シェリルについて
ケイウッドとシェリルは長いコンクリートの通路を歩いていた、もちろんグレンも一緒である、コンクリートが熱を遮断しているためか、夏の終わりというよりも肌寒く感じる。歩きながら二人は会話を続けていた、ケイウッドは作戦を説明するつもりでいたがどうも上手くいかずにいた。彼らの会話はこの際置いておこう、特に重要な会話はない、全てシェリルの無作為に出される質問をケイウッドが必要以上に手間暇かけて答えていただけである。ここで今一番重要な事は恐らくシェリルの紹介であろう、さて、では彼女の幼少時代からお聞きいただきたい。
シェリル・ネヴィニー(Sheryl Nevinny)は生まれた時から若干変わっていた、赤ん坊だった時に病院で他の赤ん坊と一緒になると決まって周りの赤ん坊が彼女の真似をしたのだ、分かりにくいかもしれないが、シェリルが泣くと周りが泣く、シェリルが笑うと周りも笑う、シェリルが寝ると周りも眠ったのである。もちろんこれは忙しない大人達は気が付かなかった者達が大半であったが、彼女の父親は違った、彼は彼女が何か違う事を理解していた、だがそれを周りに説明しても単なる親馬鹿として見られるだけであった、実際彼は類を見ない程の親馬鹿であった。シェリルが三歳の時に家族で動物園に行った事がある、不思議と動物たちはシェリルが檻の前に来ると行儀よく座り込み一応にシェリルを見守ったのだ、これはライオンの檻に来た時もそうである、その日のライオンは酷く荒れていて檻の前に来る者全てを拒絶する様に威嚇していたのだが、シェリルが来た瞬間、ライオンは子猫の様に丸くなりシェリルに甘えるような顔をしたのである、そして何よりもシェリルが嬉しそうにキャッキャッとはしゃいだのを見た父親の親馬鹿加減が凄かった、シェリルを抱きながら動物園を何周もし、閉園の時間になっても喜ぶシェリル顔見たさに居座り続けたのである、動物園側からするといい迷惑である、だがそれより可哀想なのは完全に忘れられていた奥さんだ、ちなみにこの旦那、奥さんを忘れてシェリルと二人で家に帰ってきた事が何度かある。これだけの親馬鹿具合である、もちろんシェリルも物心ついた時からお父さん大好きっ子であった。しかし、そんな幸せも長くは続かなかった、シェリルが五才の時、父親が突然の病気で死んでしまったのである。しかし、奇妙な事にあれだけ大好きだった父親が死んだにも関わらずシェリルがその事を悲しんだことは無かった。周りの大人は彼女が幼いがゆえに死を理解出来ていないと思われていた。しかし、それは違う、シェリルは死を周りの大人達の誰よりも理解していたから悲しくなかったのである。
父親が亡くなって日が浅いある日、シェリルは公園で一匹の野良犬に出会った、その犬は血統のしっかりしていそうなジャーマンシェパードであったが気性が荒く、近所の住人から忌み嫌われていた、五才の少女がそんな野良犬を目の当たりにしたら普通は泣く、しかしシェリルは笑っていた、強がりなどではない、シェリルは何かをこの犬に感じたのだろう、そのまま家にその犬を連れて帰ってしまった、犬も満更ではないようにただシェリルについていった。父親が居なくなって寂しかったのだろう、と周りの大人は勝手に解釈してシェリルが犬を飼う事を認めた、その犬はグレンと名付けられた(ちなみにこのグレンは現在彼女の脇にいるグレンではない、言うなれば今現在のグレンは二世である)元々動物の扱いが上手いシェリルと利口で知られるシェパードである、周りの大人を驚愕させるのに時間は必要としなかった。
シェリルが小学校の低学年の頃、社会が物騒になってきたのもこの辺りからだ、それ以前から色々と騒がれてはいたが報道規制の厳重化等がされ始めたのがこの頃である、もちろん小学生のシェリルにはあまり関係の無い事であったが、彼女も激動の時代に生まれ育ったという事だけ分かって頂ければよい、当の本人は周りの大人が水を粗末にするなと散々うるさかった、という位しか考えてはいなかった様であるが。なにはともあれ、シェリルは学校にもグレンを連れて行った、もちろん施設内までではない、初めは校門の外であったが、すぐに校庭内まで入ってくることを黙認された、理由はその驚異的な躾の高さである、シェリルが待てと命令したら微動だにせず待つ、追えと命令すれば相手を地の果てまで追いかける、飛べと命令すれば飛ぶ努力すらしたであろう程従順だったので、それを見た教師はこれは教育上プラスなのではないかと思えた様である。因みにグレンがひったくりを捕まえてシェリル共に表彰された事もあった。
さて、問題になってくるのは彼女が中学に入ってからである、問題と言っても身体的でも精神的な事でもない、しいて言うなら経済的な問題か。(これより先はシェリルの見解が大いに含まれてくる)元来動物好きでしかも動物に対して異常なカリスマを持つシェリルと群れでの生活が基本である犬の組み合わせが本来ならあり得ないであろう問題を引き起こした。最初は野良犬に餌をあげていただけであった、それこそパンの食べかけを野良犬に与える程度である、しかし、野良犬がシェリルに懐く、グレンをリーダーと仰ぐ、しかもその当人達も満更ではない、そして自然と野良犬の扱いが良くなる、名前を付けて呼ぶようになる、部下になる、その部下が他の部下候補を連れてくる、懐く、仰ぐ、名付ける…とこの連鎖が続き、気がづけば野良犬のほとんどがグレンをリーダー、シェリルを女王という形で忠誠を誓い、強大な野良犬帝国が完成していたのである。しかも、当初はシェリルのおこずかいで彼らの食費を賄っていたが量が量だけに火の車になってしまった。ここで彼らが食料の為にゴミを荒らす等したら品位に関わってくる、シェリルは品位等考えてはいない、ただ餓えたら可哀想と思っていた、品位を気にしていたのはグレンだそうである、金欠に悩まされているある日シェリル率いるグレン隊は公園でどうするべきか悩んでいた。グレンは同じ公園の中で芸をしているパフォーマーに気が付いた、近寄って観察すると周りの人間がお金を空き缶の中に投げ入れているではないか、そこでグレンはシェリルの元に戻ってくるなり先ほど食べた空の缶詰を器用に立てて部下共を呼んだ、その後整列するとシェリルに命令してくれと促した、しかもその犬達の気持ちをよく理解するシェリルの事であったのでグレンの思惑はスムーズに事が運ばれた。小さな公園で繰り広げられる高度に調教された犬の軍団のパフォーマンスである、空き缶に溢れるばかりの金が溜まるのに時間はかからなかった。この案は素晴らしい効果を発揮した、想像以上に資金が入ってきたのである、その上、このパフォーマンスを披露する事自体がシェリルの楽しみになったので週末は決まって公園で犬サーカスが開かれた。実際にシェリルの家の経済は母一人であったのでかなり苦しかった、しかしシェリルが母の稼ぎ以上を週末に稼ぐものなので経済面の問題は一気に解消した、そればかりではなく大学への預金の大半もこの資金から賄われる程であった。
シェリルが高校に入った直後にグレンが子供を産んだ、記述し忘れたやも知れないがグレン一世はメスであった、シェリルが名付けた後に発覚した事であったが、シェリル曰く、グレンはオス勝りの姉御肌で名前も気に入っていたから変更はしなかったらしい。五匹子犬を産んだのだが、そのうち三匹はシェリルの母の友人達からどうしても欲しいという事で里子にもらわれていった、残りの二匹のうち一匹は残念ながら事故にあってしまって死んでしまった。そして最後の一匹はシェパードのオスでモルトと呼ばれ、母に育てられる事になった。子犬達を産んで、一年ほどたった頃、グレンは急な病に倒れてしまい死んでしまった。その時も、いつもグレンと一緒であったシェリルは泣く事はなかった、確かにグレンと別れる事は寂しかった、シェリルから見てグレンは、親友であり、姉であり、母であった、しかし哀しみ以上に笑顔で送り出してあげたかったそうだ、もちろんグレンも最後にシェリルに看取られて幸せであったのであろう、グレンは安らかに眠りについたのであった。母でありリーダーであったグレンを失ったモルトは幼いながらもシェリルの側近として行動を共にしていた、グレン一世の仲間達は自らの子供の様にモルトを可愛がり、また時には厳しく躾や軍律を教え込んでいった。そしてモルトが二歳になる頃には立派なパックリーダーとして育ち上がっていた。そうなるとシェリルは犬達を集めモルトのリーダー任命式を行ったのである、それに伴い彼にはグレンの名が授けられ、名実ともに女王の近衛兵兼軍総司令の重役になったのである。これはシェリルの個人的意思が尊重された訳ではなく、グレン一世亡き後に臨時総司令になっていたマッカーレンの意見が重かった(…そうである)、マッカーレンは大型のグレートデーンの中でも一際大きく、数多くいる犬部隊の中でも最古参の一匹である、それ故にグレン一世の忘れ形見のモルトには他の犬達よりも犬一倍厳しくそして深い愛情を持ってモルトの成長に大きく貢献した、そしてそのマッカーレン曰く、モルトが自分を含めた犬達の中で最もリーダーに相応しいので、彼自身は総大将の地位から勇退し、彼をトップにしたい、とシェリルに申しでたのだ(…そうだ)。この人事(犬事?)については若干の波紋を呼んだ、どの世界でも似た様なものである、しかしモルト、いや、グレンはその不満を黙らせる程の実力とカリスマ性を兼ね備えていた。
こうして無事にシェリルは大学に進学する事になる、大学時代は彼女らしい行動で周りを困らせたり戸惑わせたりと色々あるのだが、シェリルとケイウッドが目的地の車庫にたどり着いてしまったので、とりあえず今回はここまでになりそうである。ちなみにではあるが、この二人作戦の会話など一切しないで来てしまった、ケイウッドは自分の役割を果たせなかったという若干の罪悪感があった、シェリルはもちろんそんな事に気を悪くする訳もなく無邪気に笑っている、そしてその笑みにつられる様にケイウッドにも自然と笑みが湧いてきた。これがシェリルの最大の武器と言っても過言ではない、彼女の前だと誰しもが和み笑顔になるのである、これが犬達にも共通しているのであれば、なぜシェリルを慕い敬うのかも納得がいくのかもしれない、しかしそれが本当に正しいかは個体に聞いてみる他調べようはないが、ただシェリルの前では誰しも牙を失うのは確かな事であった。
二人が車庫に着いてからすぐに、調和のとれた存在感のある足音がその暗く陰湿な部屋に響き渡ってきたのである…