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クルトの一日 下

 臨時招集のサイレンは未だ甲高くサイト中に鳴り響いていた、クルトは不安に押しつぶされるような気持ちを抑えつつ、上官の到着を待った、彼の心にはこの呼集の理由もさることながら、あの地下道の事を報告しなくてはという念も彼の思考の大部分を占めていた。百人近くの兵士が詰めているはずのサイトで臨時招集が鳴っているにも関わらず、十五分たった今ですら三分の一の兵しか集まっていない、しかもその中でも身だしなみの整っている者となると半数を満たない、この状況を普段の彼なら嘲笑しているところだが今日はそれどころではない、彼の顔は真剣で戯言の一つも吐かない、しかしそれは使命感によるところよりも不安に苛まれた結果という感じが強かった。何があったのかを噂する声が所々から聞こえた、そのほとんどは冗談交じりの笑い話である、まったくと言っていいほどに真面目な者などいなかった、そんな中クルトだけは不安と焦燥に煽られ落ち着かない、彼の眼は前を見つめているが彼の思考はそのまっすぐな眼とは真逆であった、思考が一転、二転変化し、その変化ごとに憂鬱の上り下りに苛まされた。尉官以上の者たちが不思議とその場にこない、その事実がクルトをさらに不安にさせた、いち早く報告しなくてはという使命感が彼の焦りに拍車を掛けた、そして何故来ないなのだという疑問が彼を狼狽させた。全員の召集が完了するのに三十分程かかった、通常の軍隊ではあり得ない事である。クルトは中隊長を発見するとすぐさま駆け寄って地下道の報告をしようとしたが、中隊長の真っ青な顔を見たとたんにクルトは言葉を失い、それと同時に血の気がどっと引いた、それでも彼の使命感が彼を動かした、しかし中隊長は弱々しい声で後で聞く、と目を虚ろにしながら答えただけであった。こうなると使命感という正の付加が失われクルトの不安は頭の中を黒く覆って何も考えられなくなっていた。

 笑い声すら聞こえる騒々しい中、クルトには自らの作り出す不吉な事に精神をやつれさせていた。そしていよいよ大隊長が全員の前に姿を現した、完全に酔っぱらっている、いつも酔っているのは確かだが今日に至っては度が過ぎている、足元もおぼつかず周りが支えているといった具合だ。そんな大隊長から事態の説明が行われた、意外にも呂律はしっかりしていた。

「諸君、この度予測不可能であった非常事態が発生した事をここに告げる。回りくどい事は私は好かん、なので単刀直入に言おう、全ての西ヨーロッパ支部との連絡が完全に途絶えた。」この一言で全体の空気が変わった、皆が一様に凍り付いたのである、その瞬間はまさに時が止まったように静かだった、しかし大隊長の声はそんな凍り付いた彼らを打ち砕く様に響き渡った。

「本日ヒトマルサンマル頃、世界平和維持局本部より入電があり、西ヨーロッパ全域との通信及び一切の交信が途絶えたとの旨である。当初は通信網に異常をきたしたのでは、との意見もあったのだが、ヒトフサマルマルに本部から再度入電があり、西ヨーロッパ全域に大規模な物理攻撃、もしくは電磁波障害工作が行われた恐れが強いとの事である、さらに付け加えるならば、多数の原子雲に類似した積乱雲の確認が報告されている事を考慮するならば、前者の可能性が極めて大である。現在のところ東ヨーロッパ支部、ロシア中部支部、北アフリカ支部は健在であり、これより大規模な調査が行われる次第である。この事態に対し、本部より通達事項がある、万が一の状態に備えるため、該当国に三親等以内の家族がいる者は本部への異動が命じられた。その異動に際し、本部より当サイトへの人員補充も行われる。的確かつ迅速に事を運べる様、いち早く異動人員の確認を行いたい。よって条件該当者はいち早く上官に申告後、異動の準備を整えて頂きたい、以上、解散。」その後すぐに国名が発表された、当然の事ながらドイツもその中に含まれておりクルトも異動に加わる事になった。

 臨時呼集以降、サイト内には重い空気が流れていた、誰一人として口を開こうとする者がいない、異動の決定してる者達は家族や友人の安否に気を悩ませている事はもちろんの事、それ以外の者達もこのあまりにも突然の出来事に対処出来ずにいた。それもそのはずである、大隊長の話から察するにこれより大規模な戦争に発展する可能性が大なのである、誰一人として軽口をたたいている余裕のある者などいなかった。

 クルトは部屋で出発の準備を整えていた所である、彼にとってもっとも意外であった事は出発が翌朝だという事だ、この怠けきった部隊がその様な迅速な行動を取る事が信じがたかったのである。彼は荷物をまとめながら家族の安否を気遣った。一体何が起こったというのだろう?彼は情報がほとんど皆無にも関わらず色々な憶測を立てては無用に気を煩わせた、一度形成された負の螺旋は止めどなく彼を苦しませたのである、しかしそれでも彼は考える事をやめようとはしない、それがどんなに無意味である事かを理解しつつも、それは彼の内からやってきた。しかしそれが自然な事なのかも知れない、人間は何か変化を見つけるとそれを誇張したがる性なのだ、現にサイトの中でその無意味な憂虞の肥大化は止まるところを知らずに、妙な言い方になるが、人々に生きている実感を与えていた。サイトの中にはこの言い知れぬ不安と哀しみとが渦巻いていた、ただひたすら泣き続ける者、祈りを捧げる者、隠していた酒を飲みだす者、不安に押しつぶされそうな自分を紛らわすため外に出て走り出す者、不安を周りにぶつける者、皆が一応になんらかの行動をとっていた、このサイトでもっとも生の感じられる日であった事は間違いない。

 そんな慌ただしい中、大隊長は静かに一人部屋で酒を飲んでいた、彼はテーブルの上に置かれた家族の写真を見つめながら空になったグラスに酒を注ぐと「すまない」と一言つぶやいた。

 召集があったのは昼間であったのにすでに周りは闇に包まれている、クルトはベッドで横になり、家族の事だけを思っていた。こんな事になるのならば家族と一緒に過ごしていれば良かった、なぜ軍に入る事を思ったのだろう、あの時ああしていれば…、ああなぜ俺はあの時…、等と自分の過去を責める事でしか自分を励ます事が出来ないでいた。不思議なものである、自分を責めれば責めるほど苦しくなる、しかし同時に一種のカタルシスを得ているのであった。そんな感情の波が荒い中で眠れるはずもなく、クルトは自らを罰しながら闇が晴れるのを待った。しかし、いまだに暗闇があたりを覆っている中、異動の呼集がかかったのである。クルトは荷物を持ってすぐに外へ出た。大型の輸送車が数台エンジンがかかったままで停まっている、集合は驚く程素早く完了した。大隊長がなにやら訓示だか激励の様な事を述べているが、誰の耳にも入ってはこなかった、誰一人として心がここに在る者などいない。小隊毎に輸送車に乗り込むと静かにサイトを出発していった。サイトを見つめながらクルトはふとサイトの人達の事を思い出した、『俺の班の連中は補充で来る連中と上手くやっていけるだろうか?デニス爺さんは俺がいなくなってから誰に酒を試し飲みさせるのだろう…あの兄弟二人は…』その瞬間蛇の鋭い眼光に睨まれた様な感じがした。

『あの地下道の事を報告していない…』それと同時に再び声が彼の心に冷たく囁いた。

『誰かがあの地下道を使っている』

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