クルト本部にて元帥と(クロムウェル)
クルトは冷めたサンドウィッチを食べながら両元帥のチェスマッチを観戦していた。両名ともに長考する事が多かった、しかし、クルトを楽しませる為かどうかは分からないが、彼は二人の思い出話等を聞く事が出来た。これは大変貴重な経験であっただろう、この二名は世界平和維持局設立と同時に特殊部隊から引き抜かれてきたのである、この二人程世界平和維持局の歴史を知る者は他にはいなかったであろう。
チェス盤は硬直状態といった所であった、白のナイトが右翼側で若干孤立気味ではあったがポーンの援護を受けていたので攻めらる心配は無かったが、動く事も出来ずにいた。クロムウェルはチェス盤に目を下したままヘルムートに問いかけた。
「私だけかな、このナイトの状況を見ているとあの冷戦の時を思い出すのは?」
ヘルムートは黙ってナイトを眺めた後に軽く薄笑いし、頷いた。どうやら合点がいったようである。
彼らの言う冷戦とは14日冷戦と呼ばれた事件で八年ほど前に起きた、これは先進国達により半ば強制的に同盟を結ばされた民主主義中東連合国の一部が他国からの政治干渉に反発し、核武装蜂起と共に連合国からの離脱と国家の独立を認める要求を正式な国家声明として表明した。これに対し先進国側は武力行使もしくは政治的圧迫を加える事による暴発を恐れ、話し合いによる平和的解決を提案した、しかし同時に世界平和維持局の精鋭を極秘裏に現地に派遣し、内情調査や民衆扇動による内部からの制圧を試みた。この作戦に参謀として参加したのが両元帥、当時中将、である。これらの任務に将官が起用される事は稀ではあるが、実戦経験豊富で臨機応変に対処出来る参謀は彼らの他に適役がいなかったのである。さらに付け加えるならば、発足して十年程しか経っていない世界平和維持局に明確なルールが定まっていなかった事も起因する。この冷戦は表面上では先進国側の真摯な対応により話し合いで核武装解除させた事になってはいるが、実際の所、内部調査で判明した過激派による強硬策により政治的主導権が奪われていた事が明らかになると、反対派や穏健派を纏め正当な政治行為によって権力を奪取したのであった。もちろん秘密裏に行動していた世界平和維持局の名を出すわけもいかず、あたかもテーブル上で全てを解決した様に報道したのであった、しかしとは言っても首脳陣の交渉により作戦成功まで時間が稼げていた事は事実であり、決して過小評価するべき事ではなかったのも確かである。
「あの砂漠で孤立した時の事か?」
ヘルムートが頭を軽く振りながら微笑交じりに聞いた。理解してくれた事が嬉しかったのか、それとも当時の事を思い出してかクロムウェルも微笑んだ。
内部調査が終了した頃、彼らは穏健派との交渉を効率良く行う為に部隊を二人一組にし、各地の有力者達との接触を試みた。穏健派最大の力を有する長老数名が市街地から離れた砂漠地帯に住んでいる事が分かり、ここには両将と二人の護衛で会いに行くことになった。長老達の下へ滞りなく着いた、交渉も問題なく進み議会の過半数以上の採決は確実な事になった、しかし帰路に問題があった、砂嵐である。彼らは突発的に発生した砂嵐に襲われ、やむなくその場で緊急避難する事になった、その場に数時間もの間立ち往生させられた、それだけで済んだのなら御の字であったが、敵か味方か分からない連中がほんの数キロ先で同じように避難していた事が嵐の直後判明した。これが敵なら見つかる訳にはいかない、見つかれば今までの努力も水泡に帰し、さらに命も失うであろう。市街地から長老達の住処まではあまり距離はないという事で軽装備で来た、さらに砂嵐で足止めを食らっている間が長かったため水も食料も尽きかけていた。敵でも味方でも早く移動してくれれば問題はなかったのだが何故か連中は動こうとしない。護衛の下士官二人は最初落ち着いていたが、炎天下の中、水がなくなりいよいよ焦りだした、相手は少数だから攻めましょう、と胆略的な提案を出してきた、もちろん論外である。そんな事をして相手が味方なら全てを失う、もし敵だとしても一人にでも逃げられればお終いだ。このまま長老たちの所に戻る事も出来たが、彼らを危険に巻き込む事は極力避けたい、下士官達の暴発を抑えつつも出来るだけ体力を温存しつつ相手方の出方を待つしかなかった。そんな状況でクロムウェルとヘルムートは言葉は発せず、目でのみ意思疎通をこなした。これは数十年間特殊部隊で共に戦ってきた親友だから出来た事であろう、今回の様な環境は数多くこなしてきた、自らへの絶対的な自信と全てを任せられる友と一緒である事への安堵が彼らを落ち着かせ、食料も水もない状態でただじっと待つという苦行を成させたのである。その時間は本当に長く感じられた、護衛の一人が熱射病で倒れそうになった頃、ようやく相手が市街地に向かい行動し始めたのである。それを見ると将官の二人は頷き、一時長老たちの所に戻る事にした。そうしてその晩に無事に市街地に戻る事が出来たのであった。
「あの立ち往生は精神的に応えたね。」
クロムウェルが微笑を浮かべながら言った。
「一刻を争う状況でのあれではな。」
ヘルムートも懐かしそうに答えた。
クルトはよく理解出来ていなかったが、とりあえず黙って聞いていた。そんな彼を察したのかクロムウェルがクルトに顔を向けるとこんな事を言った。
「巷で噂されている事だけど、中東連合国がヨーロッパを攻撃したって聞いた事があるかい?」
クルトは頷き、彼に聞き返した。
「やはりその可能性が高いのでしょうか?」
クロムウェルはチェス盤を黙って眺めているヘルムートをチラッと見た後にこう言った。
「我々はその可能性はほとんどゼロであると考えている。もちろんこれは公式な見解とはいかない が、可能性は至って低い。まず彼らに利益がない、純粋な嫌悪から行われたのならばその標的 がヨーロッパである理由に府が落ちない。そしてこれは至って個人的な意見になるけれども、彼 らは無意味に民間人を攻撃する様な事はしない、彼らが14日冷戦で核を持ち出したのは政治的 圧力が欲しかったからであり、実際に使用するつもりは無かった、彼らは自由の為に戦っていた のであり、決して私利私欲の為に行動した訳ではない、というのが私の意見だ。無論、根拠も 証拠もある訳ではないので定かではないがね。ただ状況があまりにも不明確なこの状況で公式 な見解を発表するわけにもいかないのが現状さ。」
クロムウェルは椅子に深く腰を掛けチェス盤に集中する訳でもなくただ見つめながら答えた。
クルトは彼らの見解を聞きたかったが、それは流石に両元帥閣下に失礼にあたるし、迷惑になるとも思えたので自重した。しかし、クロムウェルには彼が何か発言したい様に見えたのだろう、突拍子もないが彼はヘルムートを軽く見た後にクルトに問いかけた。
「君がこの機関に入った理由はなんだい?何の為に戦うのだい?」
クルトはこの質問にハッとさせられた、それは彼がここにいるべき基礎概念であるべきなのに、彼には戦う理由など持ち合わせていなかったのである、彼が機関に入った理由はとても自慢出来る様な事ではなかった、しかし、英雄二人を前に安っぽい言葉だけの嘘をつく事は彼自身が許さなかった。無言で考え込むクルトを見てクロムウェルは優しく言葉をかけた。
「まだ理由がないなら無理に作る事はない、戦う理由はある時、自ずと湧いてくるものさ。」
クルトは自分が恥ずかしくなってきた、これ程真剣な人達を一度は怠惰と高慢で堕落しきった組織であると見下げていたのである、そんな堕落しきっていた者は自分ではないかと自らを戒め、クロムウェル閣下に自らの戦う理由を自信をもって答えられる様に尽力しよう、と固く誓ったのであった。
そんな中、無言でチェス盤を眺めていたヘルムートが一手進めた、今度はクロムウェルが黙ってチェス盤に集中する立場になった、秋風がたまに強く吹く天気の良い昼下がりであった。