ゼニスト 異変
真夜中、ゼニストは眠りながら妙な夢にうなされていた。
夢の中はとても単調な世界であった、黄色い地面の上に青色の太い線が流れている、緑色の四角やら三角の形が置いてある、炎の様な赤い形もある、そんな奇怪な世界を彼の目線で歩いていた、そうすると様々な形の光が逃げ惑う様に散らばっていく様が見えた。その元にたどり着くと大きな光があって近づくと、それは大きな単体の光ではなかった、小さな光がおびただしい程の量に集まって大きな光に見えていた、その大量の光が触った色んな形の光達は黒くなり消えていった。そして消えた色の量だけ大きな光が増えた、みるみるうちに光の数が増えて、一つの大きな光は複数の大きな光になった、一つの光の集合体が黄色い地面を掘りだした、掘ると黒色が湧き出した、他の光の集合体が緑色の形を集めだすとそれらの色が黒になり形が変わり積み木のように組み上げられていった、光が増える度に黒色が流れ出し青い線がどんどん黒色に変わっていった。赤い色は小さく分裂させられて周りにばらまかれて時間が経つと黒くなっていった。そんな奇妙な光景を眺めていると隣に誰かがいる事に気が付いた、それは手と足の生えた誰も映っていない鏡が風防の古時計だった、そして時計は言った
「時間だ時間だ」
「なんの時間だい?」
「始まりの時間だ」
「なんの始まりだい?」
「終わりの始まりだ」
「なんの終わりだい?」
「今の終わりだ」
「今はなんだい?」
「黒の時間だ」
「今が終わるとどうなるんだい?」
「次の時間だ」
「次の時間はなんだい?」
「白の時間だ」
「それはどんな時間なんだい?」
「同じ時間だ」
「白も黒も同じなのかい?」
「時間は時間だ」
「では何が始まるんだい?」
「淘汰」
その瞬間鏡の部分におぞましい化け物が写った様に感じた。
ゼニストは跳ね起きると同時に体の異常に気が付いた、ひどい高熱で体中の水分が流れでていくかと思えるほど発汗していた、喉は渇ききっていて息をするたび喉の奥が焼かれる感じがした、急いで水を飲もうとベッドから這い出たが立ち上がるだけの体力がなく床に崩れ落ちた。体中の震えが止まらない、頭を鈍器で殴られている様な激しい頭痛、胃が搾り取られている感覚さえある吐き気、目の奥が焼ける様に熱い、少しでも動くたびに全身に激痛が走る、それでも水を飲まなくては、その一念で彼は洗面所のシンクまで這いずっていった。なんとか水道の蛇口をひねると水へ顔を近づけ、口に水を含んだ、しかしその瞬間自らの目を疑った、目の前を流れるのは水ではなく血だ、ギョッとして顔を上げるとケタケタと笑う頭の割れた男の頭蓋から血が流れ出ていたのだ、口に含めた液体は血の味で彼は即座に吐き出した、それと同時に嘔吐した、しかし胃液すらもでずにただ嗚咽が漏れるだけであった、その後病的な餓えが彼を襲った、その餓えは今だかつて経験した事のない異常なものであった、そして彼の心と頭に直接言葉ではない意思が流れ込んでくる、その意思は『喰いつくせ』と繰り返すばかりであった、その意思は段々大きな意思となりゼニストの自我を飲み込もうとしていた、そしてゼニストはその場で気を失った。気を失っている間に再び夢を見た。
目が前と後ろと上に一つずつ付いた丸い肌色の球体に牙のある口、そんな頭に手と足がバラバラに付いている奇妙な形の化け物が周りにちらばった黒色を集めている、彼は化け物に問いかけた。
「何を集めているんだい?」
「部品さ」
「何の部品だい?」
「時間の部品さ」
「時間は壊れてしまったのかい?」
「自然な事さ」
「君が時間を治すのかい?」
「集めれば勝手に治るさ」
「治らないとどうなるんだい?」
「治らない時間なんてないさ」
「手伝ってもいいかい?」
「君が集めるのは黒じゃないよ」
「それならばなんだい?」
「それは君が決める事さ」
「君を手伝いたいと思うのだけど?」
「それは君が本当に望んだ事じゃないよ」
「どういう事だい?」
「すぐに分かるさ」
そこまで言うと化け物は抱えられるだけの黒色を持って歩き始めた。
「どこに行くんだい?」
「ここじゃない場所さ」
「どうして行ってしまうんだい?」
「時間だからさ」
そう言うと化け物は消えてしまった。
ふとゼニストは目が覚めた、不思議と気分がいい、先ほどまでの体の異常が嘘の様だ。蛇口からは水が流れ続けていた、透明の水だ、男の幻覚ももう見えない。ゼニストはゆっくり起き上がると水を飲んだ、体中に活力が漲ってくる、彼は淡々と水を飲み続けた、これほど水の存在に感謝をした事があるであろうか?水を満足するまで飲むと彼は洗面所を後にした。リビングに出て驚いた事はすでに朝日が昇っていた事である、時計を見るともう七時に近い。カーテンを開けて日の光を拝もうと思ったが、光を浴びると何故だか体が痛み出した、まだきっと身体の異常が治りきっていないのだろう。彼はカーテンを再び閉め直すとテレビを付けてベッドに腰を掛けた。チャンネルをいくつか変えて見るがやはり見慣れた国営チャンネルしか放送していない、民間放送はいつになったら再開するのだろうか?そんな事を考えながらテレビを眺めているとある事に気が付いた、この部屋の壁の薄さだ、昨日はまったく気にならなかったが周りの部屋ばかりでなく外の会話も聞こえる、安いモーテルだからといってこれはひどい、ゼニストは微笑みながら首を振ると再びテレビに目をやった、臨時ニュースばかりやっているが最近は珍しい事でも何でもない、またどこかの過激派が政府機関を標的にしたのだろう、しかし様子がいつもと違う、病原体や感染者など変わった事を言っている、彼はニュースに注意を向けた。
『…の発生源は未だに特定は出来ていませんが、感染者は極めて暴力的になり無差別に周囲を攻撃する恐れがあります、明確な感染経路の特定は出来ていませんが接触感染での感染率が極めて高く、感染の恐れがある人物との接触は避けて下さい。万が一感染者との接触があった場合は速やかに政府機関もしくは世界平和維持局支部にご連絡下さい。繰り返します、未確認の病原体による被害が著しく…』
ゼニストはゾッとした、昨日の狂人は明らかに感染者だった…昨日の男と少女は大丈夫であろうか?そう思うとゼニストは立ち上がり、病院へ行こうと考えた、しかしそれ同時にある事が彼の行動を抑制した、それは先ほどのニュースである。
『感染者との接触があった場合、政府機関もしくは世界平和維持局に連絡?なぜ病院ではなく軍に連絡する必要がある?病院では感染が食い止められない?軍が隔離するのか?軍が…待て、確か感染者は狂暴化し無差別に人を襲うのだ…という事は、軍はそれをどう対処する?極めて高い接触感染…拘束などしない、その場で射殺だ…という事は、政府は感染者を救うことは考えずに感染を広げない為に感染者や感染予備軍を集めて隔離するつもりか?そうだとすると…』
ゼニストは昨日噛まれた腕に目をやり包帯を取った、包帯は簡単にはだけた、かなり深いと思われた傷のはずだったがほとんど完治していた、その事はろくに考えずにただどういう扱いを受けるかを彼は恐れていた。
突如部屋のドアがノックされた、その突然の出来事にゼニストは息を飲んだ。
『何だ?こんなにも朝早くに一体?清掃でもモーテルの従業員でもあるまい…まさかと思うが政府の連中が感染者を探している事などありえないだろう、いくら小さな町といってもしらみつぶしに調べる等という愚行はしないだろう…待てよ、病院からの情報か?確かに昨日ここのモーテルの住所を書いた…そう考えると確かにあり得る、いや、感染を最小限に抑えたいのならば十分考えられる、感染者の有無は病院側からしたら簡単に目星が付く、町に感染者が出たとなれば政府機関に連絡をするだろう、それから病院で感染者との接触があったと思われる人物を政府に知らせる、至って論理的ではないか、それならば今ドアをノックしているのは維持局の連中か?もし俺が感染していて襲うもしくは連行に抵抗するなら…だがどうする?隔離などされればそれこそひとたまりもない…抵抗しようにも相手は軍装備だ、太刀打出来るわけがない…となると、逃げるか?ここは四階だ、窓から逃げるのはそれ程難しくない、その後は…やはり病院へ行ってみるか?とりあえず、ここは脱出が先決だ。』
と考えているともう一度ノックが聞こえてきた、いよいよゼニストは荷物を掴み、窓に向かって一直線に歩きだし、窓を開けるかと思った瞬間、ドアから声がした。
「ゼニストさん?マリーですけども。」
突如ゼニストの全身から力が抜けた、荷物を置いてドアを開ける。向かいの部屋の老婆が笑顔で立っていた。
「ごめんなさい、朝早かったかしら?でもテレビの音がしたのでゼニストさん起きているのだと思ったから」
老婆は上品に笑った、しかし確かに朝早い、まだ七時である。ゼニストは緊急の事かと思い彼女に何事か尋ねた。
「いえね、ちょうど朝ごはんの支度をしていたらね、ヴィッキーがゼニストさんも誘おうって言い出しましてね、ご飯がまだでしたらご一緒にいかがです?」
ゼニストは呆気にとられた、それはそうである、ほんの一分程前、彼は四階の窓から脱出しようとしていたのだ、しかもその結末が朝食への招待である。彼は笑った、笑ったのは久しぶりな様な気がする、しかしその直後、昨晩聞こえた意思が再び彼の内に響いた『喰いつくせ』、ゼニストは一瞬ハッとしたが、その後彼は誰かが「それは君が本当に望んだ事じゃないよ」と言った様な気がした、その瞬間聞こえていた意思が消滅し、爽やかな気分が彼を包んだ。ゼニストは笑顔で朝食の誘いを受けると部屋の時計を眺めた、どうやら次の時間らしい。