その日(犬視点)
暗闇にぼんやりと映る美しい満月がサイトから一キロ程離れた場所に停まっている一台のトラックを照らしていた、シェリル隊のトラックである。シェリルがトラックの荷台を開けると犬達がこぞってトラックから飛び出してきた、しかし乱雑だったのはトラックを出るまでであって、地に足を着いてからは瞬く間に犬達は隊列通りに並んだ。犬達の前に立つのはシェリル、その隣にグレンが座している。その二人(一人と一匹)の前に四匹の犬が座り、その彼らの後ろに個々の四つの中隊が並んでいた。
ここでシェリル隊の本格的な説明に入ろう。トップはもちろん女王であるシェリル、その下に総司令官のグレン大将、その下に準ずるは四匹の中将達である。右端に座っている真っ黒な体に大きな口と鋭い牙の目立つピットブル種がモランギ中将、その隣のすらっと細く長い美しい体に長い毛を纏っているサルーキ種がリヴェット中将、白黒のマダラ模様に整った体系のダルメシアン種がフィデック中将、そしてその中でも一際巨大な体躯と垂れた顎肉が目立つグレートデーン種のマッカーレン中将である。この中ではマッカーレンだけが十四歳を超える老犬であり、他の三匹とグレンは大体同じくらいの若い犬達であった。
シェリルが部隊の確認を終えると笑顔でグレンの頭を撫で、その後トラックに腰かけて足をぶらぶらさせながら隊の様子を見守った。これは女王がグレン大将に全権を委任した事を意味していた、それと同時にグレンは吠えた(吠えた、だけでは味気が無いので翻訳しようと思う)
「女王陛下に代わり、私が今作戦の指揮を承る。今回は今までの様な訓練ではなく実戦になる、これが初陣になる者達がほとんどであるとは思うが、訓練で養った力を試す絶好の機会と思い戦って欲しい、もちろん実戦である以上、怪我の恐れだけではなく命を失う事さえありうる、しかし個々人の命は全体の糧である、そして同時に全体の存在意義とは個々人の能力を最大限に引き出す事にある、死を恐れず、自らの為、家族の為、部隊の為、そしてなにより我らが女王陛下の為に命を賭して戦って欲しい。」そう言うとグレンは中将達を中心に話し始めた。
「それではこれより作戦の指示を行う。モランギ隊とリヴェット隊は即座に正面の門に向かい、兵を林の中に隠し開門を待て、開門が確認され次第、両部隊共に後方の守りは気にせず全力を持って突撃せよ、リヴェット隊は敵兵の殲滅よりも機動力を生かし出来るだけ敵陣を混乱させて頂きたい。モランギ隊は戦意喪失している敵を極力無視し、一人でも多くの敵戦闘要員の削減に重点を置いて頂きたい。」リヴェットは凛とした態度で聞き入れた、それとは真逆にモランギは舌で口を舐めながら好戦的な目をぎらつかせて頷いた。
「フィデック隊には後方の索敵、及び敵増援来襲に備えた伝令に従事して頂く。この道は考えられる上で唯一の増援襲来経路なので、部隊を敵陣の中心に孤立させない為にも正確かつ迅速な伝達を心得て頂きたい。そして、マッカーレン中将には親衛隊と共に本陣の守りについて頂くと同時に、敵増援の事態があった場合にはフィデック隊の援護に回って頂きます。」フィデックは軽く、マッカーレンは深くゆっくりと頷いた。
「尚、今作戦には狂人病発症者達が投入されている模様である、その為、万が一狂人が非武装の人間に襲いかかろうとしている所を目撃した際には全力をもってこれを迎撃、人間の保護に努めて頂きたい。」グレンがそう言うとモランギが若干不満そうに声をあげた。
「グレン大将さんよ、」
「閣下を付けんか。」マッカーレンが落ち着きながらも厳格のある声でモランギを諌めた。流石の特攻隊長狂犬モランギもマッカーレンには頭が上がらない、それはそうである、この老犬は自分が目の開かない子犬の頃から面倒をみてもらってきた家族であり恩師なのである、これはモランギだけではない、グレンもマッカーレンには頭が上がらない。フィデックとリヴェットの二匹は幼少の頃はマッカーレンとの関わりがなかったのでそこまでではないが、軍の重鎮として存在する彼に最大級の尊敬と礼節をいつも心得ていた。諌められたモランギは悪戯を叱られた少年の様に肩を若干丸めながら言い直した。
「グレン総大将閣下、非武装の人間とは武器を放棄した敵兵も数に含まれるのか?」
「無論である。女王は感染者が多くなる事を望んではおられない様なので、敵兵だとしても戦意を失っている者は保護の対象とする。」
「それは女王のご意思か?それとも総大将閣下ご自身のお考えか?」マッカーレンは目を閉じながらゆっくりと問いかけた。
「女王の意思を考慮した私自身の意見であります。」グレンは迷うことなく凛とした態度で返答し、それを聞いたマッカーレンは深く頷いた。総大将と重鎮の意見が合致したので、誰一人としてこの命令に意見をする者はいなくなった。
全部隊が命令の通りの配置に向かい、トラックの付近にグレンとマッカーレンの二匹だけになるとグレンは肩の力を抜いてマッカーレンと話をしていた。
「さっきは驚きましたよ、モランギが喰いついてくるのは考えてましたけど、まさかマッカーレンさんから意見を頂くとは思ってもいませんでしたので、冷や汗が出ましたよ。」グレンの顔からは大将という厳格さが消え、はつらつとした若い犬の顔になっていた、やはりグレンもマッカーレンと二匹になると昔に戻ってしまうのは不可抗力の様であった。
「すまんな、しかしな、わしが言わなんだらお主が想像した様に、モランギが喰いかかっていたじゃろ、なぜ女王の勅命だと言わなかった?言っておれば誰も口を挟まなかったろうに。」マッカーレンも孫と会話をする老人の様に顔を和ませながら話していた。
「しかし、やはり女王の勅命ではなかったので、嘘をつくわけには…」
「お主は本当に馬鹿正直じゃの、嘘も方便という言葉はお主らの家系には無縁の様じゃな。先代も些細な嘘をつく事を毛嫌いしておった。」マッカーレンは昔を思い出し微笑みながら続けた。
「お主もお主なら、モランギもモランギじゃな、あ奴も血気さえ早くなければ頭の回る優れ者なんじゃがな…」
「モランギから猪突猛進の信念を取ったら何になるんです?」グレンは笑いながら冗談を言った
「確かにそうじゃな、どうせあ奴の事だ、今頃わしへの悪態でもついているか、部下に八つ当たりでもしとるところか?」マッカーレンも笑いながらそれに答えた、そしてモランギは丁度愚痴をこぼしながら開門を待っている最中であった、ちなみに彼の部下で機嫌の悪い彼に近づく度胸のあるものは残念ながら居なかった。そんな話をしている最中に親衛隊のドーベルマンが近づき、グレンにフィデック隊から連絡があった事を告げた。報告を受けた彼の顔はみるみる引き締まり、即座に後方援護部隊を召集し布陣の再編成を迅速に行った。
「敵の増援が確認された、それにより、マッカーレン中将率いる後衛守備隊にはこれよりフィデック隊に合流、然る後に増援部隊の迎撃を行って頂く。この作戦で最重要視される事は増援部隊の足止めである、本陣の守りは親衛隊に任せ、フィデック隊との共同作戦に全力を注いで頂きたい。」
そう言うと大型犬達はマッカーレンを先頭に森の中に消えていった。残された犬達がグレンと親衛隊のみになると、シェリルはグレンの顔を眺めながら笑顔で彼の頭を撫でた。グレンは未だに総大将たる厳とした顔つきであったが尻尾の振りは隠す事が出来なかった。大半の犬達がいなくなったのを不安に思ったのか、不思議に思ったのか、トラックの運転手がシェリルに何が起きてるのかを問いかけた、そして彼女は満面の笑みで答えた。
「分かりません、でもグレンが任せろって言ってるので大丈夫です。」シェリルの答えが彼をさらに不安にさせたであろう事は疑う余地もない。
丁度マッカーレンの部隊が本陣を離れた頃に敵陣に動きがあった、ヴェスターク隊が侵入して混乱した敵兵が門を開けて逃げ出してきたのである。それを確認したリヴェットは部下達に同時突入の命令を出した、その時モランギ隊はすでに門の中であった。リヴェットは呆気にとられながらも部下達に「モランギ隊に遅れをとるな!」と叱咤激励をした、リヴェット隊は電光石火の部隊であり、脚力に自信のある者達で構成されている、それなのですぐに距離的な遅れは取り戻したが、モランギ隊の圧倒的な戦闘力には追い付く事が出来なかった。それもそのはずである、モランギ隊は猪突猛進を体現した隊であり、隊の信条は『命令の時刻と方角さえ分かればいい後は力尽きるまで戦い続けろ』である、第一に開門と同時に隊長のモランギから下された命令は『死ぬまで進め!』の一言である、それに感化される部下達も部下達であるが、モランギ隊のおかげで戦闘が長引かずに犠牲を少なく出来た事は紛いもない事実である。
特攻隊がサイトの内部に入る少し前にマッカーレン隊はフィデック隊に合流し、フィデックは即座にマッカーレンへ現状説明をした。状況は四台の大型輸送車が山を登ってきているのである、これらの情報は山道の各要所に彼の部下達を配置し、情報を逐一遠吠えで行って得ていた、これらの情報伝達やその他の特殊作業でフィデック隊の右に出るものはいない。フィデックから情報を聞いたマッカーレンは即座に行動へ出た、彼は部隊を三つに別け行動させた。第一班は山道を降りていく者達、第二班は山の中腹にて敵を待つ部隊、第三班は第二班の上に位置し倒れた巨木などを使い罠を設置する部隊である。第一班に選ばれた者達は戦闘には向かない小型犬や闘志の弱い者で構成され、目的は純粋にトラックの前に集い通行を邪魔するだけである。フィデックからの報告では敵に急いでいる様子が見受けられないそうなので、襲われてから敵が援軍を呼んだのではなく、任務からの帰還中である見込みが高い、それならば多数の犬を轢き殺してまで進んでいくとは考えにくい、その足止めの最中に第二班が伏兵として森に潜み、第三班が適度な大きさの障害物を路上に落としていくのである。第三班はマッカーレン隊の大型犬種で占められた、セントバーナードやグレートデーン等の超大型犬種が多数いる中でも特に目立った者がいた、アードベッグという名の白い雑種の犬である、雑種といっても狼との雑種であり、その独特の顔つきと巨体は特に目をひいた、もし彼の性格が温厚でなければモランギ隊に引き抜かれていたであろう、事実モランギ隊には数匹狼犬がいる、大きさはまったく比較にはならないが。ちなみに彼はまだ二歳で成長途中である。マッカーレンの理想は第一班と第三班だけで必要な足止めを行う事であったが、万が一の為に第二班を設置していた、これは第三班の設置した障害物がすぐに撤去される様ならば敵を強襲する算段であった。しかし、この三段構えが本領を発揮する事はなかった、先ほど紹介したアードベッグだが、彼がとんでもなく大きい朽ちた巨木を押し転がし見事に第二班の目前にいい角度で落としたのである、これを除去するのには相当な時間がかかるであろう、しかも他の大型犬達が意地になって対抗するものだからダメ押しである、無用なリスクは不要と考えたマッカーレンは第一班と第二班に撤退するよう遠吠えで伝達した。
後方を再びフィデック隊だけに任せるとマッカーレンは彼の部隊の一部を引き連れて本陣に戻ってきた、彼らが戻ってきたのとほぼ同時にリヴェット隊の早駆けが敵の降伏を知らせに来た、グレンもマッカーレンもこれ程早く敵を落とせるとは思ってもいなかったのでかなり驚いた。グレンがそれをシェリルに知らせに行くとシェリルはすぐさま作戦完遂を理解してくれたが、シェリルが運転手にそう説明しても運転手が納得しない、というより疑わない方がおかしい、シェリルの運転手に行った説明はこうだ
「任務完了しました」運転手が、誰から聞いた?と聞く
「グレンから」シェリルが当たり前の様に答える、犬から聞いた?となる、後は想像通りの堂々巡りである。最終的に運転手が重い腰をあげたのは後衛部隊が到着してからの事であった、しかも、この後衛部隊は足止めを食らっていた敵の増援部隊と戦える戦力を有していなかったので、トラックを降りて山を一時間弱登ってきて疲弊しきっていた、その連中の涙ながらの訴えにやっと運転手が動かされた形になる。ちなみにサイトへの増援部隊は本部からの異動要員であったが、障害物のおかげで一度山を下りて隣接するサイトから人材と器具を持って出直す事にした、もちろん彼らのストレスは後衛部隊が停めたトラックを発見した瞬間爆発した事は言うまでもない。
サイトの制圧が終了した後、前衛部隊は未だに狂人達の相手を続けていた、しかしリヴェット隊の疲労が思った以上に高かった様である、若干動きが鈍っていた、それを見かねたモランギがリヴェット隊を階段付近に行くように説得(脅迫紛い)し、モランギ隊が大体の狂人達の相手をしていた、それもシェリルが来るまで無事に民間区域を守ったのは地味ながらも大手柄であった。
サイト制圧後、マッカーレン隊は負傷犬達を広場に集めて介抱していた。コネック側の人的被害は皆無であったが、犬達の被害はもちろん存在した、突撃の任についたモランギ隊とリヴェット隊の被害は避ける事が出来なかった。シェリルは怪我をした犬達の慰問を行うのと同時に、傷が深く死を逃れられない犬達の最期を看取って回っていた、死にゆく犬に彼女は決まって笑顔でこう言った「ご苦労様、次も頑張って」涙も流さず悲しみを浮かべる事もなく冷徹だ、と思うかも知れないが、彼女は大好きであった自らの父親の時も、先代のグレンの時もやはり笑顔で明るく看取っていた、それは彼女の死に対する考えが形になったものなのであろう、実に奇妙な風景である事は確かであった。
全ての作業が終了するとグレンは再び全部隊を揃え、シェリルを待っていた、シェリルが犬達の前に来ると、全ての犬が姿勢を正し目線を彼女へ向けた。シェリルは笑顔のまま中将達の頭を撫でると部隊の餌を取りにサイトへ駆け出して行き、その後グレンは簡潔に話を纏め、今作戦の功労者であるモランギ中将とアードベッグ曹長の武勲を称えると共に英霊達に黙祷を捧げ解散になった。これでシェリル隊の犬達によるサイト陥落作戦は無事に完遂したのであった。