは異常な強度の防壁に覆われ、俺がぶん殴ってようやくへこむ程度だ。唯一の出入り口の扉は閉ざされている。つまり、入る場合は空中からごり押しで入るのが一番手っ取り早い。昔は門を開けてくれる人がいたんだろう。
いや、今も門を開けられる存在はいるのだが……。
「おかえりなさいませ。ドヴェルグ様」
俺が都市の中心部に降り立つと、それを待っていたように、小さな女の子が駆け寄って来た。真っ白な髪と肌。それにアイスブルーの瞳を持つ、まだ小学生くらいの愛らしい子だ。ダッフルコートみたいなもふもふした地味な茶色の服を羽織っていて、それがぶかぶかで余計幼く見える。
「サキか。別に出迎えは必要ないぞ?」
「大丈夫です。迎えではなく、ずっとここでドヴェルグ様が来るのを待っていたので」
俺がサキと呼んだ少女は、にっこりと笑みを浮かべた。俺がここを出たのが早朝だから、半日以上ずっと待ってたのか……。
「サキよ、我は別にお前に忠誠を尽くしてもらうような存在ではない。敬語も必要ない。我はお前が思っている程、大層な存在ではないのだよ」
「そんな事ありません! サキの事をひれ伏させたのはドヴェルグ様だけです! それに、ドヴェルグ様はサキに名前を下さいました」
そうなのだ。実は俺とサキの付き合いは千年前からなのだが、会話をしたのは一週間前が初めてだったりする。俺が人間性を取り戻した日だ。だけど、俺は竜として過ごした二千年間の記憶も持ち合わせている。
俺がバリバリの帝王竜だった頃、この廃都アドミラルを強襲したのが千年前。その段階でアドミラルは既に誰も住んでいない廃墟だった。いや、一人だけ残っていた。それがこのサキである。
サキは人間ではない。この都市で作られた防衛システムの管理者のような存在で、魔法生物とか、守護精霊と呼ばれる存在だ。けれど、何らかの理由でここに住んでいた住民たちはアドミラルを捨てた。サキと共に。
サキの存在理由はアドミラルの防衛だ。当然、俺はサキと戦った。結果は俺の圧勝だった。当時の俺は幼竜だったので時間は掛かったが苦労はしなかった。さすがに帝王竜相手は想定していなかったか、していても防ぎようが無かったのか。
そうして俺は、この廃都アドミラルを自分の縄張りとして支配したのだ。その間、サキは徹底的に無視した。帝王竜は身体も魔力も態度もデカい。自分より格下とは余程の事が無い限り口すら利かない。なんてクソ種族だ。滅べ。いや滅んだけど。
サキに対するひどい仕打ちは全部俺がしたことなんだけど。なんていうか、中学生の頃の黒歴史をまじまじと見せつけられているようで、いたたまれない。
そんでまあ、一週間前、俺は人間の記憶を取り戻したわけだが、人の家に押しかけて千年も居候し、しかも一切挨拶しないとかクソ野郎すぎる。俺は慌ててサキに謝りに行ったのだ。千年遅えよ。
でも、この時点でサキには名前が無かった。だから防人から名前を取って、とりあえずサキと呼ぶ事にしたのだが、俺が名づけるとサキは涙を流して喜んだ。
「はじめて名前を貰いました……」
そう言ってサキが嬉し涙を浮かべた時、俺の心に罪悪感の槍がグサグサ刺さるのを感じた。名前ってのは両親からの最初の贈り物だ。防衛システムとして作られたサキにはそれがない。
ちなみに、帝王竜も火口や溶岩に卵を産んだ後は孵るまでほったらかしだ。卵から出た瞬間に目にするのは、煮えたぎった溶岩と暗い洞窟。偉大な父の背を見て育つとか、母の優しさとか、そういうのは一切ない。
サキはこの都市全体のシステムを統括しているから、ある意味で都市全体がサキの体内とも言える。つまり、俺は今サキのお腹の中にいるのだ。おかあさん……おかあさん……。
……話が逸れた。ともかく、そんなわけで俺が死ぬその日まで、サキとはなるべく仲良くやっていきたい。だからなるべくフランクに話しかけているつもりなのだが、サキの敬語はなかなか取れない。
これはちょっと思い当たる事がある。俺は二千年間ドラゴンとして過ごしてきたから、当然ドラゴン語で喋っていた。で、今は人間の記憶も持ってるから、言語が変になっている可能性がある。
例えると「My name is Goku」って英語で言ったとして、「オッス! オラ、ゴクウ!」って感じで喋りたいわけだ。でも、「私の名前はゴクウです」だと全然感じが違うじゃん? 俺としては前者のつもりで話しているのだが、サキはどう感じてるんだろう。あんまり大仰になってないといいのだが。
まあ、会話が成り立たないって訳では無いみたいだし、俺が怖いだけかもしれない。千年も無視したのに、いきなり帝王竜が「よっ! さっちゃん!」みたいな感じで話しかけてきたらかえってビビる。
この辺りはおいおい解決していく事にしよう。大事なのは心と意味が通じる事なんだ。
「それでドヴェルグ様。グランツ王国に攻め入ったとの事ですが、人間を壊滅させたのですか?」
「……何?」
なんでそんな物騒な事を言いだすんだこの子は。王国を壊滅って、いっぱい人が死んじゃうじゃん。そういうのはあんまり良くないと思うよ俺は。訂正しておかねば。
「何か勘違いしているようだが、我は別に、人間共を滅ぼそうとしたわけではないぞ?」
俺がサキにそう話しかけると、サキは首を傾げる。
「人間に討たれた同胞の仇を討ちに行ったのかと思っておりましたが……」
「ああ、そういう事か」
今まで千年間この都市に引きこもっていたのに、今日いきなり「王国に行ってくる」って飛び出したんだから、サキからすれば意味不明だよな。とはいえ、殺されに行ったなんて言ってもなおさら意味が分からんだろう。
「そうではない。サキよ、我が一族は己の傲慢さゆえ、滅ぶべくして滅びたのだ。それに対して我は何とも思っていない。ただ、そうだな……強者と戦えると思っていたのだが、それも空振りに終わった」
「強者との戦い……なるほど。理解しました」
「分かってくれたか。ならば良い」
強い奴と戦いに行ったのは事実だし、サキも納得してくれたらしい。よかったよかった。誤解は解いておかないと後で面倒な事になるからな。
「さて、我は少し休む事にしよう。サキよ、お前も我の出迎えが終わったのなら、好きに過ごすがよいぞ」
「いえ、私は少し気になる事がありますので、辺りを調査してまいります」
「そうか。魔法生物であるお前に疲労は無いだろうし、千年前の戦いでお前の実力は知っている。危険は無いだろうが、精神的な疲れはあるだろう。無理はするでないぞ」
「あ、ありがとうございます!」
俺が労いの言葉を掛けると、サキはぱっと表情を輝かせた。それはもう完全に子供そのものだ。うう……知らぬとはいえ、俺はこんな子を襲って放置していたのか。俺の馬鹿! 死ね! 死にたい!
俺が死んでハムスターに転生するまでの間、出来る限りサキには幸せになってもらいたい。これまでの埋め合わせを考えておかないとな。
俺はそう考えた後、サキに背を向け、自分の塒として使っている、かつて貴族あたりが住んでいたであろう巨大建造物へ入り込んだ。
今の俺は人間時代と違い、暑さにも寒さにも異常なほど耐性があるので、雨風が凌げて身体をゆっくり伸ばせる場所があれば、それだけで最高の住処になる。そして、廃都にはそういう場所が腐るほどある。
「しかし、人間は期待外れだったなあ……同族が生き残ってれば殺してくれたかもしれないのに……」
俺は地面に身体を横たえながら、一人でぶつぶつ文句を言っていた。
先ほどサキが言った「同族の仇」で、ある事を思い出したからだ。俺が人間の記憶を取り戻すまでに起こった、帝王竜同士の熾烈な争い、そして終結までの事だ。
俺がドヴェルグを名乗るようになり、帝王竜として最後まで生き残り、人間の記憶を取り戻すきっかけになった出来事である。