緋は碧より出でて碧より緋し
あの煤けた看板を見ると、心が休まるのだ。
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受験競争真っ只中にいる私の名は緋坏已碧。14歳。誕生日を迎えていない中学3年生。都内の公立中学校の女子生徒。4ヶ月後の高校受験に向けて、絶賛勉強中。
だけれども、人生が楽しくない。
まあ当然なのだろう。勉強をしてばかりで人生が楽しい!うきうきする!最高!なんて奴を私は見たこともない。いたら正直引くぜ。とにもかくにも、私は自分の人生であるのにそれを全く楽しめていないのだ。小学生の頃に受験が面倒で近くの公立中学校に進学したのだが、後になってこんなに憂鬱なのなら都立か私立を受けていれば良かった……。
後悔先に立たず。
高校受験を控えている私は、絶対に落ちる訳にはいかないので近くの進学塾に通っている。どこにでもあるような大手の塾だ。しかしその割には教室が狭い。比喩を使うような余裕も無いほど、ただただ狭い。
7階建てのビルの中に塾が併設されているのだが、何故か教室が3階と5階に分裂している(ちなみに4階は不動産屋)。
そして貴重なワンフロアもそれぞれ大したもので、3階の方は受付があるお陰で2つの教室には合わせて20人強位しか入らない。5階はまだましで40人は入るが、何せこの塾は高校受験のみならず中学受験にも対応しているので流石に狭い。
……これだけではこの校舎の狭さが分からないかもしれないので、ここで他の校舎と比較してみようじゃないか。同じグループの別の校舎は、ビルの1階分しか無いのだが、教室が5つあり、元の面積が広いので1つの教室に30人ほど入り、まだ余裕があるそうだ。
ひどい……何、この差は……。
ちなみに同じ中学に通う某氏はここに行っていて、とても快適だと言っていた。悔しいぜ!ううう。
とは言えあちらの校舎の人望は薄い。はっきり言って講師がカスだ!1回だけお試しで行ったことがあるのだが、授業が分かりにくい!眠い!つまらない!の3点セットだった。
2度と行きたくない。
一方うちの校舎は講師が2人しかいないのだが(他にこんなに講師が少ない所があるだろうか?)、分かりやすいし面白いし優しいし本当に優秀なのだ。
一緒に授業を受ける奴らも面白い人ばっかりで、何故だか毒舌が多い。よく喋るクラスの中、1人だけ無口な奴がいた。ここで誤解しないで欲しいのは、こいつは無口なだけで独りぼっちな訳でもないし嫌われてもない。むしろ好かれてるんだ。優しいから(単純な理由だぜ)。
彼の名前は天道日生という。
余談だがこいつの下の名前を縦書きにすると『星』になる。『天道』と『星』だなんて粋な名前してんじゃん。良い名前だと思う。
彼は本当に優しくて良い奴だ。よく気がつく、と言っても良い。こっちが何かして欲しいと思うと、テレパスでもあるんだか知らないけど全部そうしてくれるんだよな。
例えば蛍光ペンを忘れていったとする。あー、忘れちゃった。でもしっかりノート取んなきゃなあ…。当然そう思う。すると日生君がにっこり笑ってペンを貸してくれる。多分彼は他人の細かな表情とか目線から、相手の状況を判断しちゃうんだろうな……。
◆◆◆
「……君は本当にぼくがそんな人だと思っているのかい?」
「え?」
「だから、ぼくがよく気が利く良い奴だと?」
「そう思うよ?だって本当に親切にしてくれるじゃん」
「何をもって親切だと?気が利くと?君はどうやって定義するんだい?」
「だってさ、周りの人の目線とか表情に気を配って、細かなことでも対応してくれてるんじゃないのか?そこまでしてくれるのが親切以外の何だってんだ」
「そんなスーパーマンみたいなこと出来たら世話無いよ。君、割と幼いんだね……」
実際、日生君に「親切だね」と言ってみたらこんな会話になった。割と嫌味な喋り方だった……。何かイメージが崩れた……。もっと爽やか系だと思ってたんだけどなー。おかしいなー。
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彼の言葉の意味が分かるようになるまで、大した間は空かない。