第10話:供物
「まさかこんな状況になるなんて……」
帝王竜ドヴェルグに招き入れられて早三日。
エルフの長ペルーシュは、困惑と安堵の混じった、複雑な気分でそう呟いた。
帝王竜に出会った時には死を覚悟したが、彼は自分達を殺すどころか救いの手を差し伸べてくれた。
そして不思議な都に招き入れ、住居まで提供してくれたのだ。
今、ペルーシュ達が住んでいるのは廃都の中にある森だ。
元々は自然公園のような場所だったらしく、ところどころに人の手が加わった建造物が見える。
しかし、永き時代により植物が建物を侵食し、古代の遺跡のような様相になっていた。
それが逆に、自然の森に住むエルフ達には、適度な文明と自然が混じり合い最適だった。
「それにこの温泉……とても休まるわ」
ペルーシュがうっとりとした口調でそう言うと、同じく温泉に浸かっていたエルフ達がみな頷く。
彼女達の居住区には清らかな水を湛えた泉があり、その中の一つには温水が湧き出るものがあった。
最初は疑問に思ったが、精神的にも肉体的にも疲れ切っていたエルフ達は、恐る恐るその温水に浸かった。
すると、彼女達の身体に英気が満ちていくのを感じた。
どうやら、ただの温泉では無いらしいが、詳細は分からない。
いずれにせよ、エルフ達はみな全身の汚れを洗い落とし、滑らかな肌と新緑のような輝く髪を取り戻していた。
特に、まだ小さく、放っておけば命の危険があった子供達が元気を取り戻した事に、ペルーシュをはじめ、大人のエルフ達は心から喜んだ。
「エルフ達、話が出来る状態までは回復したかしら?」
その声に、ペルーシュは、はっと振り向く。
森に住むエルフ達は危機感知能力が高い。
そのペルーシュをもってしても全く気付かなかった。恐るべき潜伏能力だ。
そして、その能力に対し、声の主は笑ってしまう程不釣り合いだった。
ぶかぶかのコートを被った、可愛らしい白い少女――サキである。
華奢なペルーシュと比べてなお小柄な愛らしい外見に反し、彼女が人間で無い事はペルーシュを含め全員が知っている。断崖から飛び降りた身体能力に加え、膨大な魔力を要している事は容易に理解出来る。
「サキ様のお気遣いで、エルフ達は皆、危機を脱する事が出来ました。エルフの長として、感謝を述べさせていただきます」
「私に様付は必要無いわ。全ては偉大なるドヴェルグ様のお慈悲によるものだもの」
深々と頭を下げるペルーシュに対し、サキは無表情でそう言い放った。
そして、一糸纏わぬ姿を晒しているエルフ達を一瞥した。
「エルフ達、生命活動に問題が無いのであれば、ここに並びなさい」
サキは有無を言わさぬ口調でそう言い、エルフ達全員を裸のまま自分の前に並ばせた。
「これは邪魔ね」
そして、サキはエルフ達の身体に付いたままの拘束具を、紙をちぎるように素手で外していく。
これにはエルフ達は皆、驚嘆した。
鎖の部分は鉄製なので、ペルーシュ達が本気で魔力を籠めれば破壊出来ない事もない。
だが、拘束具であるリングは人間達の技術で強化されており、そう簡単に破壊出来ないのだ。
それほど距離が離れていなければ、リングに遠隔から魔力を籠め、締めあげたり苦痛を与える事が出来る。見えない鎖なのだ。それが外されたという事は、再び完全な自由を取り戻せたということ。
エルフ達は朗らかな表情で笑いあう。
――だが、それは一瞬のことだった。
「この拘束具を外したのは、決してあなた方を憐れんでではないわ。ドヴェルグ様のためよ」
「ドヴェルグ様のため?」
エルフの一人が疑問を口にすると、サキは鷹揚に頷いた。
「ええ、ドヴェルグ様があなた方を助けた理由を考えた事はあるかしら? まさか、あなた方をかわいそうな美しい種族だから、助けたとでも思っているのかしら」
ドヴェルグはかわいそうで美しいから助けたのだが、それを知る者は誰もいない。
相手は帝王竜。何か利用価値があって助けたと考えた方が自然でもあった。
「なんとなく……分かる気がします」
重々しい口調でそう呟いたのはペルーシュだ。
「なかなか賢いわね。あなた達はドヴェルグ様の『糧』として連れて来られたの。ドヴェルグ様はこう仰っていたわ。『長命種の最大の敵は退屈。そして、それを紛らわせるためにエルフの血肉を所望している』とね」
サキの中で、ドヴェルグのセリフが混じっていた。
ドヴェルグは退屈しのぎでごはんが食べたいなあと言っただけであり、エルフの血肉などこれっぽっちも欲しくはない。だが、サキの中でもエルフの中でも、決定事項になっているようだった。
「そう……ですね。私達は決して強力な種族ではありません。わかりました、神の使いの血肉となれるなら、喜んでこの身を差し出しましょう」
ペルーシュは少しの間、逡巡したが、やがて決意を口にした。
他のエルフ達も同意見のようで、誰も何も言わなかった。
状況が理解できていない子供のエルフは、妙に重苦しい雰囲気に首を傾げるばかりである。
「ただ、一つだけお慈悲をいただきたいのです。我々の中には子供も多数います。まずは私から、そして、大人から生贄にしていただけないでしょうか?」
「それを決めるのは私ではなくドヴェルグ様よ。でも、少しでも食べごたえがあったほうがいいでしょうし、まずはあなたを生贄にする事にしようかしら」
そう言って、サキは裸になったペルーシュの胸に手を伸ばす。
そして、そのままむにむにと揉んでいく。
ちょっと強い力で握られているので、ペルーシュは軽い痛みに顔をしかめる。
「あなたがこの群れの中では一番肉付きがよさそうだし、この通り、脂も乗っているものね。私は食事にあまり興味は無いから食べないけれど」
そう言ってサキはペルーシュの胸から手を放し、踵を返す。
「でも、はっきり言って今のあなた……いえ、エルフ達の状態は最悪ね。疲労で筋肉は凝り固まっているし、栄養状態も悪い。身体は雑菌まみれ、おまけに魔力も消耗してる。とてもドヴェルグ様に差し出せる状態じゃないわ」
サキはさらに言葉を紡いでいく。
「いい? しばらく時間をあげるわ。その間、あなたとエルフ達は、全員最高の状態にしなさい。そこの温泉には私の魔力を溶かしこんであるから身体の治りも早いでしょう。この場所で自生している果物も、ドヴェルグ様と私の身体から溢れる魔力を吸っているから、より健康になれるでしょうね」
サキとドヴェルグの身体から漏れ出す魔力は、廃都全体を覆っている。
その余波で、この都市内にある物は莫大な魔力補正を受けている。
ちなみに、知らないのはドヴェルグだけである。
「あなた方の髪の毛一本にいたるまで、全てドヴェルグ様の物と思いなさい。偉大なる帝王竜様のため、最高のエルフとして自分を磨きあげなさい。そのためなら私も協力してあげるわ」
「仰せのままに」
ペルーシュをはじめ、エルフ達は自らの命を捧げろと言われたのに、そう答えた。
野卑な人間共の慰み者として、奴隷同然に扱われる未来を想像していた。
だが、帝王竜という神に等しい存在に必要とされ、彼の血肉となる事が出来る。
それはある意味、最高の名誉であり、儀式のようなものであった。
◆ ◆ ◆ ◆
「ドヴェルグ様。エルフ達の状態を確認してきました」
エルフ達を迎え入れてから三日が経ち、そろそろ会話くらいはできるんじゃないかと思い、「そのうち適当なお肉を取って来てね」という言伝をしてくるようサキに頼んだのだ。
それから一時間くらいして、サキは俺の元に戻って来た。
「うむ。ご苦労だった。それでエルフ達の返答は?」
「ドヴェルグ様の意図を全てお伝えした所、喜んで肉を差し出すと言っていました」
「おお! そうかそうか、それは何よりだ」
俺は内心で狂喜乱舞した。
俺が直接頼んじゃうとサキとエルフの新密度に邪魔をしかねない。
サキが暴走するんじゃないかと心配していたのだが、杞憂だったようだ。
しかも肉も食える。すべて計画通りだ。俺、意外と策士なのかもしれないな。
「それで、肉はいつごろ捧げられるのだ? それほど急いではないが」
「現状のエルフの状況を鑑みますと、肉を提供出来る段階には至っていないと判断しました。しばらくは私が世話をし、エルフ達にも養生するよう伝えておきました」
「素晴らしい……我の望んだとおりの行動だ」
「は、はい! お褒めにあずかり光栄でございます!」
サキは俺の前で片膝を着いてそう答える。
そこまで畏まらないで欲しいんだけど、褒められて喜んでいるなら、まあいいか。
しかし、サキも成長したなあ。
サキの事だから、「ドヴェルグ様のためにさっさと狩ってこんかい」みたいに、回復しきっていないエルフ達を無理矢理ハンティングに向かわせるという懸念もあった。
でも、それも俺の考え過ぎだったみたいだな。
サキはエルフの健康状態を考え、しっかり休ませた後に肉を取ってこさせようと判断したみたいだ。
しかも、しばらく面倒を見る気らしい。
こういうさりげない付き合いから、信頼関係って生まれてくるんだよな。
何か問題があれば俺が口を挟むしかないと思っていたけど、なんだ、何の問題も無いじゃないか。
サキも随分気配りが出来るようになったなあ。おじさん嬉しいよ。
「では、我は肉が提供されるまでゆるりと待つとしよう。楽しみにしているぞ」
「お任せ下さい」
サキは自信たっぷりにそう答えた。
やる気を出しているんだから、俺は遠くから温かくその日が来るのを見守る事にしよう。
にしても、一体どんな肉が出てくるんだろうな。今から楽しみだ。
牛とか豚ってこの世界にいるんだろうか。でも、そういうのは日本で食べたし、変わったタイプの肉だといいなぁ。
この世界には俺も含めて喋る動物もいるみたいだけど、そういう奴が出てきたら食べるのをためらっちゃうな。
まあ、エルフも異種族ではあるから、変わった肉ではあるな。なんちゃって。
サキだって人型だし、さすがにそういうのは出てこないだろう。
出てきそうだったら絶対止めないとな。ワッハッハ。




