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ゼニストとクルト 後

不安と焦燥から生まれた沈黙が車の中を包んでいた、クルトは先ほどまでの悲壮と後悔に押し潰されそうな表情は若干和らぎ、運転に集中していた、どうやらゼニストとの会話が彼の気分を少し変化させた様だ、それと相対してゼニストの焦燥感は増していった。

 『あの時にメルを一緒に連れていけば良かったのだ、私と一緒にいた方が安全だったはずだ...いや、それは結果論か...まだ村が襲撃されたと決まった訳ではないはずだ、そうだ杞憂に過ぎないかも知れない、第一にこの一年間で避難者以外の来訪はあの眼鏡の男だけではないか、世界平和維持局があの村の事を知らないかもしれない、その可能性は低くないはずだ、接触者ですらあの村に訪れなかったではないか、そうだ、きっと大丈夫だ...しかし...もし万が一襲撃されたら、あの村はあまりに無防備だ、一個小隊でも十分過ぎる...武器は猟銃が数丁あるだけ、しかし素人の扱う銃ではどうしようもない、こんな事になるならばメルに基礎戦闘だけでも教えておくべきだった...子供といえども身体能力は常人の比ではないのだ、勝てなくても逃げのびる事は出来る...なぜ、教えなかったのだ、こんな時代ならば読み書きと同様に身を守る術も重要な知識だとなぜ気が付かなかった、ずっと彼女を守り続ける事には限界があるはずだ、それならば彼女に自らの身を守らせる技術を教える事が保護者としての役割だったはずだ...だめだ、それもまた結果論に過ぎない、大丈夫、きっと無事だ、そうとも、接触者騒ぎで大混乱する世の中であそこだけはいつも平和だったじゃないか、特に何も危険等なく、問題があったとすれば一時的な食料不足位の事だ、住民の団結力だってある、いざとなったら皆が一致団結して逃げ果せるだろう...何を考えている...あの立地が逃げる事に向いていない事はよく知っているだろう...非常事態の為に避難路を確保しておくべきだった、そうだ、自分の周りの避難経路だけではなく全体の避難経路を作っておけば...無用な心配はよせ、大丈夫だ、きっと何ともなく平穏に暮らしているさ、そうだ私が出てからほんの数時間しか経っていないではないか、大丈夫、大丈夫だ...しかし...』

 ゼニストは窓の外に目をやりながら気を滅入らせていた、彼が襲撃されたのならばここまで心配はしない、しかも実際に起きているかも分からない状況であったが、その可能性に彼は苦しめられていた、常人よりも思慮深いゼニストは一度考え込むと歯止めがきかなくなり、不安にさせる要因が更なる要因を作るという負の螺旋に陥っていた。そろそろ村に着く頃になるとゼニストの心臓の鼓動が早くなった、超越者になって身体的負荷による心拍数の変化はあまり見受けられなかったが、どうやら心的負荷は別であるようだ、若干ではあるが冷や汗も流れてきた。

 そしていよいよ見慣れた上り坂を走っていき、村を見下ろす位置まで来ると煙がゼニストの目に映った、その瞬間、ゼニストは走行中の車から飛び降りると全力で崖を下り降りて村へと向かった。その様子に驚愕したクルトは言葉を発する暇もないまま一度車を停めてゼニストの様子を伺ったが、彼の姿はすでに見受けられず、やむなくそのまま車を走らせ村へ向かった。

 ゼニストは全力で森を疾走しながらただ『無事でいてくれ』と繰り返し唱えるだけであった、そして村が見えると形振り構わず木々を足場にして防護柵を飛び越え民家の屋根に飛び乗り、村の様子を伺った...至る所に人々の屍が無残に横たわり、焼かれた畑や家から昇る炎と飛び散った血で辺りは真っ赤に染まっていた、涙を両目一杯に溜め、歯を食いしばりながらゼニストはメルを預けた老夫婦の家へ急いだ、辺りにはまだ息のある者の上げる悲痛な呻き声が聞こえてきた、しかし彼らを助けるよりもゼニストの念頭にあったのはメルの事だけである、老夫婦の家にはまだ火の手は届いていなかったが、ドアが破壊されおり、中に血を流しながら倒れている老人がいた、即座にゼニストは中に入り、老人を抱きかかえると老人を揺さぶりながらメルの安否を聞いた。老人はかろうじて目を開けると空気を切る様な声を漏らしながら震える指で台所を指した、しかしその直後に息を引き取った。ゼニストは歯を食いしばりながら老人をゆっくりと地面に寝かせ、即座に台所へと向かった、台所には老婆が絨毯の上うつ伏せになり絶命していた。この瞬間にゼニストは絶望し、涙を流しながらその場に崩れ落ちた、そして彼はそのまま激しく自分を責めた。

 『一緒に連れていくべきだったのだ、私が、私が守るべきだったのだ、なぜ、なんで私はメルを置いて行ったりしたのだ、守ると誓ったのに...誓ったのに...なぜ...なぜ私は...こうまでも...無力なのだ...自分の命なぞ惜しくはない、それならばこそ、彼女と一緒にいるべきであったのだ...それならば私の命を犠牲にしてでも彼女を守れた...なぜ私はここまで考えられなかったのだ!なぜ私はあの時彼女を置いて行ったのだ!あの時に!なぜ私は考える事を止めた!なぜ私はこれ程愚かなのだ!守ると決意した幼子を守る事も出来ず!ラズを信じる事も出来ず!あの時も私の弱さのせいで...』

 その時である、ゼニストは水滴が落ちる音を聞いた、しかもそれは下の方から聞こえた、ゼニストはハッとすると老婆の遺体を丁重に移動させると絨毯をめくった、そこには小さな扉があり、開けてみると小さな階段があった、水の音はどうやら階段に老婆の血が流れ落ちた音であったらしい。ゼニストは一縷の希望を抱くと、地下へ潜った、そこは簡易的な貯蔵庫の様でボトルに詰まった酒や干し肉などが吊るされていた、そして手作りの棚が目に入った、その瞬間ゼニストはメルを病院で見つけた時の事を思い出した、ゼニストが棚を開けるとそこにはメルがあの時と同じようにウサギのぬいぐるみをギュッと抱きしめながら身を潜めていた、唯一違う点はメルはゼニストを見ると同時に彼に抱き付き静かに泣き出した事である。メルを優しく抱きしめるとゼニストは少女をあやす様に軽く背中を叩きながら、心の底から無事で良かったと安堵し、涙を流した。

 ゼニストはメルに老夫妻の悲惨な状況を見せない様にメルを抱きかかえたまま家を後にした、外に出てみると丁度クルトの乗った車が村に着いた、クルトは車から降りると同時に崩れる様に地面に座り込みそのまま頭も地面に擦り付けながら何度も何度も地面を叩き続けていた。クルトも気になったがゼニストは生存者を助ける事が先決だと思い、メルを抱いたまま見回った。先ほどまで聞こえていた呻き声等はすでになくなっており、声を出して呼びかけても返事はなかった、しかし耳を澄ますと家々が焼ける音の他に咳き込む様な音が聞こえた、その方角だけを頼りに歩いていると、ゼニストは地面に横たわるジョージを見つけた、駆け寄ってみるが、彼は意識のあるものの助かる見込みは無かった。ジョージはゼニストを見ると力ない腕を震わせながら必死にゼニストの方へ手を伸ばした、ゼニストが座り込み彼の手を握ると村の長は言った。

「ゼニストさん...娘さんが無事で...良かった...」

そう力なく言うと彼は弱々しく微笑んだ、ゼニストは言葉も出せず頷いた、その時にクルトがやってきた、彼の軍服を見た瞬間ジョージはゼニストに必死に逃げる様に訴えた、それを聞くとゼニストは首を振り、クルトは大丈夫だと伝えた。そのやり取りを見ていたクルトはその場に跪き、泣きながら何度も何度も謝罪を繰り返していた。それを聞いたジョージはクルトに言った。

「あなたは...悪くない…いや...悪い人間など...いないのです...ここを...襲った者も...病んでいただけ...それは...少なからず、我々にも...責任がある...形あるもの、いつかは崩れる...それが、今だっただけ...の事です...…ただ、望みが叶うならば...村の...者...たち...の...」

そこまで言うとジョージは息を引き取った、最期の言葉は聞き取れなかったが、クルトとゼニストは彼が何を言いたかったかが伝わった。

 ジョージを看取るとクルトは早速作業にかかった、村を歩き回り犠牲者を担ぎ一か所に集めた、ゼニストも手伝う為にメルを車に乗せようとしたが、メルはゼニストに抱き付いたまま離れようとしなかった、そこでゼニストはメルを手の届く位置に座らせると地面を掘り始めた。村人全員の墓を作るには数時間かかり、三人が死者を弔う頃にはすでに夜明け前であった。弔いの後にクルトは車をゼニストに提供するつもりでいたが、ゼニストはそれを断った。

 日の光が差し込み始める頃にゼニストはメルを抱えながらクルトを見送っていた、この一件でクルトは信じていた正義を失った、ただ失うばかりではなく、正義がもたらした最悪の結果に自己嫌悪さえ感じていた、彼が後悔と罪悪感から解き放たれるには相当の時間が必要になるであろう、そしてクルトは自分の信念を探す事を決意した、誰かに与えられ自らに恐怖を感じる様な正義や信念ではなく、自らが見つけ出し自信を持って命を捧げられる事の出来る道を彼は探す事にした。ゼニストはクルトの気持ちが痛い程理解出来た、しかしゼニストはあえて何も言わず、彼に幸運と祝福を祈るだけであった、それは今のクルトに必要な事は他者からの助言ではなく、心の支えになる応援と傷を癒す為の時間が重要だと思ったからである。ゼニストはメルを優しく抱きしめながら村を離れていくクルトを無言で見送っていた...


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